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83 新しい朝が来た

目が覚めると、朝だった。


外が明るい。


数時間寝て、すぐに出発するつもりだったが、思いがけずぐっすり寝てしまった。


カバンから鳥を出して、また右肩にとまらせておいた。


女神像の向こうを覗くと、英子が口を開けて爆睡している。


追われているのに、緊張感のない奴だ。


「おい、起きろ」


と声をかける。


起きる様子が無いので、肩をゆすってやった。


「んあ?」


英子が目を開ける。


「起きろ。朝だ」


「朝?何?」


寝ぼけている。


「ハー…、呑気な奴め。起きないなら置いていくぞ。三十秒後に出発だ」


「えっ?ちょっと待ってよ。起きるから」


と言い、もぞもぞと体を起こす。


「あーよく寝た。こんなにぐっすり寝たのは久しぶりよ。ここ数日、ほとんど寝てなかったの」


「おい、頭ぼさぼさだぞ。それからその『縦ねじり』の髪は何とかならないのか?貴族丸出しだぞ」


「あー、これ?邪魔だよね。何か切るものある?」


英子は自分の髪を手に取って見つめる。


「いいのか?きれいな髪だし、服に隠すだけでもいいんだぞ」


「いえ、いいの。髪色を変えて短くすれば、私ってばれないでしょ。この縦ロールは私の目印みたいなものだから、切った方がいいのよ。その刀貸して」


「短剣がある。自分では切りづらいだろ。俺が切ってやる」


「え、いいの?それならお願いするわね」


「よし切るぞ」


と、宣言してから俺は座っている英子の周りを二三回ぐるぐる回って、状況をよく確認する。


「何してるの?」


「いや、全体をよく見て、短くした時の雰囲気を掴もうとしている」


「随分慎重なのね。切ってくれるって言うから、がっと掴んで、バサッと一気に切るかと思った」


「そんなわけないだろ。女性の髪を切るんだ。慎重に慎重を重ねる必要があるだろ。俺は自分で自分の髪を切っていた時期が長いんだ。(前世での話だが)だから、髪を切るのは結構うまいぞ」


イメージが固まって、切り始める。


あまり、切り過ぎると、修復がきかなくなるので、肩の上までの長めのナチュラル系ボブカット風にしようと思う。ナイフを髪にあて、上からこするように何度も上下させて少しずつ切る。


(他人の髪を切るのは緊張する)


後ろは、そこそこいい感じに自然に切れた。縦ロールの名残で、毛足がクルリと緩くカールしている。前髪とサイドの処理に悩む。眉に掛かるくらいに前髪を作ってみる。少しぱっつんになってしまった。しかし、ここから修復しようとすると、どんどん短くなってしまって、おでこが丸出しになりそうな気がしたので、この辺でやめておく。


そこから、サイドは少しずつ斜めって、流れていくような感じに仕上げる。


うん、まあまあいいか。俺は美容師では無いのだ。左右の長さがちゃんと合っているだけで感謝してもらわなければならない。


「フー…」


と一息つく。


「終わったぞ。後で、街のどこかで鏡を見ろ。苦情は受け付けないからな」


「うん、なんかいい感じね。こんなちゃんと切ってくれるのね。床屋が開けるわよ」


「金を貰える水準ではない」


「随分謙虚ね。髪結いの中には、切るのがあなたよりずっと下手な人も沢山いるよ」


「女性の髪結いはまだましだろ。男の床屋なんか酷いもんだぞ。鍛冶屋で新品のハサミを手に入れただけで、なんの経験も無く床屋を始める奴なんかごろごろいるぞ。そういう床屋は、値段は安いが、どんな髪形を注文しても、全部同じ頭にされる。長さがバラバラなの当たり前だし、横半分切っただけで、途中で昼飯を食いに行く奴もいるという話だ」


「嘘だー」


「嘘ならよかったがな。まあ、信じなくてもいいぞ。試しに街中の床屋を使ってみれば、すぐにわかるからな」


「そんな床屋にお客が来るの?」


「安いからな。それと、貧しい庶民はハサミなんか持ってない。言っておくが、ハサミは庶民にとって、高級品だぞ。お前は、古い錆びたナイフで髪を切ったことが無いだろ?あれは地獄だ。切れない刃物で髪をごしごししごかれた時の頭皮の痛みは半端ない」


