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第十二罪 冥土と日々

 午後の授業は全然頭に入ってこなかった。なんの科目だったかさえ覚えていない。ただ俺は窓から見える校庭と、どこまでも広がる青空を眺めているだけだった。あの夜。俺はこの校庭を埋め尽くすほどの化物を見た。あれが全ての始まりだった。あそこから俺の一度しかない高校生活が狂い始めたのだ。罪を償うだとか、俺は誰かの命を背負っているだとか、この運命からは逃げられないだとか。そんな非現実的な事ばかり起こる。

 本当はどこかのテレビの企画かなんかでドッキリでーす! なんて今、プラカードを持った芸人さんとカメラマンが突然現れても全然動揺しない自信がある。あっやっぱり、そうでしたか。なんてすまし顔で普通の高校生生活を過ごしていける自信がある。と言うかそうであってほしい。

 まだ実際にあの化物達と戦ってはいないものの、あれと戦うという事。つまりは命の危険に晒される恐怖はとてつもなく俺を弱くさせる。誰でも最初は怖いとか会長は要は慣れだ、なんて簡単に言っていたが、俺にはあんな現実離れした生活を送っていける自信がない。ある方がおかしい。自覚は確かにそんなにないが俺が死ねば代わりに誰かが死ぬ。そんな状況が俺を臆病にさせる。

「い、なっちゃん……おい、夏希っ!」

「えっ」

「どうした、今日はなんか本当におかしいな? やっぱり本当に具合、悪いのか?」

 あれ……俺、寝てたのか……。

「いや、大丈夫だ。わざわざ、すまんな」

 俺は広げられた教科書とノートを鞄にしまった。あくびがまだでる。

「さっそく、角の席だからって居眠りかよ? やるな!」

 いつの間にか寝てたんだか……まぁいっか。

「姫本さん、どうだった?」

 それも心配の種の一つだった。せっかくオカルト研究会にクラスのマドンナが入部してくれるかも知れない、というのに俺はあんなに強く拒絶してしまった。大層、傷ついているだろう。本当に悪いことをした。五時間目の始まる前に教室に入ってきたのは見たが。

