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所変わって、ギルドの酒場。乱雑に並ぶ丸いテーブルを囲んで、飯を食ったり、酒を飲んだり、談笑したり。壁の依頼書を吟味する奴もいれば、受付嬢を口説く男もいたり、武器を磨く者もいたりする。がなり声やらなんやら、騒々しいことこの上ない。
というか。なんで木片が床に散らばっているんだ。どうして人が倒れている。俺たちが闘技場に居たのなんて少しの間だ、この数分のうちに何があった。
「またなんかやったみたいだねえ」
のんびりとした口調のルインにツッコミたい。こんなのが日常茶飯事なのか、ここ!
気にしなくていいよ、とカウンター席へ促される。激しく気になるが、触らぬ神になんとやら。ちら見だけして席に向かった。
ぶっ倒れてるおっさんを介抱する、髪の長い少女に合掌。
丁度昼時なせいか、厨房は忙しそうだ。恰幅のいい女性が、ひとりでフライパンやら鍋やらを3つも相手にしている。
いい匂いが漂ってきて、腹の虫が飯をよこせと喚いた。うるさい、もう少し待て。
「アーダさん、ゴッケ鶏の照り焼きお願い」
「はーい、いらっしゃい、ちょっと待ってねー」
なんだそれ、ゴッケ鶏? なんかカエルっぽいが、鳥なのか?
「そっちの坊やは?」
フライパンを振って混ぜながら問われる。すげえ、軽く30センチは浮いたぞ。
「ルイン、メニューってないのか?」
「ないよ。アーダさんに言えばなんでも作ってくれるよ」
なんでも、か。今ものすごくチャーハンが食べたい気分なんだが、こっちにあるのかどうか。
無難にルインと同じものにしておくか。ゴッケ鶏の正体がわからないから怖いが。鶏って言ってるから鳥だ、うん。
「ルインと同じので」
「はいよー」
また新たなフライパンを出して、調理に取り掛かる。なんか悪いことした気分だ。
「アーダさんのご飯ってすごく美味しいんだ。なんていうか、温かみがあるっていうのかな、不思議な感じがして」
たかが飯、されど飯。ふにゃっととろけた笑みを浮かべるルインに、料理への期待が高まる。
「元気がよすぎるのも考えものですねえ……」
ぼやきが聞こえた。カウンターの向こう側に入ってきたのは、さっきおっさんを介抱していた少女だ。
すらりとしたシルエット。薄く緑がかった金の髪は、腰ほどまで伸びている。ペリドットの瞳は柔らかい光を宿している。口元に微笑を湛えた、言うなれば絶世の美少女。あまりにも完成度が高くて、まるで作り物のようだ。女の子には食傷気味の俺でも思わず見惚れてしまった。
可愛い、というよりは綺麗とか美人の方が相応しい。
「おつかれ、イル」
「ああ、ルインさん、サイが探してましたよ。えっと」
ちらりとこちらを伺い見て、ルインにアイコンタクトを送る少女。どうやら身内の話らしい。
「席外すか?」
「いや、構わないよ。イル、ユウトは知ってるから大丈夫」
「それでしたら。竜の歯が欲しいと言っていました」
「うーん、生え変わりの時期、まだ続いてたっけかなあ」
「……大丈夫なのか、ここでそんな話してて」
周りに人が居るっているのに、不用心な。あれほど徹底的に素顔を隠しているのだ、正体を知られたくない理由があるだろうに。
「これだけうるさいと、よっぽどでない限り、かき消えますよ」
くすくすと口元を押さえて笑う様は上品だ。これに落ちない男は居ないだろう。
「イルちゃーん、お話の途中で悪いけど、これ3番テーブルまで持ってってー」
「はーい。ごめんなさい、また今度」
「ううん、こっちこそ、お仕事の邪魔してごめんね」
ぺこりと一礼して、厨房へと消えていく。かと思ったら大皿3枚分の料理を器用に持って慌ただしく出ていった。
「綺麗な子だなあ」
「ふふ、そうだね。イルは治療師志望で、怪我をしたギルドメンバーの治療してるから、ギルド内じゃアイドル扱いだよ」
