81 ミーファとヒューリン
段取りどおりにマリスさんが私に愛の告白をした。
彼の顔は緊張で青ざめている。
私も、それに答えて愛の言葉を大声で言う。
マリスさんがぎこちなく立ち上がり、私の体を抱きしめた。
私も抱き締め返す。
「ミーファ、苦しい。力が強い」
と小声でマリスさんが言う。
「あ、ごめんなさい」
戦いの余韻でつい強く抱きしめてしまったようだ。
これをいつまでやればいいのだろうか。
観客席を見回して、その様子を伺う。
みんな嬉しそうに声援をくれている。
もう少し、続けた方がいいのだろうか。
目を貴族席に向ける。
中ほどの少し遠い席に鮮やかな金色の髪の輝いているのが見えた。
目に身体強化をかけてその辺をよく見る。
マリエル母様だ!
(観に来ていてくれたんだ!)
嬉しくなるが、マリエル母様の表情が曇っているのが分かった。
今の自分の姿を思い出した。
よく見ると、母様の側にベスさんと、モンマル伯父様の姿もある。
私は慌てて、マリスさんから体を離した。
(ガルゼイ様は?)
目線を少し上に上げる。黒髪の後姿が、出口に向かって階段を昇っていくのが見えた。
(見られた⁉よりによって、マリスさんと抱き合っているところを?…なぜ?バルドさんは、今日、ヘーデン家の人たちが誰も見に来ないように、手配すると言っていたのに。…なんで?…嘘だった?…騙された?)
ガルゼイ様の後姿が遠ざかり、出口の先に消えて行った。
(会わなきゃ……。説明して分かってもらわないと……)
その夜、祝勝会から抜け出して、私は新市街の、ヘーデン家の屋敷に向かった。
頭巾付きの黒い長衣で体を覆って、目立たないように、家々の屋根の上を飛び移りながら移動する。
ヘーデン家の屋敷に着いて、塀を飛び越える。
二階のガルゼイ様の部屋の出窓に、一跳びで着地する。
窓を押すと、鍵はかかっていなかった。
軋みながら内側に開く。
部屋の中は真っ暗だ。
天蓋付きの寝台の中に人の姿は無い。
何処へ行ってしまったのだろう。
そのまま、棒立ちになっていると、部屋の隅の暗がりに人の気配が現れた。
「ガルゼイ様⁉」
と声をかける。
その人影はゆっくりと立ち上がる。
背がとても高い。
ガルゼイ様ではない。
「誰⁉」
と警戒した。
暗闇の中から、その人物が歩み寄る。外の月明かりに照らされて、その顔が見える。
美しい人だ。人間離れした美貌。
金色の長い髪が、ほのかな月明かりの中で、幻想的に揺らめく。
今までこんなに美しい人は絵でしか見たことが無い。
彼女の耳は横に長く尖っていた。
(人間ではない?まさか女神様?)
夢の世界に迷い込んでしまったのかと錯覚した。
「始めまして」
とその人物は口を開いた。
声も美しい。
「私はエルフのヒューリンと言います。今はこのラグナ王都の魔導研究所で客員教授をしています。ガルゼイ君とは……、魔術の師弟とでも言うような関係です」
と落ち着いた様子で微笑む。
「あ、私は…」
「知っています。ミーファさんですね。あなたの事はよくガルゼイ君から聞いていますよ」
「あ、そうです、私はガルゼイ様に会いに来たんです。話して、誤解を解かないと…。今、ガルゼイ様は何処に?」
「彼は行ってしまいました。もう、ここに戻っては来ません」
「えっ!そんな!なんで?」
と驚いていると、エルフのヒューリンさんは少し首をかしげて、不思議そうに私を見つめる。
「それを、あなたが訊くのですか?彼がこの王都を去った理由は一つしかありません」
「あ、あれは違うんです!嘘なんです!彼がどこに居るのか教えてください!」
「会ってどうするのです?彼は決意して去ったのですよ。この上、更に彼を苦しめる気ですか?」
と冷静に返される。
「私は彼を愛しています!」
「それを、ガルゼイ君に知らせてどうなるのです?二人で駆け落ちでもしますか?それが出来るのですか?そしてそれを彼が望むと?あなたがヘーデン家から離れて、別の世界で幸せになる事を彼は望んでいます。その彼の想いを無にすると?あなたはそこまで彼の気持ちを考えず、己の欲望のままに前に進むと?」
「うるさい!何も知らないくせに!」
ガルゼイ様の心の内を私より詳しく知っているように彼女は言う。
私とガルゼイ様は心でつながっている。
こんな他人にあれこれと余計な事を言われたくはない。
私は腹が立った。
私の邪魔をするこの人が憎い。
このエルフのヒューリンさんを殺してやりたくなった。
黒い感情が込み上げる。
私の体が白く発光する。
「自分の力に飲まれています。そうやって、意に沿わない者を力で排除することに慣れ、普通の人間から暴君に変じるのです。それは修羅の道です。自覚して己の身を振り返りなさい」
と、冷ややかな言葉で彼女が私を見つめる。
全身に冷水を浴びせられた気がした。
身体強化の光が消える。
「それなら、私はどうすれば…」
「他人に訊いて簡単に答えが得られるのですか?考えなさい。そして、悩みなさい。その先に答えはあるかもしれないし、無いかもしれない。全てはあなた次第です」
「酷い人です…」
「ええ、私は他人に優しくありません。と言うより人の営みには干渉しないようにしています。ただ、ガルゼイ君に関しては、別です。彼は何か大きな『宿命』の輪の中に居ます。それが何か、私は見届けなくてはならない。場合によっては私の手で彼を消し去らなければならないかもしれません」
「あなたもガルゼイ様を殺したいんですか?」
「まさか。逆です。あの不憫な魂を救いたいのです。私はあの者に愛着を持っています。できればこの手にかけたくはない。だから、しっかり見ていなければならないのです。ただ、今回の事で、彼の心と『魔』の者の同化が進んでしまいました。自分への絶望が彼の中の『魔』を育てるのです」
「私が彼を助けます!」
「まあ、やって見なさい。忠告はしました。あなたの想いが更に彼を苦しめて、『魔』の側に追いやらなければいいのですが…」
と言うと、彼女は滑るように後ろの暗がりの中に身を沈め、そのまま気配も消え去る。
暗闇に目を凝らしても、人の姿は何処にも見当たらない。
彼女は煙の様に居なくなってしまった。
謎々の様に私の理解できない事ばかりを言うだけ言って、勝手に来て、勝手に居なくなった。
訳が分からない。
「ガルゼイ様……、今どこに居るの?」
どうしたらいいのか分からず、途方に暮れて、その場でただ立ち尽くす。
胸の中に大きな空洞が口を開けている。
その中を空虚な乾いた風が吹き抜けていくようだった。