27.素直になること
「いえ。好きです。好きになりました」
「あら? そうでしたのね。でしたら、ぜひ召し上がってください。うちのパティシエが作ったザッハトルテです」
「ザッハトルテ」
ミネルヴァは思わずその名前を口にする。
目の前に出された円柱のケーキは、一人分の大きさで作られていた。
横にはちょこんと、真っ白なクリームが添えられている。
ミネルヴァは令嬢を見上げて言う。
「ザッハトルテ、強そうな名前です」
令嬢は何も言わず目を瞬かせた。
何かおかしなことを言っただろうか。ミネルヴァも一緒になって目を瞬かせる。
しかし、すぐに令嬢は吹き出すように笑った。
「公爵夫人は、面白いことをおっしゃるのですね。けれど、たしかに強そうな名前ですわね」
彼女は肩を揺らしたまま、笑い続ける。
ミネルヴァは彼女の笑い声を聞きながら、ザッハトルテをジッと見た。
(つやつやだわ)
光輝くザッハトルテ。これは知っている。チョコレートだ。
チョコレートは甘い。
スイーツなのだから甘いのは普通なのだが、今まで何度か裏切られてきている。
名前が強そうだから、からい可能性も捨てきれない。からいのは嫌いではないけれど、一度にたくさん食べると、喉の奥がキュッとなる。
だから、慎重にいかないといけない。
「ザッハトルテは初めてですか?」
「はい。チョコレートは最近知りました」
「ふふふ、本当に面白い冗談をおっしゃいますね」
ミネルヴァはナイフとフォークを使ってザッハトルテを半分に切る。
ミネルヴァは目を瞬かせた。
(中も茶色だわ)
茶色のスポンジは初めてだった。チョコレートと同じ色。
スポンジのあいだに何か挟まっている。ジャムだろうか。ミネルヴァには判別がつかなかった。
ミネルヴァは一口台に切ると、パクリとザッハトルテを口の中に入れた。
チョコレートの香りが口いっぱいに広がる。
ミネルヴァの好きな味だ。
チョコレートは最近のお気に入りだった。
チョコレートを食べると、あの日――アドルフとの初めてのダンスを思い出すからだ。
ホットチョコレートのようにとろりとはしていない。けれど、あの日のダンスを思い出すにはじゅうぶんだった。
しかし、チョコレートに続いて現れた酸味にミネルヴァは目を見開いた。
甘いだけではない。
酸味がチョコレートの甘さを緩和する。
『うまいか?』
アドルフの声が聞こえた気がして、ミネルヴァは顔を上げる。
しかし、目が合ったのは何度かしか話したことのない令嬢だ。
「……おいしいです」
「お口に合ってよかったです」
「アドルフさまにもあげたいです」
「そこまで言っていただけて、光栄です。たくさん作っておりますの。よろしければ、殿下の分を包みましょうか?」
「本当ですか!?」
ミネルヴァは嬉しくて、思わず大きな声を上げて立ち上がった。
慌てては両手で口を押さえ、ゆっくりと席に座る。
(やってしまったわ)
大きな声を出しても問題ないことは理解している。しかし、染みついた習慣というのはおそろいいものだ。
まるで罪を犯したような気持ちになる。
ミネルヴァが俯いていると、隣に座っていた令嬢が声をかけてきた。
「公爵家夫人は結婚されて雰囲気が変わりましたね。そのケープ素敵です」
「これは、アドルフさまがくれました」
ミネルヴァは頬を染める。そして、何度もふわふわのケープを触った。
「まあ! 素敵。アドルフ殿下はどんな方ですの? あまり社交場にはいらっしゃらないので、みんな興味があるんです」
令嬢の質問に、他の令嬢たちも興味津々だ。
ミネルヴァは視線を彷徨わせる。アドルフのことは一言では答えられない。
「アドルフさまは、とても優しい方です」
「まあ! 軍に所属されているでしょう? 厳格な方ではないのかしら?」
「厳格……。扉は必ず正確に一秒で叩きます」
ミネルヴァは扉を叩く真似をする。コンコンコンッ。と、一秒に一回だ。
ミネルヴァの答えに令嬢は目を瞬かせた。
扉を叩く音には人それぞれ性格が出る。アドルフはきっかり一秒で一回。規則正しい。しかも、しっかり叩くから部屋によく響く。
サリは優しくてゆっくりだ。クロイは少し早くて乱暴だった。
周りの令嬢たちが、顔を見合わせて笑う。
「公爵夫人がこんなにおもしろい方だなんて、知りませんでした」
「わたくしも。他にもアドルフ殿下のことお聞かせください。アドルフ殿下は――……」
令嬢たちの質問に、ミネルヴァは一つずつ答えていった。
お茶会でこんなに話をしたのは初めてだ。
参加したお茶会はいつも静かに話を聞くだけだった。食事の席では言葉を発してはいけないからだ。
ミネルヴァは紅茶しか飲んでいなかったが、紅茶だけでも食事に入るのだと継母は言っていた。
ずっと、「そんなにお喋りしていては、完璧な令嬢にはなれないのに」と思いながら、彼女たちの話を聞く日々。
いつしか、ミネルヴァに話しかける人はほんのわずかになっていた。
(私がずっと間違っていたのね)
ミネルヴァは素直にそう思った。
継母は彼女たちが「わざと教えを守っていない」と言っていた。けれど、それが間違いなのだ。
話しかけても頷くしかしないミネルヴァより、楽しそうにお喋りする令嬢たちのほうがいいに決まっている。
どうしてずっとそんなことも気づかなかったのだろうか。すぐに気づきそうなことなのに、ミネルヴァは継母の教えこそが絶対だと信じてやまなかった。
(みんななら、あの現象のことも知っているかもしれないわ)
ミネルヴァは拳を握る。
「あの……。一つお聞きしてもいいでしょうか?」
ミネルヴァの言葉に、令嬢たちの視線がミネルヴァに集中した。
トクンッと胸がはねる。
「最近、不思議な症状に悩んでいるんです」
「どのような症状でしょうか? お医者様には相談しましたか?」
「お医者様はいたって健康だと……。それが、不思議なんです。アドルフさまの側にいるときだけ、胸がドキドキして、いっぱい失敗をするようになってしまって……」
ミネルヴァはギュッと唇を噛みしめた。
「最初はそんなことなかったのですよ? けれど、最近顔を見るのも難しくて……」
ミネルヴァは胸のあたりをギュッと押さえた。
もう二度とアドルフの顔が見られなくなるのではいかと不安なのだ。
令嬢たちは顔を見合わせると「まあ」と口々に言った。
「まあ」とはどういう意味なのかわからず、ミネルヴァはさらに不安な気持ちになったのだ。
「公爵夫人、それはおそらく……」
令嬢の一人が、真面目な顔で言った。




