第九罪 不吉な日々
事件の解決が分かり、安心して出かけた日曜の昼間。急にフレイがこんなことを言い出した。
「ねぇ、最近の人間様って何を食べてんの?」
「は?」
フレイは普通の人間には見えない事を良いことに随分と大胆な服装で閑静な住宅街を闊歩していた。胸元がぱっくりと開いた挑発的な色合いのドレス。背中は丸見えだ。まぁ今日は暑いしちょうどいいのかな? ってかいつ着替えたんだ? 今朝からずっと俺の近くにいたのに。
「だから、最近の若者はどんな食事をしているのか、訊いているのよ」
「どんなって、普通の食事だけど?」
彼女が何を聞きたいのか俺にはさっぱりだ。そもそも、彼女の会話には目的なんて無い様な気もする。
「じゃあ聞くけど、普通ってなによ」
「ノーマルの事だよ。普通って意味わかんないの?」
かなり見た目通り、バカだ。
「バカとは失礼な。私にだって普通の意味ぐらい分かるわよ!」
「あそ」
「うん。じゃなくて、普通の定義よ、て・い・ぎ!」
むすっと頬を膨らませる美少女。少女って言うか、どちらかと言えば俺よりも年上に見えるから、お姉さんって感じだけれども。
普通の定義だって? 今度は俺が意味わからん。
「とにかく、世間一般だよ。一番有名で、皆が食べているって言うか」
ん? よく考えれば、フレイの姿は罪人にしか見えない。だから俺は普通の人から見たら一人でぶつぶつ喋っている高校生、または中学生。よって俺は傍からから見たら変人。自分の気づかぬうちに近所で噂の独り言を喋る根暗な高校生に。それだけは回避しなくては!
俺は瞬時に辺りを見渡す。誰も居ない、よかった。ってかこんな昼間から俺以外に誰も居ない国道って……いかにこの町の過疎化が進んでいるか窺えるな。
「なに? 今頃気づいたの、ご主人様?」
ポカンと呆気にとられた様に俺に見つめ返してきた。
「気づいていたなら、先に言えよ」
「全く。でも安心して。そんなこともあろうかと私、他人が居る時はご主人様に話しかけない様に心がけてたから!」
意外にも気が利くな、それなら安心だ。
「だって自分の使用者が近所で変人扱いなんて耐えられないもの」
「で、ですよね」
そして意外に繊細だ。
「もう、話を逸らさないで! 今は――」
「あぁ、何話してた……どうした、フレア?」
フレアは不意に歩みを止めた。早くしないとタイムセールが終わってしまう。今月、ピンチなんだからなるべく節約しないと。
「ねぇ、あれ、何?」
フレアが綺麗な人差し指で指す先には駄菓子屋があった。辺りにはコンクリート設計の住宅が並んでいるため、木造建築の駄菓子屋は完全に浮いていた。
ここらへん一帯は最近住宅が建ち始めたばかりでまだ更地ばかりだが、俺が物心ついた時からうちの学校とこの駄菓子屋はあった気がする。あの頃は本当に日本でも有数の片田舎だったもんなぁ。たまの休日に父さんと二人で行ったなあのおじいちゃんまだ居るかな?
「ちょっと、懐古モードのところすいません、私の質問に答えてください!」
「あぁ、すまん。懐かしくてな」
もう、ずいぶんと行ってないな。最後に行ったのは――。
「もういいわっ!」
死神にナチュラルに突っ込まれたのは世界広しといえど、俺くらいじゃないか?
「あれは……駄菓子屋だな」
「だがしや?」
「うん、お菓子売っているところだ」
「今は、スーパーとやらでも売っているんじゃないの? ご主人様のさっきのスーパーの説明だと私はそう解釈したけど」
「確かに、今はスーパーでも駄菓子なんて買えるけどあそこは、なんつーか、雰囲気を楽しむ場所だからな、うん」
「雰囲気って、どんな?」
「えーっとそれは、昭和時代とか? よく分かんないけど」
もちろん、俺は生粋の平成生まれで、昭和時代の雰囲気なんて分からない。だってその時生まれてないもん。父さんはどうだったのだろう?
