85 旅の道中
日の出とともに目覚めて、身支度をする。
鳥を飛ばして肩に乗せる。
左の腰に一振りのファルカタを差しておく。
もう一振りの剣は、魔術具の腕輪でヒューリン棚に入れたままだ。
数日分の食料を満載した袋を自分のカバンと別に用意して、駅マ荷車の屋根に積んだ。水も一つ5リットルくらい入る堅焼きの瓶を二つ乗り合いの座席に持ち込んでいた。次の町で食料がちゃんと買えるか分からないし、道中、どんなトラブルがあるか分からないので、多めに備えておいた。
長距離の駅車は箱車三台の商隊で連なって進む。客車は一台だけで、他の二台は港からの交易品や、食料などを積んでいる。
自分で食料を持ち込まなくても、商隊の人間に金を払えば三食食事を出してもらえるが、どうせ、ろくなものは出されないだろうし、金もバカ高い。懐に余裕はあるがあまり羽振りが良く見られると、余計なトラブルを招きかねない。節約して旅をしている様子を周りに見せておいた方がいい。
昨日、俺と英子は一つの取り決めをした。
取りあえず、安全な土地に着くまでは、二人の身分は隠す。俺と英子は姉と弟で、西部の属領にいる親戚の所へ向かっていることにしようと話し合った。
よってこれからは転生者英子を『姉貴』と呼ばなければならなくなった。
あんな馬鹿な姉は要らないが、赤の他人が一緒に旅をしていると知られたら、余計な詮索をされるかもしれない。髪色も二人ともくすんだ汚い赤髪なので、姉弟と言っても違和感は無いだろう。
日が登り、三台の大型箱車が走り出す。
走ると言っても、人が徒歩で歩く程度の速度だ。
商隊の前と後ろに全部で五人の、武器を持った護衛が付いて、徒歩で歩く。
しばらく時間が経つと、休んでいた他の五人と交代して、外で歩いていた五人は箱車で休む。
リーダー格と思しき、灰色髪の精悍な青年が周りの護衛たちに指示を出していた。
箱車はワマの四頭立てで仕立てられていて、積み荷が重くても問題なく進む。
ただ、急な坂道では乗客も降ろされて、一時的に歩かなくてはならない。
ずっと、中に座って揺られていると尻が痛くなるので、坂道でなくても、たまに外を歩いて風景を眺めたりして、のどかな旅を楽しんだ。
丘の上の手ごろな広場に商隊が停まる昼休憩の時間だ。
商隊に雇われている護衛たちが、大きな鍋を引っ張り出して、焚火を燃やし始めた。
彼等の様子を観察していると、どうやら、十人の護衛たちは料理を作ったり、荷物を運ぶ人足のような役割も兼ねているようだった。まあ、それはそうかと思う。旅の間何事もトラブルが無ければ護衛は、ただぶらぶら歩いているだけの人間になってしまう。
食事を作る様子を見ていると、鍋に水を入れて、そこに雑に切った芋を放り込み、手で裂いた干し肉を上から散らしている。
それ以外の食材や調味料は何も使っていなかった。
「おい、見ろよ。あれを頼まなくて正解だったな」
と、少し優越感を感じる。
「で、私たちは何を食べるの?」
「これだ」
小分けにしてあった袋から今日の昼分の食事を取り出す。
ずっしりと硬くて重い黒パンだ。
それを半分に力づくでへし折って、片方を英子に渡す。
「ねえ、これ、あっちの食事よりましなの?」
黒パンを見つめて英子が眉間にしわを寄せ、俺を睨む。
「それだけじゃない。チーズもあるぞ」
と、岩の様に固いチーズを取り出し、また、力ずくでへし折って、その半分を英子に渡す。
「こんなの食べたら、歯が折れちゃうってば」
「えっ、駄目か?」
「何か柔らかい食べ物は無いの?」
「無い!」
「最悪…、貴方に食料の買い出しを任せるんじゃ無かった」
「何を言う。柔らかい食べ物なんか買ったら、半日で腐って、結局捨てることになるんだぞ。俺はちゃんと、食材店の人間に話を聞いて買ったんだ」
「とにかく、こんなの嫌。もっとちゃんとしたものが食べたい」
「我儘を言うな」
「我儘じゃ無いわよー…、こんなのやだってば―…」
言いながら英子の目に涙が浮かんで来る。
本当に嫌そうだ。
俺は途方に暮れた。
こんな事なら何か果物でも買っておけば良かった。
どうしたものか…。
「少し待ってろ」
俺は目を閉じて、視界を鳥に移す。
そのまま羽ばたいて、上空を飛ぶ。
(おお、高い、高い)
怖くなるが少し飛んだらすぐに慣れた。
鳥の目で辺りの山々を眺める。
山の奥に川があった。
その比較的流れの緩い所を上から見ると、大人の二の腕ほどもある大きな魚が悠然と泳いでいるのが見えた。
それに向けて鳥を急降下させる。
(いけるか?)
