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第八罪 死神と日々

 男はその後、杉島先生に連れられ保健室に運ばれた。しかしさっきから杉島先生の死神だけが見当たらない。どこかに居るのだろうか?

 俺たちはこの部活の活動内容及び義務なんかを聞いて今日は帰宅させられた。俺は何も言わず無言で部室を後にした。あの男の言葉を聞いてとても他人ごとでは済まされないと、気づかずにはいられなかった。

 その帰り道。辺りはまだ真っ暗で風も冷たく夏を感じさせてはくれなかった。

「…………」

 隣には吸血鬼の化物が黙って歩いている。なんかいろいろと突っ込みどころはある気がするが今はそんな気分にはなれない。

「…………」

 吸血鬼もさっきはあんなに喋っていたのに空気を読んでか何もすることなく俺についてきた。

「なぁ」

「なぁに?」

 思わずと言うかいつの間にか、何か強力な力に導かれる様に俺は彼女に話しかけていた。

「お前はさ……」

「お前じゃないよ、フレイ、名前で呼んでよ」

「じゃあ、フレイ――」

「本名はロウ・マゼラン・ヴィ・フィレヴィル・レイ、よ。覚えておいて?」

 彼女は無邪気にその名を口にした。日本生まれの妖怪と言う訳ではないらしい。

「ロウ・マゼ……なんだって?」

「まぁ、面倒くさいから皆フレイって呼んでいるし、やっぱりフレイいいや!」

「どっちだよ、ったく」

 俺たちはなんとなくいつの間にか打ち解けていた。それは彼女が全くの初対面だと全く思わせないからだ。いままでずっと俺の近くに寄り添ってきたような、そんな親近感に似たような感覚が彼女と話した時、不思議と湧いてきた。

「身長は、壱メートル八拾センチメートル。体重はレデイに聞くものではないでしょ? あとは――」

「俺は……」

 やっぱり外灯が一つもない田んぼ道を夜空を彩る星々に見送られながら俺たちは帰路につく。

「ん? なぁに?」

「ましろなつき。俺の名前だ。なんて呼んでもらっても構わない。でも”なっちゃん”だけは勘弁してくれ」

 まるで友達の様に、人間を相手するように俺はフレイに話す。相手は人知を超えた生き物(生き物なのかすらあやしい)なのに。彼女にはそんな魅力と言うか色気と言うか誘惑するような奇妙な力があった。

「なつき、なつ、き……分かった!」

 急に深夜の既に住宅街に差し掛かった辺りで彼女は大きく口を開いた。

「ご主人様……ってのは、どう?」

 どうしたら『ましろなつき』からあだ名がご主人様になるのか説明してもらいたい。断じて嫌いではないが。

「なんでメイド?」

 最近は都心部ですらメイド喫茶や二次元の女の子を筆頭とする所謂、『萌え』の文化はアニメ発祥の地であるこの日本ですら後退を余儀なくされているというのに、なぜこの子は、いや、この化物は『萌え』を知っているんだろう。既に過去の産物として世界から破棄されかけているというのに。

「だって君、メイドとか好きでしょ? 特に『萌え』と言う文化が発生して間の無くに生まれた初期のメイドさんが!」

 ニヤニヤと俺の顔を見て笑うフレイ。

「その情報は……」

 図星だ。俺が引き籠りだった時期に心の支えになっていたのは間違いなく、少ないお小遣いを費やした、あのメイドのフィギュアに違いない。あれがなければ俺はおそらくこの世界にはいない。

「どこから入手したかって? おっしえなーい。あえて言うなら極秘のルートかな」

 すると彼女は俺が照れて彼女から目を逸らした一瞬の隙に、まさしくあの今は亡きあのフィギュアのメイドさんのコスプレをしていた。

 黒と白の完璧なコントラスト。その完璧な純白のフリルに隠された絶対領域。主人への服従を身に固めた強固な精神力を物語る、完全なディティール。

 しかし、しっかりと貞操を守る為のその甘くもどこかに気品を感じるスカート。なにもかもが完璧だった。

「おお……」

 思わず声を漏らしてしまった。あとでじっくりと家で隅々まで観察したいと言う欲望に駆られた。しかしあの康助ですら見破れなかった、完璧なポーカーフェイスで冷静に対応する。

