第六罪 約束の日々
――死にたいか?
どこからか声がする。人間の声に聞こえなくもないが、多分、人間ではないまたなにか違う生き物。
――しかし死はそれを果たした者にしか与えられない。平等に死は与えられる。
真っ暗だ、何にも見えない。自分の体も確認できない。一寸の光も許さない闇の奥深く。
「誰だ?」
意外に俺は冷静だった。自分と言う人格を自分で確認できない限りは恐怖心さえ覚えない。この闇全てが真城夏希ならばこの得体の知れない声だって、この意識だって俺であることに違いはない。
――私は森羅万象。この世界の全て、この宇宙を支配するもの。または神、または貴方。この世界は貴方自身でありこの存在全て。
「今のは?」
先ほどまで見えていた俺の過去の記憶。忘れもしない母の死、父の涙。悔いても悔いきれないほど俺の心を蝕んだ罪の記憶がそこにはあった。
自分の意志で声は出せた、でも自分と闇の区別がつかない。自分の実体の感覚がない。身体を動かせない、ここに俺と言う存在はいない。
――貴方の罪。
またあの声がする。耳で聞いていると言うより、脳に直接、声のイメージが流れ込んでくるような感覚だ。つまり俺自身から聞こえる声。
「俺の罪」
――背負うべき、罪。今の貴方を創るもの、創造するもの。
闇は淡々と話す。感情が感じ取れないほど平坦な口調で、まるで俺に刑罰を下すような口ぶりだった。
「……俺の母の死が俺の罪」
言っていることはまともで理解できる内容だった。そう俺も認識してあれから生きてきたし、この罪を背負って生きていく、永遠に。
――この罪を償ってもらう。
急に闇が蠢き始めた体が捻じれる。
「償う?」
――自分の罪を受け入れ、その罪同等の刑を与える。我々は真の裁きを下すもの。何人たりとも反抗は許されない。
くっ、苦しい。死ぬ……っ!
――罪を償うまで貴方に死は許されない。
何かが入ってくる! 身体を奪われるっ! 嫌だ! やめてくれ!
――神々の許しが下りるまで、貴方は背負い続ける。痛みを、罪を!
罪が、俺を支配する! 脳の中が真っ黒になる!
――貴方は罪を償うために、同じく罪を背負う者たちを導かなくてはならない。
あまりの痛みに意識が遠退いて行く。導く、何を?
――そして願いなさい。救われることを、取り戻すことを。
そこは教会だった。聖母マリアのステンドガラスが見事だ。そこには俺以外誰も居なかった。俺は何でこんなとこに寝ていたんだ? なんで教会なんかに居る?
そっと立ち上がってみるとそこでは俺の身体が俺自身をしっかりと支えていた。二本の脚で一つの身体を支えていた。身体に目立った外傷もなく痛みをどこにも無い。
「よくわからんが、とにかく外に出てみよう」
俺は倒れていた教壇を後にして出口に向かった。その道には真っ赤なカーペットが敷かれここの神々しさを強調していた。ゆっくりと歩を進めた。本当に俺の足音しか響かないほど静かで閑散としている。どことなくうちの学校の講堂に似ている気がする。たくさん並べられた木製の長椅子。そこに神に向かって祈るものはいない。俺ただ一人がこの大きな空間に一人残された感じ、俺だけがこの空間で生きている。
ようやくたどり着いた教会の出口。大きなドアで十メートル以上あるであろう天井まで伸び続けている。俺は腕に力を入れてドアを開けようとした。
「どこに行く気ですか?」
ドアに手を掛けた瞬間後ろから声がした。さっきまでこの教会には俺しかいなかったはず……。
俺は小さなため息をついて振り向いた。やっぱり教会は静寂を保っていたが、一つだけ、
奥にぽつんと置かれた教壇の上に小さな子供が座っていた。
「誰だ、お前」
