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80 俺、逃げる

ミーファの試合は週末の午後の部の最終試合で、その時間帯のメインイベントだった。


その後に、夕食休憩をはさんで、夜間の部が開催される。


夜の部では、その日の本当のメインイベントの試合が組まれており、人気剣闘士や、魔法闘士による重要なタイトル戦などが繰り広げられる。


新人のデビュー戦としては、ミーファの試合は破格の扱いだった。


対戦相手も、名の知れたベテラン有名魔剣闘士だ。過去、数々の大会で優勝経験のある実力者で、普通は新人が初戦で試合を組める相手ではないとの事だ。


それだけ、ミーファへの期待が大きいのだろう。


普通なら、勝てる相手では無いが、ミーファならやってくれるのではないかと言う期待がある。闘技場の入り口で掛け率を見ると、8対2で、やはり対戦相手の『獅子王ベルン』と言う魔剣闘士方が圧倒的に有利だった。それでも、2割の人間がミーファに掛けているのが新人に対しては多すぎるくらいなのかもしれない。少しでもミーファの掛け率を上げるために、王国金貨10枚をミーファに賭けた。恐らく、これは紙くずになるだろうが、ミーファへの選別代わりと思う事にする。


この闘技場は王都一の威容を誇る、巨大な物だ。


その外観は古代ローマのコロッセオを連想させる。


中には、障碍者や老人用などの足腰の弱い人間が使える、魔導昇降機も設置されている。


貴族の中にはこれを使いたがる人間もいるそうだが、健全な成人が、階段を使わないのは『恥』とされる価値観がこの世界にはあるようだ。


それでその昇降機を横目に、太った運動不足の貴族達は、ひいひいぜいぜい言いながら、長い階段を登って観客席に向かっていく。階段を転げ落ちないように、後ろから奴隷や召使に太った尻を押してもらいながら、そっくり返って歩みを進める姿を見ていて、つい意地悪くにやけてしまった。


我が家の観戦メンバーは、俺と母マリエル、モンマルに侍女のベスさんだ。ベスさんは観戦を遠慮していたが、俺が強引に連れてきた。ミーファに親身になって世話をしてくれた彼女にもぜひ、ミーファの晴れ姿を見て欲しかったのだ。


モンマルがベスさんの手を引き、俺が母マリエルの手を引いて階段を昇る。


観客席の貴族エリアの中央から少し後ろ寄りの離れた場所に俺たちの席はあった。


ここからでは闘技場の人間の姿は小さくしか見えない。


誰が誰だか、顔の判別もつかなさそうだ。


前世の野球場のように大型ビジョンが設置されているわけでは無いので、それは仕方がない。


新人はともかく、有名剣闘士は自分のカラーの派手な軽装鎧を身に纏って、遠くからでも自分と分かるようにするらしい。


ミーファの場合は眩い銀髪に、抜ける様に白い肌ですぐに分かるだろうから、鎧が何でも大丈夫だろう。


闘技場の観客席は人でごった返していて、ほぼ満員だった。


いくら午後の最終試合とは言え、この時間帯で観客席が満員になるのは珍しい事らしい。


観客の入りがどうなるか心配だったが、ミーファの人気は間違いないようでほっとした。


次の試合開始の予定時間を告げる闘技場の魔術時計が、澄んだ鐘の音を高く響かせる。


カーン!カーン!カーン!カーン!カーン!カーン!


と、鐘の音が響く中、闘技場の中央から少し端に寄ったあたりの地面が二つに割れて、人一人分が乗れるくらいの地面がせり上がってきた。


その地面は地上三メートルくらい高くまでせり出して止まる。


そこには軽装鎧姿のミーファの姿があった。


白銀の美しい髪はまとめずに、そのまま兜の後ろから背中に自然な形でなびいている。美しい装飾で表面が立体的に盛り上がった防具。白銀の胸当てに小手、脛当て、腰当などを装備していた。太ももやお腹、二の腕、顔などは肌がむき出しで、防具は最小限に止められている。小手と胸当て頭の小型の兜の頭頂部には青い魔石が装着されている。あれを全て破壊されると負けになる。


気一つになったのがミーファの頭の兜から、長い触角の様な金色の羽根が二本立ち上がって、後方にたなびいていることだ。ミーファの頭が動くたびにその触角の様な羽根が左右に揺れる。


