71 ナコの鍛錬3
最初の石はあたしの脚元の大岩に当たって、横に跳ねてった。
他の四頭も最初の奴の真似をして、次々にでっかい石を投げてくる。
そのうちの一つの石があたしの体目掛けて飛んで来る。
「ふっ!」
とその石を右の拳で受けようとして、少し狙いがそれた。
石が魔封じの腕輪に当たって跳ね返る。
『ジン』で腕を強化していたから腕は無事だったけど、腕輪は少しへこんだ。
(ん?)
何か心の底にもやもやするものが有った。
何か大事な事を忘れている気がした。
それが、喉元まで出かかってる。
(えーと、あたしって火の魔法使いだよね。で、魔法が使えれば、こんな奴ら一ひねりだよね)
そうなのだ。
『ジン』の使い方は分かった。
訓練としては充分だ。
あと、命を捨ててまで、『ジン』だけで戦わなきゃいけない理由はない。
魔法が使えるなら魔法で戦った方がいい。
で、あたしが今魔法を使えないのは、この腕輪のせいだ。
鍵は持ってこなかったから、自分では開けられない。
だからずっと魔法無しで戦っていた。
(でもさ…)
あたしの拳は今、ドグラの硬い頭も砕けるんだよ。
(…ってことはさあ…)
また、飛んできた大石を左手で払い飛ばす。
(こういうことが出来るんじゃないかなー?)
と、右手に付けた『魔封じの腕輪』の留め金の部分を反対の左の拳骨で叩いてみた。
金具が歪む。
もう一度やってみる。
腕輪が歪んで斜めに留め具が外れかかっている。
そこに、大石が飛んできた。
わざと腕輪の部分で大石の投石を受ける。
腕輪が壊れて、飛んでった。
(よし、あと一つ)
と思った時に、大石が三つ同時に飛んできた。
(ヤバッ!)
一つを右の拳で弾く。
もう一つは頭の横をかすめていく。
でも、最後の一つは腹の真ん中に食らってしまった。
息が詰まる。
大岩の上からふっ飛ばされて、あたしの体はずっと後ろに転がった。
「ごあっ!ごあっ!ごあっ!」
と一番体の大きい一頭が、あたしのほうにどたどたと走って来る。
攻め時と見定めたみたいだ。
(それは正しいよ)
あたしはかろうじて体を起こしたけど、地面にへたり込んだまま立ち上がれなかった。
右手の拳骨に『ジン』を込めて、左手首の腕輪に叩きつける。
しっかり呼吸が練れてなかったから、留め金が歪んだだけで、壊せなかった。
どたどたとでっかい足が目の前で立ち止まる。
見上げるとぶっとい棍棒を頭上に振りかぶっている。
丸太みたいな棍棒がうなりを上げて振り下ろされる。
(あたし、死んだ⁉いや、まだだよ!)
今使えるありったけの『ジン』で全身を固めて、左腕で棍棒を受ける。
ゴッ!
周りの風景が歪むくらいの凄い衝撃があった。
頭の中に火花が散った。
キーンと耳鳴りがして、意識が遠のいた。
目の前に地面が見えていた。
かろうじて気を失う事は無かったけど、体が動かない。
でっかい緑色の指があたしの頭を掴んで持ち上げる。
宙づりになる。
顔に押し付けられた緑の手の肉の向こうで、不細工の緑の顔がすぐ目の前に見えていた。
残りの連中も、どたどたと集まって来ていた。
「ごあっ!ごあっ!ごあっ!」
「ごあっ!ごあっ!ごあっ!」
「ごあっ!ごあっ!ごあっ!」
「ごあっ!ごあっ!ごあっ!」
「ごあっ!ごあっ!ごあっ!」
と嬉しそうに連中が吠える。
あたしの体の手や足を一本づつ掴んで、それぞれが勝手な方向に引っ張る。
「いててて、千切れるって!」
と思わず声が出る。
あたしは自分の左腕を見る。
緑のでっかい手に捕まれていて、手首のあたりは見えない。
でも、自然とあたしは笑っていた。
もう、『ジン』は尽きた。
こんなじゃ、呼吸も練れない。
その代わりに慣れ親しんだ魔力の感覚が戻っていた。
『魔封じの腕輪』が足元に落ちているのが見えた。
「くらえ!ファイアー・ボール‼」
体の周りに一気に十個くらいの、火球を作って、適当に辺りにぶっ放した。
とっさだったから、威力の弱い、『赤』しか出せなかったけど、とりあえず速さを優先させた。
「ごっはー!」
「ぐげげげ!」
と奴らが叫んであたしから手を放す。
突然に火を食らって動揺していた。
あたしは地面に落ちて、また地べたに顔を打ちつけた。
「おい、女性の扱いがなってねーぞ!」
と文句を言って、顔を上げる。
連中は慌てていたけど、分厚い緑の皮膚には大して効いていない感じだった。
(そんなら!)
