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第二十二罪 贖罪

 急に笑いだしたかと思うと少年の影が蠢き始めた。

「もうこそこそするのは止めましょうかね」

 不気味に揺らめく少年の影はゆっくりと自身を作り上げている身体を侵食していく。しかし少年はピクリとも反応しない。やられるがまま影に身体を奪われている。

「我々は無益な戦いを好みません……絶望の死神さん?」

 ふと後ろを見るとそこには臨戦態勢のフレイの姿があった。顔は大粒の涙で溢れていた。

「やはり我々が憎いですか。あんな事をされればあそこまで堕ちるのも頷けますね」

 フレイの握った拳が震える。その目には憤怒の炎が燃えたぎっていた。

「真城君……今回の事件によって貴方は何を学びましたか?」

ついに影は少年の全身を覆ってしまった。ぼこぼこと正面から黒い気泡が湧き出る。

「驚く事はありませんよ? これが私の本当の姿です」

 やがてその影がゆっくりと少年から離れていく。そこに立っていたのは――。

「こう……すけ?」

 間違いなくあの小山康助だった。数日前に通り魔に刺されて他界した俺の唯一無二の親友だ。

「なっちゃん」

 神妙な面持ちの康助はゆっくりと俺に近づいて来た。俺の頭は状況が飲み込めずパンクしている。なぜ死んだ康助がここに居る?

「貴方には私が小山康助に見えるようですね?」

 ふと康助の顔を見るとそこには康助ならざる笑みがあった。全てを見透かす様な真っ黒な瞳をしていた。もちろん、康助の目はそんなにどす黒いものではなかった。

「お前……誰だ?」

 一歩後ろに引いた。こいつは、康助じゃない。

「貴方達に危害を加える気は私にはありませんよ。我々は観測する者」

 その康助の姿をした康助ならざる者は意味深な笑みを浮かべる。

「人間とは取るに足らない生物です。地球上に生まれた一生物に過ぎない。いつかは滅びゆく存在なのです。ねぇ、フレイさん」

 フレイは構えた装備を解き、ゆっくりと俺の後ろから姿を現した。

「じじいと今、目の前にいるお前、何か関係があるのか?」

「いえ、我々はあの件に関しては既に解決した、と言う見解ですのでお気になさらず。カオス様に服従の身でありますので」

「では……あの時の敵を、ここで討つ!」

 フレイの手の平から急に血が漏れ出したかと思うとその鮮血の中からこれまた真っ赤な長剣が出てきた。

「ここで……消滅してもらう!」

 その言葉と同時にフレイが飛び出した。長剣を振りかぶり康助の首元に斬撃が飛ぶ。

「全く血の気が多いのは相変わらずだな、絶望よ」

 首元前三センチのところでフレイの動きがピタリと止まった。あの時の宮戸先輩と全く同じ状況だ。

「……暫く、お休みになってください」

 その言葉が早いか康助がフレイの顔に右手をかざした。すると一瞬、目の前に血飛沫が飛んだ。本当に一瞬。次に瞬きをした時には血の跡もフレイの姿もなかった。

「…………」

 俺は絶句した。土曜の朝、田舎の国道沿いで起こったありえない光景。ただ康助のフレイの顔にかざした右手だけが血で真っ赤に染まっていく。

「安心してください。フレイさんは瀕死の状態に陥ったため貴方の影に移っただけですよ」

 康助は血に染まった右手を制服のポケットにしまった。

「あの娘には、この世界に入った時から手を焼いていましてね。死神のくせに妙に人間に懐いて大変なんですよ」

 見た目は康助そのものなのに口調はそれとかけ離れている。妙な気分だ。

「貴方は先ほど私が何者なのか、訊きましたね。その答えは至って簡単。神ですよ。この宇宙を創りだし、生命を生み、運命を与えるもの。正しく人間の言う神です」

 全身が心臓になったかの様に脈が異様な程大きく聴こえる。俺は出会ってはいけないモノと話している……そんな気がした。

「神とは孤高の存在です。人間がどう我々を解釈するのかは自由ですがね。さっきも言った通りあくまで神とは創造神とは異なる存在、観測する者。人間の運命に干渉する気はありません」