どこかで見た事がある。


記憶をたどって、思い出した。


(三国志の呂布じゃねーか…)


ミーファが会場の観客に愛想よく手を振る。


顔の表情はよく見えないが、多分笑顔なのだろう。


その時、ミーファから十メートルくらい離れた場所の地面が割れてやはり地面が下から盛り上がってきた。


そこにはライオンの様な金髪を兜の下から放散させた巨漢の偉丈夫が腕組をして立っていた。


真っ赤な軽装鎧を身に纏い、鎧の魔石は金色に輝いている。


「ふははははははははははは!」


と、その男、『獅子王ベルン』が大声で笑う。


音の反響をよく計算された闘技場に彼の声はよく響いた。


観客が聞き耳を立てて、闘技場の客席が静まり返る。


「お前が、近ごろ評判の『白銀の光巫女』か!どんな奴かとおもったら、ただの貧弱な小娘では無いか!お前などがこの私に挑もうなど、百年早いわ!私に弱い者いじめの趣味は無い。今日は勘弁してやるから、このまま家に帰って、魔剣闘士になるのなどはやめてしまえ!」


と、大声でミーファを叱りつける。


客席から不満そうなブーイングが起きる。


…と、今俺は仮に『ブーイング』と表現したが、正確には『べーイング』と言った方が良い感じだ。


各席のあちこちから『べー!』というヤギの鳴き声の様な声がする。


この世界ではこれが普通なのだろうが、前世の感覚では変な感じだ。


俺の側で、母マリエルと、侍女ベスさんも一生懸命に『べー!』と声を上げている。


なんか間抜けだ。


違和感しかない。


でも俺も小声で少しだけ『べー…』と言っておいた。


ミーファが手を上げて観客席の『べーイング』を制する。


その声が収まってからミーファがゆっくりを口を開く。


「獅子王ベルン様!私が相手ではご不満でしょうが、私もここで引くわけにはいかないのです!私には悲願があります!その悲願を果たすまで、この身を戦いにささげると固く誓ったのです。今日は胸をお借りします!とは言ってもここで無様に負ける気は有りません。この試合、勝つのはこの私です!」


と言って、両腰から二本のロングソードを引き抜いて、天に掲げた。


身体強化が発動してミーファの全身が白く発光して輝いた。


その美しさに客席がどよめく。


(二刀流か…)


普通の闘技者ではロングソードの二刀流は無理だろう、刀に振られて、まともな攻撃も出来ないはずだ。あの宮本武蔵ですら、右手に大太刀、左手に小太刀だ。


それが分かっている目の肥えた観客が『信じられない…』とつぶやいているのが聞こえた。


ミーファのロングソード二刀流はどうやら観客の度肝を抜いたようだ。


あの二刀流が、俺とモンマルの真似だったらいいなと希望的に思った。


手足の長いミーファが両手にロングソードを掲げ持つと、体が二倍に大きくなったかのように見える。


華が有る。これで人気が出ない理由が無い。


「生意気な!私の慈悲を無にするとは、その身に学ばせてやらないといけないようだな!」


とこちらも背中の大剣を引き抜いた。


紅い剣身に魔力が流れて、炎の様な真っ赤で鮮やかな文様が剣身に浮かび浴び上がった。


ベルンは高い足場から飛び降りる。直後、足場が地中に降りていく。


ミーファも飛び降りる。


「いいでしょう!この私の実力を今ここで証明します!」


そのまま無言で二人は睨み合う。


魔術具の拡声器で進行役の司会が二人を紹介する。


「東ぃ―!脅威のぉー!新人んー!『白銀のぉーひっかっりーみこぉー!』みーふぁぁー!めーる!デーげえぇぇーん!西ぃー!剛腕のぉー破壊者ぁー!獅子ぃーおうぅー!まーすっくー!げーんん!べーぇぇぇぇるっんんんー!」


その紹介に観客が大歓声で応える。


「見合ってぇー!見合ってぇー!ファイ!」


カーン!