「へぇ。私も感じてみたいな、昭和時代!」
「言ってもお前、昭和時代この世界に居なかっただろ」
「確かに。でもそれって江戸時代の後でしょ?」
「そうだけど。じゃあ、お前江戸時代にこの世界に居たの?」
「……居る訳ないじゃん! 初めてだよ、人間界!」
「じゃあ、雰囲気も何もないな。そもそも江戸時代に駄菓子屋があったとも思えん……」
「えぇ! いいじゃん、行こうよぉー」
ダダこね始めた。お前は子供か。
「ダメだ。そんなことしていたらタイムセールが終わっちまう」
「ご主人様は主婦かっ!
「うるさい、ダメなものはダメだ!」
「えぇ……食べたいよ、あのグミってやつぅ」
ここからあの駄菓子屋に置いてある商品が分かるのか? ここから駄菓子まで二車線道路はさんで少なくても二百メートルはあるのだが。
「お前、ご主人様の言う事が聞けないのか? メイド失格だぞ」
「えぇー……でもぉ……」
「行かせてあげなよ、お兄ちゃん?」
聞きなれない声のした方に振り向くと、そこには小さな男の子が立っていた。
どこにでもいそうな何の特徴もない……なんて言ったら失礼だが、全くその通りの子供でこの子と道ですれ違ったとしても気づかないだろうし、印象にも全く残らない。どこにでもいるありふれた子供だった。野球帽を被って、可愛らしい長ズボンに半袖のTシャツ。顔と体格から察するに小学校三~四年と言ったところだろう。
今日は暑い。それはもう急に夏が来たと勘違いするほどに。朝見た天気予報は見事に当たっている。まだ初夏には早いがこの男の子は半袖を着ていた。確かに半袖でも十分過ごせる。
今日はお天気姉さん、どんな服着てたっけ? まぁ印象に残らないってことはどこにでもあるありふれた服を着ていたんだろうな。ちょうどこの子みたいに。
「ねぇ、お兄ちゃん。そこのお姉ちゃん、あの駄菓子屋に連れってあげてよ」
なんだこのガキ、随分と馴れ馴れしいな。相手が相手なだけに怒れないし……このやり取り見られていた。さっきまで辺りに誰もいないと思って油断していた。
「すごく行きたそうに見えたけど」
何でそんなことを俺に言う? 何が目的だ……ってこんなことこんな小学生に聞くのは無粋だな。ここは年上らしく振舞わないと。
「えーっと、このお姉ちゃんは俺のメイドさんで……」
この子供、何か変だ。俺、何か重要な事忘れてないか? 何かあってはいけないことが起こっている気がする。やっぱり何かは分からないけど、この子供からあの化物達と同じオーラ……みたいなのを感じる。何だろう、このおかしい感じ。何か――――。
「……ちゃん、お兄ちゃん、大丈夫?」
「んあっ!? あぁ、大丈夫だ。」
小学生に心配された。とにかくこの変な感じの正体を暴かなくては! こんなガキに構っている暇はない!
「あぁ、あれだな。うん、良い天気だ!」
「どうしたの、急に?」
不思議そうに首をかしげる少年。我ながら、誤魔化し方が下手すぎる。慣れない会話に全身から嫌な汗をかきはじめた。
「とにかく、このお姉ちゃんを駄菓子屋に連れてくよ!」
「本当!?」
一気に明るくなる少年の顔。本当に変な奴だ。
「んで、好きなだけ菓子買わせるよ」
「本当に?」
「本当だとも。男と男の約束だ!」
あぁ……俺の晩飯が……くだらん約束に消えてゆく。
「だってさ! よかったね、お姉ちゃん!」
少年が話しかけるも、フレアは無視。なんだこいつ、子供苦手なのか? さっきまで子供みたいにダダこねたくせに。
「じゃ、じゃあな。少年! いい夢見ろよ!」
足早にその場を去った。
少年と話した場所から大分離れた横断歩道に着いた。変な汗で全身びっしょり。向こうに渡るために横断歩道のスイッチを押した。途端に目の前の信号が青に変わる。
「どうした、フレア。さっきから黙り込んで。お前念願の駄菓子屋だぞ? もっと派手に喜んだらいいんじゃないの? お前、見えないんだし」
「近くに人間がいたから黙っていたんだよ」
開かずの口をゆっくりと開いたフレア。声がやけに低い。
「あぁ、あの少年か。変な子供だったなぁ。お姉ちゃん、駄菓子屋に連れてって、あんな約束しなきゃ良かった。全く、俺の晩飯生贄にしたんだから喜べよ?」
横断歩道を渡りきった。すぐに点滅して、また赤になった。この信号いままで何回青になったんだろう。こんな中途半端なとこに設置して市役所は何が目的か全く意図がつかめない。周りに何も無いし。
「まだ気づかないの、ご主人様?」
「気づかないって何が?」
「あの子、私の事、見えてたんだよ?」
「…………」
鼓動が高鳴る。それだあの違和感、変な感じ。俺が見落としていた点。なんであの少年にはフレアが見えていた? 俺と話しているのが分かった? あの少年、少なくとも罪人ではない。死神はどこにもいなかった。では、なんで?
