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75 ミーファ、マリVSナコ、エリス3

「はあ、はあ、はあ…」


さっき体の真ん中に打ち込まれた『ジン』のせいで上手く魔力が練れない。


息切れで手を止めて、マリさん達の方の様子を伺う。


マリさんはふらふらと立ち上がって、懐の隠しから何かの小瓶を取り出していた。


そ中の紅い液体を一息で飲み干す。


マリさんの全身が薄っすらと赤く光った。


エリスさんも自分の懐から同じ瓶を取り出して飲んでいる。


あれはなんだろう?


「あー、魔力回復薬か…。でも、あれって、安いのだとあんまり回復しないんだよなぁ…」


と、ナコさんも、一時休んで、誰に言うという感じでもなく独り言のようにつぶやく。


薬を飲んで、すぐにマリさんが空中に飛び上がった。


マリさんの前の空間に、片足が乗るくらいの小さな氷の盾が、平面状に一つ現れる。


マリさんはそこに足を乗せて、さらに高く跳びあがる。そのままの勢いで、足先の氷の刃でエリスさんの頭に蹴りつけた。


エリスさんはそれを後方にバク転をして避ける。


そのエリスさんの手は、マリさんと同じように空中に現れた光の小さな盾の上について、更に後ろに跳ぶ。その跳んだ先にもう一つの、平たい小楯があり。それを踏みしめて、今度は、エリスさんがマリさんの頭に光る足先で蹴りつける。


マリさんはそれに首をひねって避け、左右に氷の小楯を一つ一つと展開しながら、その上を飛び跳ねて上空に移動していく。


追いかけて同じ様に上空に進んで行くエリスさん。


お互いに、有利な頭上を取ろうとして、張り合いながら、上に上にと上がっていく。


次第に二人の姿が小さくなって行く。


「真似するな、クソ女!」


「そっちこそ!」


と二人が叫ぶ声が小さく聞こえてくる。


マリさんも魔力が少なくなったのか、氷の刃をたくさん飛ばすような大きな攻撃はしなくなっていた。


私とナコさんは手を止めて、棒立ちで、その行方を目で追う。


言い争いをしながら、二人はどんどん上空を駆け上っていく。


どこまで行ってしまうのだろうかと心配になった。


あの高さから落ちたら、さすがに二人とも死んでしまうに違いない。


今や、二人の姿は豆粒ほどに小さくなっていた。


「おーいエリスさん!危ないぞー!もう、降りて来いよー!」


と、ナコさんが叫ぶ。上からの返事は無い。


エリスさんも、マリさんも戦いに夢中になっていて、周りが見えていない感じだ。


「マリさーん!危ないですよー!」


と私も声を上げる。


上空からの反応は無い。


そして、ついに……。


上空から二人の悲鳴がかすかに聞こえて、その声は徐々に大きくなってくる。


魔力切れで、足場を作れなくなったみたいだ。


「誰か!風魔法の使える人は居ませんか!」


と出窓の方に声をかけてみたけど、返事は無かった。


仮に魔法を使える人がいたとしても、私達以外は皆『魔封じの腕輪』をしているから、何もできないということに気が付いた。


「たっ、頼む、エリスさんを助けてくれ!あたしの火魔法じゃ何もできない!」


とナコさんが立場を忘れて、必死に私に哀願してくる。


「二人も無理です。マリさん一人でも難しいんです。お仲間で何とかして下さい」


と言って私は地面を蹴って、更に壁の出っ張りの装飾を蹴って、出窓の淵に着地した。


魔力はまだ練れないから、身体強化無しの自力だけで何とかしなければならない。


落ちてくる彼女をただ受け止めただけでは、マリさんの体は落下の衝撃で砕けてしまう。


生卵を割らずに受け取るくらいに優しく衝撃を殺さなければ、マリさんは助からない。


出窓から離れたところに高い巨木があるのが見えた。


左右に長い枝が何本も張り出している。


(これしかない!)


落ちて来るマリさんに私は狙いを定める。


「きゃー!」


と叫ぶ二人の声がだんだん大きくなてくる。


(今だ!)