と、ゴングの様な鐘の音が鳴った。


いろいろと突っ込みどころ満載のアナウンスだったが、あえて今は突っ込まない事にしておく。


ただでさえ失恋で疲弊しているのだ。この上突っ込み役までやらされてたまるかと言う気持ちだ。


その後の試合はなかなか見どころのある面白いものだった。


…ショーとしてだが…。


俺とモンマルの目には明らかにやらせである事が分かったので、最初は二人して『なにこれ?』と顔を見合わせていたが、母マリエルと侍女ベスさんは興奮して大声でミーファに歓声を送っていた。


ここでやらせをばらして水を差すことも無いので、その後、二人の男性陣ものりのりの感じで応援の演技をする。


始まってすぐはベルン氏の独壇場だった。


怒涛の力押しで押し込まれて、ミーファの両腕と胸の魔石が早々に割られる。


やっぱり駄目かと言う諦めのため息が客席を支配する。


しかし、ここからの反撃が凄かった。


「トドメだー!」と叫んで正面から突っ込んでくるベルン氏をミーファは上空高くジャンプしてかわし、その背後に着地する。


慌てて振り返るベルン氏の胸の魔石をミーファの右手の剣先が素早く切り裂いていた。


「うぬ!」


と怒って体当たりをしてくるベルン氏をミーファは真っ向から迎え撃つ。


二人の体が激しく正面から激突して、吹っ飛んだのはベルン氏の方だった。


「ばっ!馬鹿なー!」


と、分かりやすくベルン氏が叫ぶ。


こってこてだ。


これでいいの?


と不安になって客席を見回すと、熱狂が渦巻いていた。


(あ、いいんだ…)


と、その周りの雰囲気に納得させられた。


その後ベルン氏も態勢を立て直し、そこからは力と力のぶつかり合いの真っ向勝負になる。


足を止めて何十合も剣を合わせ、どちらも一歩も引かない。


その乱打戦の中、ベルン氏の両腕の魔石が次々に割られる。


二刀流で手数の多いミーファが、大剣のベルン氏に競り勝った感じだ。


これで残りの魔石はお互いに兜の頭頂部に付いたものだけになった。


ここから、一進一退の攻防が続き、長丁場の戦いがノンストップで展開された。


二人とも、全く足を止めずに、闘技場を縦横に走り回っている。


よく、あれだけ体力が持つものだと感心する。


俺は『霊エネルギー』の補充があれば似た事はできるが、あの二人は、身体強化だけであれを続けている。身体強化の魔力も無限ではない。二人にはそれを補うだけの基礎体力があるという事だ。


そんな攻防が二三十分も続く。


長い戦いだが、緩急があって、中だるみも無い。


手に汗を握って次の展開を見入ってしまう。


ベルン氏が一度下がってから、飛び上がる。


思い切り高く跳び上がり、振りかぶった赤い剛剣を落下の勢いのまま振り下ろす。


その剛剣の切り降ろしをミーファが二本の剣を交差して頭上で真っ向から受ける。


お互いの身体強化で、剣と剣の間で稲妻の様な火花が散る。


「ぐおー!」


「はー!」


掛け声を上げながら二人は剣を合わせたまま横に走る。闘技場の反対側までそのまま走っていき、ベルン氏がミーファの背を、闘技場の壁に叩きつけようとする。


あー!危ない!


後ろだー!


ミーファー!


などと客席から声が上がる。


ベルン氏がミーファを剣で突き飛ばすと、その勢いのままミーファは壁の上に向かって飛び上がる。人間の脚力では有り得ない、信じられない高さに跳躍し、二階ほどの高さの観客席最前列の壁の上に着地した。


