表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
原力の殉教者  作者: とりまな
第1章 森の遺産
5/8

花冠の王様

―――――――――――


 ルーナは四つになった。


 朝が来ると、妹は誰よりも早く起き出す。シルヴィアが朝食を用意する台所に駆け込み、母のスカートの裾を引っ張り、椅子に上って窓の外を覗き——兄の姿を探す。


「兄さん、今日はなにするの?」


「遺跡に行く」


「ルーナも行く!」


「まだ早い」


「やだ!」


 毎朝の儀式のようなやりとりだった。カエルが遺跡での学習を始めてから、ルーナは一人で留守番をする時間が増えた。母はカエルの訓練を優先し、ルーナは村の子供たちと遊ぶか、家の前の野原で花を摘むか、帰りを待つかの三択を繰り返していた。


 ルーナが魔法を使おうとしたのは、ある春の日のことだった。


 カエルが遺跡から帰ると、裏庭でルーナが真剣な顔をしていた。両手を前に突き出し、目を閉じ、何かを唱えている。カエルが遺跡で古代語を詠唱する姿を、覗き見て覚えたらしい。


「……りゅうれは、ひかりよ……」


 古代語の詠唱を真似ているつもりだろうが、発音は滅茶苦茶だった。けれど——


 ルーナの足元で、小さな花が咲いた。


 固い蕾が、するりと開く。白い花弁が陽光を受けて透き通る。もう一つ、もう一つ。ルーナの周囲に、点々と花が咲き始めた。微精霊の光が足元を這い、ルーナの手に吸い寄せられるように集まっている。


「ルーナ、すごいな」


 カエルが声をかけると、ルーナの集中が解けた。花の展開が止まり、微精霊の光が散る。


「兄さん! 見た? ルーナもできたよ!」


「ああ、見た見た」


 精霊魔法だった。それも、詠唱なしで——あるいは滅茶苦茶な詠唱が偶然にも微精霊の感応を引いたのか。いずれにせよ、ルーナの微精霊への親和力は獣じみていた。呼びかけるまでもなく、精霊の方がルーナに寄ってくる。


「兄さんみたいに強くなる!」


 ルーナが拳を握って宣言する。泥まみれの手。膝の擦り傷。満面の笑み。


「ああ。いつかな」


 カエルはルーナの頭を撫でた。妹の銀がかった髪は、母と同じ色だった。


―――――――――――


 夜が来ると、家は静かに回る。


 シルヴィアは遺跡に通い詰めるようになっていた。夕方には帰ってくるが、帰宅後も机に向かい、古い文書を読み、何かを書き留めている。カエルが覗くと、母は微笑んで手帳を閉じた。


「お母さんの宿題よ。気にしないで」


 ルーナを寝かしつけるのは、カエルの役目になっていた。


 小さな寝台にルーナを横たえ、毛布を顎の下まで引き上げる。ルーナは目を開けたまま、天井の染みを見つめている。


「兄さん」


「なんだ」


「お母さん、帰ってくる?」


 言葉の端に、かすかな不安が混じっている。母が遺跡で遅くなる日が増えたことを、四歳のルーナは肌で感じ取っていた。


「絶対帰ってくるよ」


 カエルはルーナの手を握った。小さな指が、兄の手にしがみつく。


「約束?」


「約束」


 ルーナの目が閉じていく。寝息が規則的になるまで、カエルは手を離さなかった。


 妹の寝顔を見つめる。穏やかで、無防備で、まるで世界に悪いものなど何もないかのような顔。この顔を守りたい。この子が泣かない世界を、守りたい。


 口の中で、母が歌っていた古代語の子守唄を呟く。旋律は覚えている。意味はまだ全部はわからない。けれど声に出すと、部屋の空気が微かに柔らかくなった気がした。微精霊が——あるいは微念が——旋律に応えて揺れている。