ファンが多いから刺されないよう気をつけて、って不穏だなおい。だがあの外見では納得できる。
「ハイおまたせ、ゴッケ鶏の照り焼きだよ!」
ドンっとカウンターに置かれた、ゴッケ鶏とやらの照り焼き。熱した鉄板を皿代わりに、その大半を肉が占めている。野菜なんて左端に添えられたジャガイモとインゲン程度。別皿でスープとパンもついてきた。
見たところは普通の鳥肉だ。というか、そんなことはどうでもいい。これの正体なんて知ったことか、今はこいつに食らいつきたい。
飴色に輝く表皮、甘塩っぱい香り。肉厚で食いごたえがありそう。見ているだけで口の中に唾液が溢れる。なにこれ、美味そう、絶対美味い。
「いただきます!」
ルインが目を閉じてお祈りをしているのを横目に、手を合わせ、早速肉に取り掛かる。
ナイフで贅沢に大きめに切り分ける。皮がパリパリだ。滴る肉汁を啜るようにして口の中に突っ込んだ。
涙が出るかと思った、熱さで。いくら空腹だからって、鉄板の上にあったものを冷ましもせずに食ったのは間違いだった。
しかし、これは、ヤバイ、美味い。
照り焼きといえば使われるのは蜂蜜だが、どうやらこれは違うらしい。果物的な香りが口の中に広がる。少し塩辛いくらいの味付けは、ここが酒場だからか。
肉質がしっかりしていて噛みごたえがある。かといって筋張っているわけでもなく。噛むたびに肉汁が溢れてくる。
硬めなパンを千切って、まだ肉が残る口の中に放り込む。口の中でタレと絡んで美味い。が。
あああ、白米が欲しい。絶対に合う。パンより断然。米飯文化で育ってきた俺には、パンより米の方がしっくりくる。
「イタダキマスって?」
ナイフで切り分けもせず、フォークに丸ごと突き刺した肉を噛みちぎるルイン。意外と豪快だな、もうちょっと品のある食い方をすると思ってたんだが。
「食う前の挨拶。俺が住んでたところの伝統文化」
スープも美味い。キャベツとニンジンとタマネギ、ベーコンが入った、塩味の野菜スープ。あっさりした味付けが、照り焼きの濃い味と対比して、メリハリがつく。この組み合わせは絶妙だ。
「どんな意味?」
「意味、なあ」
そんなこと、特に気にしたことはなかった。
「食材に対して、今から貴方の命をいただきますよってことだったはず」
うろ覚えの知識で答える。確かこんな意味合いだったような。
「へええ、いいね、それ。イタダキマスかあ」
食事の途中だが、ルインは一度フォークを置いた。料理に対してイタダキマスと手を合わせる。
「こう?」
「ああ、そう」
なんで気に入ったのかわからないが。俺なんて習慣的に言ってるだけだし。
「お前だって食う前なんかやってたよな、あれは?」
「あれはねえ、ghagrr wgahaに――」
「悪い、なんだって?」
グハグルル・ヴガア? グアグルー・ウガハ? ダメだ、カタカナじゃ再現できない。
なんかものすごく喉の奥ばっか使いそうな、人間にはとてもできない発音。何語だそれ、というかどうやって発音したんだ。
「ごめん、またやっちゃった。ヒトの言葉に直すと、竜に力を貸してくださる、覇の精霊かな? 彼らに『今日も自分の血肉となる糧を得られました、ありがとうございます』って感謝するお祈りだよ」
「人の言葉に直すとってことは、もしかして今の竜語か」
竜に育てられ、唯一竜語を理解できるとヴェクティスが言っていた。どうやらそれが当たりらしく、そう、と頷き肯定される。
なるほど、竜の口の形からして、人間と同じ発音は無理だ。喉奥を酷使する発音は、竜にとって簡単なのだろう。それを人間の喉でやってしまうルインすごい。
しかし竜も信仰なんてするんだな。
それ以降は黙々と一心不乱に食べ続ける。なんとなく、ルインが『温かみがある』と言っていた理由がわかった。
昨日は城で食事を摂っていたが、ここまで美味いと感じなかった。如何にもお高そうで、テーブルマナーに気をつけて食っていたからというのもあるだろうが。
