73 ミーファ、マリVSナコ、エリス1
「お姉様!」
という声に目線を動かすと、ナコさんの背後に飛び上がって右手を振りかぶっているマリさんの姿が見えた。
マリさんの右手は手刀の形に伸ばされていて、その先は透明の尖った氷の様な物で覆われていた。
「待っ…」
止める間もなく、その手がナコさんの背中に振り下ろされる。
無防備にさらされたナコさんの背中にその氷の手刀は……刺さらなかった。
ガッ!と乾いた音がして、光の盾に防がれていた。
誰かがすぐそばに飛び降りて着地する足音が聞こえた。
「決闘よ!余計な手を出さないで!」
とエリスさん声がした。
ナコさんが、マリさんの方に振りむく。
その機会に私は彼女の体を掴んで上に放り投げた。
そのまま転がって立ち上がる。
私の横にマリさんが立っていた。
目の前にはナコさんとエリスさんが居た。
「お姉様、ご無事ですか?」
と心配そうなマリさん。
「ええ、問題ないです。それより、なんで来たのですか?」
「控室で待っているのも暇だったので、覗きに出て来たんです。そうしたらこんな馬鹿げた状況だったので」
とマリさんが目をウルウルさせる。
「あなた、『氷姫』ね。暗部の人間がなんで、しゃしゃり出てくるの!」
と聞いたことのない名前でマリさんが呼ばれていた。
「うるさい!こんな晩餐会の席でいきなり仕掛けてきて、何が決闘だ!せっかく綺麗にしたお姉様の晴れ姿が台無しだ!私はお姉さまの侍女だ!お姉様の敵は私の敵だ!お前ら殺す!」
と両手に氷の刃をまとわせて、マリさんが吠える。
「いいわ、私もやりたくてうずうずしていたのよ。二対二よ。あの日のお返しをしてあげるわ」
とまた、こちらを見下すような態度をしてエリスさんが言う。
「ふん、あんた、どれだけ実戦してないの?ぬるい魔法師団で毎日遊んでる『顔採用』の人間が偉そうに。お姉様に一撃で負けた雑魚のくせに、偉そうにするな!この馬鹿!」
と、マリさんもなかなか口が悪い。
でも私の言いたいことを言ってくれて、私もすっきりした。
「あなたこそ『顔採用』のくせに。鏡を見たことが無いのかしら?」
「何を言っているの?私みたいな仏頂面の不細工がなんで『顔採用』なのよ、あんた、目が悪いんじゃないの?」
「はあ?本気で言っているの?あなた凄い美人じゃない!」
「どこが⁉あんたの方がずっと美人でしょ!嫌味もそこまで行くと笑えるわ!」
「いえいえ、あなたの方が美人だって。私なんか金の髪色ばかり褒められて、顔は大体無視されるのよ!」
「ふざけないで!私はいつも顔が怖いって言われるのよ!あんたの方が美人に決まっています!」
「いえ、あなただってば!」
と、なんだか顔の褒め合いみたいになって、悪口じゃなくなってきた。
変な感じだ。
「あー、あたしの前で顔の褒め合いはやめてくんないかなー。この中じゃあたしが一番不細工なんだからさ…」
とナコさんが白けた感じで言う。
「いいえ、ナコさんもとてもかわいいお顔をしています。私はいつも何を考えているか分からないと言われて、馬鹿にされる顔なんです。正直、ナコさんみたいに表情が豊かでかわいらしい顔に憧れています」
と流れに沿って、とりあえず褒めておいた。
でもこれは本音で、嘘ではない。
「あー、お世辞?あたしなんか今までモテたことないからね。少し前にオークの集団に迫られたくらいで、さっぱりなんだよ…」
と、自信なさげに言う。
「オークさんと言う方に告白されたのですか?私なんか誰にも告白された事は無いですよ?」
「えっ!ほんと?そりゃあ、意外だね。でも、オークって言うのは普通の人間じゃなくて、気持ち悪い亜人なんだよ」
「お姉さま!今まで告白をされたことが無いというのは本当ですか?なんて、この世の男たちはヘタレなのでしょう。でもそれは、お姉さまがモテないからでは無くて、神々しすぎて声をかけられないだけです。では、告白の第一号の栄誉は私がもらいます。お姉さま愛しています!」
「うげ、あんたら、そういうのだったの?引くわー…」
「いえ、誤解をしないで下さい。私は…」
と話が変な方向に盛り上がってきた。
「こらー!」
と上の出窓の方から炎帝様の声がした。
「何、楽しそうにおしゃべりしているんだ!真面目にやれー!」
と怒っている。
私はハッとした。
そうだ、決闘中だった。
「えーと、それで、どういう感じでしたっけ?」
と、みんなの顔を見回す。
「二対二でやろうって、そこのエリスが言いました。そして、なんでか、あの女が私を美人だって言い始めて…」
「何を言っているのよ!あなたが先に私を『顔採用』って言ったんじゃない。変な話にしたのはあなたの方じゃない!」