「ファイアー・ニードル」
十本くらいの火の針…今度は青い高火力の奴…をまた適当に周りに発射した。
「ぎゃー!」
という悲鳴がした。
「も一度、ファイアー・ニードル!」
と、更に駄目押しの青い火の針を、今度は二十本くらいでたらめに撒き散らした。
「グギャー!」
「グガー!」
狙いも定めずに魔法を打ったけど、連中は全員集まってあたしを取り囲んでいたから、ほとんど全弾命中したみたいだった。
緑の五匹があたしの周りから叫びながら離れて行く。
どたどたといくつもの足音が遠ざかっていく。
そして、側の茂みにガサガサと逃げ込む音がした。
体を起こして、辺りを見回した。
ガサガサいう茂みの音がどんどん遠ざかっていく。
本気で逃げて行ってるみたいだ。
(やった、助かった?)
暫く辺りの気配を探る。
「コー、ヒュー、コー、ヒュー」
と『ジン』を練って、感覚を遠くまで広げる。
近くに敵の気配はない。
無意識にやっていたけど、『ジン』で辺りの『気配察知』まで出来るみたいだ。
これやっぱり、あたしって天才?
と気分が良くなった。
ほっと、安心したその時、『感覚』の端っこに何か恐ろしく巨大な気配が引っかかった。
(何!?)
その巨大な気配は真っすぐこちらに近づいてくる。
人が速足で歩くくらいの速度だ。
(今度は何だってんだよ!)
と、さすがにうんざりした。
巨大な『ジン』の気配。
首筋がチリチリする。
さっきまでの連中とは比べ物にならない強さだ。
多分あたしが何をやっても、こいつにはかなわない。
それが、相手を見る前から分かった。
(どうする?考えろ。何か。相手は多分人型だ。知性がある。こいつはさっきの奴らより、ずっと強い。多分奴らの親玉だろう。あの分厚い皮に魔法は通るけど、今の弱ってるあたしじゃ、高火力の魔法は連発出来ない。やるなら、狙い澄ました一撃を、出会い頭にお見舞いするしかない)
あたしは目の前にファイアー・ボール青を練る。
火力の安定しない不細工な奴しかできなくて、自分で苦笑してしまう。
これじゃ、狙いもきっと正確じゃ無い。
(ちくしょう、でもやるしかない)
少し先の茂みがガサガサと音を立てる。
徐々に『そいつ』が近づいてくる。
茂みの暗がりに、人型の巨体の姿がかすかに見えた。
(今だ!)
魔法を悟られないように、今だけは無言で、ファイアー・ボール青を発射した。
(頼む!当たれ!)
