8 ランス川での貝掘り
今日は、ねーちゃんに手を引かれて一緒にお出かけだ。
ナコねーちゃんは俺が一人で出歩くのが心配のようだ。
「ちょっと遠いけど、できたら今日はランス川に行きたいんだ」
とねーちゃん。
「エルも体調が良さそうだし、ゆっくり行けば大丈夫かな?もし、辛かったら言ってね」
ランス川というのは王都の前を横切る大河の名前だ。
その川に続く巨大湖はそのままランス湖というそうだ。あの大河と湖の名前を初めて知った。
「うん、でも大丈夫だよ。今日は具合がいいんだ」
昨日は、3体ほど霊エネルギーを吸収できた。今も歩きながらすり抜けざまに1体分吸収した。慣れてくると霊のいそうな場所が分かるようになった。暗くて湿った行き止まりの場所によくたまっている。
「よかった。ランス川の浜に大きな貝がいて、泥の中にいるから泥臭くて誰も食べないんだって。どれくらいまずいか知らないけど、死ぬほどじゃないだろうし、一度食べてみようよ。意外といけるかもよ」
うん、動物性たんぱく質は必要だ。毒がなければ大丈夫だろう。
小高い土手を登ると川幅が200mはある大河が見えた。
ナコねーちゃんは遠いといったがそれほどでもなかった。僕らの掘っ立て小屋があるのは王都の外れの水路でランス川からも近い。僕らの住まいから王都の中心方向に10分ほどの距離に大きなスラムもあるが治安が良くないので、ねーちゃんは水路の河原に住むことにしたらしい。ただ、水路の河原にも難点があって、大雨のときは増水して小屋が流されてしまうという。
河原に例のワニ馬が五頭ほど放されていて、蘆のような植物をバリバリ食べている。
「ねーちゃん、あの動物、なんていう名前か知ってる?」
と指をさす。
「ああ、あれは、ワマね。見た目は怖いけど、おとなしいから大丈夫よ」
ワニの馬で『ワマ』と覚えればいいか。短くて単純な名前だ。人の生活に密着した動物の名前は大体短くなる。犬とか猫とか豚とか馬とかみんな一言だ。
土手を河原まで下りる。土手は一面に丈の短い草が芝生のように生えている。この広い河原で誰かが草刈りをしているとは考えづらい。牛かヤギのように草を食べる家畜も時々は放牧されるのかもしれない。
蘆風植物の切れ目の水辺に泥状のぬかるみが広がっている。ねーちゃんは服の裾をたくし上げて結ぶと、いつものはだしのまま泥沼に足を踏み入れた。俺は足の裏が柔らかいので、足に厚手のぼろ布を巻いてもらって、靴の代わりにしている。
「うえー、気持ち悪い。ヌルヌルするよ。エルはそこで待っててね。入ってきちゃ駄目だよ」
とずぼずぼ音を立てて先に進む。水の深さが膝くらいになったところで、ねーちゃんは横に移動し始めた。足踏みするように泥の中で足を動かして、泥の中を探る。
「んー、無いなあ…。まあそう簡単に見つからないかぁー…」
と行ったり来たりしている。
時々手を泥に入れて何か引っ張り出しては、川の奥に放り投げる。
「おっ、おっ、なんかそれっぽい」
と言って大きな塊を引っ張り上げる。泥まみれのそれを水の中でじゃぶじゃぶ洗って、持ち上げる。縦の長さが30cm横幅20cm、厚さが10cmくらいの楕円状の物が現れる。ねーちゃんがずぼずぼ音を立てながら戻ってくる。
「多分、これのことね」
と下に置く。淡水のカラス貝のように見える。
淡水カラス貝なら、ムール貝の仲間で、泥抜きすれば食べられるはずだ。
昔、少年時代に川に鯉を釣りに行った時、泥の中でよく見つけたのを覚えている。
とても大きい貝なので「でっか!」と思って面白がって掘り出したが、あまりに泥まみれで汚かったので、見つけただけで食べる気もなく、またすぐ川の中に放り投げて捨てていた。
