第十八罪 罪人の日々
それは欲。全ての人間にあるモノだ。それに人間はつき動かされて生きている。その業、つまり宿命からは逃げる事は何人たりとも出来ない。それは神の領域、人のいれる場所ではない。欲のない人間などいない。人間の原動は全て欲にあるのだ……。
それは罪。欲に駆られた人間が犯す禁忌。人は人を裁き、世界に均衡をもたらす。神の裁きなど存在しない。しかしそれは人間自身が自分たちを縛りあげるために作り上げた偽善のルール。結局、人は何かに縛られなくては、自分の欲すら抑えられない。
それは償い。罪を犯し、裁きが下った者に与えられる罰。人はこれを行い自分の戒め、欲を押さえつける。罪人が受ける愚かな行動よ、そんな事をしたところで失われた命は再生しない、壊れたものは元には戻らない――。
「これが人間を作るもの達。人間は欲に駆られ、罪を犯し、償いをして、また罪を犯す。これを繰り返すのが人間の輪廻……愚かなモノとは思わんかね、フレイよ」
「あん? んなことどうでもいいっつーの! 早くここから出せやじじい!」
「じじいとはなんだ、フレイ。分かっているのか、お前は死神として……」
「分かってるよ! 何度も言わせんな。私は人間界に戻んなくちゃいけないんだよ。今、何が起こっているのかおめぇだって知ってんだろ?」
「もちろん、最高神の私が知らない事はない」
「じゃあ尚更だろ、じじい! あんなの人間じゃあ倒せねえ! 無駄死するだけだぞ! 私達が手伝ってやんねぇと!」
「フレイ、分かっておくれ。お前は死神として犯してはならない禁忌を犯した。その罪は極刑に値するものだ……ここまでの甘い選択は私もしたくなかったが、フレイはまだ罪施しが終わっていない唯一の死神だ」
「だからなんだよ?」
「この封印器で一万六百年過ごせばお前も自由の身だ。それまでの辛抱だ。」
「人間が死んでいくのを見て見ぬ振りすんのか!? てめぇ、それでも最高神かよ!?」
「今、お前を人間界に送ったら、次は間違いなく死刑だ。私としてもそんな事はしたくないんだよ。分かってくれ、フレイ」
「わかんねぇよ、わかりたくもねぇ」
「なんでフレイはそこまで人間を守りたいんだ?」
「なんでって、変な事聞くなぁ」
「人間なんてただの欲の塊だぞ? あの忌まわしきエニグマ達となんら変わりのない。あっちの方が貴様ら、死神よりよっぽど化物じゃないか?」
「……んなこと」
「ん? なんだ言ってみろ、フレイ。私にはそれが分からん」
「んな事ねぇよ。私はこの三日間くらいしか人間どもを見てきてないけど、それでもそこまで人間は終わってねぇと思う」
「…………」
「確かに罪も犯すし、欲にも溺れる。でも奴らはそれを乗り越えようとしていた。それに立ち向かおうとしていた。自分自身と向き合ってそれと戦おうとしていた。それのなにが悪い? 自分達が犯した罪は自分たちで償おうとするのの何が悪い!? それを戒めにして世界を守るためにルールを作る事の何が悪い? お前らお偉い神様よりよっぽど格好いいと思うよ? お前らは生み出した命が失敗したり罪を犯したら、私ら死神に頼んで破壊して、はいさようならだ」
「……でも人間はそんなことしない。自分達の事は誰でもない自分たちで償っている。本当はじじいだって判っているじゃない? だから人間は終わらせないで私たちに罪の償いをさせている。あまりに犠牲を出し過ぎている様な気も少しするけど。それでももう少し、私は人間を信じたい、もう少し人間がどう歩んでいくのか私は見ていきたい……そう思ったんだ」
「フレイ……」
「分かったか、じじい! あとは自分の胸に手ぇ当てて聞きなっ」
ギギギィィ――――。
「えっ」
「これが最後のチャンスだ。人間が勝つか、欲が勝つか。お前には見届ける義務がある」
「じじい……」
