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第十九罪 終戦の日々

「前に進めた?」

 グサリと冷たい感覚が腹部を襲う。あれ、お腹が熱い。

「……お疲れさま、貴方達の仕事はここまでよ」

 全身の感覚が抜けていく。そのまま地面に倒れた。眼下に血が広がっていく。これは俺の血か……徐々に腹部の痛みが増していく。

「ご主人様っ!」

 フレイが駆け寄る。視界が狭くなってきた。まだ傷は癒えない。

俺の手から落ちた灯が誰かに拾われた。誰だ、視界が霞んでよく分からない。

「結局、絶望の死神と呼ばれた貴方もここまで堕ちてしまったのね。惜しいわ」

 どこかで聞いたことのある声、女の声だ。多分、人間だろう。シルエットが人の形をしている。

「まさか、貴方まで脱走していたなんてね。正直今の私じゃ、貴方を倒せない」

 笑う女。フレイの手が俺の肩に触れる。やけに温かく感じる、これは俺の体温が下がっている……嗚呼。

 いつの間にかさっきまで聞こえていたメンバーの声が全く聞こえなくなった。この感覚、あの校庭で経験した感覚に似ている。また時間が止まっているのか?

「よく分かっているじゃないですか。そこの人間のためにも貴方はそこを動かない方がいいわ」

 何とか意識はあるが身体の自由はないに等しい。ただそこに意識があるだけ。

「安心して、真城くん。死なない程度に傷つけておいたわ」

 それは犠牲者の命を考えて……という事なのか?

「もちろん、貴方のその傷もあと五分もすれば綺麗さっぱり消えてしまう」

「貴方、それが目的なの? そんな事のために――」

「ふふっ。勘違いしないで、私はいつまでも神の言いなりじゃない」

「何を考えているか知らないけど、これ以上人間に危害を加えるなら私も容赦しないわよ?」

「安心なさい、死神さん。我々はこれ以上人間に関わる気はないわ。今回もこれを回収しにきただけ。まだまだ私たちの人間への復讐は終わってないもの。でもまだその時じゃない。その証拠に……私、殺さなかったでしょ?」

「でも……」

 でも……何だ? 意識が飛びそうになる度に俺は自分の唇と血が漏れるほど強く噛んだ。この痛みが俺の意識をなんとか繋いでいる。

「確かにね、こんなに傷を負ったら間違いなく犠牲者は瀕死の重体、そこまでは私も考えていないわ。そもそもこのシステムは貴方達が管理しているものでしょ?」

 俺の鼓動が早くなる。このままだと、誰かがこの傷を負うことに……。

「動かないで、ご主人様! 私の力で何とか意識は繋いでいるけど、本当に危ない状況なの。他人の心配も大切だけど、自分の事も大切にして! 死なないって言っても一回命を失う事には変わりないのよ!?」

 悲痛な叫びだった。それでも俺は自分の罪を償う為にここに居る。償いによってできた傷を誰かに背負ってほしくない。あんな痛みを背負うのは俺だけで十分だ。

「何かが変わるわけじゃないけど、俺は……」

 不思議だった。さっきまで入らなかった力がどこからかえ湧いてくる。俺の中から湧いてくる。

 俺は全身の力を振り絞って地に足をつけて立ち上がった。何か強大な力に動かされている。

 その目に前に立つそれを焼き付けた。絶句した。

「さくら……ざき?」

 そこに立っていたのは誰でもないクラスメートの桜咲光だった。昨日の昼食、俺達と食べていた桜咲と全く同じ容姿。

「うそ……だろ」

 腹部の痛みが増す。思わず吐血した。生暖かいものが俺の顎を撫でる。

「その傷で立ち上がれるなんて、さすがね」

 冷酷な瞳の桜咲。雰囲気が明らかに違う……あのクラスメートの桜咲はここにいない。

「真城君、ごめんなさい」

 片手には灯を、もう片方には不気味に光る血塗れの包丁が握られている。俺がまさかの相手に呆気を取られているとふっと脚の感覚が再びなくなった。不思議だ。自分が宙に浮いているかのように身体が軽くなり目の前には満天の夜空が見える。徐々に意識が夜の闇に吸い込まれるかのように意識が遠退いていく。