という願いも空しく、それは『そいつ』の手前の地面に落下して火柱を上げる。
(これで、あたしの存在はばれた。あとはあっちがどう出るかだ)
覚悟を決めて待っていると、茂みの中から『そいつ』が姿を現した。
そして『そいつ』は口を開き、声を出した。
「あっちぃ!馬鹿野郎!何しやがる!森で火を使うなって、何度言ったら分かるんだ!このクソガキ!」
拳を振り上げてぷんぷん怒っている。
見慣れた男の姿がそこにあった。
ゼスだった。
「てめえ、俺を焼き殺す気か!」
どかどか地面を踏み鳴らして、近づいてくる。
安心して気が抜けた。
そう言えば、ここゼスの小屋のすぐそばの泉だ。
数日おきに狩りに来るゼスと会うことに、なんの不思議もない。
「はは、なんだよ、ゼスかよ。紛らわしいんだよ、この糞親父」
ゼスは近くに来てあたしをじっと見る。
「んー?なんだ?お前、ぼろぼろじゃねーか」
そして、大岩の横に倒れている緑のでか物に目を止めた。
「なんだ、お前『オーク』と戦ったのか?」
と腕組をして言う。
「『オーク』ってなんだ?」
「『オーク』は亜人だ。普段連中は森の奥にいて、こんな王都寄りの浅い所には来ないんだがな。こいつらは群れで行動するから、まだ他にもいただろう」
「ああ、全部で八匹居たよ。最初の三匹が、あたしの仕留めたドグラを勝手に食ってやがったんだ。それで文句を言ったら、チ●コをおっ立てて迫ってきたから、ぶちのめしてやった。そしたらあと、五頭が出てきて、また戦闘になったんだ」
「そうか」
と、ゼスがあたしの頭に手を乗せる。
すると、頭のてっぺんから熱い『ジン』がドバドバと体に流れ込んできた。
「お前、『ジン』を使えるようになったんだな。そうでなかったら、この俺の『ジン』は受け取れないはずだ」
体に力が戻って来て、あたしは立ち上がった。
「ああ、死ぬ気になったら出来た。でも、最初はあの世のエルが助けてくれたんだ。頭のてっぺんから、自分のじゃない力が、注ぎ込まれるような、不思議な感じがした」
というと、ゼスがため息をついた。
「おいおいおいおい、お前やっぱり、とんでもねーな。それは、古式玄竜拳の奥義だぞ。自分の力を越える『ジン』を『玄界』からお借りして引き出すんだ。みんなその境地に至る為に何十年も研鑽を重ねるんだ。それを今日一日で覚えたのか?」
「知ってたのかよ。なんでやり方を教えてくれなかったんだよ。死ぬところだったんだよ」
「阿保か!普通はまず、自分の中の弱い『ジン』を練れるように訓練をするんだ。それが出来るようになったら、徐々に『玄界』とつながる修行に入る。基礎も出来ていない初心者に、いきなり奥義を教える訳ないだろ!」
「でも、できたよ」
「下手したらその前に死んでるぞ。そこに落ちてるのは『魔封じの腕輪』か?壊れてるみたいだが、なんでそんな高価なもんがあるんだ?」
「爺様からくすねて来た。これを付けてドグラと戦ったんだ。死ぬかと思った」
「そこの、でかい奴か?よくあれに勝てたな。お前、自殺願望でもあるのか?それとも頭がおかしいのか?」
「あー、多分頭がおかしいんだろうね。自分でも自分が馬鹿だと思うよ。でも、成果はあったよ。あたしは強くなった」
「何が強くなっただ?このど素人が。お前にはまだ立ち方と、呼吸と、中段正拳突きしか教えてないんだぞ。基本的な身のこなし方も分からないやつがいきなり『奥義』を覚えてどうするんだ?相手が真っすぐ突っ込んでくるドグラだったから勝てたが、対人戦なら相手はみんなお前の攻撃を避けるからな。お前がいくら強力な突きを持っていても、当たらなきゃ意味が無いぞ」
「えっ、そうなの?」
「お前はいろいろと、順番がおかしいんだよ。あー、しょうがねーな。今日は狩に来て、『仕入れ』をするつもりだったけど、ちょうど、お前の仕留めた獲物がある。まあ、あれは日持ちがしないから、とりあえずは保存食の燻製肉作りだ。そのあとで稽古をつけてやる。お前に基礎を教えていたら日が暮れる。実戦形式で、対人戦の体術を体に叩き込んでやる」
「えっ、やった!でも、獲物って、オークとかいう奴が食っちまったよ」
「あいつらは内臓や脳みそから食べるから、他の部分は無事だろ。オークは亜人と言っても動物に近い奴らだからな」
「あたしが殺したオークも食う?」