「ほら行け! 見回りが来てしまう、奴らには私から言っておこう。さぁ、行け!」
「この借りはいつか必ず返すよ! ありがとよ、カオスのじじい!」
「貴様に礼を言われる筋合いはないわ。でも、悪くないかもなぁ、人間よ?」
まさに化物だった。
グリードは先の爆弾をもろに受けてしまい、既に原型を留めることが出来なくなっていた。この世界に留まるため、奴は人間を集めて巨大な体を作り上げた。それは近くにいたオカルト研究会のメンバーたちであり罪人達……ついさっきまで生きていた人間だ。
グリードは俺と会長、クランを除いた校庭にいた全ての人間を吸収していた。全体像は人間の形をしているが、その身体は一人の人間が何体も重なってできている。身体のあちこちに人間だった頃の名残が残っており、それは顔だったり足だったり。時折こちらを見て言うのだ。体を返して……体を返して、と。
「う……っ!」
俺は吐き気を感じられずにはいられなかった。それはいくらメンバーで出来ているとはいえ醜い肉の塊であり、とても長くは見ていられるものではなかった。こちらを見てくるあちこちに吸収されたメンバーの顔があまりに悲しそうで。
「貴様ぁぁあああ!」
クランは怒りに身を任せて十メートル以上ある巨人に果敢にも挑みかかった。
グリードは笑う。
「醜いだろう? これが人間が作り出した欲……俺様、グリードなんだよぉぉおお!」
その長い脚がもろにクランの腹部に入った。そのまま十メートル先の地面に叩きつけられるクラン。巨大なハンマーがクランの拳を離れグラウンドに突き刺さる。
「これは……」
グリードを見上げる会長の足が震えていた。恐怖に慄き身体が逃げろと教えている。
「ざまぁないな。これが力……これが神だ」
俺は震える脚を必死で抑えながら腰の銃を構えた。殺さなければ、殺される。
するとグリードの身体から人間が分離してきた。その人間は先、吸収されたオカルト研究会のメンバー、罪人たちだった。しかし皆、眼は虚ろで視点が定まっておらず、顔や腕の皮膚が腐り爛れ始めている。こんな傷を負っているのに誰も歩みを止めない。小さな声で呻き声をあげ、徐々に俺達との距離を縮めてきた。その姿は既に人間と呼べる物ではなかった。エニグマ、化物だ。それでもどこかに人間だった頃の鱗片が残っており、俺は構えた銃の引き金を引けずにいた。あれを見ていると吐き気が止まらない。銃を握る腕まで震えてきた。
ゆっくりと俺達の方に歩いてくるエニグマ。俺はそれに攻撃することが出来なかった。さっきまで生きていたのに、さっきまで笑っていたのになんなんだこれ……。
「あぁ、あぁ、おれの……」
皆、完全に意識がない。その口から出るのは悲鳴と絶望。俺はこんな物を見るために戦ってきたんじゃない。一人も傷つけないって、決めたのに。
既に身体は動かなくなってしまっていた。死ぬのか、俺もエニグマに……。
「何やってんの、ご主人様っ!」
俺が茫然と立ち尽くしていると月明かりに照らされて俺の影からフレイが出てきた。いつも通りの元気なフレイだった。
「おい、キスマーク! そこで震えているビッチ女とのびてる暴力女、連れていきなさい!」
その場に俯く会長が握る日本刀が死神に変わった。
「お前……よく戻ってこれたな?」
「んな話、後! 今は使えない足手まとい達を安全な場所に!」
「安全な場所なんて、あるわけないだろぉおおお!!」
グリードの身体から巨大な触手が生えてきて会長目掛けて飛んでいった。
「邪魔よっ!」
フレイの手刀が見事にそれを切り落とす。砂埃を立てて地面に落ちる触手。
「ほら、早く行った!」
「すまねぇ!」
キスマークは会長とクランを担いでどこかへ飛んで行った。
「大丈夫かしら、ご主人様?」
フレイはにっこりと俺に笑いかけてきた。いつの日か同じ笑顔を見た気がする。
