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76 ミーファ奴隷を買う?

「まず、私どもでこの者を犯罪奴隷に落とします。その後、あなたはこの者を買い取って、ご自分の奴隷として所有します。いかがです?あなた様はこの者の所有者として、この者の全ての行動に責任を持ち、共に暮らすお覚悟はおありですか?ああ、それから一時的に奴隷にして、すぐ開放するというやり方は出来ませんよ。犯罪奴隷は期間が決められています。この者の場合は国家機密の漏洩罪なので、最低十年の刑が科されるでしょう。その十年間いつも居場所を国に報告する義務があります」


と、ユミさんが真っすぐ私の目を見つめて来る。


「奴隷…?そんな、私はマリさんを奴隷に落としたいなんて思っていません!」


「ええ、構いません。それならこの話は終わりです。私たちはこれで失礼いたします」


と、ユミさんは拘束したマリさんを床に下ろして立たせる。


「さあ、行きますよ。それから、逃げようとしても無駄です。お前の体には私の蔦から、無数の針の管が刺さっています。少しでも暴れたらすぐにその全ての針から毒を注入します。私の毒を打たれた人間がどの様に苦しんで死ぬかはよく知っていますね」


と、マリさんを引き連れて、扉に向かう。


「待ってください!」


とその前に回り込む。


「そこをどいていただけますか?あなた様が力づくで来るなら、私はここで今すぐこの者を処分しなければなりません」


「ちょっとだけ待ってください。少しマリさんと話をさせて下さい!」


「ええ、いいでしょう。一分待ちます」


と言ってユミさんが少し後ろに身を引いた。


顔色が白くなっているマリさんの肩を掴んで真っすぐ目を見た。


「マリさんはどうしたいの?私は誰かを奴隷にするなんて嫌だけど、もしマリさんがそれがいいというなら、そうします。奴隷になるのが嫌で、自分で生きていきたい、生きていく自信があるという事なら、それを応援します。私の知り合いにお願いして雇ってもらうこともできるかもしれません。どうしたいですか?」


と訊くと、マリさんは目に涙をためて私を見つめ返してきた。


「私をお姉さまの奴隷にして下さい。お願いします…」


と、弱々しい返事が返ってきた。


「それでいいの?自由が無くなるのですよ?」


「ええ、構いません。自由なんて今でもありません。あと、お師匠様は私を殺さないで開放すると言っていますが、それは嘘です。いえ、お師匠様は言葉通りに私を開放するでしょう。そして、その後私には関わらないでいてくれるでしょう。でも、暗部にはたくさんの『組』があります。一つの組は他の組が何をやっているかは分かりません。解放された私には他の組の刺客が送られるでしょう。国の秘密を知る庶民を、放置してそのまま生かしておくことは有りません。なので、もし私が生き残れるとしたら、お姉さまの奴隷になる以外に無いのです…」


と、衝撃の内容をマリさんがゆっくりと語った。


「…分かりました…」


としか私は答えられなかった。


いきなりの事で頭が混乱していた。


なんで、こんなことになっているのか、本当によく分からない。


「それで、いかがなさいます?」


とユミさんが突き放すような冷たい声で訊いてくる。


それに向き直る。


もう覚悟は決まっていた。


「マリさんを私の奴隷にします。お願いします。お金はあまり無いですけど、きっといつかお支払いしますから、少し待っていただけませんか?」


とユミさんの目をしっかり見て返事をする。


「いいでしょう。まず、王家に出入りの奴隷商にこの者の奴隷化手続きを依頼します。そちらには売約済みの手配をしておきますから、あなた様はその指定奴隷商に出向いて、購入手続きを御願いします。代金は収入があった時に気が向いたらお支払いください。特に支払い期限などは設けません。なんなら、ずっとお支払いが無くても構いませんよ。その場合は利子が膨らみ、十年後にまたこの者の所有権が私どもに戻るだけですから」


と言い、初めてユミさんの口元に笑みが浮かぶ。


「いえ、お金が出来次第お支払いします」


と、即答する。


「犯罪奴隷とは言え、この者は戦闘力が高いし、容姿も美しいので、販売金額もかなり高額になります。詳しいことは奴隷商に現在の相場からの算定を依頼する必要があるので、今はっきりことした事は言えませんが、もし値段を聞いて気が変わられた時は、その場で奴隷商に申し伝え下さい」


