第五罪 弾劾の日々
「オカルト、研究会……」
そんな部活動があること自体知らなかった。こんなハイレベルな高校にそんな実用性のない部活があることが不思議に感じられる。しかも立派な部室と、顧問つき。ってかなんでこの人達ははこんな遅くまで学校に残っているんだろう。 手元の時計を見ると既に午前一時。日を跨いで一時間たっている。俺は確か忘れ物を取りに学校に侵入してから……なんでこんなところで寝ていたんだ?
「……コーヒー、飲め」
俺が一人唸っていると急に会長が話しかけてきた。
「えっ、コーヒーですか?」
会長は何度も同じことを言わせんなと張りに俺をキツイ目で見た。なんかさっきとイメージが違い過ぎてちょっと困惑気味だ。これはもう、二重人格レベルで性格に違いがあるとしか思えない。
「安心しろ。君好みの味の筈だ」
「なんでそんなことが?」
「いいから、飲んでみろ」
俺は警戒しながら少しコーヒーを口にいれた。
「……美味い」
しかも口の中を火傷せずに温かいという絶妙な温度だった。ブラックでもなくかと言って甘すぎない。これこそ最高のコーヒー!
ふんと鼻で笑うと、会長は急に真剣な目つきで俺を見つめてきた。
「どう思う、キスマーク」
急に独り言を始めた。俺はそれを見ながらコーヒーをすする。
「どうって、まぁ確かに適合者の様だが。棺桶にいれてみなきゃ、死神は何ともいえねぇな」
またこの声はいったいどこから。さすがに会長と会話が成立しているし、幻聴ではないだろう。この声は確か……昼、うちで見た会長の霊と一緒に聞いた声だ。と言うか会長もこうして生きているんだ、霊と言うのはおかしいか。
あれ? じゃあ、あの霊の会長ってなんだったんだ?
「だけど、どうやら相応の罪を抱えているようだ」
今度は違う声。どうなっているんだ。
「分かった。まぁモノは試しだ。クラン……用意しろ」
また会長の独り言。
「またぁー? ……分かったよ、もうっ」
それに返事をするまた違う声。この部屋には俺含めて、四人しかいないはずなのに、俺の耳には四人以上の違う声が聞こえている。ついに俺もおかしくなったか。もしかしてこの幻聴もオカルト研究会と何か関係があるとかか? さすがに無理あるな。
とにかくこのおかしな部室は早くでて忘れ物をとって帰ろう。変な事件も起きている事だしな。俺も誘拐されたら堪ったもんじゃない。
あれ? 俺は何を取りにきたんだっけ? さっきから記憶に違和感が――。
その瞬間だった。部室の壁が爆音と共に文字通り破壊された。崩壊した壁の粉塵が辺りを支配して何が起こったのか分からなくなってしまった。
粉塵が舞う中、何か大きな物体が部室に入ってきたのがうっすらと確認できる。突然の事態なのに誰の悲鳴やらが聞こえない、意識を失ったとか? でもこの中じゃ何にもできない。
暫くしてまだ粉塵がたつ中精一杯、眼を開くと目の前には何か白っぽい置物が置いてあった。
「葵! 再生、お願いっ!」
向こうからさっきの幻聴に似た声がする。
「仕方ありませんね。会長、転成許可を。」
この声は、書記の何とかさん?
「秋山ですよ、真城くんっ!」
その声と共に辺りが眩い光に包まれた。俺はあまりの光彩に目を閉じた。全身が何か温かい感覚に襲われた。優しい、心の傷が癒えていくような感覚。
そして俺が次に目を開けた時には部屋はすっかり元通りになっていた。
一瞬何があったか分からなかったが、あの爆音と周囲の様子で分かる。あの時、確かにドアごと右にあった壁は崩壊したはずなのだ。でもそのあとに光がいきなり発生して。
今は元通りの部屋にもどっている。奥の偉そうに座る会長も相変わらず健在だし、俺の横に黙って座っていた、書記さんも変わりなくすまし顔で立っている。顧問の杉島も変わらず壁に寄り掛かって窓から校庭を見ていた、さも何も無かったかの様に。と言う俺もさっきと同じように寝ていたソファに座っていた。変わったことと言えば。
目の前に天井に届かんばかりにデカい白い置物が置かれていた。前にあったコーヒーを置いておいたガラス張りのテーブルはそれに押しつぶされて、足元で無残な姿になっている。そしてその横に絵に書いたようないかにも外国人、って人がそれに寄り掛かっていた。部屋の空気は冷め切っている。これは俺が話を切り出さなくてはいけないのか?