そこから闘技場の方向に更に高々とジャンプする。


体をピンと真っすぐ伸ばした姿勢で、宙を舞う。


空中で体をひねり、独楽の様に回転しつつ、足先から闘技場の大地にそっと着地する。羽根が地に降り立つような軽やかな美しい着地だった。


観客がその姿に見惚れて息を飲むのが分かった。


一瞬の静けさの後、歓喜の声援が客席で爆発した。


やらせでもなんでも、こんな人間離れした身体能力を見せつけられたら、文句を言える人間はいないだろう。


着地してすぐのミーファにベルン氏の剛剣が迫る。


横っ飛びに転がってそれを交わすミーファ。


その頭を狙って立て続けに突きが降って来る。


右手の剣を投げるミーファ。


ベルン氏がそれを避ける隙に、立ち上がる。


そこに、すぐさま突進するベルン氏。


剣が一本になったミーファはその剣を両手で持ち、目の前に突き出された剣先を横に払う。


その、無防備にさらされた脇腹に、ベルン氏の太い膝頭がめり込んでいた。


「かはっ!」


と、ミーファが後ずさる。


さらにベルン氏のショルダータックルで、後方にふっ飛ばされた。


飛ばされながらバク宙で態勢を整えて、かろうじて両足で着地する。


しかし、直後に力が抜けて、片膝を付いてしまう。


「俺の奥義を見せる時が来たようだ、これを受けられるか!?」


と挑発的にベルン氏が言う。


剛剣の切っ先をミーファに向け、その剣先をミーファにポイントしたまま、自分の右肩の上に引き絞り、剣身を構える。


剣先が赤々と発光する。


「ええ、あなたの想い、この剣で全て受けましょう!」


とミーファがよろめきながら立ち上がり、ベルン氏と全く同じ構えで鏡写しの様に立つ。


「行くぞ!」


「ええ!」


ミーファの全身から白い光が放散される。


ベルン氏の持つ大剣からも、赤い陽炎が炎の様に立ち上る。


同時に走り寄る二人、一瞬の後、二人の姿が交差して、すれ違う。


ドン!と、赤と白、二つの魔力のぶつかりに空気が振動する。


ミーファの剣が砕けて光の粒となって散乱する。


ベルン氏の大剣は無事だ。


この闘技では武器を全て手放すか、破壊された方が負けになるというルールだ。


「ああっ!」


と観客の悲鳴が闘技場に沸き起こる。


皆がミーファの敗北を予想した。


しかし、その判断はまだ早かったようだ。


少し遅れて、ベルン氏の兜の魔石が砕けて赤い光が彼の頭上にほとばしっていた。


静まり返る闘技場。


「勝者!ミーファァー!メル!デーェーゲェーンンンー!」


と言うアナウンスに、観客の歓声が爆発する。


がっくりとその場で両膝をつくベルン氏。


肩で息をするミーファ。


ベルン氏がゆっくりと立ち上がり、ミーファに歩み寄る。


そして、彼女の右手を掴んで高々と上に上げた。


ミーファの勝利だ。


絵に描いたようなドラマチックな幕切れだ。


実際、事前にストーリーが出来ていたようだが、観客は皆喜んでいる。


これでいいのだろう。


マリエル母様とベスが目に涙を浮かべて拍手をしている。


俺も温かい気持ちになった。


大声援の中、闘技場の選手入場口に一人の人影が現れた。


金髪で背の高い貴族の服装をした青年が花束を持ってミーファに歩み寄る。


彼は花束をミーファに渡してから、その場に跪いて彼女の手を取る。


それに注目して客席が静かになる。


彼は、よく通る、澄んだ美しい声で、宣言する。


「ミーファ!私、マリス・リース・ゼルガはあなたを愛している!どうか私の気持ちを受け入れて欲しい!私と結婚してください!」


突然の告白に客席がどよめく。


少し間があってミーファが口を開く。


「嬉しい!私もあなたを愛しています!」


と、少し棒読みの感じで応える。


その様子に緊張が伺える。


マリスと言う青年は立ち上がり、ミーファをしっかりと抱きしめる。


二人の顔の表情までは遠くて見えない。


恐らく幸福そうな顔をしているのだろう。


観客席のそこかしこから祝福の声援が飛ぶ。


俺は立ち上がってそれに背を向ける。


「先に出ています」


と皆に断って出口に向かう。


今までの歓喜が嘘のように、母マリエルもベスもモンマルも沈痛な顔をしている。


俺がこの場に居ては、皆が気を遣ってしまう。


入り口を出たところで、賭けの換金所に並ぶ人たちの姿が見えた。


ミーファに賭けた人は少ないようで、そう待たずにすぐ換金できそうだった。


その列に俺は並ぶ。


ほどなく順番が回ってきた。


掛札を渡すと、目の前に何十枚もの王国金貨が積み上げられた。


捨てるつもりで賭けたのに、逆に儲けてしまった。


有料の革袋を付けてもらい、それに入れて受け取る。


それにして重い。


白金貨にしてもらえばよかったと後悔したが、もう一度やり直してもらうのも面倒だ。重い革袋を受け取って、どうしようかと考えた。それより、賭け札を今換金することも無かったなと思いつく。頭がぼけていてうまく考えられなくなっている。


