04.禁断のスイーツ
「奥様、失礼いたします」
侍女のサリがワゴンを引いて部屋に入ってくる。
甘い香りが部屋に充満した。
甘美な香りに釣られてミネルヴァはワゴンに視線を向ける。
「この時間はいつも読書をされるようでしたので、ご用意させていただきました」
サリはテーブルの上に紅茶とクッキーの乗った皿を置く。
甘い香りの正体は、このクッキーだったようだ。
サリが不思議そうにミネルヴァの本に目を向けた。
「とても厚い本のようですが、いつもどのような本を読まれているのですか?」
「ふ、普通の本よ」
「こんな厚い本が読めるなんで、奥様は博識なのですね。私は本を読むのがどうも苦手で……」
サリが恥ずかしそうに笑う。
(本にカバーをかけておいてよかったわ)
ミネルヴァはホッと胸を撫で下ろした。
サリは感心しているようだが、この本が『夫人の嗜み』だと知ったら、がっかりするだろう。
『まだこの本を覚えられていないと知られることは、恥ずかしいことよ』と継母がすべての本にカバーを用意してくれたのだ。
「シュダルン公爵家の書庫にも本がたくさんございますよ。何冊かお持ちいたしましょうか?」
ミネルヴァは小さく頭を横に振った。そして、手元の本に手を置く。
「まだこれが途中だから」
「では、読み終えたら教えてください。本がお好きな奥様なら、きっと書庫も楽しいはずです」
サリは満面の笑みを浮かべて部屋を出て行った。
ミネルヴァはゆっくりと息を吐き出す。
(私、変なこと言っていないかしら?)
表情は緩んでいなかっただろうか?
慌てて鏡台まで走って鏡を確認する。
ミネルヴァは真一文字に結ばれた唇を見て、小さく頷いた。
(大丈夫。いつもどおり)
ようやく読書に集中できる。
早くこの本を暗唱できるようになって、胸を張って歩きたいと思った。
この本を暗唱できるようになって初めて、完璧な夫人に近づいたと言えるのだと教えられたからだ。
まだ半分しか覚えられていない。
ミネルヴァは席に戻ると厚い本を開く。
しかし、その集中も長くは続かなかった。
ぐぅ~。
お腹の主張のせいだ。いや、正確には目の前にあるクッキーが原因だった。
(……おいしそう)
黄金色をした丸くて可愛いクッキーが並んでいる。
クッキーという名前は知っていたが、ミネルヴァはこの味を知らない。
これは、ミネルヴァが食べていいものではないからだ。
参加したお茶会で、他の令嬢たちがおいしそうに食べていたのを知っている。
ミネルヴァは小さく頭を横に振った。
(だめよ。おかあさまがあれは私にとって毒だって……)
お茶会では継母の言いつけどおり、「スイーツは苦手なの」と言って口にはしてこなかった。
クッキーが分類されるスイーツというのは、本来令嬢にとって毒なのだ。
おいしい料理以上に中毒性があり、せっかくの体型維持を阻害してしまう。
お茶会で出すスイーツとは、相手の令嬢を社交界から蹴落とすために用意されているものなのだと、継母に教わった。
(で、でも、おうちにいたころより食べる量は減っているし、一口くらいなら大丈夫かしら?)
どんな味か確かめるだけ。
ミネルヴァは震える手で、クッキーを一枚手に取った。
(一口だけ……)
ごくりと喉を鳴らす。そして、そのままクッキーにかじりついた。
ミネルヴァは目を見開く。
歯を入れた瞬間、ホロッとこぼれて口の中に入ってきた。
口いっぱいに広がるバターの風味。噛めば噛むほど、甘みが増していく。
継母が毒だと言うのもわかる気がする。
それくらい、甘美な味がするのだ。
口の中の水分がなくなってしまったけれど、紅茶で流し込んでしまうのがもったいない。
ミネルヴァは両手で頬を押さえた。
あまりの幸福に頬が落ちそうだったのだ。
(こんなにおいしいだなんて……!)