釣った鯉も身は泥臭い。食べるなら、生かして持ち帰って、しばらく奇麗な水に飼っておかないといけなかったので、大体は釣っただけで満足して、その場でリリースしていた。
「これ、何て名前の貝?」
「知らない。ほかの人は泥貝とか、言ってた」
正式名称でなく俗称か。まあ、俗称がそのまま名前になることもよくある話だが。
ナコねーちゃんは貝をその場に残して、また泥に戻って行った。
そして、今度はすぐにもう一つ貝をみつけてきた。
「なんとなくコツがわかったよ」
と、どや顔をしている。
二人して貝を見下ろす。
「んー、でも、見つけたのはいいけど、これどうやって食べようか…」
ねーちゃんが途方にくれる。
殻を割るのは簡単だが、生で食べたら腹を壊しそうだ。
料理するにもナイフも包丁もない。このでかいのにかぶりつくのもなんだか嫌だな。中を良く洗って泥抜きもしたい。
ああ、そうだ、以前、無料動画サイトで見た「あくじろう先生の実験シリーズ」の『アレ』が役に立つかな、と記憶をたどる。水路の河原にも多分『アレ』があるはずだ。
チートはないけど、前世で35歳まで生きたおっさんの、ネット暇つぶしサバイバル知識をなめるなよ。いつか大地震が来て文明が崩壊したときのために、だらだらと寝る前30分で蓄えた知識だ。実戦経験は皆無だが、やればできると思う。そう、俺はやる気がないだけでやればできる子なのだ。俺はまだきっと本気を出していないだけなのだ。
……と、心の中で考えていて空しくなった。
「とりあえず、戻ろっか」
と二つの貝をずだ袋に入れてねーちゃんが肩に担ぐ。
俺は河原を見回して、ワマの糞を物色する。よく乾燥して燃えそうな平たいかたまりを5個ほど拾って抱える。
「それも袋にいれな」
とねーちゃん。
貝の水気がつかないようにそっと上から入れる。
ねーちゃんは河原に落ちていた1メートルくらいの長い枝を1本拾った。
「こういう長い木はあっちの河原には落ちてないからね、もう一本持っていきたいけど、袋もあるし無理かなぁ…」
「僕が持つよ」
「だいじょぶ?」
「うん、杖みたいにして持てば、歩きやすいよ。スキーのストックみたいにすれば2本持てるよ」
「ん?何?ストッ…て?」
「おおっとぉ、なんでもないですよ。気にしない気にしない。この世には『知らぬが仏』という言葉があるよ」
「また、変なこと言ってる。本当に元気になってからおかしい…」
「さあ、出発だ、ねーちゃん。ハリアップ、ハリアップ」
「……やっぱり、おかしい…」
ねーちゃんが拾ったのより短めの枝を2本左右の手に持って杖代わりに歩きながら土手を登る。斜面が急で2回こけそうになって、後ろからナコねーちゃんに支えられた。
土手を上がりきって体力が尽きた。もう歩けそうにない。
あたりを見回すと、土手の反対側を少し下がったところに霊が2体ほど揺らめいていた。
(お、助かった)
と最後の力を振り絞って2体の霊のところまで下りた。
手を伸ばそうとして、その手を止める。
2体の霊は抱き合うように寄り添っていた。
うっすらと顔の表情が見える。
若い男女のようだ。頭一つ高い男のほうが女性の肩を抱いて、愛し気に見つめている。
霊になってまで愛し合っているとは、羨ましいことだ。しかし、あの世に行かずこうして迷っているということは、あまりいい状況で亡くなったわけではないのだろう。
少し躊躇したが思い直して二人に手を伸ばした。
(ごめんね。あの世で結ばれるといいね)
チラチラと線香花火のように瞬きつつ二人は霧散した。
(これ、あの世に行けてるんだよね。俺がただ吸収してるだけじゃないよね)
と少し不安になった。
水路の掘っ立て小屋に戻って少し休憩してから、河原の石を物色する。ぶらぶら歩きつつ眺めているとそれっぽい石があった。大人のこぶし大の大きさで、緑がかった黒色をしている。石の端っこが少し欠けていて、その欠けた部分から黒いつややかな面のぞいている。