「そうなのね。それならますます床屋をやるべきよ」


「気が向いたらな。それより行くぞ。とりあえず朝飯を食べてから、この街を出る方法考えよう。昨日の夜、外で待ち伏せしていた連中は三人しかいないみたいだったな。この広い賑やかな港町で、人探しは大変だろう。髪色も代えたし服も地味でありふれたものだから、目立つ事も無いだろう」


「お腹すいた…」


女は立ち上がる。


俺より頭一つ背が高い。


ミーファと同じくらいだ。


嫌な思いがぶり返してきた。


俺は足元に散らばった長い金髪を、厚手の布袋に拾って入れた。


「えっ、それどうするの?捨てときなさいよ」


「神殿の中を汚すわけにはいかないだろ。それに、こんなに長くてきれいな金髪なんだ。何か使い道があるかもしれない」


「何かって何よ」


「それは分からん」


「変な性癖無いわよね?」


「馬鹿か!お前の髪なんかどうでもいい。こんなに長く伸びた髪をそのまま捨てるのは、もったいないと思っただけだ」


「ただの貧乏性だったね」


「世の中には薄毛で困っている人も沢山居るのだ。その人たちがこうして捨てられた髪の毛を見たらどういう気がするか、お前は考えたことが無いだろ」


「あるわけないじゃない。阿保なの?ねえ、あなた、実は阿保なの?」


貞操の恩人に失礼な奴だ。


そう言えば前世の俺も生え際、やばかったな。


一度、ロン毛にして髪を後ろでくくったことがあるけど、不細工な俺がああいう髪形をしても決してワイルド系にはならないのだ。鏡の中には、ただの無精なこ汚いオジサンが居るだけだった。毛量の少ない髪がワカメみたいに頭皮に斜めに張り付いていて、水から上がった水死体といった趣だった。

それはいいとして、切った髪の使い方としては、日本の昔の人は、裁縫の針を刺す『針山』の中に、髪の毛を入れたそうだ。油分のある髪の毛の針山は針がさびにくくていいらしい。

針は錆びると折れやすくなる。針が貴重品の時代には、錆を防ぐ自然物として、切った髪が丁度良かったのだろう。おばあちゃんの知恵袋だ。


女神像の前の小さな祭壇に半銀貨を一枚お供えして、小さな神殿を出る。


この小さな丘を下って、そのふもとの飯屋に入る。


鳥を飛ばして店の入り口の屋根にとまらせる。店の前の人通りを少し確認してから、意識を自分に戻した。


周りを見るとみんな同じものを食べている。


炊き込みご飯の様な物に、肉の煮込みをぶっかけたものだ。


俺の心がざわめいた。


席について待つ。注文もしないのに、皆と同じ皿が目の前にドンと置かれた。


「これって、お米じゃ無いの?」


と英子。


「初めて見る食べ物だ。旨いのかな?」


と言ってみた。


「ITADAKIMAーSU」


日本語で言って、英子が食べ始めた。


俺はその『いただきます』にわざと知らん顔をした。


「んー、おいしい。香辛料がきいてて、異国風だけど、間違いなくお米よ。さすがは港町ね」


俺も、後から匙を使って食べる。


(ん-、うまい。お米だ。ジャポニカ米とは少し違うけど、香ばしいぷりぷりのお米だ。こんな料理があるなんて知らなかった。王都では見た事が無い。何処の国の料理だろうか?)


店の中を見回す。


浅黒い肌で掘りの深い、南国風の男たちが客に多い。


(南の国の料理らしいな)


英子も俺もお代わりして二皿同じ料理を食べた。


「ふー、ぜんぜん大した事は無いな。本当に大した事の無いつまらん食事だった」


満足して椅子の背もたれにふん反り返る。


「あなた、思っていることと違う言葉が口から出る呪いにでも掛かっているの?それとも、ただひねくれているだけ?」


「これはなんていう国のなんていう料理かな?壁の字が異国の文字で読めん。お前読めるか?」


「無理。ファルサス帝国の公用語『スーラ語』なら普通に話せるけど、他の小国の言葉は知らない」


「帝国語話せるのか?凄いな。俺は、王国で話されている標準語の『ラーケイ語』しか話せないぞ」


「『ラーケイ語』が話せれば『スーラ語』は簡単よ。元々『ラーケイ語』は『スーラ語』から派生してるから、文法はほとんど同じだし、単語もほぼ一緒なの。違う言語と言うよりは、地方の別れた方言と言った方がいいかも」