「大丈夫なわけあるか……っ」
今も元人間のエニグマ達地面を這いずり回りながら俺に近づいていた。
「あれは俺達の仲間なんだぞ!? 殺せるわけないだろう」
「…………」
「俺には無理だよ、あんな化物何かと戦えない。俺は無力なままだ」
パシンッ
乾いた音がグラウンドに響いた。
「いつからご主人様は、そんな弱音を吐くようになったの?」
フレイが俺の涙で濡れた頬を叩いた音だった。フレイの瞳も心なしか泣いている様に見えた。
「でもあいつ等は……」
「きっと大丈夫。彼らなら私が何とかするわ。今は自分と向き合って?」
フレイはいつまでも優しい笑みを俺に見せてくれた。
「私はいつまでもご主人様、いえ、夏希の味方よ?」
「ごちゃごちゃ……うるせぇんだよ!」
またグリードの身体から触手が襲ってきた。
「おめぇの方がよっぽどうるせぇえんだよ!!」
それも見事にフレイに止められる。よく見ると、フレイの片方の腕がなかった。
「一緒に罪を背負うって決めたじゃない。夏希はここで立ち止まってしまう臆病な人かしら?」
俺は、俺は……。
「ほら、前見て? まだ道は続いているよ?」
俺は――。
「死ねやぁぁああ!」
「行こう、一緒に!」
グリードから生えた触手が一瞬で全て切り裂かれた。辺りに飛び散る鮮血と醜い肉片。グリードの触手は地面に触れると途端に黒い霧となって消えてしまった。グリードの体中に張り付いた人顔が一斉に悲鳴を上げる。グラウンドに豪雨の様な悲痛が響く。よく聴いてみるとそれぞれの悲鳴は自分の罪への謝罪の言葉だった。
俺はグリードと初めて真ん前から向き合った。こいつは人間が作り上げた欲の塊、人間が向き合うべき相手。人間が生んでしまった欲望は人間が制さなくてはいけない。
フレイは刀身の真っ白な長剣になった。全くフレイと同じどこか厳しくて、でもいつまでも見守ってくれる、そんな太刀だった。
「俺は――」
「貴様ぁぁああ!!」
グリードの攻撃も今なら全てかわせる。全てがゆっくりに見える。
「ちょこまかと……うぜぇ!」
グリードの攻撃の隙をついてグリードの本体を切る。その肉片が辺りに飛び散り消える、その繰り返し。徐々にグリードをグラウンドの隅に追い込んでいく。
それと同時に辺りをうろついていたエニグマ達が消えた。あれは俺が見た幻覚だったのか。俺の中の恐怖心が作り出した偶像、もう何も恐れることはない。
フレイが俺をリードしてくれる。俺達は一つとなって戦っているんだ。俺は独りじゃない。
「これで終わりだあぁあ!」
グリードはついにエニグマ達を分離して本体から攻撃してきた。本体は本当に可愛らしい女の子だが。
俺は地面に落ちた銃を握って、狙いを合わせた。……よし、行ける!
「柱、もらったぁああ!」
俺の放った一撃が見事、女の子の心臓部を貫いた。途端にグリードの身体が白く光りだす。
「消える? この俺様が消えるだと!? ふざけるな! 俺は強欲のグリード! 世界のすべてぉおおあああ!!」
グリードの本体は消え、周りに散らばったメンバーたちから黒い霧が抜け、元の姿を取り戻した。辺りに歓喜の声が響く。抱き合ったり大声を上げて勝利を喜んでいる。
「やった、のか?」
俺はグリードが残した一つの白い灯を拾った。
「これが、柱……」
フレイも元の姿に戻っていた。時間は午前四時四十分。終わったんだな。辺りもだんだん明るくなってきた。戦いに夢中になっていて気付かなかったが、実は吹く風たちが肌を刺す様に冷たかった。身体のあちこちが痺れている。
「食うか?」
俺は精一杯の笑顔でフレイに笑いかけた。
「なにそれ、激戦の後の初めての会話がそれぇ? まぁいいわ、食べてあげる!」
「結局、食うんかい!」
俺達は笑いあった。この戦いは終わったのだ。いろんな痛みを残し、それでも前に進めたのだろうと。




