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悪夢で目覚めた日は複雑な気分だ。
気持ちの悪い夢だっていう憂うつと、それが現実じゃなくてよかったってほっとする思いと。
天気のいい土曜日の朝。本当なら嫌なことなんて忘れて、ちょっとは楽しくなれそうなものなのに。
今日は土曜登校の日で、学校へ行かなければならない。私はため息をついて起き上がり、無言で支度をして家を出た。
学校が近くなると、明るく挨拶しあう声が遠くに近くに聞こえ、軽い足音たちが私を追い越していく。
いつものことだけど、皆が幸せそうに見える。私の足どりだけが『とぼとぼ』とおよそ女子高生のそれとはほど遠く、私の周りだけ空気が重いのだ。
「おはよ、里央」
声がして、軽く背中を叩かれた。
「どしたの、暗い顔して」
クラスメイトの咲帆が私の顔をのぞき込んだ。
「美人がだいなし」
彼女はいう。
内心、再びため息をついた。容姿のことをいわれるのは苦手だった。
「──でもないよね」
咲帆は続ける。
「美人はなにしても美人。よく『三日で飽きる』とかいうけど、あれ嘘だよね。里央を見てればわかる」
どう言葉を返していいのか、わからなかった。半開きの口のまま、ほとんど固まっていたら、不意に視線を感じた。
私は、はっとして辺りを見回した。
まただ。
だけど、視線の持ち主らしき人は見当たらなかった。
「なに、どしたの」
咲帆が驚き、私に合わせて周囲を見渡す。
「なんか、いた」
「なんでもない」
私はかぶりを振った。咲帆は不審げな顔だ。気の毒だけど、知らん顔で歩きだした。
最近、こんなことが多い。誰かの視線を感じて──でも探しても誰もいない。
見られる、ということ自体は昔からよくあった。小さい頃は、知らない人にじろじろ見られると怖くて泣きそうになったりもしていた。
ある程度の年齢になってからは、もうほとんど無視している。我ながら神経が太くなったと感心するくらいだ。
見た目の割りに性格がきついといわれたりするのも、たぶんそのせい。仕方ないでしょ自己防衛よ、と思ったりもする。
だけど今回のはそういうのとは違うという気がした。なんというか、もっと怖くて気持ち悪い感じがする視線。
といっても、見ている人間を発見したわけではないからわからないのだけど。
気のせいといわれれば、それまでという感じもする。いろいろあって神経質になっているだけなのかもしれない。
今朝の悪夢がよみがえる。不安がそういう形で現れているのだろうか。
「おっはよ」
また背中を叩かれて我に返った。同じくクラスメイトの菜摘が、私と咲帆に微笑みかけていた。
「なあに、里央。暗い顔」
「ね。今日、変なんだよ。マンガだったら、顔に線って感じでしょ」
──うるさい。
二人は楽しげに笑う。
彼女たちといて、いつまでも暗く物思いに沈もうなんて、土台無理な話だった。私は考えるのをやめることにした。
「ねえ」
菜摘が、なにか素敵なはかりごとを持ちかける口ぶりで私と咲帆を順に眺めた。
「里央の家の近くに雑貨のお店あるの、知ってた」
「知らない」
私は首を振った。
「『オリエンタル』っていうの。いろんな小物とかアクセとかパワーストーンとか、あとお香とかのお店」
「近くってどの辺」
菜摘は場所を説明する。
確かに家の近所だった。だけど学校への通り道とは別方向で、私はその道をほとんど利用しない。そんなところに店があることさえ知らなかった。
「この間、偶然見つけたの。今日、寄っていかない? いろいろあって、見るだけでも楽しいし、それにね」と身を乗り出して、
「そこの店員さんが、すっごくかっこいいんだよ」
うっとりした顔でつけ加えた。
なるほど、目的はそれですか。私は思わず頷く。
「ね、行ってみたいでしょ」
菜摘は勘違いしていった。
「えー、なにそれ。行く行く、私も見たい!」
咲帆が飛び跳ねんばかりに賛同する。見たいのは当然、品物ではなくてその店員さんとやらだろう。
めんどくさい、と思ったけど、こういう話を断って変人扱いされるのも嫌だ。私はもう一度頷いて、同意した。
教室に着くまで菜摘は、その店員がどれほど素敵かについて話し続けていた。大半は彼女の妄想を通した抽象的な賛辞だったので、どんな人なのか私には想像がつかなかった。
咲帆の方はイメージを共有できたらしく、二人の心は既に放課後に飛んでいた。私はまた、ひそかにため息をついた。