逃した 華
美河 融は、今日も 機嫌が悪かった。
淡々とキーボードを打ち 黙り続けている。
その沈黙は、周囲にいる者達に 見えない威圧感を感じさせていた。
「うっわぁ………融君 めちゃくちゃ………機嫌が悪いぞ?」
「仕方がない。あいつ………最近 気になる子ができたらしい。薫さんが持ち込んだ 調べごとのお蔭で 会えないからだろ」
「亜蘭………お前さぁ?年上をもっと 敬えよ。院を出たら 会社を作るんだろ?だったら………本音を隠して 年上を立てることも覚えないといけないんだぞ?」薫は、笑いながら 言う。「問題ない。俺の性格は、これから先 変わらないからな。社交面は、融に任せるつもりだ」
亜蘭は、真剣な表情を浮かべて 断言する。そんな彼の言葉に 薫は、苦笑した。
「けど………一体 どんな子なんだ?あの融が 気になる子って。つい最近まで 超美女と付き合っていなかったか?」
「西条は、両刀なんだ。それを知らなかった 融は、今までの最短 3日で別れた。今じゃ いい友人関係なんじゃないかな?」亜蘭は、興味なさ気に言う。
2人の話を聞きながら 融は、顔を上げた。
その顔は、明らかに 怒り狂っているようにしか見えない。
「おしゃべりしている暇があるのなら………そこの書類にチェックを入れている場所を調べて下さい。時間がないかもしれないのでしょう?」
融の声は、氷のように 冷たい。
その声に 薫は、震えあがってしまっているようだ。
「アンタ………年上なんじゃなかったのか」
「どうして 亜蘭………お前は、平気なんだ?あんな冷たい目で 見られたら………怖いに決まっているじゃないか。あの町田先輩だって あそこまで 恐ろしくないんだからな?堀田さんのことは、別にしても」薫は、震えながら 呟く。
「融………そんなに気になって仕方がないんなら 会いに行けばいいだろう?一緒にいる 俺達の方が、辛気臭くなる」
亜蘭の言葉に 融は、唇をかみしめる。
彼の言う通りだということを自覚しているのだから。
「俺は、男だとか女だとか………そういう関係に嫌気がさしている。だが お前まで それに倣う必要は、ないだろう?あの子は、確かに お前が付き合ってきた 女とは、タイプが違う。けど お前とは合っていると思うぞ?俺が保障しよう」
「そうッ!そうだよ………今からでも 告白してきたらどうだ?」
薫の言葉に 融は、首を振る。
「今日は、短大の卒業式なんです。きっと 友達と一緒にいるでしょうから」
「そういや………西条が、聞いてきてたな?あの子の友達が、お前が最近 大学に来ていないことを心配していたらしいぞ」
亜蘭の言葉に 融は、そうかと 苦笑気味。
薫は、どこか 申し訳なさそうな顔をしているようだ。
「すまないな………俺が仕事を頼んだせいで 忙しくさせちゃったんだな」
「別に 構わない。会社を興すには、資金も欲しいし………いい経験になる」薫の言葉に 亜蘭は、ニヤリと笑いながら 言い放つ。
ふと 部屋の扉がノックされた。
「融くん?さっき 融くんへの手紙が届いたの。けど………ちょっと おかしんだ」
部屋の中に入ってきたのは、14才になる 亜蘭の従弟 大地。
手には、可愛らしい封筒を持っている。
「僕に手紙ですか?」
融の呟きに 大地は、うんと 言って ソレを融に渡す。
「何か 差出人の名前が書いていないんだ。だから 海が、捨てようとしていたんだからね?」大地は、偉いだろと 胸を張りながら 言う。
「ああ………偉いよ。だから 廊下で 聞き耳を立てている海を連れて 自分の部屋に戻れ」
亜蘭がそう言うと 廊下からは、悲鳴のような声が聞こえてきた。
「どうしてよ 亜蘭さん?別に 疾しいことなんかないでしょう?それに 手紙は、融くん宛でも………本命は、亜蘭さんかもしれないんだから。わたしは、それを排除しようとしただけなんだからね?未来の旦那様を守るのも、未来の妻の役目なんだから」
黄色い声を上げて 部屋に飛び込んできたのは、大地の姉 海。
自称 亜蘭の婚約者だ。
亜蘭には、全く 相手にされていないが それは、ただの照れ隠しだと信じきっている。
「前にも言ったが 俺は、お前を妹以上に思っちゃいない。いい加減 気が付いたらどうなんだ?」「照れなくてもいいのよ。今は、年の差を考えて そんなことを言っているんでしょう?それなら 大丈夫よ。パパも、亜蘭との結婚 賛成してくれているんだから。わたしが、16才になったら………籍を入れるんだから」海は、うっとりしながら 言い放つ。
聞く耳を持たない 海に 亜蘭は、溜息をつくしかない。
「相変わらず 面白いくらいに………自分本位な妄想が、浮かび上がる子だなぁ?亜蘭には、悪いけど………あの子 虫唾が走るくらい 痛い子だよ。俺の傍にあんな子がいなくて ほっとする」薫は、大地が海を引きずっていったのを確認して 呟いた。
その言葉に 亜蘭は、肩をすくめるだけ。
薫の言う言葉は、ずっと 自分の中でも思っていることだった。
「ん?どうかしたのか………融」
ずっと 黙っている融に 亜蘭は、声をかける。融は、手紙を見つめながら 体をワナワナと震わせているようだ。
「手紙に 何か………書いてあったのか?」「ええ………ラブレターみたいです」
融の言葉に 亜蘭は、目をぱちくりさせ 薫は、おおぉ~ッ!と 目を大きく見開いている。
「名前を書かないだなんて………一体 誰なんだろうな?心当たりは、ないのか?」
「ええ………ありませんねぇ。告白してくるといえば 大体 直接でしたから。こんな古風な方法は、初めてです。何だか こういうのは、あまり 好きじゃないんですよ」
融は、そう言って その手紙をゴミ箱に投げ入れた。
その様子を見て 薫は、いいのか?と 聞く。
融は、その問いかけに 苦笑した。
「相手は、最初から 僕の返事を期待していませんよ。自分の名前を記入していないんですからね?ただの自己満足なんでしょう。きっと 今日………卒業する後輩なんじゃないですか?」融は、苦笑しながら 言う。
この時 融は、思いもよらなかっただろう。
まさか その手紙こそが、自分が想いを寄せていた相手からの精一杯の勇気だったことを。
知っていれば 余裕でいられるはずがなかったのだから。
そして 融は、文字通り 後悔することになった。
なぜなら 知ってしまったのだから。
あの差出人不明のラブレターが、融の想い人 早川 留美からだったこと。
そして 彼女が、家の事情で 卒業後 すぐに 結婚してしまったことを。
融は、後悔する。自分が、逃してしまった 機会を。