「気は絶対に変わりません!だから、あなたはもうマリさんに一切かかわらないで下さい!」


と強く断言した。


私は今、猛烈に腹が立っていた。


さっき、マリさんはこの人を『師匠』と呼んでいた。


この人はマリさんの師匠だというのに少しも助けようとせず、冷たい事を言って笑っている。


マリさんはこんな人たちの中で生活していたのだ。


私と会ったばかりの時のマリさんが、少しも笑わなかった理由がよく分かった。


わたしはこのユミさんと言う人が大嫌いだ。


「それでは、このマリの事、お任せいたします」


とユミさんは最初にしたように深い淑女の礼をしてから、すっと背筋を伸ばす。


「この者はこのままここに置いていきます。奴隷商のほうは書類上の手続きがあればいいので、本人が居る必要はありませんから」


と言い、ユミさんは満足そうに微笑んだ。


マリさんの体に巻き付いていた緑の蔦がほどけて、ユミさんのゆったりとした袖口に戻って行く。


「ああ、別の話になりますが、そう言えば、先日、あなた様とあなた様の兄弟子様のご尽力で、騎士団予備校に、女子の『護衛科』が設立される運びとなったこと。この場をお借りして、お礼を申し上げておきます」


と、彼女がまた深く頭を下げた。


「え?女子の護衛科の事でなぜ、あなたがお礼を?」


いきなり話が飛んだので頭がついていかない。


「あの護衛科には、私たちの所属する女性だけの暗部組織を満期で引退した者が、専任講師として赴任することとなりました。今まで引退した私達暗部の人間に、引退後の就職先などは無かったのです。国家の秘密を知る故、市井に解放は出来ないし、婚姻も無理です。かといって、引退まで勤め上げた者を『処分』などしようものなら、若い後進が己の将来に絶望して逃げてしまいます。結果、引退後の暗部の者は王宮の奥深くに押し込められ、覚えた技術を封印し、人目に触れない場所で日々雑用をするしかなかったのです。

しかし、あなた様と兄弟子様のおかげで、私どもにも騎士団予備校に再就職するという将来の道が開かれました。今年は女子のみの別授業が週に二回開かれるだけですが、来年からは正式に『女子護衛科』が開講します。実は、来年その『女子護衛科』に科長として赴任するのは私なのです」

と言うユミさんは先ほどの厳しい顔と打って変わって、柔らかい表情をした。


「ユミさんはもうご引退なさるのですか?」


と予想外の告白に戸惑って、どうでもいい事を訊き返してしまった。


「いえ、私はまだ引退には数年残しています。『女子護衛科』の方で全体を統括して、指導要綱を作れる人間が必要という事で、私が選ばれました。他の講師は順番に王宮から元暗部の女性が派遣されます。皆それぞれ別の得意があるので、同じ人間ばかりが偏って講師をすることは無いでしょう。ここだけの話ですが、講師になって自分の技術を一般生徒に教えられるのを、引退した皆は楽しみにしているのですよ。それと、私どもが学校の講師になることには、それ以上の意味があるのです」


「意味ですか?」


「ええ、私ども暗部の人間は皆平民です。そして、ほとんどの人間はこの王国の市民権を持っていません。私たちはこの王国に『存在しない人間』なのです。存在しない人間がいつどこで死のうと王国には関係の無い話です。誰も私達の死を悼む事は無いのです」


「そんな、酷いことが…」


「お優しいのですね。ところで、この国で市民権を取る方法をご存じですか?」


「いえ、私も最近市民権を取ったばかりですけど、私の場合は、知り合いの貴族のつてなので、かなりズルをしています」


「あら、正直ですね。この国ですぐに市民権を取れる職業が三つあります。一つは『治癒魔法使い』。一つは『医者』。最後の一つは『教師』です。暗部の人間が潜入任務以外で、一般社会で『教師』になる機会はまずありません。しかし、それが国の機関の仕事で、その内容にも需要があるというなら別です。騎士団予備校で生徒に教える事で、私たちも『教師』に成れます。つまり、私達暗部の人間にも王国市民への道が開かれるのです。