 遠くで桜咲が何か言っている。

「さようなら……」

 その瞬間、痛みと意識を失った。


 次の日。教室に桜咲の姿は無かった。それどころか昨日まで桜咲が座っていた席には俺の知らない生徒が座っていた。康助に訊いても転校生でもなく入学式の日からいるという。ついでに桜咲の事を訊いてもそんな生徒は知らないと言った。俺の携帯のメモリーに入っていた桜咲のメールアドレスもなくなっている。この世界から桜咲という存在が消えていた。

 放課後。

「桜咲……? そんな生徒知らないわ。そんな事より今度、C組のメンバーでカラオケ行くんだけど、真城君来ない?」

「そっか。分かった、ありがとう。誘ってくれたのはうれしいけど俺は遠慮しとくわ、ごめん」

 俺は姫本さんとの会話もそこそこに宮戸先輩が入院している病院に向かった。結局あの後、俺はフレイに連れられてなんとか家に帰ることが出来た。あの全壊した体育館も、爆破したグラウンドも全て戻っていた。全てが無かったことになっていた。

 いつも通りの学校。それは登校して改めて確認できる。何も変わっていない。生徒たちは何事もなく学校に登校していた。オカルト研究会のメンバーも日常に戻っていた……ただ一人を除いて。

「来たか……真城。遅かったじゃないか」

 宮戸先輩が入院していた部屋には既に会長がいて、寂しそうに笑って俺を出迎えてくれた。

「相変わらず、ですか」

 宮戸先輩は白いベッドに寝ている。静かに会長の隣に座った。

「君は……大丈夫か?」

 会長は心配そうに訊いた。それは俺の何を心配しているのだろうか。

「俺は大丈夫です。……今のところは」

 宮戸先輩の事も突然消えた桜咲の事も心配していたが何より心配だったのが俺の傷だった。すでに俺の腹部の傷は完全に治癒しておりノルンの言っていた罪人システムが再開された事を暗示していた。しかし宮戸先輩の意識は一向に戻らない。

「こんな事はいままで一度もなかった。医者もいつ意識が戻るか分からないそうだ」

「そうですか」

 イレギュラーな事が起こり過ぎて俺の傷がはたして転移されたのか、それすら分からない。だからこそ気が気じゃなかった。もしこのタイミングで俺の身近な人が怪我を負った場合、それは間違いなく俺の傷が転移したものだ。俺の不安が消える事は暫くないだろう。

 会長は俺の気を察したのか心配そうに話しかけてきた。

「あまり気にしすぎない事だ。この状況では何が起こっても不思議じゃない」

 そういう会長の傷も身体から完全には消えていなかった。はっきりと顔に刃物で切られた跡がある。

「ある程度の傷はこっちで背負うことも出来るしね」

 とフレイ。

「ふん、知っていたのか」

 会長の影からキスマークが出てきた。

「フレイ、それってどういう意味?」

「まだご主人様には話して無かったけど、このオカルト研究会、中々やるわよ?」

「罪人システムにハッキングしてある程度の傷ならば、その罪人に仕える死神と罪人自身が請け負う事が出来るようになっている。あまりのダメージの場合は付け焼刃程度にしかならないがな。ちょっとの傷だったら再生能力も発動しない様になっているんだ」

 だから会長の傷は完全には回復していないのか。俺に小さく微笑みかける。

「しかし、宮戸が受けた傷はとてつもない物だったようだ。うちのシステムでもカバーしきれなかった。宮戸の意識が戻らない所をみても誰かにダメージが転移したわけでもなさそうだしな」