「いいよ、エリスさん。とにかく勝負だよ。口より実力で分からせてやろう。勘違い女たちに本当の現実を教えてやろうよ」
と、ナコさん。
エリスさんと言う人も、多分ナコさん以上に強そうだ。
以前と同じに考えない方がいい。
私も本気でやった方がいい。
「どなたか、魔鋼の模擬剣を持っていらっしゃいませんか?」
と上の出窓に向けて声をかけた。
「模擬剣は無い。真剣ならあるぞ!」
と一人が答える。
そちらを見ると、王太子殿下が見下ろす横に、背の高いおじ様立っていた。
長い土色の髪を後ろでくくっている。首が太く、肩幅ががっしりしている。顔に見覚えがある。確か第一近衛騎士団の団長さんだ。
近衛騎士団の全団長は、名目上今の王太子殿下が務めている。ただ、これはお飾りと言う話だから、実質的には第一近衛騎士団の団長さんが、全近衛騎士団で一番偉い人という事になる。
でも、私は一度しか会ったことが無いから、名前もよく思い出せない。
(真剣かー…)
私はナコさんの方を見る。
「いいよ」
とナコさんは答えた。
「あんたが使うなら模擬剣も真剣も同じだろ。こっちの魔法は全部真剣みたいなもんだから、その方がいいよ。その代わりこっちも完全装備でやらせてもらうよ」
と、構わない感じで言う。
「あたしの、魔鋼の円盾と小手を持って来て!」
と、遠くで待っている小姓のような下働きの人に声をかけている。
その人は小走りに来て、黒鉄に銀色のきらめきが乗った、輝く盾と小手を一つずつを、ナコさんに渡す。
それを確認して私も出窓の第一近衛騎士団長さんに声をかけた。
「お願いします。お貸しください!」
「よし、受け取れ!」
と装飾の綺麗な長剣が投げられる。
片手で受け取って、鞘を払う。
普通の長剣だから、私の模擬剣より短いし細い。
ちょっと物足りない気がするけど、軽い分片手で振れるから、両手を別々に使えるし、いいかと思い直す。
剣を左手に持って軽く二三回振ってみる。
手に馴染む。いい剣だ。
試しに魔力を通すと、すんなりと、流れて行って、美しく剣が発光する。
剣の表面に刺繍の様に植物の蔦のような模様が浮かぶ。
そう言えば高級な魔鋼の剣は、装飾の模様も凝っていると聞いたことがある。
買えばとんでも無い値段がする剣なのだろう。
でも、わたしはこの剣より、マリエル母様に貰った、無骨な『斬魔剣モノホシザオ』の方が好きだ。何の装飾も無い質素な剣だけど、あの剣がある限り、誰にも負ける気がしない。
今まで本当の全力を出した事は無いけど、あの剣なら私の全力に耐えられる気がする。
多分、この剣では無理だ。
自分の中にまだ何か得体のしれない力が眠っているのをいつも感じる。
その力は絶対に出してはいけないものなのだと思う。
本気の外の、更に先にある『真の本気』。
それを出さなければならない時は、私が人間でいられなくなる時なのかもしれない。
私は自分の中に眠るもう一人の自分が怖い。
「よし、いいよ」
と、ナコさん。
左腕に魔鋼の円盾をはめ右手に魔鋼の小手をはめている。
右手の指を何度も握りなおして、感触を確認している。
「そんなものを両手にはめて、魔法が出せるんですか?」
と訊いてみる。
「ああ、普通は出来ないね。普通の魔法使いは手の平の前で魔法を発動するから、魔力を阻害しないように、みんな素手でやるんだよ。でも、あたしは自分の体の周り、どっからでも魔法を発動できるから、関係ない。あたしって、天才らしいからね」
「よく、自分で言いますね」
「あんたも100年に一人の天才なんだろ?言ってみなほら、『私って、天才なんです~』って」
「嫌ですよ。恥ずかしい」
「ふん、いい子ぶりやがって」
「だから、決めつけないで下さい」
「おーい、いいかー!」
とまた、炎帝様ののんびりとした声が上からする。
「はーい!」
とそれに答える。
「そんなら、またはじめだー!」
と、のんびりの声で模擬戦が再開された。
すぐにはとびかからずに、マリさんと様子を伺う。
「お姉さまは自由に動いてください。私が補助します」
と、マリさん。
「ええ」
と、前を向くとエリスさんが右手をゆっくり上げた。
何か仕掛けて来る。
次の瞬間、小さな輝く粒子の様な物が目の前に飛んで来る。
用心してそれを見つめると、その粒子が急に大きく光った。
目がくらむ。
とっさに目をつむるが遅かった。
その後で、目を開けても周りの景色が分からない。
暗い中で急に光ったから、そのせいで目周りの暗さにすぐには慣れない。
体の周りに何かの魔力が展開しているのが分かった。
それに備えて、全身に身体強化を発動する。
攻撃は来ない。
目がなれると、全身が光の幕の様なもので包まれていた。その幕は二重、三重、に増えていき、最終的に五枚重ねになった。