魚の後方の視覚から、滑るように水面に迫る。
両足の爪を広げて魚の背中にしっかり食い込ませて、そのまま上に跳び上がる。
かなり大きな魚だったので、重いかと思ったが、鳥は弾ける様に上空を舞った。
(あ、軽い)
凄い、パワーだ。
どうもこの鳥は、羽ばたきだけで飛んでいるのではないようだ。何か魔術の力で浮き上がっている感じがする。この感じだと短時間なら人間も持ち上げられるかも知れない。
魚を抱えて、そのまま高く上がる。
辺りの風景見回して、商隊の休んでいる丘を探す。
炊事の煙で、すぐに場所は分かった。
一直線にそちらを目指す。
ぐんぐん進み、自分が目をつむって座っているのが見える。その前に魚を落として、一度飛び去り、側の木の枝にとまる。
人間の体で目を開けた。
「よし、この魚を食おう」
と、鱒の様な魚を持ち上げる。
「わ、これどうしたの?なんか上から落ちて来たけど、あの鳥?鳥が獲ったの?」
「そうだ、よく仕込んであるだろう」
「でもなんか生臭そう」
「焼けば、大丈夫だ」
俺はナイフで魚の腹を裂いて、内臓を出す。
背骨の内側に沿った血合いの部分を、ナイフの先で良くこそぐ。
魚の腹が血で赤くなる。
鳥を呼んでもう一度魚を掴んで跳び上がり、またさっきの川に行く。
そこで血まみれの魚を水に浸して洗ってから、また戻る。
(うん、きれいになった)
それを、手ごろな石の上に一度置いて、ナイフで頭を落とす。
そして、背骨に沿って、ナイフを入れて、尾に向かって、一気に切り開く。
これで半身がきれいにはがれる。
それを裏返してもう一度背骨に沿ってナイフを入れる。
魚の背骨部分がはがれた。『大名おろし』という、技術の要らない簡単な切り方をしたので、背骨に沢山身が残っているが、魚が大きいから、そのくらいは捨ててしまっても構わない。
切り取った半身に塩を振って、中と外に荒引の胡椒を振った。それから、乾燥した香草をまぶす。その辺の木の枝をへし折って、その半身を縫い付ける様に刺す。
枯れ枝を集めてそこに火をつけた。
火種は、火の魔術具を使って付けた。
自作の物で、見た目はジッポーのライターに似せてある。
蓋を開ける時に『シャコン』と金属のこすれる独特の音がするのを再現するのが、なかなか大変だった。
焚火の端の地面に魚の串を突き刺して焼く。
片側が焼けたら、反対に返してよく火を通す。
香ばしい匂いがしてくる。
火があるのでついでに小鍋に湯を沸かし、その中にチーズを投入した。
固いチーズが湯の中で柔らかくなっていく。
ちなみに、この世界でもチーズは『チーズ』という。
ヒューリンさんが何世代にもわたって、酪農家に自分の為のチーズを作らせていたので、それが『エルフ語』として広まって定着しているのかもしれない。
「よし、いいぞ。食べよう」
魚の半分を英子に渡す。
「ありがとう」
素直に受け取る英子。
「見た目は悪いが、香辛料と香草をふんだんに使った贅沢な品だ。旨いぞ」
まず、俺から毒見代わりに魚にかぶりつく。焼けた大きな身が崩れて、口の端からこぼれるのを手で受ける。
ふわふわの白身に塩と香辛料がきいていてとてもさっぱりした味でとても旨い。
英子も続いて食べた。
「これ、いけるわ。おいしい」
と泣きべそだった顔が明るくなった。
良かった。
それにしても、たかが食べ物の事で英子が泣くとは思わなかった。
もっと、タフな女かと思った。
固い黒パンをチーズスープに浸して、柔らかくして食べると、中々濃厚でおいしい。
「ほら、これはこうして食べるんだ。ちゃんと食べ方があるんだ」
見本を見せると英子は真似して同じように食べた。
「どうだ。結構食べられるだろ」
「うん…。何とか食べられる。でも魚が一番おいしい」
と、少し悔しそうな顔をする。
人心地ついて、食休みをしていると、少し離れたところから、みすぼらしい子供が、こちらを見ていた。
くすんだ茶色の髪をしたその男の子は俺の前に歩いてきて立ち止まった。
「あんた」
と俺に呼びかける。
「なんだ」
「それ、要らないのか?」
と俺が捨てた、魚の頭と、背骨部分のアラを指さす。
「ああ、それは捨てた。要るか?」
「ああ、くれ。それと、その火も使わせてくれ」
「ああ、いいぞ」
俺が許可を出すと、子供は火の横に石を置いて、その上に魚の頭を乗せた。肉のたっぷりついた背骨は枝に刺して手に持ったまま火にかざす。
火力が強いので、背骨のアラはすぐに焼けた。
歳は7~8歳くらいだろうか。子供は焼けた背骨のアラにかぶり付く。旨そうに骨の周りの肉を歯でこそいで食べる。
「おい、これを使え」
岩塩の粒の入った小袋を子供に投げてやる。
「えっ、いいのか?」
「ああ、その袋はやる。大事に使えよ」