「お前らが俺に罪を償わせているのか」

「そうとも言えますし、そうではないとも言えますね。全ては運命です。我々がどうこう言うべき領域ではない。運命とは何か……私にはよく分かりません。貴方達、人間がどう受け止めているかも分かりませんが、運命という自然の摂理からはずれし者、つまりは罪人に我々は罪の償いを行ってもらうのです」

「人間はこの宇宙が創造された時から考えれば一瞬の瞬きに過ぎません。環境に適用した存在だけが生き残れる淘汰の歴史の中で抗う小さなものですよ。どれだけ抗おうと運命はいつかやってくる。それがいつなのか我々にも分かりません」

 アスファルトからの熱で出来た陽炎の中で揺らめくその者は俺に何を伝えるのか。

「しかし、人間は力をつけすぎた。愚かな事に神の聖域に踏み入れようと今も進化を続けている。神はそれを罪と呼ぶ。運命に抗う者、それが罪人」

「なぜ、今目の前に現れた?」

 高鳴る鼓動を押えながら俺は必死で意識を繋ぎとめていた。

「それも運命です。私にそれ以外の概念はない。何かの目的を達成しようとしている訳でもない。我々はこの自然の摂理を観測する義務しか与えられていないのです」

 康助はゆっくりと俺に背を向けた。

「どうやら今の貴方には何か目的があるようだ。それを妨害する権利は私にはありません」

 姿が足元から背景と一体化していく。

「でも忘れないでください……私達は運命と言う強大な力の中にある一でしかない事を。運命には抗えない事を。貴方がどんな道を歩むのか、楽しみです……」

 そう言って康助は消えてしまった。暫くの間、俺はその場を動くことが出来なかった。


 午後二時、葬儀場。

「真城君……」

 俺が振り返ると全身真っ黒の服装に身に纏った会長が立っていた。その大きな瞳に涙を浮かべて。長い黒髪が真っ直ぐ身体を包み込んでいる。

「……会長」

 会長は大桜高校代表で出席している。クラスの皆も今頃、康助に挨拶している所だろう。

「これは全て私の責任よ。ごめんなさい、謝っても謝りきれないわ」

 会長は俺と目を合わせると嗚咽を漏らしながら泣き出した。周りの視線が俺達に集まる。

「これは康助の運が悪かったんですよ? 会長は関係ありません」

とは言ったもののあの夜の出来事との因果関係は否定できない。というかそれ以外の原因が考えられない。まともに会長の姿を見れなくなった。思わず目を伏せた。

「あそこで、あそこで……私がぁ……」

 会長の謝罪は終わらない。会長がいくら頭を下げたところで康助はもう帰ってこない。

「もう、やめてください。会長がどれだけ懺悔したところで――」

 唇をきつく噛んだ。やがて切れてじわりと血が漏れ出す。

「小山君は……貴方のなかでぇ……」

「やめてくださいっッ!!!」

 俺は葬式場で思わず大声をあげた。もう周りの事なんて気にならない。

「康助は、死んだんだ。あれは事故だッ! あんたには関係ない!!」

 うう……と涙を拭く会長。こんな会長、見たくない。

「……すいません。ちょっと出てきます」

 俺は足早に葬式場を去った。

 曇天だった。朝は快晴だったのが嘘の様に空は黒く濁っていた。もう小山康助と言う人間はこの世界に居ない。その実感は簡単に湧くものではなかった。でも康助と過ごしたこの二年間がとてつもなく愛おしい物になっていたのも確かだ。近くにあると気づかない本当の幸せ。どこかで聞いた謳い文句だが、俺は身を持ってその言葉の意味を知ることとなった。