塩辛いし、大衆向け料理って感じなんだけど。なんだろう、おふくろの味ってのに通じるものがある気がする。……しばらく、食べてないが。
「ごちそーさん!」
最後の一切れを名残惜しく頬張って、再び手を合わせた。また食いたい。
見様見真似で食後の挨拶をするルインに、ちゃんとした言葉を教える。どうしても乱雑な言葉はこいつに似合わない。
「ゴチソウサマでした」
満腹、と腹をさする。こんなに満たされた食事は久しぶり、いや初めてかもしれない。食欲的な意味だけではなく。
「やっぱり育ち盛りの子はいい食べっぷりねえ。こっちもどうだい? サービスさ」
「チェリータルト!」
目を爛々と輝かせてルインが叫んだ。餌の前で待てをされてる犬っころ状態。よしが出るのを、尻尾を千切れんばかりに振りながら、今か今かと待っている。
「そう慌てなさんな、タルトは逃げないから」
苦笑気味なアーダが、他より大きめな一切れをルインに出す。律儀にイタダキマスと手を合わせ、フォーク片手に踊りかかった。
大きめに切り取って、見た目に反して大きく開いた口でぱくり。フォークをくわえたままご機嫌な笑顔、周りに花を散らす。どれだけ好きなんだ。
「そんなに嬉しそうに食べてもらえるなら、こっちも作った甲斐があるってもんだ」
グラスに注いだ水を出しながら、アーダが誇らしげに言う。俺も貰うとするかな。
糖蜜でつやつやと輝くサクランボが、ぎっちりと並んでいる。思いっきり甘そうな見た目。甘ったるいものは苦手なんだが。けれどルインの幸せそうな顔に好奇心が湧いた。
崩さないよう慎重にフォークで切り分け、口の中に放り込んだ。
あ、うまい。思ったほど甘くもなく。サクランボの酸味が、上にかかった糖蜜と底に敷かれたカスタードの甘さを、程よく引き締めている。タルト生地のザクザクした食感もいい。
そういえば、サクランボの時期って元の世界だと終わったよな。先月食べたのを思い出す。葵の母方の実家が某県で、毎年送られてくるサクランボをおすそ分けしてもらっていた。
向こうと同じ月日の流れ方だとしたら、今は7月の終わりなんだが。それにしては気温が低いような。春かと思うくらい穏やかな陽気だぞ。
そんなことを思いながら食っていたら、いつの間にか皿の上が綺麗になっていた。締めにレモン水でまったりとした甘さを抑える。
ルインも食い終わったようで、眉を寄せ、名残惜しそうにフォークを噛んでいる。ルインは甘党、と。役に立つかもしれないから覚えておこう、いつ使うかはわからないが。
「お、居た居た」
後ろからヴェクティスの声が聞こえてきた。グランも一緒のようだが、お疲れさんと一声かけただけでどこかへ消えていく。
「アンタにプレゼント、ほれ」
俺に何かを投げ渡して、ヴェクティスはルインの隣にどっかりと座る。
渡されたのは燻し銀の懐中時計。表面にはここでよく見かけるQとCをくっつけたような模様。一体これがなんだというのだろう。
「アーダ、アタシにモール牛のフィレ肉のステーキ。インゲンは要らないよ」
「はいよー」
差し出されたチェリータルトは拒否し、新しい煙草に火を付ける。ジッポライターっぽいものを使っているが、構造はどうなっているのやら。
「それはギルド証さ。中の中心にランクがあって、針が状態を表す」
開けてみると、中央にEの文字が。針は一本だけ、本来数字がある場所には、任務中とか呼び出しとか、文字が書かれている。某魔法学校の児童小説かよ。
「ここ王都レグス内なら、それを見せれば会計ができる。ただしアンタの口座から引き落とされるから注意しな。
ああ、口座ってのは、ギルドで預かってる金を管理するもんさ。アンタ専用の金庫と思ってもらえばいい。
ギルドメンバーには無償で貸し出してて、依頼の報酬は基本的にそっちに入れられる。言えば現金で受け取れるが」