俺は今まで生まれて出したことのないスピードで振り向いた。
「…………」
しかしそこには誰も人っ子一人もいなかった。ただコンクリートの永遠に続く国道とその上に広がる陽炎だけ。
「さて、駄菓子屋行きましょう!」
フレアは炎天下の中、楽しそうにスキップして駄菓子屋に向かっていく。あの少年が俺に何かを、伝えようとしていたのか。あの少年は何者なのか。今となっては分からない。
回想の回想終了。
「グミ、うめぇ!」
さっきからひたすら口の中にグミをひっきりなしに入れ続ける化物。お前の胃袋はどんだけデカいんだ。結局俺達は、晩飯を生贄に(主に俺の。本来、化物は何も食わなくても良いらしい)駄菓子屋で大量のグミを買いあさった。(主に俺が。まだ現役だったおじいちゃんに凄く変な目で見られた)そしてスーパーにも行けず、今は家でフレアがおいしそうにグミを食べている姿をただ眺めていると言う状況だ。
「ちょっとは、真剣にって空気を作る気はないのか」
めちゃくちゃうまそうだが、これはすべてフレアの物で俺は一口も食べれない。俺が羨ましそうに食べる姿を見ていたらフレアは食べるか聞いてきたが俺は変な意地を張り、
「女の物に集るなんて、そんな目敏いことは日本男子としてしないっ!」
と格好つけてしまい、後に引けなくなった。それに対してのフレアの反応が
「へぇ……日本男子も大変そうね」
だけだったのも惜しまれる要因の一つだ。今夜の飯はお粥だけかな。
「あっ」
「なに、なんだ?」
「さっきご主人様が言ってた事、半分くらい間違いかもって言うか勘違いしているかも」
「さっき言っていた事って、あの俺がダメージを受けたら云々ってやつか?」
「うん」
フレアは最後の袋を開け一気に口に入れて一気に飲み込んでしまった。あんなにあったのに。食べるの早すぎだろ。もっと味わって食えよ!
「確かにある一定以上のダメージを受けると、それが死として扱われて誰か身近な人の命が犠牲になる。そこまでは正しいよ。じゃあ死としては扱われない程度のダメージを受けたらどうなるか、わかる?」
フレアは急に真剣な目つきで聞いてきた。俺も真剣に考えてみる。
「それは……俺に来るんじゃないか、そのダメージが」
フレアは首を横に振った。
「あくまで罪人には痛みや傷は感じないよう、できない様になっている。これはあまりの痛みや傷によって罪人が罪を償うことを辞めることを防ぐためなの。
「じゃあ、その傷はどこに行くんだ?」
「つまりこれはこういう事よ。ダメージ・傷は毎日の蓄積値ではなく、毎日リセットされるってわけ。だから前回の償いで死ギリギリのダメージを受けたからと言って、今回、ちょっとダメージを受けたら死ぬって事はないわ。これも前回のダメージによって罪人のやる気に影響が出ない様にという配慮ね」
「なかなか、死神にも優しいとこあるじゃねーか」
「果たしてそう言い切れるかな?」
悪そうに笑うフレア。
「その日に受けたダメージはエニグマの活動時間の限界、午前五時に集計されるわ」
「そのダメージは死神が引き受けてくれるんだろ?」
いいえとフレア。
「我々もそこまでしない。あくまで私たちと人間様は、看守と罪人という関係なんだから」
と冷たく俺を一蹴する彼女はどこか悲しげだった。
すると黙って駄菓子屋で買った大量のグミを入れていた袋をまた確認した。これで三回目だった。もう中にはグミは入っていない。それが分かる度に俺に聞こえるか聞こえないかくらいの小さなため息を付くのだ。
そんなに気に入ったか。仕方ない、たまには買ってやるか。そんなに高いものでもない。今回は買い過ぎてバカみたいに金が掛かったが。
「そのダメージも次に命を奪う人間にいく……」
「…………」
