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86 道中の食堂にて

食堂の厨房で肉を渡してから中に入ると、英子がじれて待っていた。


「遅い遅い!はらぺこよ!」


と怒っている。


「獲物を捕まえて、下処理までしていたんだ。そんなにすぐに準備が出来る訳はないだろ!それにこれから焼いてもらうんだ。奥の厨房で頼んだばかりだから、まだ時間がかかるぞ」


「ウソー⁉まだ待つの?」


英子がまた泣きそうになっている。


「別に俺達を待たなくてもいいんだぞ。自分で勝手に何か頼んで食べてりゃいいだろ。前の町では勝手に頼んでいただろ」


「それは嫌!我慢する」


と、口をへの字にする。


「何のこだわりだ?」


「うっさいわねー。みんなで一緒に食べたいって言ってるのよ」


「めんどくさい女だな」


「あっ、こら!ガイ君、お姉ちゃんにそのいい方は何よ!私の事はちゃんと『お姉ちゃん』って呼ばないと駄目よ!」


「おね、おね、おねえ、ぐぐぐう、くっ、殺せ!」


「えー?『くっころ』出るほど嫌なの?それより、なんでこの世界の人間が『くっころ』知ってんのよ?」


「エルフの学者に聞いたんだ。エルフ語だ」


「そんなエルフ語無いわよ」


「じゃあ、オーク語だ」


「オークは女騎士に『くっころ』言わせる側だっての」


「とにかく俺は何も知らん」


「本当は転生者じゃ無いの?」


「絶対に違う!俺は嘘をついて無いぞ。この目を見ろ。曇りなき、少年の心を疑うのか?」


「あんたの目、むっちゃ濁ってるわよ。王都のどぶ川並よ」


「あ、言ったな。ついに言ったな。お前は言ってはならない事を言ってしまった。いいか、世の中には、例えそれが事実でも、言うべきでない事があるんだ。その気配りは人の優しさで出来ているんだ」


「頭痛薬の宣伝みたいなことを言っても駄目よ!ほら、お姉ちゃんって言ってみなさい!」


「死んでも言わん!」


「昨日の取り決めはどうしたのよ?」


「そんな過去の事は知らん!」


などと揉めているうちに、ワマウサギの丸焼きの大皿二つを持った女中が俺達のテーブルにやってきた。


「お待ち!」


と、勢いよくそれを、テーブルに乗せる。


「早いですね⁉」


俺が驚いていると、太めの屈強な女中は『ふふん』と、得意げに笑う。


「うちには最新式の魔術調理具があるからね。急ぎの料理はこれで中まで短時間で火が通るんだよ」


「動力の魔石はどうするんですか?高いでしょ?」


「まあ、魔石を使って調理も出来るけどね。最新型って言っただろ。魔石無しでも少しは使えるんだよ。使ってない時に周りのマナをゆっくりと、中の蓄石に蓄えるんだ。その充填だけだと、何回か使うと半日は使えなくなるけど、急ぎで追加料金を出す客にだけ使ってる。あんたも急ぎだって言ったろ。ちゃんとその分も勘定に付けてるから心配しなくていいよ」


「何を勝手な事を!頼んでない!」


「どうせ、食材費はかかってないんだろ?それに、さっき貰った毛皮も分も代金から引いてあるよ。普通に料理を頼むよりは安くなってるから、勘弁しとくれよ。この所、あの調理具の出番が無くて、店長が焦れてたんだ。うちの店長は新しいもの好きの阿保だから、あんな要らないものに大金かけて買ってきて、何を考えているんだろうね。王都に行って調理具の店を覗いたらどうしても欲しくなったんだってさ」