要するに銀行口座と同じってことだろう。通帳が欲しいな、残高確認のために。
会計ができるってことは、ギルド証はさながらクレジットカードか。
にしても、既視感を覚えるアイテムが結構出てくるな。
ファンタジー世界といえば中世ヨーロッパだが、そんなのは町並みくらいだ。テクノロジーは現代日本とどっこいどっこい。
さすがにパソコンだとかケータイだとかゲーム機だとか、電子機器類は無いようだが。
それは置いといて。
「Eってことは……」
「最底辺だね。そこが妥当だろうってのがグランと2人での判断さ」
紫煙を吐き出し、ヴェクティスが続ける。
「魔法の威力は目を瞠るものがあるが、戦い慣れしていないせいで実戦じゃあ使いもんになりそうもない。
ギルドランクはそのまま依頼の受付可能ランク、アンタじゃあDランクすら無理だ」
召喚特典でどうにかなるかと思っていたが、現実は甘くなかった。経験不足ばっかりは、さすがに補えない。
「厳しいな……」
「そりゃあ当然。アンタはこの世界の命運を握ってるんだ、無茶させてらんない。また召喚すんのも面倒」
おい、後者が本心じゃないよな。
会話に加わらないルインが、カウンターの中に入っていったかと思えば、灰皿を片手に戻ってきた。ぼろりと落ちた煙草の灰を、ルインが灰皿でキャッチ、そのままそれをヴェクティスに差し出す。手慣れてやがる。
「アンタだって死にたくはないだろ?」
「そりゃあ、当然」
死ぬのは怖い。これは生物として当然のことだと俺は思う。
アーダが注文の品をヴェクティスに出す。モール牛のフィレ肉のステーキ。やっぱり材料がよくわからないが、うまそうなのは確か。ソースの濃厚な匂いに、満たしたはずの腹が空いてくる。
「ま、アンタには魔王を倒してもらわなきゃいけないから、ゆっくりもしていられない。思った以上に弱いからどうしたものか悩んだんだが」
ガス、と音を立てて、フォークがポテトに突き刺さった。そのフォークを、ひたと俺に向ける。
「ユウト、明日からルインと同じ生活しな」
それに呆けたのはルイン。
「え、俺と?」
「そう、アンタと。手合わせとかしなくていい、今までと同じ生活を、ユウトと送りなさい」
「うーん? わかった」
そんなものでいいならと、それだけでいいのかとぱちくり瞬くルイン。俺も首を傾げる。コイツの生活リズムに合わせるだけなら簡単だろうけど。
「中々ハードだろうが、まあ頑張ってみなさいな、勇者サマ」
そんな甘い考えを払拭するように、ヴェクティスが挑発してくる。よくわからないが、覚悟はしておこう。どんなものかわからないから、覚悟のしようもないが。
「俺と同じ生活ってことは、俺の家に泊まり込みってこと、だよね」
「そういうこと」
肉を頬張るヴェクティスが首肯する。肯定されたルインは、眉間にシワを寄せて、何やら悩んでいる様子。まだ半日しか一緒に行動していない奴を、そうそう自分の家に招きたくはないか。
「勇者なら大丈夫、かな?」
どうやら違うらしい。勇者を判断材料とできる、家に入れられるか悩むことってなんだ、思いつかないぞ。
「どうする、今から行く? 俺としては、日が暮れる前には帰りたいんだけど……」
「いつでもいいぜ。そっちの都合に合わせる」
特に準備することもなし。荷物は全てルインが持っているし、やらなければならないこともやりたいこともない。
「ならもう行っちゃおうか。マスター、部屋借りるね」
さっさと行け、とばかりにフォークを振る。どうやら食うことに集中したいようだ。
酒場からギルド内部へ、適当な部屋に入ると、ルインは白い魔導書を出した。
「面倒でごめんね。白い魔導書は〈白色〉のものだから、往来で使うのはちょっと……」
徹底的に隠そうとしている割には、酒場で喋ってるあたりどうなのか。本人がいいなら構わないけれど。
今朝方と同じく、白い魔法陣が床に展開される。ぐにゃりと体全体が歪む感覚。どうもこれには慣れそうもない。