それを別の大きな石で上からたたきつけると、二つに割れて、鏡のように滑らかな、ガラス質の黒い面が現れた。
黒曜石だ。この世界の自然物も前世とあまり変わらないようだ。縄文時代にはこの石を割ってとがらせ、ナイフや矢じりとして使っていたらしい。
黒曜石のナイフは、人類が作る最も切れ味の鋭い刃物とも言われ、転霊前の世界では形成外科などで手術用のメスとしても使われているという。
周りに飛び散った小さなかけらを水路の水面に放り投げて捨てる。かけらをそのままにしていたら、自分が踏んづけて足を怪我してしまう。
残った半欠けは丸っぽくて、とてもナイフという感じではない。
もう一度、大きな石を上から落とす。本体から薄めのかけらが剥離した。これもナイフというより、片面の尖った丸っこいヘラのような形だ。しかし、薄くとがった面を使えば貝の身ぐらいは切れそうだ。このくらいで妥協しておくか。
ねーちゃんが『泥貝』を両手で頭上に振り上げて河原の石にたたきつけようとしている。
「ちょっと、待ってねーちゃん。割るのは貝の片側だけにして。反対の殻を鍋の代わりにして焼くから」
「えー、そんな器用なこと出来ないよ」
と、めんどくさそうなねーちゃん。
俺はねーちゃんから貝を受け取ると両手で抱えて、河原の石にコツコツと小刻みにぶつけた。
打ちつけている石に貝殻の白いカスが付着する。そのうち貝はぶつけていた片面だけが割れて、中の水分がこぼれてきた。
黒曜石のヘラで貝柱をこそぎ取り、貝から身を外す。
その身を縦に切り開いて中の泥や砂を水路の水で念入りに洗う。
身を食べやすい一口大の大きさに切り分ける。
「へー、河原の石が包丁みたいになるなんて、よくそんなの知ってたね。エルはもの知りだね」
「いやー、偶然知ってただけだってば。あくじろう先生の…じゃなくて、その辺の変なおじさんが嬉しそうにはりきって興奮しながら汗みどろで石を割ってたのを、たまたまなんとなく見ただけだよ」
とごまかしつつ、石を丸く積んでかまど状に囲う。その中にワマの乾燥糞を2つほど入れる。
貝殻が長いのでかまど状の上の端にちょうど引っかかるようにできた。
貝は取り出して切ると、意外に量が少なくなった。もう一つの貝も同じように処理をしてかまどの上に載せる。
問題は火種をどうするかだ。丈夫な紐があれば弓状にした枝でまっすぐの枝に紐を絡めて回転させて火を起こすやり方ができるが、そんな丈夫ないい紐はない。せいぜいが藁のような弱い紐くらいだ。直接木と木をこすり合わせても火はつくはずだがこの体では、火が付くまで体力がもたないだろう。
悩んでいると、かまどからプスプスと煙が上がり始める。かまどの前には、ナコねーちゃんがしゃがんでいる。ねーちゃんの指先からちろちろ火が出ていた。
「おしっ!こんなもんか」
とねーちゃん。
「えっ、ねーちゃん魔法使えたの?」
「うん、まあね」
と困った顔。あまり知られたくなかったのかな。
「魔法は少しできるんだ。でも内緒だよ」
と俺の頭をなでる。
「でも、魔法を使える人は少ないでしょ。何か仕事にできるんじゃないかな」
「あたしみたいな孤児が魔法を使えるのがばれたら、ろくなことにならないよ。つかまって奴隷に落とされて、こき使われて終わりだよ。下手したら濡れ衣で犯罪奴隷になって、そのまま戦場送りだね」
それは物騒な世の中だ。濡れ衣で奴隷なんて、貧乏人には本当に人権がないのだな。のほほんと生きていたら、尻の毛まで抜かれるというやつだ。
「この国は今戦争をしているの?」
「戦争って程本格的じゃないよ。本国は平和だけど、属領や辺境では小競り合いが絶えない感じだね。北や西から蛮族が侵入してくるし、海賊に船が襲われることもあるから、いつも兵隊は必要みたい」