「いいわ、お金の心配は要らないから、頂くわ。お宅の店長さんはなかなか先見の明がありますよ。ああ、おいしそう」


英子が勝手に了解してしまった。


しかし、俺も腹はすいているので、ここは納得しておくことにした。


「仕方ない。食べるぞ。大きいから各自勝手に千切って食べろ。早い者勝ちだ」


俺の宣言で英子が肉につかみかかるが、焼き立てで熱くなっているので、掴んだ瞬間に『ひゃー!熱い!』と叫んで手を放す」


「馬鹿め!」


と俺は丸焼きを鷲掴みにして、構わず千切る。


手のひらが『じゅわ!』と鳴った。


「うぐぐ…」


それをこらえながら、二つの皿の肉を食べやすい大きさに、それぞれ千切って広げておく。


両手の平が真っ赤になってしまった。


「ちょっと、どう見てもやけどしてるじゃない。なんで、そんな無茶をするのよ。冷めるまで少し待っていればいいでしょ」


と、あきれ顔の英子。


「早く食べたいんだ。しかし、自分の分だけ取っていたら、利己的な人間と思われるだろ。だから、全員分を千切ったんだ」


「生意気なくせに、変なところで義理堅いのね」


英子が俺の両手首をつかみ、癒しの魔法を発動させる。


金色の光は出なかった。目立たないように手加減しているみたいだ。


「うーむ、魔術調理具、侮れないな。中はどうせ生焼けだろうと思っていたら、外側より熱かったぞ」


「前世の、電子レンジみたいなものかしら?」


「まあいい、食うぞ」


と言って子供の方を見ると、既に、大きい腿肉にかぶり付いていた。


さっき早い者勝ちと言ったのは俺なので、対応として間違ってはいない。


俺も腿肉を一つ取って食べ始める。


脂がのっていて旨い。


英子もしあわせそうに食べる。


「チーズは有りますか?」


貫禄の給仕女中に訊ねる。


「あるよ。焼きたての白パンもあるよ」


「ホントですか?ついてるぞ。なら、白パンを切って中に焼いたチーズをはさんで人数分持って来てください」


「あいよ!」


「あたし、水酒ちょうだい。冷えてる?」


「ああ、キンキンだよ」


「やったー!」


この、英子と言う女は前世で酒飲みだったのだろう。妙に酒に意地汚い。


「ぶはー!あー旨い。この為に生きていると言ってもいいわね」


「いや、駄目だろ」


「この鳥大人しいのね。ほら、これ食べる?」


英子は肉片を一かけらつまんで、俺の肩の鳥の目の前に差し出す。


「おい、変な物を食べさせるな。人間様のしょっぱい食べ物は食べさせられないんだ」


鳥が食事を食べない理由を適当に作って、言っておく。


「そうなの?で、この鳥何て名前なの?」


「鳥の種類は知らん。貰った鳥だ」


「種類の話じゃ無いわよ。何て名前を付けたのか聞いてるの」


「名前?いるのか?」


「あきれた、あんなにこき使ってて、名前も付けてあげてないの?」


「家畜だぞ。愛玩動物じゃないんだ。名前なんか要らないだろ」


面倒くさくなって適当に答える。


鳥の中身も俺なので、自分に名前を付けるような変な事をする気はない。


「じゃ、あたしがこの鳥の名前を付けてあげるね」


「要らん」


「えーと、どんな名前がいいかなぁ」


俺に構わず英子が鳥の名前を考え始める。


「フクロウみたいな鳥ね。でもくちばしが大きくて長いのね。なんか不思議な感じ」


「こいつは、昼も夜も飛べる。夜目がきくが夜行性では無いんだ」


「ふんそうなんだ。じゃあ、そういう全ての要素を総合的に考えて、『ペーちゃん』にしましょう。フクロウのぺーちゃんね。


(うん、全ての要素、無視してるね)