と私は出窓から真っすぐ横に飛び出した。


すると、私のすぐ横から飛び出すもう一つの人影があった。


私は落ちながら、マリさんを空中でそっとお姫様抱っこにして、巨木の張り出した枝に体ごと突っ込んで行った。


枝に引っかかって、勢いが少し失速する。


正面の太い枝を蹴り折ると、横への動きが下方向に変化した。


そして、そのまま下に落ちていく。


何本も枝を折りながら、徐々に落ち方が緩やかになる。


最後は一番下の枝に腰かける感じでお尻から落ちて、枝を大きく揺らして止まった。


仕立ててもらった夜会服は体中びりびりに破けて、小枝や葉っぱが全身に絡みついていた。


木の幹の反対側を見ると、気を失ったエリスさんを私と同じように抱えて、炎帝様が太い枝の上に両足で立っていた。


「ほい」


と言って炎帝様が地上に飛び降りる。


続いて私も下に降りた。


炎帝様の服には、傷一つ、葉っぱ一枚付いていない。


私の見た目の惨状とはまるで違う。


マリさんは私の腕の中で気を失っている。


「よく、あのやり方に気付いたな。偉いぞ」


と炎帝様が笑って褒めてくれる。


「炎帝様みたいにうまくできませんでした」


と自分の見た目に落ち込んでいると、


「いや、わしは慣れているからな」


と何でもないように言う。


落ちることに慣れているって何?


と、よく分からなくて不思議に思った。


多分考えても無駄なのだと思う。


「わー、エリスさーん!」


とナコさんが泣きべそをかきながら走ってきた。


「死んじゃったかと思ったー!」


と、ぼろぼろ涙をこぼしている。


こうしてみると普通の小さな女の子なのだと改めて思う。


彼女が泣いているのを見て、ずきりと胸が痛んだ。


ナコさんに同情したからではない。


私はマリさんが死にかけたというのに、何も感じていなかったからだ。


ああ、死にかけた。ああ、助かった。


と、それだけしか思わなかった。


良かったとは思うけど、その安心感もあっという間に消えてしまった。


やっぱり、私は、感情の薄い、心の冷たい人間なんだと思う。


普通の人たちの普通の様子を見ていると、自分の心の異常さに嫌でも気付かされてしまう。


(なんで、こんなに人と違うんだろう?)