「馬鹿、誰があんなもん食うか。気持ち悪い。あれはどこかに捨てて来ないとな。ほっとくと腐って臭くなるし、その匂いで森の魔獣が寄って来る。どこか遠くに持って行って捨てるしかない。厄介なことだ。だから、オークは殺さずに追っ払うくらいにしておいた方がいいんだよ」
「燻製は大丈夫なの?」
「ほんとは駄目だが、お前の火魔法があるから、寄って来てもすぐ追い払えるし、まあ大丈夫だろう。森の魔獣は火を嫌うから、煙を嗅いだら寄ってこない。とりあえず燻製の横ででかい焚火をやっとくさ」
「昼から焚火は暑いよ」
「風下でやればいい」
「そっか。じゃあ、手伝うよ」
「いらん。俺が薪を集めて来るから、お前はその泥だらけの体をまず洗って、それから小屋で休んでおけ。俺の模擬戦はきついぞ。少しでも体力を回復しておけ」
「体を洗うって、その泉だろ?ここからじゃ丸見えじゃないか。恥ずかしいだろ!覗くなよ!」
というとゼスが盛大にため息をついて、あたしの首根っこ掴む。
そして、服のままで、あたしは泉に放り込まれた。
「ぶはっ!何すんだ!」
「服ごと洗え!お前オーク臭いぞ!そんな匂いで俺の小屋の寝床は使わせられないからな!」
「何が寝床だ!木の板にその辺の藁が敷いてあるだけだろ!」
「こんな森の奥に奇麗な藁があるわけないだろ。あれはわざわざ王都から持って来たんだ。それから、小屋には着替えもある。俺のだからちいとでかいが、適当にまくって紐でくくれば何とか着れるだろ。寝間着代わりにそれで寝とけ。お前の着てきたその作業着みたいな服は干しとけばじきに乾く。乾いたら、また着替えろ」
「ああ、分かったよ。あんたといい、オークといい、女性の扱いが雑だね。この泉に放り込まれるのはこれで今日二度目だよ。あんた間違ってもあたしに迫って来るんじゃないよ!オークみたいにチ●コおっ立てるなよ!」
「このクソ馬鹿が!お前みたいな薄っぺらいクソガキに誰が興奮するか!俺をオークと一緒にするな!あれは他種族のメスならなんだっておっ立てるんだ!ワマのメスが相手だっておっ立てる奴らだぞ。てめえがモテた気になってんじゃねーぞ!」
「なんだよ!あんた、あたしの魅力がワマのメスと同じだって言うのか!あたしはあんなに口がでかくねーぞ!」
「大口は叩くじゃねーか」
「意味が違うだろバーカ」
「分かって言ってるんだバーカ」
「分かってねーだろバーカ」
「それはてめえだバーカ」
「うるせえバーカ!」
「やかましいバーカ!」
「バーカ、バーカ!」
「師匠にその口の利き方は何だバーカ!」
「自分で師匠って呼ぶなって言っただろがバーカ!」
「正式に奥義を教えるなら師弟関係にならなきゃいけない決まりが有るんだよ。だからお前は今から俺の弟子だバーカ!」
「ああ、そうかい。じゃあ仕方ないから弟子になってやるよバーカ!」
となんだか分からない間にあたしは正式にゼスの弟子になった。
それから、あたしたちはこの小屋の周りで、三日間の模擬戦に明け暮れた。
で、三日後王都に帰ったゼスは、無断で森に籠ったことで、嫁さんにこっぴどくどやされていた。店もその間勝手に休んだから、その分の稼ぎを取り戻すために、あたしとの修行はしばらくお休みになった。
でも、屋敷に帰ると、さっそく爺様が寄ってきた。
そして、
「お前、前より少し強くなっているな。分かるぞ。強くなった『匂い』がする。よし、これからわしと模擬戦だ」
とニコニコ笑っていた。
「あー、ちょっと今疲れてるし、眠いから、明日にしてくんないかなぁ…」
と嫌そうな顔をしてやったけど、爺様は構わずにあたしの腕を掴んで、屋敷の訓練所に引っ張っていく。
「疲れていても敵は待ってくれないぞ。これも鍛錬だ」
とかなんかいい事を言っている風に言うけど、この爺様はただ自分が戦いたいだけだ。
その後、あたしは爺様に、魔法無しの肉弾戦に一日中付き合わされた。
後半は意識が朦朧として自分が何をやっていたのかも覚えていない。
後で爺様が、
「お前、立ったまま寝ていたぞ。だが、わしの一撃を寝ながら受けていた。あの受けはゼスの技だな。面白い。やっぱりあの男も今度呼ぶか」
と、楽しそうに言っていた。
いや、寝てる人間を攻撃するなよ。鬼畜か!?
と、さすがのあたしもドン引きした。