まあいい。これでこの女は満足なのだろう。


「げふー!もう食えない」


子供が満足そうに一息つく。


「そういえば、君の名前はなんていうの?」


「俺か?俺はハルマだ」


「えっ、ハルマってあの英雄ハルマ?」


「ああ、そうだ、スズキハルマから名付けられた。俺みたいなのがハルマなんて、笑えるよな」


「それで、ハルマ君は何処に向かっているの?」


「西のヤマ王国だ」


「ああ、旧王国ね。今の属領ヤマね」


「どっちでもいい。とにかくヤマの首都に行く」


「ハルマ君はなんでヤマに行くの?」


「母ちゃんが行けと言った。そこにおじさんがいるらしい」


「そう、お母さんは一緒に行かないの?」


英子がこの少年の母の事を質問したので、机の下で英子の足を蹴る。


「痛、何よ?」


「やめろ、訊くな」


「なんでよ?」


こんな子供が、ろくに食べ物も金も無く身一つで旅をしているのだ。彼の母がどうなったのか聞かなくても想像がつく。無神経な奴め。


「いい。気にするな。俺の母ちゃんは死んだ。今は俺一人だ」


「あ、…ごめんなさい…」


「腹いっぱいになった。助かった。俺は箱車に戻る」


と、ハルマは席を立つ。そのまま食堂の出口に向けて足早に歩きだす。


「おい待て」


呼び止めると、立ち止まって振りむく。


それに、ワマウサギの腿を一つ投げてやる。


「朝飯だ」


「いいのか?助かる」


それをキャッチしたハルマは店を出ていった。


「悪い事を聞いちゃったわね」


しょげる英子。


「気にするな。大した事じゃない。そんな事は奴にとって些事だ。今日飢えずに生きられたことの方が大きい。店を出たらもう忘れているさ」


「そんなものなの?」


「そんなものだ」


「妙に実感がこもっているわね」


「ただの、想像だ」


「ふーん」


「お待ち!」


給仕のおばさんが、とろけたチーズを挟んだ白パンの三つ乗った皿をテーブルに置く。


「あ、あの子これ食べないで行っちゃった。持って行ってあげようか?」


「いや、いいだろ。あの年頃は肉だけ食べていれば、他は要らないんだ。むしろ余計なものを腹に入れて、食べられる肉の量が減るのを嫌がるだろう」


「えっ、そういうものなの?」


「そういうものだ」


「でも栄養が偏っちゃうよ」


「あの年頃は肉だけ食べていれば栄養は足りるんだ。それに栄養なんてこの社会の誰が気にする?」


「神殿では、『薬食』って言う考え方があって、体調の悪い人に食べるものを指導したりするわよ」


「それも、どうせ過去の転生者の知識だろ?」


「知らない」


「それより、お前が野菜を食べているのを見たことが無い。子供の栄養を心配する前に、自分の栄養を心配しろ」


「うっさいわねー。野菜を食べる野菜日があるのよ。その日はちゃんと食べるの」


「食物繊維を取らないとお通じが出なくなるぞ。お前今、何日出してないんだ?」


「失礼ね!ちゃんと、うんこくらいしてるわよ!」


「だから、いつしたと訊いている」


「してるっての!」


「だからいつだ?」


「しつこい!食事中よ!うんこの話ばっかりしないでよ!」


「逃げたな。それに俺はその言葉を一言も言って無い。それはお前一人が、大声で周りに聞こえる様に言っているんだ。さすがに、令嬢としてはしたないぞ」


「令嬢?そんなの、成りたくて成った訳じゃないわよ!何がはしたないよ!そんならもっと言ってあげるわよ!うんこ!うんこ!うんこ!うんこ!うんこー!」


「御免なさい。俺が悪かったです。それ、やめてもらっていいでしょうか?」


「うんこー!」


「だからやめろっての!ガキか!?」


俺は平手で英子の頭を真上から叩いた。


「あっ、痛っ!女性を殴ったわね!それもその肉で汚れた手で叩いたわね!頭が肉臭くなるじゃない!酷い!どーしてくれるのよ!」


「後で、部屋に湯を頼んでやるから洗えばいいだろ」