と言うと子供は石の上に岩塩の粒を一つ乗せて、上から小石で叩いて砕いてから、魚のあらにかけて食べた。
「う、うまい」
夢中で食べている。よほど腹が減っていたのだろう。
箱車の隅にこの子共が座っていたのは知っていたが、誰か大人の連れが居るものと思って、大して気にして居なかった。この子供はどうやら一人旅をしているようだった。
背骨のアラを食べ終わり、次に魚の頭を食べ始める。
口から小骨を噴き出しながら、慌てふためいて食べる。
食べ方が犬のようだ。
「これも食べる?」
英子が自分の半分飲んだチーズスープを子供に差し出す。
「いいのか⁉」
子供は魚の油で手をべとべとにしながら木の器を受け取り、ズルズルと音をたてて飲む。
「これも食べるか?」
俺も三分の一に減った黒パンを子供に差し出した。
「いいのか!?」
子供はその黒パンをひったくるようにして掴み、夢中でかぶり付く。
俺は英子と顔を見合わせた。
「ねえ」
俺にアイコンタクトをする英子。
「ああ、仕方ないな。おい、子供」
声をかけると子供は目玉だけぎょろぎょろさせてこっちを見た。
「なんだ」
妙に態度がでかい。
「お前、動物の肉は捌けるか?」
「ああ、出来る。でも刃物を持っていない」
「刃物はある。実は俺は動物の捌き方を知らん。獲物を捕まえたら、お前が捌いてくれ。それで、飯を食わせてやる」
「ホントか!?ホントだな⁉やる!動物をばらすのなんか簡単だ!じゃあ、獲物を捕まえたら呼んでくれ」
あっという間に食べ終わり、木の器をその場に置いて、そそくさと離れて行く。
その背を目で追うと、五メルスほど先に離れてごろりと横になっていた。
野生児だ。
「また、変なのの世話が増えたな」
「またって何よ。でも見過ごせないでしょ。あんな子供がお腹すかせているのよ」
「ああ、腹が減るのは辛いものだ。人間、飯を食えないと、心がすさんでくるんだ」
「まるで、貧乏だったことがあるみたいな事を言うのね」
「五歳くらいの子どもの頃、腹が減って死にそうになったことがある…」
「…あのヘーデン家のお坊ちゃんがねぇ…。あなたの所も色々あったのね。いい噂は聞かない商会だけど」
英子は変なふうに誤解した。しかし、それをあえて訂正する気にもならなかった。
商隊はその日の日暮れ前に次に町に着いた。
乗客が箱車を離れて、近くの宿に散っていく。
俺と英子も箱車を降りる。
あの子供は箱車の中に残っている。今日はそのまま箱車で寝るつもりのようだ。
「ねえ、あの子、今晩は何も食べないみたいよ」
気にして英子が俺の袖を引っ張る。
「分かってる。でもタダで食わせるのは駄目だ。そうしたら、あいつがそれに味をしめて、誰にでもたかるような人間になる。何か仕事をさせてから食事をやらないと駄目なんだ」
「それなら、何か仕事をさせてあげようよ」
「今からか?じきに日が暮れるぞ。今日はお前も疲れただろう。宿の食事を食べてゆっくり休みたいだろ?」
「でも、あの子が今夜一晩お腹を空かせてあの箱車の中で寝ていると思うと、胸が苦しくなるの。こんなんじゃ、何を食べてもおいしく感じないわ」
「はー、仕方ないなぁ」
俺は側に転がしてある空の木箱の上に座って目を閉じ、肩の鳥を町の外に向けて飛ばした。
そして、三十分後。
「おい、仕事だ」
と箱車の中で横になっていた子共に声をかける。
「ホントか!?」
子供が跳ね起きる。なかなかフットワークが軽い。
「ほら、これをすぐに捌け」
子供の目の前に二匹のワマウサギを放り投げた。
「でかいな。刃物を貸せ」
「これだ、よく切れすぎるから、注意しろ」
と、ヒューリンさんに貰った、自動修復機能付きの魔鋼の短剣を子供に渡す。
「凄い短剣だな」
と、子供が驚いている。
そう言われて、今更ながらこの短剣の価値に気付いた。
柄の一部が開閉式になっていて、小さな魔石が入れられるようになっている。この魔石の魔力で刃こぼれしてもすぐ自動修復される逸品だ。
「貰いものだ。大したものじゃない」
慌てて誤魔化す。
「ちょっと待ってろ。ここの水場でこれを解体すると周りが汚れる。街の門の前に奇麗な小川が流れていた。あそこで血を洗いながら、バラしてくる」
と言い残して、子供が歩き去る。
そのまま短剣を持って逃げるかも知れない。
短剣を渡したのは失敗だったかも知れないと、後悔し始めた。
しかし、そんな心配をよそに、三十分も待っていると、何事も無かったかのように子供が帰ってきた。
「よく切れる短剣だった」
と、俺に短剣を返す。疑った事を申し訳なく思った。
「内臓と頭は川に捨てた。血抜きをして皮をはいである。皮は要るか?この後どうする?」
「皮は寄こせ。そこの食堂の人間にでもやる。これから肉を丸焼きにしてもらうから、お前も来い」
「飯か!やった、今夜は食えないと思ってた」