おやと少し驚いて見せる子ども。男にも女にも見える中性的な顔だちをしている。
「私が突然現れて驚かないんですね、貴方は」
子供は軽い身のこなしで教壇から降りるとゆっくりと俺に向かって歩いてきた。
「……。ここんところ不思議な体験ばかりしてきたからな、こんな事じゃ驚かなくなった」
「なるほど……慣れ、と言うのは怖いですね」
子供は高らかに笑う。明らかに彼は普通じゃない。何かが変だ、何かは分からないが。
「ここはどこだ?」
「どこって、見てわかりませんか。教会ですよ」
子供は俺の近くまで来ると、立ち止まってゆっくりと礼をした。
「名乗り申し遅れました、私、罪の借金取りでございます」
いきなり俺の目の前に文字が浮き出てきた。不気味な字で『norn』と読める。
「ノルン?」
「ええ、借金取りのノルンです。以後、お見知りおきを」
ノルンと名乗る子供は下げた頭をあげるとにっこりと笑った。見た目だけなら普通の子供なんだが。
「その、借金取り……ってのはなんだ」
きっと彼も冗談半分で言っているわけではないだろう。あの目とこの不可思議な状況が俺を変な世界に連れ込んじまったのかもしれない。
「正確には罪の、ですが」
ノルンは笑顔を崩さない。
「それは、あれか。さっきの闇が言っていた俺の罪って奴のか?」
「やみ?」
ノルンは急に悩みだした。あからさまにうーんと唸り声をあげ、文字通り頭を抱えた。
「まぁ、そういう解釈の仕方もありましょう。感覚ってのは人それぞれですから」
なんか一人で解決したぞ、ちょっと小ばかにされた感じが癪に障るが。
「そうです。貴方の背負うべき罪の借金取り、と同時に神と貴方の仲介人をします」
「仲介人?」
「ええ、仲介人です。状況的には貴方が現世で起こした罪は、神への借金と言う形になっております。それを肩代わりしているのが私ら、借金取り。またの名を……死神」
その言葉を聞いたとき、初めてこの子供へも警戒心が生まれた。俺はあくまでこのどうみても小学生にしか見えない子供を自分より力のない者として扱ってきた。しかし、死神とは。
「貴方は少し疑う事を覚えた方がいいですね、うん」
「は?」
急に話の根幹が変わった。
「こんな世を全く知らなそうな無知の塊である子供の事をあまり信用し過ぎるな、という事です」
「じゃあ、今までお前が言ってきた事はすべて嘘なのか?」
「いえ、そういう極端な話をしているわけではなく、ただ全てが真実とは限らない。と私は言いたいわけです」
結局、何が言いたいんだ?
「結局、結論から言うと私の事は信用してもらって構いません。私もこれが仕事ですので情報は事実だけを伝える心構えでいます。が、これからたくさんの死神やら、罪人達に会う機会が増えていく事でしょう。その時に彼らの言うことを全て信用してはいけないとの忠告です」
いきなりこんな子供に仕事が、とか言われた方が胡散臭いと思うのだが。せっかくの忠告だし一応頭の片隅にはおいておこう。
「自分の家族であってもですよ?」
「どういう意味だ?」
ふうと呼吸を整えるノルン。
「いえ、こちらの話です。さて、もう少しこの要件についてお話させてください。……これも仕事ですので」
あくまでこいつは仕事上の付き合いを強調したいようだった。
「私らは貴方が神に犯した罪を償ってもらう間、そのかわりとなって罪を人間で言う金として肩代わりしていきます。利息などは一切発生しませんので御安心を」
ノルンはどこから取り出したのか真っ黒は紙を手にそれを読み上げている。
「それはありがたいな」
「ですので実質、貴方は私ら死神に罪を償ってもらう形になっております」
ところで死神って奴は、みんなこんな人間の子供みたいな姿をしているのだろうか?