と、自分の心の在り方が嫌になった。


「うーむ、今日はこんなところか。決着はつかなかったが、いい戦いだった。面白かったぞ」


と炎帝様。


「私もこんな葉っぱだらけのみっともない恰好では、もう戦えません。帰りたいです」


と、それに答えた。


「まあ、そうめげるな。これから、こんな模擬戦を毎月やるのはどうだ?お互いに得る物が何かあるだろう」


と提案してくれる。


「いえ、私の一存では決められません。私は第十近衛騎士団の一団員にすぎませんから」


とだけ答えておいた。


ナコさんがガルゼイ様の命を狙っている状態で、あまり彼女と仲良くならない方がいい。


いざという時に、彼女を殺さなければならないかもしれないから、その時の決断が鈍らないようにしておかないと。


余興の御前模擬戦という名の決闘はこうして、うやむやな感じで尻すぼみに終わった。


この後、ナコさんとエリスさんは一人では真っすぐ立てない状態で、側付きの女性たちに体を支えられながら、ミスラン公爵様達と一緒に帰って行った。


私はそこまでは疲れていなかったから、マリさんを抱えたまま、すぐに前庭の箱車に向かった。


最後に出窓を見上げて、マリエル母様の姿を探した。


右端の出窓の一番隅に、背の低いマリエル母様のお顔が見えた。


手巾を口にあてて、心配そうに見下ろしていた。


「母様!私は大丈夫です!また今度!」


とそれに声をかけると、マリエル母様は大きく頷いていた。


行きはマリスさんも一緒だったけど、帰りの箱車の中は私とマリさんだけだ。


マリスさんは社交がまだ残っているから、私たちの為に中座は出来なかったのだろう。


揺れる箱車の中でマリさんが意識を取り戻した。


「お姉さまが私を助けてくれたんですね?」


と言って、私の首に腕を回してしがみつく。


「無茶しないで下さい。危ない所だったんですよ」


「お姉さまはやっぱり私の英雄です」


と、うっとりした声でマリさんが私の顔を見上げる。


マリさんの私への信頼がまた強まってしまったみたいだ。


困ったことだと思うけど、どうしようもない。


「もう、あんなことはしないで下さいね」


とだけお願いしておいた。


「いえ、私はお姉さまの為なら、何度でも同じ事をします」


と、全然分かってくれない感じだ。


本当に困ってしまう。


二人してぼろぼろの格好で第十近衛騎士団の寮に帰ると、迎えに出たメルフィさんが目を丸くしていた。


「おい、おい、おい、今度は何だってんだよ。王家の晩餐会に行って何があったら、二人してそんな状態になるんだ?まさか、王宮で反乱でもあったのかい?」


と本気で心配された。


「いえ、ちょっと、模擬戦を…」


と歯切れ悪く答えておいた。


「もう、あんたに関することで驚くことは無いと思っていたけど、誤解だったね。まだまだこれからも大分波乱がありそうだ…」


と呆れたようにメルフィさんが言った。


私達は湯あみをしてから、部屋で二人して食事をとった。


食堂は閉まっているけど、特別に簡単な物を作ってくれていた。


身体強化を使った後はお腹がすくから、とにかく大量に食べないと、体が痩せてしまう。


それで私の目の前には質より量を重視した、大量の食糧が積み上げられていた。


「あんたのその細い体のどこに、その食事は消えていくんだろうね」


といつものようにメルフィさんが言う。


私の食事風景を見るたびに、この言葉を言うのが、最近のメルフィさんのお決まりの習慣になっていた。


そんな事を言っても、食べても食べてもお腹がすくのだから仕方がない。


もし私が普通の庶民の暮らしをしていたら、その家は破産してしまうかもしれない。


ヘーデン家や、近衛騎士団に拾ってもらえてよかったと思う。


そう言えば、中洲の娼館では、あまりご飯を食べさせてもらえなかったから、いつもお腹がすいて、意識が朦朧としていた。それで何も考えられなくて、ただ命令された事だけを機械的にこなしていた。


あの当時はそれを当たり前と思っていたけど、今あの暮らしをもう一度しろと言われたら、とても無理だと思う。


湯あみと食事を済ませ、私とマリさんの二人で部屋でくつろいでいると、来客があった。


マリさんと同じ侍女服を着た壮年の女性だ。


濃い緑の髪をひっつめて、後ろで小さくまとめている。


丸い眼鏡の奥で細い目が鋭くこちらを伺う。


背筋がピンとして厳格なたたずまいのその女性は、私に深く頭を下げて、淑女の礼をする。


「始めまして。私は王家の付きの侍女養成所指導員のユミと申します。ああ、指導員と言いましても、ただの平民なので返礼には及びません」


と、立ち上がって礼を返そうとする私を手で止める。


「お分かりと思いますが、侍女養成所と言うのは組織の表の顔にすぎません。裏の顔は王家の影の仕事を担う『暗部』です。暗部と言っても私たちが所属するのは女性だけで構成される集団で、王国の全『暗部』の中の一部門にすぎません」


と、簡潔に説明する。


彼女が来てから、マリさんが私の後ろで顔をこわばらせて直立不動になっていた。


「ここに来た私の本日の用件は…」


と、少し言葉を溜めてから、ユミさんはマリさんに視線を移した。


「その、身の程知らずの、馬鹿者の処分についてです」


と、冷い言葉をマリさんに投げる。


マリさんの様子を横目で伺うと、恐怖に身をすくませていた。


「その者の本分は影からあなた様をお守りすることです。我等は影の人間。よって、その正体が世間に知れないように細心の注意を払って行動する責務があります。それをこの馬鹿者ときたら…」


と呆れる様にユミさんが大きなため息をつく。


「影から守るどころか、王侯貴族の面前で、己の能力をひけらかし、こともあろうに、魔導士団の赤服と決闘までするとは…。いろいろと、問題の多い者で以前から扱いに困っていましたが、最近はあなたさまの元で良くやっていると、評価を改めていたところでしたのに…」