「もしご主人様が擦り傷を負ったとしましょう、エニグマが出現している最中にね。その傷は一瞬で治る、それこそ人間様ではありえない治癒スピードでね。そしてご主人様の身近な人にそのダメージを移す。これが私の第一の役目。そしてほぼ同じ傷をほとんど同じ場所に移す」
「……嫌な話だ」
「これは病気の場合でも一緒。風邪にもし活動時間外で掛かったとしても五時には完全に消え、その指定された犠牲者に移る。もちろん全てが完全に移るわけではないけど」
「でもそれでは不自然ではないか? 寝ている奴が急に擦り傷なんて」
「だから急になんて移さない。運命と言う形で移す。それまでの間くらいは私たちが無利子で肩代わりしてあげるわ」
「運命……」
俺が母は既に死んでいると知った時、それは全て運命だと、奴は俺に言った。これもこの罪を償うのも全ては運命だと言うのか。
「つまり擦り傷を負ってもらう運命に書き換えてしまう、と言う訳ね。この運命は絶対に改編することが出来ない。だから本当は傷の移動というより、運命の変更ってわけ」
「それってどんな些細な傷も全て転移されるのか?」
「ううん。償いに支障をきたすレベルの傷だけよ。人間様だって治癒能力は持っているのだから。基準は曖昧だけど正直、ケースバイケースね」
「殺す時も死ぬ運命に変えて……」
「ごめんなさい。命の管理は私達、死神が担当しているけど命の肩代わりってのは本当に上級の死神にしかできないの。だから一線を越えたら一瞬でプツンね。そしてその人はこの世界から存在自体が消える」
「存在自体が、消える?」
「言葉の通りよ。皆の記憶から消え、その人はこの世界に居なかったことになる。その人の記憶を持つ者は、ご主人様ただ一人」
「これが、運命を変える……」
俺は知らなかった。俺が死ねば、そいつは皆から忘れられ存在自体を消されてしまう。なんてシステムだ。神様ってのはこんなにも残酷なのか? 死神ってのはこんなにも無慈悲なのか? 人間てのはこんなにも無力なのか?
俺は黙ったままずっと俯いていた。
「暗い話になっちゃったわね。ごめんなさい」
フレイはまた悲しそうに笑った。俺の命は既に康助や誰か分からないが身近な人の命も背負っている、と言う訳だ。断じて死ぬわけにはいかない。
「その、犠牲者の名前とか分かるのか?」
「分からないわ、ごめんなさい。私たちには人間様に仕えるあたってルールがあるの。一つが、勝手に人間を殺めてはいけないという事。二つ目が人間にむやみやたらに死神の秘密を教えてはいけない事、でもこのルールを教える事だけは許可されている。三つ目が一線を越える手助けはしない事。この一線っていうのは教えられないけどね。四つ目が指定されている命以外を犠牲にしてはいけないこと。最後が人間界に依存、干渉しない事」
「それと何の関係が?」
「四つ目の指定されている命以外は犠牲にしてはいけないってところ」
「えっ、犠牲者ってフレイが決めているんじゃないのか?」
「私じゃない。誰かは言えないけどまぁ死神界のお偉いさんね。だから私には次に誰が犠牲になるか分からない。私は指示のまま傷を移すだけ。運命を変えるだけ。命を奪うだけ。私はそんな事、したくない。だから私は全身全霊をかけてご主人様をサポートする。そして絶対に犠牲者なんてださない、絶対に」
その真っ黒な瞳を涙に溺れさせながら彼女は強く笑った。彼女が何者であっても彼女は俺を守ってくれる、そんな気がした。
「その、ありがとな」
俺もぎこちない口調で彼女の言葉に答えた。それは思いへの想い。
「え、あの、うん。どういたしまして……って別にご主人様のためなんかじゃ、ないんだからねっ!」
涙を拭いて意地らしく口をへの字に曲げた。
「へーへー。分かっているよ、全く」
彼女はしばらくの間ただ黙って小さく笑っているのだった。