「質問等は最後にお願いします。……この罪の返済期間は三年。高校卒業までです」
「えっ?」
「私らも最善は尽くしますが、最近の神は短絡的でしてね。あまり長い間借金しているといい加減、縁を切って魂を奪ってしまいます」
「それは……殺される、ってことか?」
「勿論。最近の例では何の忠告もなしに問答無用でいきなり奪われた若者もいます」
神様と言う奴は、神の割には中々器が小さいようだ。
「しかし、罪返済期間の身の保証は私らがしっかりとさせて頂きます」
淡々とノルンの説明は続く。
「身の保証?」
「はい、言うなれば命の保証です」
するとノルンはまたどこからか真っ青に光る半透明の水晶玉を持ち出した。神々しく、地球上にはない物質の様。その水晶玉には何が映っているのか。
「これが所謂、人間の命。この管理は神ではなく私ら死神が行っております」
「じゃあ、俺は返済期間の高校生の間は死なないってことか?」
ノルンはそっとその水晶玉を後ろにしまった。
「ええ。三年間の間だけは命の保証を、必ず、嫌でも」
俺は不死身になれるのか。これはいよいよ本当に現実離れした話になってきた。
「しかし、さすがに命を無償、と言う訳にはいきません」
急に辺りに不穏な空気が流れ始めた。嫌な何か寒気が肌を包む。
「貴方の命一つの替わりとして、この人たちの命を私ら死神がいただきます」
その瞬間、俺の目の前ノルンの後ろにたくさんの十字架が並べられた。誰かが持ち出したわけでもなく、まるで元からそこに立っていたかの様になんの前触れもなく、突然現れた不気味な十字架。
「これは……」
全部で十二本。そこに掛けられていたのは――。
「康助っ!!」
その瞬間、失っていた記憶が全て俺の頭に入ってきた。俺はあの事件で行方不明になった康助を必死で探した。そしたら生徒会長の幽霊が出てきて、俺を夜の学校に……。
「ああ、ああああっ!!!」
いつかもこんな大声をだした気がする。何かに怯えるように、何かから逃げるように。
俺はその場に座り込んでしまった。身体に力が入らない。眼から涙が止まらない。
あの幽霊みたいな会長、あの校庭を埋め尽くしていた化物、あの棺桶。全て現実だった。俺は忘れていた。怖いものを、力及ばない者を、得体の知れないモノから逃げていた。これは康助を、大切な人を助けるためだったのに。
「……やっと思い出しましたか?」
俺は床に座り込んだまま、ゆっくりとうなずいた。
「安心してください。私らだってそんないきなりあの人達の命を奪ったりなんかしませんよ」
俺がまた十字架達の方を見た時にはもうそこには何も無かった。
「しかし、貴方がこれ以上今の命で罪を償えないと我々が判断した時には、あの人達の命を奪い貴方の命を再生させます、嫌でも」
俺はゆっくりと立ち上がった。身体が熱くなるのを感じる。もう、死神は信用できない。
ノルンは俺と目を合わせるとゆっくり右の口角をあげた。
「貴方に拒否権はありません。嫌でも、誰かの命を犠牲にしてでも貴方には罪を償ってもらいます」
「つまりは……」
俺は声を震わせて言った。
「俺が一回も死ななければ、誰も殺されない。そうだろ?」
死神は無表情で頷いた。
「そんな事が出来たら、の話ですがね」
やっぱりこいつは死神だ。平然と命を奪うとかほざきやがる。
「それのオマケとして、微力ではありますが身体能力の上昇、並びに狂気感染への抵抗を高めます」
なんか一気に胡散臭い言葉がたくさん出てきた。
「狂気感染ってなんだ?」
当然の質問である。
「簡単に言えば貴方達の欲に寄生し、感染する一種の病気ですよ。あくまでこれは身の保証のためのオマケですから、あんまり頼りきらないのが吉です。自分の身は自分で守ってください」
随分な良いようだ。こんなガキに身の安全を、なんて言われたくない。
「……もしもの時は命を引き換えに助けてあげますよ。死神だけにね」
死神は静かにページをめくる。
「さて、次は罪の償い方です」
俺は黙って死神の話を聞く。
「それはいたって簡単。現世に存在する、存在せざる者を消すことです。またの名をエニグマ」
また俺の目の前に今度は絵が浮き出てきた。そこには血塗れで顔のつぶれた人間が映っていた。あの時校庭から湧き出てきた化物に似ている。