と、眉間を押さえる。


「思慮は足りないものの、戦闘力の高さから、今まで多少の事は大目に見てきました。しかし、もはやこれまでです。これ以上は私もこの者を庇えません」


とユミさんは決然とした様子で断言した。


「でも、あの場面で、お姉さまを助けるには、ああするしか…」


とうろたえてマリさんが言い訳を始めた。


「御前模擬戦に参戦したことは百歩譲って見逃すとしても、その後がいけません。お前はあの模擬戦の最中で自分が何を言ったかを覚えていますか?」


「えっ、あの馬鹿女に文句を言っただけで…」


「この慮外物が!お前は自分の今日の発言を何も覚えていないのですか!」


と、空気を切り裂くような、一喝で場が凍り付いた。


私もその場で背筋を伸ばして、動けなくなった。


「お前はこともあろうに、王家に秘された極秘情報を、あたりかまわず、公衆の面前で、しかも、自慢げにぺらぺらと大声で喋っていたでしょう!王家への謀反と言ってもいいその発言に、お前はどう申し開きをする気ですか!」


「あっ!」


マリさんは思い当たることがあるようで、その場でがくがくと震えだした。


王家に秘匿された魔導書に関する話だろうか?


「本来なら、お前は『廃棄処分』です。自分がそれだけの許されない事をしでかしたと知りなさい!」


というユミさんの広い袖の内柄から緑の長い蔦が鞭のように伸びてマリさんの体を拘束して、あっという間に天井から宙釣りにする。


「まっ、待って下さい!」


と慌てて私は立ち上がる。


「どうか彼女を許してくれませんか?罪というなら、彼女を止めなかった私も同罪です。彼女を処分するなら、その処分を私に半分分けて下さい。どうか、マリさんを殺さないで!」


と必死に懇願した。


「殺しはしません。もし私がこの者を殺そうとしたら、あなた様と戦闘になるでしょう。それは私も望むところではありません。よって、命だけは助けます。しかし、この者を今の役職に就けておくわけには行けません」


と言って、目を細めて冷ややかにマリさん見上げる。


「お前は解雇です!どこへでも行って野垂れ死にでもしなさい!一度でも暗部に居た人間が王家の庇護も無しに無事に世間で生きて居られると思わない事ですね!お前の身を狙う組織はいくらでもあります。本来は口止めで殺さなければならないのです。これ以上ない王家の寛大な処置に感謝しなさい!」

と反論を許さない強い言葉が帰って来る。


「そんな、お師匠様!クビは許して下さい!私はお姉さまに仕えたいのです!」


「黙れ!縊り殺しますよ!」


と、ユミさんが言うと、マリさんに巻き付いた緑の蔦が彼女の体を締めあげて、きつく食い込む。


「お願いします!どうか彼女を許してあげてください!」


と私も必死にお願いする。


「それは出来ません。この者を許したことが、暗部の他の構成員に知れたら、組織の秩序が維持できません」


「そこを何とかなりませんか⁉私にできる事なら何でもします!」


と更にお願いした。


「ほう?あなた様はこの者をそんなに助けたいのですか?」


と、ユミさんが凍えるほど冷たい目線を私にも向ける。


「ええ、今死ななくても解雇された後で、安全が保障されないなら、意味がありません!なんとかマリさんを助ける方法は無いのですか?」


と立ち上がってユミさんににじり寄る。


ユミさんはその私を横目でじっと見つめた。


「一つ方法が無いことはありません。しかし、それはあなた様に大きな負担を強いる事かもしれません」


「それは何でしょうか?聞かせて下さい」


「それは、あなたがこのマリの所有者になることです」


「所有者?」


意味が分からなくて聞き返した。


「分かりやすく言いましょう。つまりマリをあなたの奴隷にするのです」


というユミさんの言葉に、私は自分の耳を疑った。


「えっ?奴隷って、あの奴隷ですか?」


と間抜けな返事をしてしまった。


「ええ、奴隷と言えば、その奴隷しかありません」


ユミさんの答えは簡潔で、誤解のしようも無いものだった。

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