 会長は意味深なため息をついた。誰よりも宮戸先輩を心配しているのは会長だろう。

「……暫くは」

 俯いたまま話す会長。宮戸先輩の横の机にはたくさんの花が飾られていた。何色からもなる千羽鶴が風に吹かれなびいている。

「エニグマも出現しなそうだ。不幸中の幸いだった。宮戸の居ないこの状況で昨日の様な化物が出てきたら、今度こそ我々の全滅は免れないからな」

「…………」

 開けられた窓からそっと春風が流れてきた。どことなく寂しそうな風だった。ひらりと俺の膝に桜の花びらが乗った。そっと手で取る。

「安静にしていろ、真城。何度も言うが今は何が起こってもおかしくない。あまり動き回らない事だ。昨日はご苦労だった。リーダーである私が足手まといになるなんて……リーダー失格だな」

 自虐的に苦笑いする会長。外では桜が咲き始めている。全然気づかなった。日常はこんなに近くにあるのに。俺達はそれにすら混ざる事を許されないのか。

「桜か。私は桜が嫌いだ」

 部屋には会長の声だけが遠く響く。

「桜は直ぐに散ってしまう。私はそんな気休めの幸せなんていらない。そんな一瞬の幸せを手に入れるくらいだったら、私は戦場に咲く一輪の花になりたい」

 その時の俺にはその言葉の真意が分からなかった。分かろうとしていなかった。でも俺は後にその言葉の真意を嫌でも知ることになるのだった。


 四月十三日、金曜日。なんだかんだあって週末。手紙ってのは結構、堅苦しいのもがあって俺には書きづらい物だったからお前への交換日記って事にしたぜ。

 明日は旅立ちの日だな。友として、親友として俺はお前のあっちでの生活の無事を祝っているよ。やっぱり平和で日常な日々が一番だよ。スリリングな日常こそあっても良いとは思うが非日常ってのはあんまりいいもんじゃないな?

 俺は今、自分の部屋でこの日記を書いている。この部屋に引きこもっていたあの日々が懐かしいな。俺もお前もあの時は本当にバカだったよな! 正直、最初は俺の部屋に勝手に押し入ってゲームやる邪魔な奴だなんて思っていたけど、そのうちお前も面白い奴だってわかって。楽しかったなぁ、あの夏休み。

 外はギラギラに晴れてんのに家の中でずっとゲームしてるだけ! 何やってんだかなぁ、って思ったら負けだったあの日々。康助にとってどんな時間だった?

 俺はとにかく楽しかった! その一言に限るな。お前は俺がずっと家でゲームしてても嫌な顔一つせずに俺に付き合ってくれていた。俺が愚痴ってもずっと黙って聞いてくれた。お前のお陰で俺は過去を乗り越えることが出来たんだ。ありがとう。

 二学期に入ってからは、ずっと俺の勉強に付き合ってくれたな。まさか中一の範囲からおしえてくれるなんて思ってもみなかったよ。教え方、上手くて。ほんと教師かなんかになった方がいいよ、絶対! 俺、バカだからきっと大変だったでしょう。でもあの日々のお陰で俺はこんな立派な進学校に康助と一緒に通う事が出来たんだと思います。ありがとう。

 三学期になって俺が教室に一人で居ると俺の手を引っ張って皆に混ざって遊んでくれたのも康助だったな。お陰で少なかったけど友達、出来たんだ。そうして三年になったある日の放課後、お前はその木の下で告白すると恋が成就するって噂の桜の木の下で俺に一緒の高校に行かないかって、誘ってくれたよな? 俺、涙流して喜んだの覚えているよ。どんな女の子からの告白よりもうれしかった。ありがとう。

 そんな康助ももう十六歳か。俺達、まだ出会って二年くらいしか経ってないのに、一生分くらいの思い出、作ったな。本当はまだ物足りないんだぜ? まだたくさんの思い出、一緒に作ろうな? 康助なんで先に行っちまうんだよ……さよならも無し何て、ずるいじゃねーか。水くせぇじゃねーかよぉ……。康助ぇ……。

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