「どうよ、これ? 今じゃ絶滅危惧種じゃない、このメイド服? この初期のよくも悪くも萌えがぎこちなく現れた様子は既に芸術作品の領域じゃない?」

 この子は出来る子だ。俺は感心してしまった。

「悪くはない、かな」

 またニヤニヤと俺の顔を窺ってきた。その顔にはメイドとしての鱗片も窺えない。

「なぁに、もう一度言ってよ」

「だが、まだ外見だけだな。メイドさんとしての心意気が全く見られない。これじゃあ、形だけの張りぼてだ」

 と偉そうな口をきいてみるが実際のところ、ここまでメイドを愛していたにも関わらず当時メイドさんにあった事は一度もない。だからメイドさんの心意気とか全く分からない。彼女のメイドのコスプレに実は感動しきりなのも秘密だ。

「えーだって、ご主人様、人生で一度もメイドさんにあった事ないでしょ? なのにどうして心意気とかわかるの?」

 ……まさかそんなことまでリサーチ済みとは。フレイの極秘の情報ルートとはなかなか侮れない。

「…………」

「まっ、それはお互いだし、追々一緒に理想のメイドさん像を作り上げるとしてなんだっけ、話って?」

 そういえば俺はコイツに何を話そうとしていたんだっけ? メイドさんに思わずときめいて、すっかり忘れてしまった。

 ははぁーん、とフレイ。

「大方、私のメイド姿に見とれて話す無い様忘れちゃったんでしょ?」

「なっ……」

 俺の顔を悪戯な顔で覗き込んできたその目を逸らして心を落ち着かせた。すっかり相手が得体の知れぬ化物だと忘れてしまうところだった。いかんいかん。

「そう、かもな」

「うんうん、そうだよねぇー……って、ええっ! マジで、本気で、真剣に?」

 俺の思わぬ発言に家を間近に控えてまた大きく口を開けた。案外照れ屋なのかもしれない。

「なんてな」

 一瞬辺りの空気が固まった。

「冗談……って事?」

「ああ。冗談、俺はメイドなんかに興味はこれっきりもないね」

 強がって見せた。これ以上彼女を見ていると遠い昔に捨てた欲望が返ってきそうだったから。

「そう、なんだ……はぁ」

 と肩を落としてフレイは元の姿に戻ってしまった。一気に興が覚めてしまったではないか。これは俺がもたない。

「おい、フレイ……」

「その、なによ? 今私は人生の不条理に打ちのめされているんだけど」

 すっかりグロッキーな彼女に俺は口から自然とその言葉を発した。

「俺の、味方か?」

 宙に浮く俺の言葉。そういえばあの子供みたいな死神に簡単に他人は簡単に信用するなって注意されたこともあった。でも今の俺には信用できる仲間が必要だ。

 ここ数時間で俺はありえない世界を目の当たりにしてきた。校庭を埋める化物、『死神』――何を信じればいいのか、何を認めればいいのか。

「えぇー難しい質問だなぁ」

 うーんと心機一転、唸るフレイ。真剣に考えてくれているようだ。

「どっちでも……」

「えっ?」

「どっちでもないかな!」

 屈託のない笑顔。そこからは化物の鱗片も窺えない。

「私はあくまでも全力でご主人様の償いを手伝う積りでいるケド」

 フレイはノルンやあの部室に居た死神達と違って感情表現が豊かだ。何を考えているのか、どんな気持ちなのかすぐに、手に取るように分かる。今はとても悔やんでいる、自分と言う存在に。