「あの、鈴木会長。ちょっと質問いいですか?」
ここは下手に出た方がいい。下手な事言ったら殺される勢いだ、本当に。
「なんだ」
見下したような目で返事された。先輩じゃなかったら絶対殴っている。でもここは我慢だ。
「今、部室の壁ぶっ壊れませんでした?」
会長はずっしりと椅子に座り、前にある机に長い脚を組んで載せた。
「君、幻覚でも見えるのか。これはオカルト研究の貴重な資料になるな、秋山?」
こうは口で言っているがその俺を見る目は冷酷極まりない。まるでごみを見ている様な目だ。どうやったらあんな目で人を見ることが出来るんだろうか? 他の人は黙ったまま微動だとしない。なんだこの蔑まれた感じ。
俺だって自分から来たくてここに来たわけじゃないんですけど?
「他にあるか」
……帰りたいです。
「この白い置物はなんです? 新しい家具かなんかですか」
もちろん、そんなはずがなかった。大体こんなデカい家具をこの部屋にどうやって入れたんだ? ってかたぶん、いや、絶対家具じゃない。こんな不気味な物を部屋に置く趣味があったら俺は今すぐにでもこの部屋を後にすべきだろう。
「これが君には家具に、見えるのか?」
うわ、何あの目。あからさまにバカにした目。あんたが俺に聞くように促したんだろうが!
この部屋に全く似合わない、そのでっかい家具は十字架の形をしていた。真ん前で見たら何が何だか理解できない家具だが、その十字架に描かれた模様を見れば明らかだ。先ほどから白い家具だと説明しているが正確には白一色と言う訳ではない。所々に血痕に見えなくもない赤色の絵の具がべっとりと塗られ、その形に沿うように人の白骨体が描かれている。普通人の白骨体であったらならば、骨は白いはずなのだがこれは骨が真っ黒。今度は絵の具なんかじゃない、本物の黒。自分でも何を言っているか分からないが、少なくともこの世にある塗料で描かれたものではないだろう。その不気味な骸は左手にそれはもう真っ赤な林檎を持ち、右手には誰か分からないが、金髪の少女の生首が握られていた。
見るもあまりに無残なので長い時間見ることが出来ない。ちょっと初見には刺激の強すぎるデザイン。
「これは、『カンオケ』だよ」
家具と一緒に現れた外人風の少女が話しかけてきた。明らかに小学生だ。
「カンオケ?」
この少女、今、棺桶と言ったか?
「はじめろ」
そう素っ気なく会長が口にしたかと思うと、金髪少女は笑顔で
「いってらっしゃい、地獄へ」
と言って巨大な棺桶の扉を開けた。
母が死んだ。
いや、正確には母が死んだ瞬間を俺は知らない。俺は隣の部屋で一人泣き喚いていたから。俺はそんな事実も知らずにのうのうと大きくなっていった。母親が居ないことを時々、悲しく時には不思議に思うこともあった。でも自分には父親がいたし何不自由ない生活を送っていたためか別にこれといってそれにコンプレックスがあるわけでもなかった。父は夜遅くまで仕事をして帰ってきたら明日の朝食と晩飯の準備をした。俺が寝たことを確認してから残った仕事を片付けて三時くらいにやっと寝て、朝の七時には出勤するという地獄のような生活を送っていた。それは海外で働く母と俺の将来のためだと彼はいつも嬉しそうに話した。
俺はこんなに父をこき使って鬼のような母親だな、なんて思っていたがそんな風に家族のために一生懸命働いてくれる父が好きだった。例え、他の家族の様にそろってピクニックに行ったり、父親とチャッチボールが出来なくてもそれでも俺は幸せだった。
その父が初めて俺の前で涙を流した。俺は自分の母が自分を産んで死んだと聞いたとき、俺はこの世界に絶望した。
あれは小学校高学年の時だった。父が俺の十二歳の誕生日の朝、話さなくてはいけないことがあると普段は俺の前ではずっと笑顔の父が悲しそうに俺に言った。父が作る朝食はいつも同じメニューで欲を言ってしまえば、もう少しレパートリーがあった方が嬉しかったりするが、一日中忙しそうに働いている父にそんな無理な注文などする気にもならなかった。俺はうなずいて、いってきますといつものように大きな家を出た。
その日は珍しく父が帰ってくるのが早かった。いつもなら俺が寝た頃に帰ってくる父が俺が遊んで帰ってくると先に家に居たことが嬉しくてたまらなかった。父は今日はお前の十二歳の誕生日だからな、と笑顔で帰り道に買ってきたと言う特大のケーキを俺に見せた。
