第2話 はじめての人間社会
「目がっ、目がぁああああ!?」
長い間ダンジョンに引きこもっていたせいか、久しぶりの日光に視界が焼かれる。正確には俺の目ではなくエルメスの目なのだが、意識が繋がっている以上、芋虫体の俺にも太陽光のダイレクトアタックが容赦なく炸裂する。
「し、死ぬかと思った……」
ダンジョンを出てしばらく、両手で目を覆ってしゃがみ込んでいた。
やがて視界が落ち着いてきたので、ゆっくりと立ち上がる。
「なるほど。このダンジョン、森の中にあるのか」
エルメスの記憶を手繰り寄せながら、俺は街の方向へ歩き出した。
「よーし。芋ちゃん、行きまーす!」
気分は上々だ。さしずめこの体は、俺専用の器ってところか。
ボロボロの体を引きずりながら、湿った土の匂いの漂う森の中を進んでいく。
水辺が見えたので、ふと立ち止まる。
湖面には、美しい少女の姿が映っていた。金髪に碧眼。いかにも悪役令嬢といった雰囲気の美少女だ。
首筋に、うっすらと黒い紋様が浮かんでいた。目を凝らさなければ分からない程度だが――確かにある。俺がいる証だ。
その美少女に――
ふと、湖に向かって場違いなポーズを取らせてみる。
絶対にやらないであろう美少女にこういうおっさんムーブをやらせる背徳感。……悪くない
「……ん?」
そのとき。ほんの一瞬だけ、体の動きが鈍くなった。まるでWi-Fiが途切れたような感覚。
同時に――何かが、流れ込んできた。
感情、とでも言えばいいのか。映像でも言葉でもない。ただ、じわりと染み込んでくる何か。
恥ずかしい。
違う。俺が恥ずかしいんじゃない。
エルメスが――恥ずかしいと思っている。
「……おい」
まずい。意識が、まだ残っているのか。
俺はすぐに操作を強めた。感情の流入が、ぷつりと途切れる。エルメスの体が、再び俺の思い通りに動き始める。
ただの誤作動だ。そう結論づけようとした。
でも。
「……悪かったな」
気がついたら、口から出ていた。
誰に言ったのか、自分でもよくわからなかった。
「気のせい……か?」
まあいい。今は街へ行くのが先だ。
◆
「おおおお! これが異世界の街か!」
森を抜けた先に、巨大な石壁が現れた。高くそびえる城壁に囲まれた城塞都市。アニメや漫画で散々見てきた光景のはずなのに、実際に目にすると迫力がまるで違う。画面越しでは絶対に伝わらない空気の重みがそこにはあった。
「妙に圧迫感ある壁だな……」
さすがに巨人はいないだろうが、本当に見事な城壁だ。これだけで来た甲斐があったというものだ。
街の入口には関所があったが、エルメスは元伯爵令嬢、しかも身分証付きの冒険者だ。簡単な確認だけで、あっさりと通してもらえた。
「意外とちゃんとしてるな」
石畳の道はきれいに整備されている。露店が並び、人々が行き交い、子供が走り回っている。普通の生活。普通の人間社会。
その中に――
寄生モンスターが紛れ込んでいる。
「人間社会に入り込んだ芋虫、か」
なんだかスパイみたいじゃないか。
「……悪くないな」
……この場合は「私」の方がいいのかな。
ま、いっか。
◆
ぐぅ〜。
「……腹減った」
どうやらエルメスの空腹は、俺にも伝わるらしい。これは地味に厄介だ。
とりあえず金を確認する。
「……ない」
ポケットを探る。
ない。
財布もない。
「うそだろ」
そうか。エルメスを殺そうとした元パーティメンバーに、金目のものをごっそり持っていかれたんだろう。やることが徹底している。
どうしようかと考えていると、脳裏にふと宿屋の光景が浮かんだ。エルメスの記憶だ。この街で部屋を借りているらしく、そこにいくらか手元金を置いてあるようだった。
ということで、まず宿に戻って路銀を確保。俺は迷わず酒場へ向かった。
◆
「美味そっ!」
テーブルに運ばれてきたのは、豪快な骨付き肉だった。まるではじめ人間ギャートルズから飛び出してきたような塊肉で、前世でもこんな迫力の一品は見たことがない。
「いただきまーす!」
がぶり。
思い切りかぶりつく。給仕の少女がぎょっとした顔をした。
「……おっほほほ。酒場ではこうするのが流儀と聞きましたの」
慌ててお嬢様モードに戻す。明らかに変な目で見られている。
「いいねぇ! 肉はそうやって食うもんだ! 気に入った! 一杯奢ってやるよ!」
隣の酔っ払いが笑った。奢りなら遠慮なく受けよう。ついでに情報も引き出す。
◆
「――最近じゃ紅蓮の連中がメンバー募集してるらしいぜ」
「紅蓮?」
「この街で一番の冒険者パーティだよ。リーダーはイケメンで性格も良くて、勇者候補とも言われてるんだとよ」
けっ。そういう完璧超人は嫌いなんだよ。
「にしても姉ちゃん、よく飲むな。それに……なんかおっさんみてぇだな」
「おっほほほほ」
鋭い。実際おっさんなんだけどな。ぷにぷにの芋虫だけど。
しかし、こういう飲み会はいい。
……悪くねぇな、この感じ。
そんな会話をしていると、ふと視線を感じた。
カウンターの端。白いローブの女が、こちらを見ている。神官……だろうか。目が合った瞬間、女はわずかに眉をひそめた。
「……不思議ですね」
小さく呟いて、すぐに視線を逸らした。
なんだ今の。
まあいい。今はそれよりも。
「あそこの階層はミノタウロスが出るからな。姉ちゃんにはまだ早いぜ」
「ふむふむ」
酒場の会話は宝の山だ。どのダンジョンが危険か、どのモンスターが強いか、どの冒険者が強いか。生き残るための情報が、いくらでも転がっている。
最高じゃないか。
◆
「いい……! これは、いいぞ……!」
俺はダンジョンの暗闇の中で体をくねらせた。
人間の体。人間社会。そして情報。
これで――俺の手足は、いくらでも増やせる。