剣を振って、断ち切ろうとしたけど、ぐにゃりとたわんで、うまく切れない。
「お姉さま!」
と、マリさんが、氷の刃を飛ばして光の幕の外側を攻撃する。
マリさんの攻撃でも幕はたわむだけで切れない。
「エリスさん、これじゃ、あたしも攻撃できないよ」
とナコさん。
「ええ、いいのよ。確実に勝ちに行くわよ。真向勝負なんか必要ない。格の違いを見せつけて、圧倒してやるの。まず、『氷姫』を二人でやるわよ!」
とエリスさんが残忍な顔で笑う。
「えー…?」
と不満そうなナコさん。
「お姉さま、待っていてください。まず、あのエリスを潰して、その『光檻』を解除しますから」
と、マリさんがエリスさんに向けて突っ込んで行く。
走るというより地を滑る様な、信じられない速さで前に進む。
見ると、エリさんの足元に氷の道が出来ていて、彼女の脚先の氷の刃がその上を滑っていく。
「待って、マリさん!」
と言うが彼女は止まらない。
マリさんが左手を振ると、氷の刃が十本くらい生まれて、エリスさんに飛ぶ。
「ファイアー・ウォール青!」
とナコさんが言うと、エリスさんの前だけに、人一人分だけ隠れるような、青い炎の壁が立ち上がった。
それに触れると、マリさんの氷の刃一瞬で溶けて蒸発する。
「邪魔!」
とマリさんがナコさんに向けて、沢山の氷の刃を飛ばす。
「ファイアーボール!」
と言うナコさんの前に青い火球がいくつも生まれて、マリさんの氷の刃を撃ち落とした。
そして、凄い速度で走り回るマリさん目掛けて、いくつもの青い火球を飛ばす。
見当違いの方向に火球が飛んで行ったと思ったら、その火球が進路を変えてマリさんを追いかけ始めた。火球に追いつかれる寸前で、マリさんは振り向いて体の横に分厚い氷の盾を展開して、火球に対して斜めに構える。その氷の盾に当たった火球は盾を溶かし、斜めに滑りながら小さくなって消えた。
「ふん、火魔法とは、さんざんやってるのよ!」
とマリさんが自慢げに言う。
「へえ、それなら光魔法とは?」
後ろ向きに滑るマリさんの横に、いつの間にかエリスさんが立っていた。
その両手の平を真っすぐ、マリさんの脇腹に突き出す。
エリスさんにの手のひらに小さな光の盾が展開していて、それでマリさんを氷の盾ごと弾き飛ばす。
「きゃ!」
とマリさんが氷の道を外れて、転がった。
「今よ!」
とエリスさん。
「ファイアー・プリズン!」
とナコさんが言うと、マリさんの体の周りを青い火の壁がぐるりと取り囲んだ。
とっさにマリさんが自分の周りに氷の壁を立ち上げる。
じゅわじゅわと、大きな音を立てて水蒸気が立ち昇る。
氷の壁は生成するそばから溶かされて、どんどん薄くなる。
「降参しなさい。死ぬわよ」
とエリスさん。
「誰が降参するか、このクソ馬鹿女!」
とマリさんが叫ぶ。
私はやっと内側の光の幕を一枚壊したところだった。
でも、壊したその外にまた別の幕が出来ていて、幕の数は五枚のまま減らなかった。
(マリさんがやられる!私が足手まといになってどうするの!)
とひたすら焦った。
光の幕の中で夢中で剣を振っていたら、なんだか息苦しくなってきた。
空気が減ってきているみたいだ。
ナコさんの魔力量はけた違いだから、このままでは、マリさんの魔力が先に尽きて、氷の盾が作れなくなる。
私は考えた。
(光の幕が壊せないなら、別の壊せるものを壊せばいい)
私は自分の足元を見た。そして剣を斜め下の地面に向けて突き立てた。身体強化を強力に掛けた剣は刃の付け根まで斜め前の地面に潜っていた。
(やっぱり、地中までは光の盾は展開していない)
私はがに股でしゃがみこんで、剣の柄を両手でしっかり握りしめた。
でも、ここでの私の姿はとてもまずい状態になっていた。
さっき炎の鞭で夜会服の裾が短く切られているので、しゃがんで脚を開くと、裾部分が捲れ上がって、私の大事な部分が全て外に見えてしまっていた。
今の私の姿は、ナコさんとエリスさんの正面から見たら、捲れた夜会服の裾の奥、腰布の中の更に奥のむき出しの部分まで丸見えになっている状態だった。
背後の出窓の方からは私の背中で見えないのがせめてもの救いだけど、やっぱり恥ずかしい。
顔から火が出るほど本当に恥ずかしい。
「まあ、お姉さま!まあ、まあ、お姉さま!」
とマリさんが顔を赤くして叫ぶ。
その声で、こっちを向いたナコさんとエリスさんも、口を開けて一瞬動きが止まる。
「見ないでー!」
と言いながら、渾身の力で剣を上に引き上げる。
メリメリと地面が裂けて、剣が持ち上がる。
刃の先が光の幕の五枚目の外側に現れて、そのまま五枚の幕ごと上に持ち上がる。
下から隙間の空いた幕は、もやもやと霞んで全て霧散した。