ミネルヴァは頬を緩ませ身悶えた。
今は誰もいない。だから、少しくらいいいだろう。
(幸せ……)
シュダルン公爵家の生活は幸せなことばかりだ。
毎食の料理はどれもおいしい。
布団は毎日ふかふかであたたかい。
聞けば、天気のいい日は布団を干してくれているのだという。
侍女のサリはいつも細かいところまで気遣ってくれる。
まだ何もできていないミネルヴァに、こんな甘くておいしいスイーツまで出してくれる。
(早く完璧な夫人になって、恩返ししないといけないわ!)
こんなによくしてくれているのに、仕事を一切しないのは心苦しい。
ミネルヴァは両手で拳を作って、小さく頷いた。
◇◇◇
アドルフは執務室の椅子に座り、腕を組んだ。
アドルフの席の前には、アドルフの補佐官であるクロイと、ミネルヴァの侍女であるサリが立つ。
「サリ、ミネルヴァの様子はどうだ?」
サリは小さく悩んだあと口を開いた。
「正直、何を考えていらっしゃるのかわかりません」
「まあ、にこりともしないですもんね」
クロイが揶揄するように笑う。
アドルフはそれを擁護することはできなかった。
ミネルヴァがこの屋敷に来て五日になるが、彼女の笑顔は一度も見たことがなかったのだ。
「サリが一番ミネルヴァと一緒にいると思うが、君も笑っているところは見ていないのか?」
「はい。こちらが尋ねれば答えてはくれますが、基本口数は少なく、いつもつまらなさそうにしております」
アドルフがミネルヴァと顔を合わせるのは、食事の時間の三度のみ。
それに比べて、サリは一日中ミネルヴァの側にいる。彼女ならば、笑顔を見ていてもおかしくはないと思った。しかし、ミネルヴァは一日中あの表情のようだ。
口を真一文字に結び、何か不満を訴えているような表情だ。
「昨日は読書の時間にクッキーを出してみたのですが、だめでした」
サリは眉尻を下げた。
ミネルヴァはどんな料理も一口しか食べない。
好みの問題かと料理人たちはあの手この手を尽くしているが、五日目の朝食も二口目を食べてもらうことはできなかった。
一度だけ、「食べたい物はないか?」と尋ねたことがある。
しかし、ミネルヴァからもらえた回答は「何でも食べられます」と少し斜め上なものだけだった。
「何でも」という割には一口しか食べない。
ならばと、スイーツを出すことにしたのだ。しかし、昨日出したスイーツは料理と同じように一口しか食べてはもらえなかったようだ。
「少食である可能性もありますが、それにしても少なすぎるかと」
サリは心から心配そうに言った。
料理が口に合わないのか、それともやはり、「実家に帰りたい」というミネルヴァなりの抗議なのだろうか。
彼女の気持ちはわからない。
「もっと華やかなスイーツじゃないと、大切に育てられたお嬢さまの心は動かないのかもしれませんよ」
「どういう意味だ?」
クロイの嫌味を含んだような言葉に、アドルフが首を傾げる。
「待ってました」と言わんばかりにクロイはアドルフの前に調査書を広げる。
「気になったんで、奥さまがどんな方か調べてきました」
クロイは得意げな顔で言った。
調査書には、ミネルヴァの噂がぎっしりと記されている。
あまりいいことは書かれていないため、アドルフは適当に文字を追っていった。
「奥さまは社交界では有名人だったようですね」
「……『傲慢で高飛車』か」
噂とはいえ、言いたい放題だ。
「旦那さまはこのお噂を知らなかったのですか?」
サリの純粋な質問にクロイが苦笑をもらす。
「殿下にそれを求めるのは間違っているさ」
「悪いな」
アドルフは肩をすくめる。
もともと社交は得意ではない。でなければ、軍人の道は選ばなかっただろう。
王都で生活しているあいだ、噂話などいつも右から左に聞き流している。
「このままでは料理人たちも可哀想です」
サリの言葉にアドルフは静かに頷いた。
「私のほうでももう少し探ってみよう。何か理由があるはずだ。少し耐えてほしい」
「わかりました。奥さまへの声かけを増やしてみます」
「俺は料理人たちを元気づけに行きますかね」
クロイとサリは執務室を出てそれぞれの仕事に戻って行った。
◇◇◇
執務室に一人きりなり、アドルフは長いため息をついた。
(この話を受けたのは失敗だっただろうか)