 俺に笑いかける康助。

「やっぱ、優しいな。なっちゃんは。これこそ俺の知っているなっちゃんだ」

 なんだ急に気持ち悪い。

「心配しなくても大丈夫だ、姫本さんなら俺がばっちしフォローしといた。怒っている様子もねぇ」

「ありがとう、康助」

「いいって事よ。困ったときはお互い様だぜ! でも一応、メールくらいはしておけよ? じゃ、俺行くわ!」

「行くって、どこに?」

 俺もまた会長に呼ばれていて今日の夜に備えて特訓があるらしいから一緒に下校は出来ないんだが。

「あの事件の事で警察に呼ばれてんだよ、俺ら。ったく記憶が飛んでるからわかんねぇって何回言えば気が済むんだって話だよな」

「なるほど。俺は部活動あるからもうちょい学校居るよ」

「そ。そっちもオカルト研究、頑張れよ! じゃあな!」

 康助はそういうと姫本さん達と教室を後にした。まだ警察の事情聴取が続いているらしい。警察もそれくらいしか手がかりがないって事なんだろうな。さて、俺も部室いくか。

 そのあと教室に残った男子どもに姫本さんについて執拗に質問され、退室時間がだいぶ遅れてしまった。

 俺が一刻も早く部室に向かおうと渡り廊下を走っていると途中、誰かに声を掛けられた。本当は声を掛けられた、というか注意されたって言うが正しい状況説明。

「廊下は走ったら、あかんよ?」

「えっ?」

 どこかで聞いた声。俺は急いでいる足を止めた。振り向くとそこにはオカルト研究会顧問の杉島先生がいた。

「だから、廊下は走るなってまいどゆーてるやろ?」

 相変わらず流暢な関西弁だ。俺には関西地方出身の知り合いが居ないため、いつ聞いても関西弁は新鮮だった。

「すいません……」

 俺は素直に謝る。康助は美人だとか何とか言っていたが、確かに美人である事は間違いない。何よりこのスレンダーな体系は女子の憧れの的だろう。

「ああ、誰かとおもたら、新人君やないかい。どや、新生活は?」

「まぁ、まだ三日目ですし。何とも言えませんね」

 先生は随分せっかちだ。さすがにまだ高校生活に慣れた、何てことはない。

「それもそうやな。でも普通の学校生活は当分、送れそうにないなぁ?」

 と面白そうに笑う杉島先生。やっぱり近くに死神の姿はない。

「その、杉島先生?」

「なんや? 英語についての質問は勘弁やで?」

 先生は人差し指で作ったバツ印を口元にやって言った。そういえば英語の教科書を持っていない。授業の後では無さそうだ。

「いや、授業のあとやで。……新三年生のな」

 先生は高らかに両腕を挙げ笑う。

「まーだ、学年上がって一回目の授業やさかい。勉強教える気、さらっさらないねん!」

 受験生のクラスでも一年と同じ授業やっているんだ。

「そんなことして、文句とか言われないんですか? 受験生なのに」

 ん? と不思議そうに首をかしげる先生。普通そんな一時間を無駄にされちゃあ、一年生ならまだしも進学校の受験生なら文句を言う生徒も出るだろう。一秒でも無駄に出来ないのに。

「なんでや?」

「いや、だって三年生って言ったら受験生じゃないですか。そんな時間を無駄に出来ないんじゃないですか?」

 俺の言葉を聞くと急に笑い出す先生。何がおかしいんだ?

「お前さんは受験勉強を苦行かなんかと勘違いしておるみたいやのぉ」

 勉強は苦行だ。あんなの好きでやっている奴の気がしれない。

「お前さんは勉強、嫌いか?」

「もちろんです。だからこそ今度は受験勉強しなくても良いようにこの学校に来ました」

 半分嘘だけど。

「私も勉強、大っ嫌いやった。それはもう、高校生活を棒に振るほど勉強から逃げて回る学生やった。今も勉強嫌いや。むしろ、今の方が勉強嫌いや」

「じゃあ、どうして」

「学校の先生になったか、やろ? それは皆に少しでも楽をさせてあげようっておもてな」

 楽に? 勉強に楽な方法なんてあるのだろうか。それならぜひ聞きたい。

「皆きっと、友達が行くからーとか取り敢えずやる事ないしーとかそんな考えで高校、来たやろ?」

「確かに……」

「それは間違いじゃあらへん。中卒の後輩とかも知っとるけど、やっぱり就職に苦労しておったわ。今じゃ、大学出てるのが当たり前やしな」

 今は大学生でも就職に悩んでいる、なんてよくニュースでやっている。

「それはやっぱり大変や。好きでもない勉強を無理矢理やるなんて。好きな物にはどんだけでも時間かけるけど、嫌いな物には最小限の時間しか割かない。違うか?」

 図星だ。ゲームとかは気づいたら半日やってたなんてざらにあるけど、勉強でそれはありえない。一時間だって机には向かっていたくないものだ。

「だから、まずは勉強を好きになることから始めるのが利口や。そしたら勉強の効率も上がるし好きな事出来るし、一石三鳥や」

 いくらなんでもそれは無理な提案だ。嫌いな物をいきなり好きに何てなれない。それにそれが出来たら苦労なんてしないものだ。

「まぁそれも無理な注文やなぁ。それが出来たら私やて教師なんてやっておらんわ!」

 そういって笑う先生。

「で、そのためにはまずは勉強をしやすい環境にしてあげるのが一番ちゅーわけや。勉強しやすい環境ってのはつまり、自分のハテナを無くせる環境。先生に分からない事は何でも訊ける、そんな当たり前の事が一番大事なんや」

 その軽い口調からは想像もできない熱意に溢れた瞳をしていた。

「だから友達感覚で質問できる、授業を作ろうおもてる。だから一回目の授業で生徒達のハートをガッチリ掴むために一時間使って、お互いの距離を縮めるんや、分かったかいな?」

 先生の熱弁は何か俺をその世界に吸い込ませるような力があった。なるほど、それで。

「っていうのは後付けやけどな! 本当は楽したいって言うのが一番!」

 そう言って気丈にふるまう先生だった。

「よく分かりました、先生」

「そうか? よかったわ!」

 俺が礼を言って立ち去ろうとすると先生は言った。

「多分……」

 足を止めた。

「君も、大きな罪を抱えて生きてきたんやろうな」

 さっきとは打って変わって真剣モードの先生。

「私にはその……死神ってのが、見えへん」

 俺は先生の視線を背中に感じた。

「もちろん、罪人ちゅーもんでもない。だから協力もできひんし、理解もしてやれない」

 自分の影に視線を下ろした。もう外は陰り始めていて辺りが夕日で真っ赤に染まっている。

「でもこうしてオカ研の顧問を引き受けて、分かった事がひとつある。それを君に教えたるわ」

 先生は一人、相槌も打たない生徒に教えを説いた。

「目の前の現実がどんなに辛くても歩みは止めたらあかんねん。ゴールが見えなくても歩いている限りは近づいているんやから。怖くなったり、嫌になったら目ぇつぶってでもええ。歩くんや、自分の足で地面を踏みしめながらな。辛くなったら仲間に助けてもらえばええ。お前さんは独りなんかやないんやで? 一緒に歩いてこ! 頑張れよ、新人君!」