もちろん、多くの審査もあります。すんなりとはいかないでしょう。しかし、ここで大切なのは、細くても市民権への道が開かれたという事です。やっと、私たちの人生が報われて、王国市民として認めてもらえる日が来たのです。このことには、いくら感謝しても、し足りません。本当にありがとうございました」


と、ユミさんがまた深く頭を下げる。


「それはどうも…、お役に立てたならよかったです。でも、あれはヘーデン家のガルゼイ様のおかげなんです。私なんか何もしていません」


「いえ、闘技会でのあなた様の活躍と勇名があったからこそ、あの話が立ち上がったのです。あなた様のお力は大きかったのですよ。ああ、私としたことが下らない長話をしてしまいましたね。それからマリ。あなたに言いたいことがあります」


と、今度はマリさんの方に目を向ける。


「はい、お師匠様!」


「あなたの性格は『暗部』に向きません。これが潮時だったのです。晩餐会でのあなたの活躍は大勢の人間が見ています。恐らく明日の壁新聞はあなた達の決闘の話一色になるでしょう。明日になればあなたは有名人です。これからは表の世界で生きていきなさい。あなたの実力と容姿なら、魔法闘士になったとしてもすぐ人気が出て、大金を稼げるようになるでしょう。自分で自分の奴隷代を稼ぎなさい。デーゲン様のお手を煩わせるのではありませんよ。よく心得るのですよ。それでは、これで失礼いたします」


と言い、マリさんの返事を待たずに彼女は私達に背を向けて扉を開いた。


「心得ました。お師匠様!」


と言うマリさんの目から涙がこぼれる。


その目の前で扉が静かに閉じた。


どうやら、私はユミさんという人の事を誤解していたみたいだ。


彼女は冷たく見えて、実は優しい人みたいだった。


腹を立てていた自分が恥ずかしい。


深く考えずに決めつけて、怒っていた自分を反省した。


大泣きのマリさんの体を、そっと胸に抱きしめた。


困ったことになった。


まさかこの自分がマリさんを奴隷にするなんて…。


このことは誰にも知られてはいけない。


マリさんの名誉のためにも、今まで通り、侍女として働いてもらおう。


黙っていれば、私たちの関係なんか、誰にも分かりっこない。


今日はもう疲れた。


色んなことが有り過ぎた。


マリさんを寝台で休ませて、私も自分の寝床で、布団を頭からかぶる。


(あれ、何か私、大事な事を忘れている気がする…)


何かが頭の隅に引っかかっていたけど、なんだか思い出せない。


(まあ、いいか…)


その『何か』を思いだすのをすぐに諦める。


そのまま、眠りの底に意識が落ちて行った。


翌日、第十近衛騎士団にやってきた人の顔を見て、その『大事な事』を思いだした。


その人は第一近衛騎士団の団長さんだった。


団長さんは、泣きそうな顔で落ち込んでいた。


「やあ、デーゲン、昨夜はいい戦いを見せてもらった」


と褒めてくれたけど、元気がない。


「あのー、魔鋼の剣のこと、すみませんでした」


と、恐る恐る謝る。


「あれ、弁償します。おいくらですか?」


と、聞きたくないけど一応訊いてみた。


「いや、いいんだ。あれは別の剣を王太子殿下より下賜していただけることになったからな。ただ、あの剣には少し思い入れがあってな。いや、まさかあれが戦闘に耐え切れずに砕けるとは。よほど炎帝の養女殿とお前の力が拮抗していたのだな。美しい剣だったが、少し華奢な剣だったな…。昨夜は王太子殿下の護衛だったので、私の所持する魔鋼剣の中で一番見栄えのいい、美しい剣を装備していたのだ。それが、仇となった。近衛騎士団の団長ともあろう者が、安穏とした日々に慣れて、油断していた。いい勉強になった。感謝する。ただ、少し高い授業料だったな…」


感謝するといいながら、話すそばから落ち込んでいき、段々声が小さくなっていく。


(本当にすいません…)


他人の剣を借りて壊しておいて、そのまま挨拶もしないで、すっかり忘れていた。


(だめだなあ…)