 ——この子を守る。何があっても。


 それは誓いというには幼すぎた。けれど胸の底に落ちた言葉は、石のように重かった。


―――――――――――


* * *


―――――――――――


 ルーナの世界は、花の色でできていた。


 朝起きると、まず窓の外を見る。今日はどんな花が咲いているか。黄色い花の日は嬉しい。青い花の日は少しさみしい。赤い花の日は——お母さんの唇の色に似ていて、好き。


 ルーナはいつも花畑にいた。


 村の外れの野原に座り、花を摘む。もう一つ、もう一つ。茎を編んで、輪にして、花冠を作る。兄さんに教わった。兄さんは何でもできる。古い言葉が読めて、風を動かせて、光を手の中に作れる。ルーナもやってみたけど、光はできなかった。手から出てくるのは、いつも風。花を咲かせる風と、蝶を呼ぶ風。


 兄さんみたいに白い光を出したかった。あの光はきれいで、温かそうで、特別な感じがしたから。


 でも、できない。


 何度やっても、光は出てこない。


 代わりに花が咲く。代わりに蝶が来る。それはそれで嬉しいけれど——兄さんにできて自分にはできないものがある、という事実は、心のどこかに小さな棘として刺さった。


―――――――――――


 兄さんは最近忙しい。


 お母さんと二人で出かけることが多い。「遺跡」に行くのだという。ルーナは「遺跡」を知らない。連れていってもらえないから。「まだ早い」とお母さんは言う。「もう少し大きくなったら」と兄さんも言う。


 ——大きくなったら、ルーナも行ける?


 大きくなったら、兄さんみたいに二つの力が使える?


 大きくなったら——。


 ルーナは花冠を編みながら考える。考えても答えは出ないので、花冠を作る手を速くした。


 今日のは黄色い花で作った。大きくて、丸くて、王冠みたいなやつ。世界で一番立派な花冠。


 夕方——兄が森から帰ってきた。


 ルーナは花冠を両手に掲げて走った。兄さんは疲れた顔をしていた。目の下にうっすら隈ができて、手の甲に土がついている。遺跡で何かを練習してきたのだろう。


「兄さん!」


 カエルが振り返る。ルーナの花冠を見て——笑った。疲れが消えるような笑顔で。


「きれいだな、ルーナ」


 ルーナはつま先立ちになり、思いきり腕を伸ばして、兄の頭に花冠を乗せた。少し傾いた。兄が屈んでくれたから、なんとか載った。


「兄さんは花の王様!」


 カエルが笑う。ルーナも笑う。夕焼けが二人を橙に染めている。


 家に帰ると、お母さんがいた。夕食の匂いがする。煮込みと、パンと、少しだけ蜂蜜の匂い。特別な日でもないのに蜂蜜を使ったのは、お母さんの機嫌がいい日のしるし。


「おかえり、二人とも」


「お母さん! 兄さんを花の王様にしたの!」


「あら、似合ってるわ」


 シルヴィアがカエルの頭の花冠を直す。三人が食卓を囲む。ルーナは椅子の上で膝立ちになり、パンをちぎっては口に入れ、ちぎっては兄さんに差し出す。カエルは黙って受け取る。お母さんが笑う。


 ルーナの世界は、こういうものだった。


 兄さんがいて、お母さんがいて、花が咲いて、夕ご飯がおいしくて。


 三人が一緒なら、怖いものなんか何もない。


 食後、シルヴィアが二人を膝に抱き寄せた。ルーナは母の左腕に収まり、カエルは右側に座る。母の身体はいつも少し冷たくて、でも抱きしめる力は温かかった。


「あなたたちは、お母さんの宝物よ」


 ルーナは頷いた。いつも聞く言葉。いつもと同じ声。


 世界は優しい場所だった。


―――――――――――


 翌朝、母が険しい顔で帰宅した。


 いつもより早い。まだ日が昇りきる前。遺跡に何か——忘れ物でも取りに行ったのだろうか。カエルが声をかけると、シルヴィアは一瞬だけ迷うような間を置いて、言った。


「明日から、もっと本格的に教えるわ」


 その声に、昨夜の温もりはなかった。



* * *

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