 先生は俺の肩を叩いて階段を下って行った。

「熱い先生だな……」

 俺は歩いて部室に向かった。


 ドアに張り紙がしてあった。

『真城君へ 生徒会室に来てください。鈴木より』

 そりゃそうか。また武器の使い方とかだろうしな。地下の演習場に行くのかな?銃声とか大丈夫なのだろうか。俺は色んなことに考えを巡らせながら相変わらず狭い廊下を通って生徒会室の前に来た。すると自動でドアが開いて中に入れた。

 中には誰もいなくて一瞬戸惑ったが、生徒会長席の横の本棚がずれていて既に隠し扉が開いていた。中に入れって事か?

 俺が演習場に行くと既にそこには凛々しい顔でごついライフルをぶっ放している、会長の姿があった。相変わらずもの凄い命中率だ。それとその死神。

「おっ、やっと来たか。やけに遅かったじゃないか」

 俺に気づくと銃を背中にしまった。あの銃、あんな簡単に扱えるものではない。少なくても今の俺には片手でなんて扱えない。

「すいません、色々ありまして……」

 それがクラスの男子のマドンナへの嫉妬だなんて口が裂けても言えない。

「色々? まぁ深くは追及せん」

 そうしてもらえるとこちらとしても助かります。

「さて、さっそく始めようか。あまり夜まで時間がない」

 今は午後四時。あとエニグマ出現時間まで八時間ほどしかない。それまでに基本的な戦術は全て覚えなくてはいけないのだから大変だ。昨日まで一般人だった男が、だぜ?

「でも、銃声とかは大丈夫なんですか?」

 ふぅ、と会長。

「君は変なところまで心配し過ぎだ。私が大丈夫だと言っているんだ、大丈夫に決まっている」

「今日は野球部、仮入部のミーティングですしね」

 どこからか知らない声がする。

「あぁ、早かったな、りかこ。紹介する、新入生の真城夏希クンだ」

 振り向くとそこには前髪の長い小柄な少女と、不気味なまでに全身真っ黒な服装に身を包んだ死神が立っていた。前髪が長くて表情が窺えない。

「夏希、ずいぶん女の子みたいな名前ですね……」

 何だこいつ。初対面の相手に女の子みたいな名前ですね? って大きなお世話だ。

「私は、オカルト研究会副部長、鳳凰院理加子です。一応、二年です」

 ホウオウイン……随分、大層な名前だ。

「こっちが死神、ヘルサイズです。よろしく」

 桜咲さんほどではないが随分弱々しい声だった。まるで虫の羽音だ。

「そちらの死神さんは?」

「あぁ、俺のは……おい、出てこいよ」

 俺は影に隠れているフレイを呼んだ。だが返事がない。

「呼ばなくて結構です、分かりますから」

「は? 分かるって……」

 意味が分からないし、フレイは何で出てこない。メイドなら主人に逆らうなよ!

俺がフレイに手を焼いていると鳳凰院は俺を無視して会長に話しかけた。

「会長。今回のアレの出現場所、われました」

「おう、随分早かったな」

 鳳凰院の言う「アレ」とはなんだろうか。

「ええ、今回は想像以上の大物になりそうです。百は固いかと」

 ヒャク、なんの話だ? 話に全くついていけない。

「ほう。警戒態勢を特Aに引き上げるように秋山に伝えてくれ」

「はい。で出現場所ですが、やはり第二体育館です」

 ふむ……と会長。どうやら俺が割ってでも聞く話ではなさそうだ。

「集合時間を午後九時に早めてくれ。緊急ミーティングを行う。それと連戦で悪いが、宮戸にも連絡を」

「了解です、ではこれで。真城君、頑張ってください、期待してますよ?」

 そういってきた道を戻って行った。何なんだあいつは。

「さて、始めるか。そこのショットガンを持て!」

「えっ、あっ……はい!」

 こうして俺は会長と二人で日が沈むまで戦術を学んだ。

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