こんな金は別に要らないが、河原の乞食の時にお金が無くて空腹だったことがトラウマになっている。お金は大事だ。せっかく得た物を、人にやったり、捨てる気にもならない。


(貧しさとはみじめなものだな)


と、失恋した相手に儲けさせてもらった事に情けなさを感じる。


(とりあえず邪魔だ)


右手の手首にはまったヒューリンさんの『他の場所に空間を開く』魔術具が目に入った。


自分の体の陰で、ヒューリンさんの棚の前に小さく入り口を開く。


棚には、魔石や、治癒薬の瓶などが並んでいる。


その、空いているところに革袋を押し込んでから手を引き抜いた。


とりあえずこれでいい。もし、ヒューリンさんがこの金を使ってしまっても、それはそれで構わない。まあ、多分彼女はこの程度の金など、歯牙にもかけないだろうが…。


今は新市街の屋敷に帰る気にならない。


俺は辻マ荷車を拾って、中洲の渡し場に向かった。


懐から、ミーファのぼろ布を引っ張り出して、身に纏う。


渡し場から、また直接船家に小舟を付けてもらった。


デッキに置かれた古い粗末な椅子に掛けて、大河の水面を眺める。


自分の体の中身が全部溶けてなくなってしまったような空疎な感じだ。


(俺、なんでガルゼイやってたんだっけ?)


と、思い返す。


バルドは男爵になり、母マリエルは念願の貴族に返り咲けた。


ミーファは出世して、手を離れた。


(ん?あれ?俺、もう、要らないんじゃね?)


ナコねーちゃんは相変わらず俺を殺したいのだろうが、俺が今王都で殺されたら、それはそれでゼルガ派ミスラン派両派の遺恨になるだろう。俺がこの王都に居る事で、何もいい事が起きない。その事実に気付いた。


(あー、もおいいか…)


俺はまた、ヒューリンさんの棚を開いて、貰った二振りの『試作魔剣』ファルカタを手に取った。


それを両方の腰に佩く。


両足に、『瞬歩』と『跳躍』の切り替え式魔術具のアンクレットをはめる。


首からは『認識疎外』のネックレスを下げる。皮の小袋に予備のクズ魔石をひとつかみ入れて懐の隠しに入れる。


服装は船家に残っていた、ごろつきの服の中で体に合いそうな小さめの物を身に付けた。袖と裾を何回かまくってサイズを合わせる。


この世界に『子供服』は存在しない。


子供は大人の服のお古を括って着るのがほとんどだ。


自分にあつらえた服を着られるのは貴族か豪商の子供くらいだ。


髪色をくすんだ赤に変えて、ミーファのぼろ布をマントの様に身に纏う。


「これでいいか…」


俺は逃げる事にした。


王都脱出だ。


役立たずの疫病神はとっとと消えた方がいい。


当座必要な日用品などを厚布の肩掛けに詰めて、船家に残っていた二隻の小舟の片方に載せる。


(さて…)