「知らなかった。あまり兵士を見ないから平和かと思っていた」
「ここは王都だからね。ここが戦場になったら、それこそこの国は危ないって。王都の騎士団や辺境の駐屯騎士団、辺境伯の軍団も戦場に行って戦をするけど、それ以外に、傭兵団や犯罪者だけの部隊も戦争に行くわ。犯罪者部隊は『先遣補助兵団』と呼ばれているわね。基本的に傭兵団も犯罪者兵団も敵の戦力を図るためのおとりとして初戦に使われる捨て石よ。相手が強くて傭兵団や犯罪者兵団が壊滅したらそれに合わせて本軍の戦略を変えるの。敵が弱ければ、そのまま蹂躙して、本軍の消耗も抑えられるしね」
「ねーちゃん、すごく詳しいね」
「貴族が戦果を市民に示すために、嫌って程宣伝するから、みんなこのくらい知ってるのは普通よ。エルはまだ小さいから知らなくて当たり前だけどね」
「でも、傭兵団や犯罪者部隊はかわいそうだね」
「うん、傭兵団の連中はその辺を分かって割り切って戦ってるから、不利だと思ったらすぐに逃げるって。だから、本当に割を食うのは犯罪者の先遣補助兵団ね。傭兵団に先遣補助兵団の指揮を任せることも多いみたい。それで、最前線に犯罪者兵団や新人を立たせて、古参の傭兵は後ろのほうでいつでも逃げられるように準備してるなんて話を聞くわ」
「ずるいね」
「命がかかってるからね。みんな自分がかわいいのよ。自分が安全で他人が死んだほうがいいでしょ。まあ、中には殺し合いが大好きで、進んで前線に行きたがるバカもいるみたいだけど」
そうこう話しているうちに、貝が焼けてきた。特に水などは足していないが、貝から出た水分で煮物のようにぐつぐつと泡立って煮えている。ワマの糞は意外に火力が強い。貝の焦げる香ばしい香りがする。匂いだけならうまそうだ。
「おっ、良さそうだね」
とねーちゃんが2本の小枝で貝の端を両側からひっかけて、一つずつ火から下ろす。
「試しに食べてみるね」
と言って小枝の先に貝をひっかけて、ねーちゃんが口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼する。
「どう?うまい?」
「……」
無言のねーちゃん。
しばらく噛んでから飲み込んだ。
無表情だ。
「えー、硬くてなかなか嚙み切れない。それと味は、泥水の味。でもしばらく噛んでると、なんとなく貝の味がしてくる。はっきり言ってあんまりうまくない。というかまずい。でも、多分食べられると思う。毒ではないみたい」
実は意外にうまかった、という返事が返ってこないかなと淡い期待をしたが、それはかなわなかった。誰も食べないという時点でこれは予想できた答えだが。
二人は、あごが疲れるくらい貝を噛みしめて、すべて残さず完食した。無表情で。
「明日になって、おなかを壊してなかったら、また取りに行こうね。毎日はちょっと勘弁だけど。いつでもただで食べられるものを見つけられたのは大きいよ」
と俺の頭をなでるねーちゃん。
「うん、あごが丈夫になるね」
「エルは疲れたでしょ。もう小屋で休みな。あたしはこれから貧民街のゴミ捨て場に行って、なんかないか見てくる。ホントはもっと遅い時間のほうが新しいごみが出されていいんだけど、暗くなると危ないからね。前日の夜にゴミを回収して、翌日の昼に捨てに来るゴミ屋もいるから、まったく出遅れるわけじゃないし」
と言ってねーちゃんは、ワマの糞の燃えカスから煤を手に付けて、顔や髪や手足に塗りたくった。
若い女の子とみられないようにしているのだろう。
「じゃ、行ってくるね」
と空のずだ袋をぶら下げて、ねーちゃんは出かけて行った。
俺は掘っ立て小屋の寝床で横になる。
疲れがのせいだろうか、強い眠気を感じ、目を閉じた。