「ふーん、そうなのか?あとは、古代エルフ語の単語を少し知っている」


と言うと英子はフッとニヒルに笑った。


「あなたたちが古代エルフ語だと思っている『あれ』、本当はエルフと何の関係ないのよねー」


訳知り顔のドヤ顔で、英子が言う。


俺も当然知っているが、そんな様子は出さない。


「古代エルフ語でないならなんだっていうんだ」


「あれは、異世界語なの。日本と言う国に別の国から入ってきた言葉を、日本風に取り込んだ『外来語』と言う言葉よ」


「と言う妄想をしているんだな。逃げる時に頭をぶつけたようだな」


「はいはい、その反応分かってまーす。いつもこの感じでーす」


英子が投げやりに言う。


「お前、前世ではどんな人間だったんだ?」


「普通のOLよ。小規模の胡散臭い貿易会社で事務員をしていたわ。従業員が少なかったから、会社の中の事は掃除から、フォークリフトの運転まで、なんでもやったわよ」


自慢げに言う。


(ふん、フォークリフトの運転なら、多分俺の方が上手いぞ。まあ、運転をミスって事故って死んだけど)


「その、異世界からどうやってこっちに転生して来た?」


「んー、あっちで通り魔に刺されて、死んだの。それで気付いたら貴族の赤ん坊になってた」


「お前、まさか中身はドーテーのおっさんじゃ無いだろうな?もしそうなら、心の底からエンガチョだぞ」


「だから、OLだったって言ったでしょ」


(オールド・ロリコンかもしれん)


と言葉が出かかったのを、なんとか途中で止めた。


「おーえるって何だ?」


「会社の事務所で働く女性の事よ」


「女中か?」


「ちょっと違うけど、まあ、似たようなもの。この世界だと、お城や公共施設の女官が近いかな。あとは商家の会計役とか」


「会計が出来るのか?」


「前世では、簿記2級よ。と言っても分かんないかぁ」


「算盤は使えるのか?」


「出来ないわよあんなの。電卓しか使ったこと無い」


「でも、すぐに覚えられるだろ」


「めんどくさい」


「横着な奴め」


「だって、貴族の家に生まれたんだから、しょーがないじゃない」


「そういう問題ではない。貴族でもやる奴はやる。単純にお前が怠け者なだけだ」


「ひどい。地味な顔して、結構毒舌ね」


「地味は余計だ」


「そんな態度だと、女の子にもてないわよ。彼女が出来ても、どうせすぐに振られちゃうからね」


「うぐぐぐぐー!ふぐー、ふぐあー!」


「えっ!どうしたの?泣いてるの?ひょっとして図星だった?」


「違うぞ。ふぐー!これは心の汗が、ふぐー!目からこぼれただけだ!ふぐー!」


「ああ、悪かったわよ。まさかそんなにタイムリーな話と思わなかったんだもん。許してね。悪気は無かったのよ。失恋、辛いわよね。といっても私は前世でも、今世でも、モテモテで振られる人の気持ちなんて分からないんだけどね。今回、婚約破棄はされたけど、あいつは嫌な奴で、嫌いだったから特に傷ついて無いし」


「この野郎、ムカつく!俺だってこんな地味な顔になりたくてなったんじゃないわい!俺も爽やかな美男子がよかったわい!」


「だから、謝ってるじゃない。ごめんねって」


「傷口に塩を塗りつけながら謝られても誠意が伝わらん!」


「じゃあ、どうしたら許してくれるの?」


「絶対に許さん!ふぐー!」


「もー、面倒な子ねー。あっ、今、店の前を凄いイケメンが通ったわ。肌の浅黒いニヒルなおじ様だった。キャー、朝からついてるわ」


「おい、俺を慰めるのは、どうした?イケメンがそんなに大事か?それで、貞操の恩人は放置か?それは、人として軽すぎるぞ」


「はいはい、かわいそうでしたねー」


と英子は棒読みのセリフでぞんざいに俺の頭を撫でる。


「くそっ、もういい!」


その手を払い、立ち上がる。


「行くぞ」


勘定を払い、店を出る。


取りあえず、店の側の路上の古着屋で、フード付きのボロマントを二着買った。


もう一着はそのまま英子に渡した。


俺はもう一着のマントの裾をナイフで切って自分用に短くする。


「それで、顔を隠すんだ。まずは歩いて街を出よう。街道に出たら、次の町への駅マ荷車に乗ろう」


「次の町って、何処に行くの?」


どうするか迷った。東は、小国をいくつか挟んで帝国へ道が続いている。街道沿いには大きな街が多い。

北はラグナ王国領土が辺境までずっと続いていて、北限の辺境では川を挟んで蛮族との小競り合いが今も続いている。


西にはかつて帰順を拒む小国のヤマ王国があったが、十年ほど前に既に平定が終わって、今は『属領ヤマ』になっているという。その属領の先は、魔の森の大原生林地帯が広がっているだけで、人の住める版図はこの属領ヤマまでで終わっている。人口も少なく大して発展している地域では無いが、王都への木材の供給をになう面でこの地域は重要な意味がある。…と、やる気のない家庭教師が言っていたのを思い出す。