と後ろ振り返ると、そこにヒューリンさんが立っていた。


「うわっ!びっくりした…」


「行くのか?」


と、いつになく冷静な態度のヒューリンさん。


「ええ、せっかく異世界に来たのです。命が尽きる前にこの世界を旅してみようと思います」


「そうか、王都の外は危険がいっぱいじゃぞ。ボンボンのお主では辛いこともあるじゃろう」


「いまでも、辛いです」


「失恋したのじゃな?」


と、無表情でヒューリンさんが言う。


「あー、そこは触れないで欲しかったです」


と、苦笑いで誤魔化す。


が…、


「失恋したのじゃな?」


と何故かもう一度、ヒューリンさんが無表情で言う。


「なんで二回訊いたのです?」


と、腹が立って言い返す。


が、無表情エルフさんはそれに答えず、


「失恋したのじゃな?」


と、更に同じ顔で言う。


「知ってるでしょ?しつこいですよ」


と、苛つきつつ、呆れる。


「うむ、最後の嫌がらせじゃ。これでわしは満足じゃ。このまま永久の別れになるやも知れぬのでな」


「まあ、前世と合わせて四十九歳のおっさんが十六の少女に懸想しているなんて、きっしょい話ですけどね」


「そのくらいの歳の差など、珍しくも無いぞ。それにこの世での十三年の人生はお主の記憶ではないのじゃろう?それならノーカンじゃ」


「いや、あなた、前に四十九年物のドーテーを馬鹿にしてましたよね?」


「そうじゃったかの?」


「ヒューリンんさんとはもう会うことも無いかもしれません。この世界でまがいなりにもエルフさんに会えて嬉しかったです」


「まがいなりとは失礼な。本物の真祖エルフじゃぞ」


「では、行きます」


「ちょっと待て、餞別をくれてやる」


と、ヒューリンさんは空間から、何かを取り出した。


それは、フクロウの様な鳥だった。


「これをやろう。旅をすると道に迷ったりする。これを飛ばして上空から見れば行き先の確認がしやすかろう」


それは以前俺が憑依しかけた鳥の改良型だった。


作りが以前の物よりリアルで、作り物とは分からなくなっている。


「体表には人口生命体の表皮をかぶせておる。簡単な攻撃は防ぐが、体形は変わらんので、防御力はあてにするな。ただの『遠見』と『遠耳』の役にしか立たん物じゃ。まだ自立行動は出来んので、これの操作中、お主は目をつむってじっとしておかねば、視界がダブって見ずらくなる。どれ、この背中の中央の窪みにお主の指を入れて見よ」


言われてその通りにすると、かすかにピリと引っかかりが感じられて、俺と鳥の間にリンクが繋がった。


自分の目を閉じて鳥の目を開く。


ヒューリンさんの手にとまった状態で、目を動かす。


視界は良好だ。軽く羽ばたいて頭上を飛んでみる。


違和感なく意識に馴染んで、操作感も良好だ。


自分の肩に着地し、鳥の目を閉じて、意識を自分に戻す。


「凄いですね。ありがとうございます。実は鳥になって空を飛ぶのは夢だったんです」


「この前、ワマに乗って飛んだじゃろう?」


「いや、自分で飛ぶのは別ですよ」


「そうか、そう言えばお主は自力で飛べなんだな」


「ええ、気が滅入った時にでもこの鳥で飛んでみます」


「そうせい。人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとしじゃ。急ぐべからずじゃ」


「ん?それは徳川家康の言葉?なぜそれを知って?それより、最近、妙にいい事ばかりを言おうとし過ぎでは無いですか?」


「賢者じゃからの。スズキハルマから色々名言のネタを仕入れたのを、十年おきくらいで使い回しているのじゃ。時々何かいい事を言わないと皆納得しないのじゃ。人の世の世知辛い事よ」


「それはご苦労様です。では」


「うむ」


俺はそのまま小舟に乗り込み、振り返らず船を出す。


数回、櫂を漕いだだけで、川の流れに任せて下っていく。


この中洲からランス湖に、至り、そこから徒歩で一日の距離の所に、海辺の港町『オスリア』がある。


船ならゆっくり行っても、数時間で着く。


日が沈んでいるが、今日は月が明るいので、視界は悪くない。


港町オスリアに到着して、すぐに捨て値で小舟を売り払った。


街の中心に向かう。


王都への物流の拠点になる港街だけあって、夜でも街中は人と屋台の出店でにぎやかだ。


商店の多くは閉店して戸締りしていたが、一部の宿屋や飲み屋はまだやっている。


一階が食堂になっているこぎれいな宿屋に入って、二階に部屋を取る。


食堂で外国の商人風の男たちがまばらに着席して食事を取っている。


俺も軽く食事を済ませて、早々に二階の部屋に入る。


せんべい布団のベッドに横になって、ぼんやりする。


(これからどこに行こうか…)


まだ、行き先も何も決めていなかった。


(船に乗ってどこか南の島にでも行くのもいいかな…)


と、漠然と思った。


そうして物思いにふけっていると隣の部屋から、くもぐったような男女の声が聞こえた来た。


女性が苦しそうにうめいている。


(マジか?隣はカップル?勘弁してくれよ…)


布団を被る。


『遠耳』はもちろん発動しない。


そのうちこちらの壁に『ドン』と何かがぶつかる音がする。


(激しいな…)


男女が何か話している。


その中で『やめて!』と言う女性の声が聞こえた。


(ん?カップル?だよな…)


