iv.
息を切らして店にたどり着いた。
いつもの『Open』のプレートを見たら、慌てふためいている自分が恥ずかしくなる。息を整えてからドアを引いた。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると店長の声。私を認めると、やあ、と親しげな口調になった。
店にお客はいなかった。いつものことだけど、こんなに暇でいいのかな。だけど、こういうときはありがたい。
店長は、レジのところに座って優雅に読書をしていた。手に持っているのは、なにやら難しそうな厚い本だ。大学の勉強用か、魔物退治の本(そんなものがあるかどうか知らないけど)か。それはまあ、どっちでもいい。
近づいていくと、店長は私の表情に気づいたらしい。なにかあった、と穏やかな声で訊ねた。
私は事情を話した。
話しながら情けなくなってしまった。どうして、こんなことばっかり起こるんだろう。私はよほど運が悪いとみえる。
君のまわりでは変なことが起きすぎだよ、日頃の行いがよくないんじゃないか。
私が店長の立場だったら、わざとらしくため息のひとつもついて、そういってやるところだ。
だけど店長は、うんざりした顔など決して見せず、突然のことに動じるふうもなく、私の話を聞いていた。了解したように一人で頷き、喚起魔術か、と呟いた。
「なにを見たのかなあ。しかしすごいね、ネットでそんなののやり方までわかるなんて」
感心した様子でいう。
「そのサイトは、もう見つからなかったっていってました」
感心している場合ですか、と思いながら私はいった。
「道具も捨てちゃったって」
「うんまあ、元がわからなくても大丈夫。だいたい基本は一緒だから」
「基本って」
「魔術を使った魔物の呼び出しは、一種の契約なんだ。魔物は術に縛られて、命令を実行し終えるまで元の世界に帰れない。そして術者も、魔物を縛っていることから逃れられない。最後までね」
「どういうことですか」
「たとえば誰かを襲うよう命令された場合、術から解放されるために、魔物は命令どおりその人を襲おうとする。だけど、もしも襲われた相手が、反撃して魔物を祓ったとしたら──」
「どうなるんですか」
店長がいいにくそうに口をつぐんだので、私は先を促した。
うん、と店長はいう。
「魔物は術者の元に返る。そして、術者を襲って契約を終わらせようとする」
術者を襲う? そんな。
「無茶苦茶です。雇った相手を襲うなんて。契約破棄じゃないですか」
「雇うといっても、魔物が納得して雇われるのではないからね」
店長は私の言葉に少し笑った後、真顔になって、
「そういうものなんだよ。魔物と関わるんだ。命がけさ。それを知らないでやったら、大変なことになる」
そう。実際、そうなっているわけだ。
つまりは、私か姉か。どちらかを襲わない限り、魔物は諦めない。そういうことなのだろう。
そんな律儀になることないのに、と私は悲しくなった。
呼び出した本人が、忘れてたといってるくらいだもの。魔物も契約なんか忘れて、どこかへ消えてくれればいいのに。
命がけだなんて、姉はそんなこと思ってもみなかったに違いない。
「どうするかな」
店長は腕組みをして、天井を見上げた。
「ただ追い払うだけなら、おれでもなんとかなるけど、それはできないしなあ。といってもちろん、こっちがやられるわけにもいかないし」
「どうすればいいんでしょうか」
「うん、まあ、おれより力のある人間に頼るしかないな」
「力のある人?」
「そう」
彼は頷いて、
「とにかく、こっちはこっちで準備しよう」
「準備って」
「この手の魔術は、月の満ち欠けに左右されることが多いんだよ」
店長は壁のカレンダーに目をやる。
「今日は新月。来るなら今夜だ」