ラグナ王国のどの地域にも騎士団の駐屯所があり、王国関係者の貴族が派遣されて居る。


あまり、王国の関係者が居るところには行きたくない。


英子も追手が掛かっているようなので、王国の関係者は避けたいだろう。


西の属領は王国領地のどん詰まりで、他領からの侵入者の心配も無いから、騎士団も派遣されていないらしい。かつて滅ぼされた、元の王族がそのまま王国貴族になって統治を任されているだけだ。


辺境のうらぶれた開拓地と言うのは、今の俺の心境にも合っている。


「よし、西だ。西の属領ヤマへ行こう。反論は受け付けない」


宣言して俺は街の西に向かって歩く。


港街オスリアはラグナ王都に近く、治安のいい街なので、街の周りに城壁などは無い。


下手に城壁を作ると街の発展の邪魔になるし、維持管理の費用も馬鹿にならない。


俺達二人も徒歩で何となく西方向に街を出る。


暫く歩くと、細道がいくつか統合されて、道の数が少なくなっていく。


舗装された石畳の側に座って、西へ向かう『駅マ荷車』を待つ。


少しすると、それらしい大型の箱車がゆっくり走ってきた。


ワマの二頭立てで、屋根の上に、雑多な荷物が満載されている。あんなに重くてワマ二頭で大丈夫なのだろうかと心配になるが、こういうのは街ごとに元気なワマが居て、ワマを替えながら交代で進むようなので、それほど心配はいらないのかも知れない。


もしくは、この箱車は次の町までで、またオスリアへ戻る往復便かもしれない。


手をあげてその大型の箱車を停める。


乗り込むと、この駅マ荷車はやはり、次の町で乗り継ぐ必要があるようだった。


西の属領首都『ヤマ』までの長距離便は、ここから三つ先の町から乗れるという。


乗り継ぎが面倒だが仕方がない。


そうして夕方に三つ先の町に到着して、その場で翌日の長距離便の予約をした。


半金を二人分払って、そのマ荷車の停留広場のちかくに宿を取る。


一日、駅マ荷車に揺られて疲れたので、少し高めの宿にした。


一応、隣に続いた二部屋を取った。


英子が不安そうな顔をしていたが、そこは無視した。


「何かあったら叫べ。俺は耳がいいから隣の音も聞こえる」


とだけ言って自分の部屋に籠った。


すぐに部屋を誰かがノックする。


空けると英子だった。


「夕食に行きましょうよ」


「食事くらい一人で出来るだろ。俺は疲れてるんだ」


「一人で食べるなんていやよ。こんな知らない場所で私みたいな美人が一人でいたら、すぐにさらわれちゃうわよ」


「顔を隠せ」


「顔を隠したら食べられないじゃない。意地悪言わないでよ」


俺はため息をついて、部屋を出た。


「ねえ、あの変な形の剣は持って行かないの?」


「食事をするのに剣なんか要らないだろ?」


「えー、ごろつきが来たらどうするのよ」


「来ないから心配するな。お前は酷い目に会って疑い深くなっているだけだ。そうそう変な連中は居ないから心配するな」


「えー、ホントに?ちゃんと私を守ってよ」


怯える英子に呆れつつ、宿の外に食事に出る。


鳥は部屋に残しておく。


部屋を取った宿には食堂が付いていなかった。


宿場町の宿で一階に食堂があるのは便利な反面、遅くまで飲んだくれる人間が居て、うるさかったりする。柄の悪い人間が長時間たむろしたりするのを宿側が嫌って、わざと食堂を併設しない事もあるらしい。


宿のすぐ前に、大きい食堂がある。中を覗くと、客も沢山入っている。


飲んでいる人間も一定数居るが、ぱっと食事だけして宿に戻れば問題は無いだろう。


……と、思っていたことが私にも在りました。

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