何か不穏な気配を感じて、『遠耳』少し発動してみた。


男女のやり取りがクリアに聞こえてくる。


「大人しくしやがれこの。おい、早く口を塞げ」


「やってる。こいつ、暴れるんだ」


「いや!放し、むごご…」


「悪く思うなよ。俺たちも命令されてやるんだ。ユーム公爵家に逆らったお前が悪いんだ。おい、早く縛れ。今夜中に王都に連れ帰って、中洲の娼館にこいつを売っ払わないと、罰を受けるのは俺たちだぞ」


「でもよ。どうせ売るなら、ちっと味見してもいいんじゃねえか?」


「馬鹿、そんな暇があるか!」


「なあ、いいじゃねーか。こんな上玉の貴族の女を食える機会なんか、俺らこれから一生ねえぞ」


「…そう言われてみればそうか。こんだけ苦労させられたんだ。少しくらい俺らがいい目を見ても、バチは当たらねえよな」


「へへへ、決まりだな」


「よし、下だけ引ん剝くぞ」


「むがががが!」


……と、


聞くに堪えない、胸糞な展開だった。


苛つく。


なぜ、俺はいつもこうなんだ。


なぜ…、今…、お前らは…、よりにもよって…、この俺の…、隣の部屋で…、俺に気付かれるように…、ろくでもない悪事を成しているんだ?


ああ、本当に腹がたつ。


今夜一晩くらい、ゆっくりと失恋の感傷に浸らせてくれてもいいじゃないか。


(ちくしょう、お前ら…)


「ぶっ殺す!」


俺はベッドから跳ね起き、隣の部屋のドアの前に立つ。


そして荒々しく隣の部屋のドアを開く。


「なっ!」


「なんだ!このガキ!鍵を閉めたはずだぞ!」


ベッドに一人の女性。庶民の服を着ているが、髪が金髪のドリルヘアーでどう見ても育ちのいい貴族の娘だ。口にさるぐつわ。その上にのしかかる二人のガラの悪い男。一人が女の手を抑えて、もう一人が女の股を広げようとしている。


その目の前の床に俺は手に持ったドアノブを放り投げる。


ねじ切れたドアノブが、ゴトンと硬質な音で転がる。


「えっ?」


「なんだ?」


と状況が理解できない男たち。


「おい、お前ら、ここで一つ質問だ。きつい鍛錬を、足腰が立たなくなるまで長時間続けると、体は疲れすぎて、その後の回復に数日かかる事がある。休憩を取らずに自分を追いこみ過ぎると『過労』で逆に体が弱って、鍛錬の効果は出ないんだ。だが、もし、その疲労が一瞬で回復して、無限に鍛錬出来る人間が居たとしたら、その人間はどうなると思う?」


「何を言っているこのガキは⁉」


「殺すぞ!とっとと失せやがれ!」


「お前らは大人しく人の話も聞けないのか?」


と手前で女性の股を開こうとしている男の首根っこを掴んで持ち上げて、そのまま床に叩きつけた。


「グエ!」


とカエルがつぶれるような声を男が出す。


「このガキ!」


ともう一人が懐からナイフを出した。


それを俺の胸元目掛けて突き出す。


その手首をたやすく俺は掴んだ。


そして、そのまま力任せに握りしめる。


「いってててて!」


男の手からナイフが落ちる。


「質問の続きだ。答えろ!」


「いてええ!」


下に這いつくばるカエル男が落ちたナイフに手を伸ばす。


その手を踵で強く踏みしめた。


「ぎゃっ!」


と、足元から叫び声がする。


俺は懐から、王国銅貨を一枚とりだす。


「答え合わせだ。その人間はたった一年で、常人の十年分の鍛錬が出来る事になる。そして、気付いたら、いつの間にか、こういうことも簡単に出来る様になってしまうんだ」


と、男たちの目の前に、親指と人差し指で縦につまんだ王国銅貨を差し出す。


それに、ゆっくりと力を込める。


二本の指の間の銅貨は何の抵抗もなく、ぐにゃりと曲がって二つに折れた。


「俺の大事な『感傷タイム』を妨げたんだ。お前らもこの銅貨と同じにしてやる。人間の体をどれくらい小さくたためるか、お前らで実験してみよう」


と、下弦の月の形に口の端を釣り上げ、にんまりと満面の笑顔で男達に笑いかけた。

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