と自分のいい加減さに情けなくなった。


それに、このおじさんの名前が分からない。


確か、最初に会った時に聞いたはずだけど、人が大勢だったので、よく覚えていない。


(なんて名前だったかなぁ…)


時間が経ちすぎていて、今更名前を訊くのは失礼だ。


(どうしよう…)


取りあえず、分かっている感じで誤魔化すしかない。


後でメルフィさんに訊いておこう。


「それで、今日はお前に、少し頼みがあるのだ」


と、第一団長さんは言葉を続ける。


「ええ、剣を壊してしまったのです。できるだけの事は致します」


と、返事をしたけど、昨日のマリさんの事もあるので、団長おじさんが何を出だすのか少し警戒をする。


「実は、昨日の模擬戦を観戦された、王太子殿下が、お前と話したいと言うのだ。今度王宮の茶会に招待したいというのだが、どうだろうか?」


と、言いづらそうに言う。


「王太子殿下がなぜ私の様な者に?」


また、意味の分からない話だ。


「殿下は昨夜の模擬戦に、いたく心を動かされたようでな。お前に興味を持ったようだ。私はその事を伝言するように仰せつかった。とにかく、これで私の用事は終わりだ。あと、どうするかはお前が決めるのだ。そして、ここからは私の独り言だが、こういう場合はまず、ゼルガ公爵様に相談するべきだろう。王家が関わると高度に政治的な話になる。うかつなことをすると、自分の意図を離れて、取り返しのつかない事になる場合がある。お前は王党派であるゼルガ公爵様の寵児だ。公爵様も悪いようにはしないだろう」


と言って、おじさんはそそくさと帰って行った。


お昼に食堂で大量の昼食を食べていると、マリさんがやってきた。


「お姉さま、ゼルガ公爵様がお呼びです。箱車が門に来ています。お食事が済みましたら、すぐに公爵様のお屋敷に出向かなければなりません」


と、マリさんが硬い表情で言う。


「用件は何か言っていましたか?」


「いえ、でも急ぎみたいです」


「そう、私も相談したいことがあったから、ちょうどいいわ。すぐ行きます」


と、食事を途中でやめて立ち上がった。


「それなら、この食事を少し包んでもらって、箱車の中で食べながら行きましょう」


と、マリさんが言ってくれる。


「ありがとう。実はまだお腹半分だったの」


「ええ、私も食事がまだなので、お姉さまとご一緒させてください」


と、料理人に声をかけに行ってくれる。


料理人の皆さんも、私の大食いには慣れていたので、すぐに食事を包んでくれた。食堂の人たちは、独自に私専用の大きなお弁当箱を開発してくれていて、食後のおやつまでつけてくれる。私だけの為だけに本当に申し訳ないと思うけど、とてもありがたい。


箱車の中でマリさんと食事を食べ、おしゃべりしながら公爵様のお屋敷に向かう。


マリさんは奴隷に落ちる事で、落ち込むかと思っていたけど、思ったより平気そうだ。


むしろ、さばさばとした様子で、表情が明るい。


「私は、すぐに魔法闘士になります。今まで、闘技会で弱い連中が温い試合をしているのを見ていて、歯がゆい思いをしていたのです。私が魔法闘士になったら、どいつもこいつもぶちのめしてやります」


と鼻息が荒い。


「ぶちのめしちゃ駄目だってば。ベルンさんも言っていたじゃないですか、『劇』だって。相手のいいところを引き出して、お互いにかっこよく戦わないといけないんですよ」


「私の実力なら、現王者も敵じゃありません!誰が相手でも圧倒してやります!」


「それだと賭けが成立しません。途中までどっちが勝つか分からないようにしないと」


「それで、先に結果を知っている、内部の貴族が代理人に賭けさせて儲ける仕組みなんですよ。ベルン氏はただの魔剣闘士だから、自分の仕事を良い様にしか言いません。でも、闘技場の内情は利権の塊のドロドロした世界なんです」