「嫌、お風呂がいい!」


「もう、時間が遅いから風呂屋も閉まっているぞ」


「嫌だー!お風呂―!」


「厄介なやつだな。俺は何でお前の世話をしながら一緒に旅をしているんだ?最初の話では次の町までしか面倒を見ないと言っていたような気がするが…」


「薄情者!お姉ちゃんを捨てるの?」


「誰がお姉ちゃんだ!ひょっとして酔っているのか?」


「酔ってないわよ!げふー!お姉さん、水酒お代わり!」


「酒乱かよ…」


食事を終えて、英子を店から引っ張り出す。


食事の間に日が暮れていて、外は暗くなっていた。


結局英子は水酒を五杯も飲んでいた。アルコールの度数の少ないビールの様な酒だが、さすがに飲み過ぎだ。ふらつく英子に肩を貸して、今夜の宿を探す。


ふと、目をやった路上に古着売りの男が居るのが見えた。


南国風のポンチョの様な貫頭着にカラフルな刺繍の施されたものを屋台の軒先に吊るしている。店主の男は、男なのに濃いアイラインを目の上と下に引いた化粧をしている。


「ちょっといいですか?」


と、男に問う。


「なんだい?」


男は愛想よく返事をした。


「その、あなたの化粧だが、あなたの国では男も化粧をするのが一般的なのですか?」


「ああ、これかい?俺の国では男も化粧をする。ただ、これはおしゃれでもあるけど、魔よけの意味もあるんだ。目を大きく描くことで、悪しきものをよく見て、目の力で追い払うという縁起担ぎだね。ほら、そこに吊るしてある魔よけ札にも、大きな目が描いてあるだろ」


「そうですか、それなら、その民族衣装を二人分買うので、化粧道具も売ってくれないでしょうか。それと化粧の仕方も教えて下さい」


俺の申し出に男は考えこむ様子をしてから、俺と英子を交互に見つめる。


「なるほど、訳ありか…。いいよ。教えるよ。その分割り増し料金は貰うけどね」


「すいません。お手数をおかけいたします」


「ああ、駄目だ、駄目だ、そんな礼儀正しい言葉を使っていたら、育ちの良さが丸出しだ。無知な庶民は敬語なんか使わないよ」


「ああ、なるほど…、勉強になります」


「うーん、身に付いた喋り方はそう簡単に変えられないかぁ。まあ、いいか。それじゃ、こっちに来な」


ひとしきり指導を受けて俺はその場で英子の顔を実験台にして、化粧をしてみた。鏡を見て、自分の顔にもやってみる。


「この墨は固めた油脂だから簡単に水では落ちない。落とすときはゆるい油でこするんだ」


化粧をして、民族衣装を着たら、俺も英子も何となく南国人に見える様になった。


「うん、いいね。本物のイゼル人が見たら通用しないが、君の国の人間なら充分騙せるだろう」


彼の人種はイゼル人と言うようだ。よく聞くと本国は海を越えた南の大陸にあるという。


彼はイゼル国とラグナ王国を行き来して行商をしているという。イゼル国の品をラグナ王国で売り、王国で仕入れた品をまた自国で売るという事を繰り返しているそうだ。


「助かりまし…、いや、助かったよ」


「それでいい」


「じゃ」


民族衣装の姿で目星を付けた宿に入る。


宿の人間がどんな反応をするか気になったが、特に何の反応も無かったので安心した。


宿で二部屋取って、英子の部屋には湯を運んでもらう。


英子も酔いが醒めてきて、徐々に普通の様子になっていた。


「大丈夫か?自分で体と頭を洗えるか?」


「大丈夫よ。いざとなったら治癒魔法を自分にかけたら酔いなんて一瞬で冷めるもの。もったいないからそんなことはしないけどね」


英子の言い分を聞いて俺は自分の部屋に入る。


何事も無い平凡な一日だった。


(うん、こういうのでいいんだ)


ベッドに横になり、落ち着いた気持ちで木板の天井を見上げる。これが嵐の前の静けさであることをこの時にはまだ俺は知らなかった。

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