「ご主人様……」

 フレイがいつにも況して薄い影から出てきて俺の隣に立った。喪服を着ている。その挑発的なデザインは健在だ……それでもこうして親友の死を一緒に痛んでくれるのが嬉しかった。

 ここは丘の上。ここからこの片田舎を一望することが出来る。夜景が綺麗だとか花火大会の穴場とかそんなところじゃない。ここは康助が俺に一緒の高校に行かないかと誘ってくれた運命の場所。ここから見える学校の桜も河川敷の桜もすっかり散っていた。

 桜はいつも見ている木なのに花が咲いた時にしか目に留まらい。しかもあっという間にその花は散ってしまう。桜にとっても、人間にとっても一瞬の幸せだ。本当に一瞬の……。

「なんて声かけたらいいのか」

 さすがのフレイも元気がない。

「……グミ、いるか」

 俺は上着のポケットからさっき町唯一のコンビニで買った果汁グミを取り出した。税込九十八円。

「ううん、今は良いや」

「そうか……」

 またグミをポケットにしまう。

「康助は……俺のせいで。俺のあの怪我のせいで死んだんだよな」

 俺はなるべく感情が漏れない様に無表情で素っ気なく訊いた。さっきのガキの話を聞く限りでは俺の傷の転移が原因と見て間違いない。

「やっぱり断定はできない。でもあの傷痕、ご主人様が受けた奴と寸分くるわず一緒だった。でも私が書き換えたんじゃない。だから分からない」

 そう言ってフレイは丘にポツンと設置されたベンチに腰を降ろした。

「そっか。じゃあ、やっぱり誰かが……」

 俺が康助を殺した。正直、実感は湧かない。それもそうだ、この世界では康助は渋谷に出た通り魔に刺されたことになっているんだから。でもその運命は俺のあの傷によって書き換えられたものだ。このタイミング、あの傷。それは確固たる事実なのだ。

「でもそれもおかしい。今、あの傷を転移させられるのはその傷を負った罪人に仕える、私だけ。何か強大な権限を持った死神にしか、それは出来ない。別の原因があったとも考えられるわ……」

 それも所詮、水掛け論だ。根本的な解決には至っていないしあくまで想像上の出来事。フレイは俺を庇ってくれるが、康助が死んだという事実は消えてくれない。

「これが運命」

 今頃になってやっとわかった。あのノルンとかいう死神の言葉の真意が。

 誰かの命を抱えて俺は罪を償っている。

 それは命だけではなくその人の人生を、未来をも背負っている……と言う事だった。今頃になって気づいた。俺はもっと考えるべきだった。命の重さを、人生の辛辣さを。

「ご主人様……」

 いつの間にか空から雨が降り始めていた。雨が俺の身体を濡らす。すっかり長くなった前髪が頬に張り付いて気持ち悪い。

「運命は変えられない、ね……」

 あの康助の姿をした神の言葉が強く俺の心を刺す。結局俺は一歩も進んでなんかいなかった。いつまでもどこまでも、俺は俺だった。

「これから、どうするの?」

 フレイは心配そうに訊いてきた。俺は笑って見せた。

「どうするって、どうもしないさ」

 俺達は下書きの出来ない運命の中で踊っているだけ。俺の力じゃどうすることも出来ない。この道は俺が決めた道、俺が償わなくてはいけない罪の道。

「また、誰かを失って……また傷付くかもしれないんだよ? それでも、償うの?」

「俺に……最初から選択肢なんて無かったさ。ここまでの道のりは一本道。それはきっとこれかも同じだ」

 俺は誰かを失い、その別れに涙してまた戦場に向かう。その運命も避けられない。

 雨が一層強くなってきた。

「ご主人様、戻ろう。風邪ひいちゃうよ……?」

 どうせ風邪をひいても誰かがこの風邪を引き受けてしまう。俺はいつまでも罪人のままだ。そう、いつまでも。

「……そうだな」

 俺は一通の手紙を丘のベンチに置いて来た道を戻った。

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