……なぜ俺は気づかなかったんだろうか、あのあからさまな作り笑顔と悲しそうな瞳に。
父と二人きりで誕生日を祝うのは幼稚園の時以来だった。最近はもっぱら友達の家で友達の両親と祝うことが大きなっていた。特にここの数年は仕事が軌道に乗ったらしく大忙しらしい。家に帰ってこない日もぼちぼち出始めた頃だった。
久しぶりの家族水入らずの誕生日パーティーにテンションが上がりっぱなしの俺に父は小さく尋ねた。
「朝、言ったこと覚えているかい?」
声が震えていた。でも俺はそんな父に気づくことすら出来なかった。
「うん! でも、また仕事の話でしょう?」
父の大事な話と言うと大体は仕事の話で明日は帰ってこれない、とかそんな話ばっかりだった。だから朝聞いた時も、それほど深刻には受け止めていなかった。
「いや、ちょっと今日は違うんだ」
俺は少し違和感を覚えた。泣いているところも、怒っているところも、寂しそうな顔も見せたことがない父が少しだけ、ほんの少しだけ、悲しそうに笑ったからだった。
母は居ない。
そう父の口から伝えられた時、俺は初めて父に反抗した。そんなはずはないと、母は生きていると。海外で一人、働いていると父さんも言っていたじゃないかと。しかし父は首を頑なに横に振り続けた。俺に見せる初めての涙を流しながら、俺に初めて絶望を与えた。
それでも俺は冗談だと思い続けた。いや、思っていたかった。いくら近くに母親が居ないとは言え、地球上のどこかに居るという安心感はとてつもなく俺を支えていた。ある時、父は言った。近くに居なくても母さんはきっと今同じ空を見ている、空はどこまでも広がっていると。きっといつかまた会えるよと、俺が母の居なことを友達にバカにされた日にそっと俺の頭を撫ででくれた。そんなベタな事言ってて恥ずかしくないのか、聞いているこっちが恥ずかしくなるようなものだったが、それでも嬉しかった。でもそれはすべて嘘だった。
父はごめん、ごめんと何度も俺に頭を下げた。父は何も悪くなかった、でも俺はそんな風にまだ見ぬ母の事を割り切ることが出来なかった。父にあたっても母は帰ってこないのに、父はきっと俺を悲しませないようにとずっと事実を隠していたんだろう。父はずっと一人息子の事を思って働いていた。ずっと一人で、愚痴も言わず、泣きもせずただひたすらその罪を一人で背負って生きていた。でもそんな優しさが俺には辛かった。嬉しくも何ともなかった。怒りさえ湧いてきた。なんでずっと隠してきたんだ、なんで嘘なんか言ったんだ、俺は、俺は――。
気づいたら俺は父を殴り続けていた。絶え間なくその怒りと苦しみと悲しみ全てを掃う様に。父もその小さな拳をずっと受け止め続けた。これも俺が引き受けなければいけない痛みだと。これも俺たちが生んだ罪だと。その涙と血でぐちゃぐちゃになった顔はどこかに覚悟のある顔だった。
あの青く澄んだ空も、この小さな手も母は見ちゃいなかった。もう会うことも出来ないし、それこそ俺が死ぬまで母を知ることは出来ない。俺を産んでくれた母……命がけで産んでくれた母はもういない。死んだ、死んだんだ……俺が生まれたせいで。
あの日、初めて俺は父親に反抗し暴力をふるって、家出をした。父は追ってこなかった。
近くにあった錆びれた公園。もう児童達も使ってなくぼろぼろになった遊具の中、俺は一人泣いていた。外はあと少しで秋になる頃でまだ気温は高かったけど、時折吹く北風が俺の体を冷たく冷やした。街灯もなく真っ暗な中、俺は地べたに寝っころがって星空を見ていた。出来る事ならこの綺麗な星とこの真っ暗な闇の中に溶けてしまいたかった。
俺はここに見える星みたいに過去を知らない。今も見えてはいるけど、本当はもうこの世界にないかも知れない。空に輝いてはいるけれど本当ただの何でもない物質の集まり。金星だって見えるけど本当は太陽の光線で反射して見えているだけ。本当は自分だけじゃ何にもできない。
俺は生まれた時に既に死んでいた。架空の母に憧れを抱いていて、地球上にいない母を支えに今まで生きてきた。そして、俺は一つの命と引き換えに生まれてきた。俺一人じゃ何も出来なかった。父親が教えてくれた俺の母親はいない。俺一人を産んで死んだ。全部、俺が生きてきた十二年間はすべて嘘でできた世界だったんだ。
俺はなぜ生まれてきたんだろう。一つの命を殺してまで生まれるべきだったのか、罪悪感はあの頃の俺の全てだった。