「でも、もし主人様が怪我したり命を落としたりしたら、全てバンクに送んなきゃいけないし。いざとなったら主人様の大切な人の命を奪わなくちゃいけない。だから味方でいたいけどいられない、名乗れないよ」

 フレイは顔を手で覆い隠して涙を流した。俺なんかのためにこの子は泣いてくれた。俺の運命の相手としてはまだ少し不十分かもしれない。でもこの子となら一緒に歩める、そんな気がしたのもこの時だった。

「そうか。ありがとう、フレア。君の気持ち、嬉しいよ」

 としか俺には言えなかった。フレイが死神として背負った宿命、その運命から切り離す事なんて今の俺には出来ないんだから。

「その、フレイ?」

 俺はそっと瞳から滴を流す彼女に語りかけた。

「ぐす……っ。なによ?」

 フレイは涙ながらも精一杯、俺の声に答えてくれた。そして俺はフレイに希う。

「やっぱり、コスプレしない?」


「康助っ!」

「おぉ。どうした、なっちゃん? 急になっちゃんの方から抱き付いてくるなんて!」

「本当に、よかった」

「しょうがないな……そんなさびしがり屋のなっちゃんには俺の情熱のキスを捧げよう! さぁ、遠慮せずに来い! 夏希!」

「遠慮しまくるよ! ちょ、近い! 本当に唇、ついちゃうから!」

 その翌日。行方不明事件は突然、終息を迎えた。

 休日だったその日、警察の必死の捜索によって行方不明者十三人全員が近くの林にある小さな小屋の中で見つかった。皆その事件前後の記憶がなく誘拐した犯人の事のまるで覚えていなかった。康助曰く、

「何か、入学式の日に校門でなっちゃんの事を待ってて、気づいたら小屋にいたなぁ。世の中不思議な事もあったもんだな!」

 だそうだ。本人たちは全く事件の事を覚えていないため警察も犯人が捜そうにも捜せないらしい。一部のマスコミでは怪奇現象とかキャトルミューティレーションとかそんな古い話題を引っ張り出して報道していた。確かに不可思議な現象が起こり過ぎている。俺もこんなにあっさり解決されては何か虚しささえ感じられる。まぁ皆が無事でよかったけど。

 とにかくその事件は一旦の解決を迎えたのだった。ついでにあの夜の出来事も話してしまおうかなんて思ったけどフレアにも会長にも止められたし、そんな与太話誰も信じてはくれないだろうと思ってやめた。

 何かこの事件との関連性はあるのだろうか。俺には全く分からない、でも俺は安心して日曜日を過ごすことが出来た。


「つまり俺が一定以上のダメージ、もしくは命を落とした場合、俺の替わりに誰かが死ぬってことか」

「そういう事ー。それにしても最近の人間様が食べるものは贅沢ねぇ。特にこのグミとかいう菓子は絶品ね!」

「……よかったな」

 俺のその場しのぎの食費は全てフレイの口内に一瞬で消えていく。俺はそれをぼーっと眺める事しかできない。

「この柔らか過ぎず、硬すぎず、ちょうどいい歯ごたえが私の食欲をそそるわぁ」

「あーそうかい、そうかい。早く話の続きを話せよ」

 俺は少しの空腹と少しの怠惰で沸々と怒りの湯を沸かせていた。

「ちょっと待ってよ、まだ食べているでしょ?」

 と言うと彼女は袋の中の菓子を一気に口に運んだ。それはそれで湯に油を注いでいる事は彼女には分かるまい。俺はポーカーフェイスにだけは自信がある。

 しかしこれで終わりかと思っていると白のビニール袋からまた新たなグミの袋が取り出された。俺は熱気の籠った溜息を嫌味のつもりで思いっきりついた。

「ちょ、ちょっと。そんな大きな溜息つかないでよね。何があったのか知らないけど、辛気臭いのが移っちゃうじゃない!」

 自分で右の頬が熱を持ち始めた事に気づくのにはそうかからなかった。

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