と、マリさんが夢の無い事を言う。


「でも、その利権をわたしたちも使わせてもらいましょう」


と、マリさんが悪い顔で口元を歪めて笑う。


「あまり大金を賭けると、賭け率が値崩れするし、胴元が感づいて干渉してきますから、ばれないように少しづつ賭けるのです。小遣い稼ぎ程度の賭けなら、胴元もうるさいことは言わないでしょう。剣闘士ならみんなやっていることです」


「えっ、みんなやっているんですか?」


「ええ、でも剣闘士本人とその家族や親類は賭けが禁止されていますから、信用できる代理人を探さなければならないのが難しいのです。表に出せない後ろ暗い金なので、持ち逃げする人間が後を絶たないみたいです」


と、今度は自分が大損したかのように、眉間にしわを寄せる。


こうして見ていると、マリさんが実は表情の豊かな人間だという事が分かる。


今までは『暗部』の仕事をやる為に感情を押し殺していたのだろう。


ユミさんが、マリさんの性格を『暗部に向かない』と言っていたのが分かる気がした。


わたしはマリさんがもっと元気に笑っている顔を見たいと思った。


「そういう、非合法な賭けはやめましょう」


と、マリさんに提案した。


「え、なぜですか?みんなやっているんですよ?」


「ええ、でも、それで誰かに弱みを握られるようなことになれば、また、周りの人たちに迷惑をかけてしまいます。お小遣い稼ぎくらいの収入なら、無理してやる事は無いですよ。二人で真面目に稼いだ方がずっと気楽にできます」


「それは…確かにそうかもしれません。私は目先の事に振り回されてしまったようですね。やはりお姉さまは、素晴らしいです!」


と、そんなに大したことは言ってないのに、また、マリさんの私に対する評価が大きくなってしまう。


そうこうするうちに、箱車が公爵様のお屋敷に着いた。


そこは旧市街の一等地とされる場所だった。


この辺のお屋敷は、横一列に壁がつながって建っていて、どこからどこまでが一軒の家か、とても分かり辛い。建物の二階の床部分は、壁から大きく外に半メルスほどもせり出していて、そこから建物が外に向かって、いくらか大きくなっている。


ネズミ返しみたいな感じだ。


泥棒除けであんな作りにしているのかもしれない。


大きな厚い扉の門を箱車ごとくぐり、石畳の中庭に車が停まる。


箱車を降りて周りを見回す。


五階建てのレンガ作りの背の高い建物が、中庭をぐるりと取り囲むように建っている。


中庭の天井は吹き抜けになっていて空が見えるけど、その空いている部分には、何か目の粗い網の様な物が全体に張られている。


あれも泥棒除けだろうか。


だとしたら、簡単に切れないように、金属製の網なのかもしれない。


二階の私室に私とマリさんは通される。


その部屋には、ゼルガ公爵様と、お子さんのマリスさんだけが長椅子に座って待っていた。


執事の人も、侍女も、護衛も、側仕えの人間は一人も居なかった。


騎士服の私は、音を立てて踵を揃えて、両腕を体の後ろに組み、直立不動でその場に立つ。


騎士の礼法なので、頭は下げない。


「第十近衛騎士団団員、ミーファ・メル・デーゲン参りました!」


と習った通りに挨拶をする。


私の後ろではマリさんが淑女の礼をしている衣擦れの音がかすかにした。


「なんだ、今更。ここは私室だ。そんな堅苦しい礼は私達の間では不要だ」


と、公爵様がつまらなそうに言う。


「でも、こうしろと教わったので……」


「公的な場でないなら無用だ。いいからそこに掛けろ」


と、言われて、座面が柔らかく布張りになっている高そうな長椅子に、腰を下ろした。


マリさんの為に隣を開けておいてけど、マリさんは長椅子に掛けないで、私の斜め後ろに立っている。


「実はまずいことになった」


と、公爵様。


「またですか?」


と、うんざりして言い返す。


「またとはなんだ?」


「いえ、こっちの話です。それでそのまずい事とは何ですか?」


「うん、昨夜の事で王太子殿下がお前に興味を持った。このままだとお前は殿下の『愛妾』に召されるぞ」


と苦々しく公爵様が言う。


パキリ、と氷のきしむような音が私の背後からする。


マリさんの体から濃密な魔力の立ち昇るの分かった。

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