「どうやら何かの手違いで既に貴方はエニグマと対面しているようですが、あの個体はかなり弱小の部類です。もっと力を持つ個体は既に何百と報告されています」
あの時の記憶が蘇る。恐怖、激臭。出来ることなら、もうあんなのには出会いたくない。
「ですがそうもいきませんね、貴方には時間がない」
死神が初めて笑った。
「もし、貴方が今日から数えてきっかし三年たっても罪の返済が出来なかった場合、貴方は魂を剥奪され、あげくの果てにはあの人達の命まで死神達に奪われてしまう。忘れないでください、あの人達の命は貴方に懸っています」
そうなのか。いざとなれば、複数対一の命だ。罪の返済なんて放っておいて三年後に俺が殺されれば、なんて最悪は考えていたがそうもいかないらしい。
「俺の罪、実の母を殺した罪ってのは、返済にそのエニグマって奴にしたらどれくらいなんだよ?」
現実的な話、その罪の借金を返して元通りの生活に戻るのが一番みたいだ。
「それは、私も分かりかねますね。貴方はただひたすらエニグマを駆逐すればいい、と言うのが私たちの立場ですから」
「じゃあどうやって、返済ペースを考えればいいんだよ?」
「そもそも……」
と小さなため息。
「貴方は今まで生きてきた中、あの夜を除いてあんな化物に会った事がありますか?」
確かに。あんな風にそこら中から化物が湧いてきたら怖くて生活出来たもんじゃない。
「ない……が」
「それはあくまで、罪を持った返済義務を与えられた者にしか見えないからなんですが」
じゃあなんで俺はあの夜エニグマを見ることが出来たんだ?
「あれの出現場所、時間帯は決まっています。ですのでそれに沿って消していけば良いかと」
死神は俺を見つめたまま放さない。
「詳しい話は返済同志にでも聞いてください」
突如、説明することをあきらめた。いきなり出てきた返済同志ってなんだよ。
「貴方をここに連れてこさせた連中ですよ。彼らは少なくとも私らの事を知っているようです。私は貴方の担当ですので彼らの事はよくわかりませんが、きっと彼らも同じ罪を背負う者、罪人ですよ」
「仲間ってことか」
死神は俺の言葉を聞いて鼻で笑った。
「もう忘れちゃったんですか? さっきまで私に疑心の目を向けていたのに…あの人達がいくら貴方と同じ境遇とか言え、信用に値する者かは簡単に判断してはいけない。あまり安易に仲間、などと口にしないことです。命が惜しければ…ね」
その後に死神は、私は借金取りですからね……信用とかにはうるさいんですよ。と付け加えた。
「私は貴方の敵に着くつもりはありません。しかし貴方の味方になる気もない。あくまで貴方には罪の返済を文字通り死んでもしてもらうつもりですし。甘んじる気は全くありません。が、私たちもいきなりずぶの素人にあんな化物を倒せなんて無理を強いる気はありません」
死神は不気味に笑う。
「返済が終わるまで、死神をお貸ししましょう」
は? 死神をなんだって?
「死神を貴方様にお貸しします……無償で」
死神を俺に貸す? どうやって?
「私ではありません、私は借金取りのノルンですから。私の部下、まぁ言ってしまえば私の駒ですかね。それを三年の間お貸しします」
今、こいつが言っていることを否定してしまえば俺がいままでこいつから聞いてきた事全てを否定することになる。
「分かった。素直に受け取ろう」
ほほう、と死神。
「死神の力を素直に借りる、と言ったのは貴方が二人目です。他は皆、ビビって中々受け取ってくれないんですよ?」
ごそごそとズボンのポケットに手を突っ込んで何かを探し始めた。ズボンのポケットにあんなに腕を突っ込こめるのは世界にこいつぐらいしかいないだろう。
「そんな話の分かる貴方様には特別に私の死神コレクションの中でも一位二位を争う優秀な奴を貸しましょう……」
ようやくポケットから腕を取り出すと何かを握っていた。俺に差し出す死神。
「これは?」
死神はそっと手を開いた。
「絶望の神、フレイ。」
目の前が急に眩い光に包まれて、思わず瞳を閉じた。遠くに死神の声がする。
「さぁ、自分の罪を悔い、償いなさい。罪人よ――」




