65 ミーファの独白4
今日は朝から、マリさんが不機嫌だ。
第十近衛騎士団の皆もどこかよそよそしい。
冷たいという感じでは無いのだが、何故か私の顔から気まずそうに眼を逸らす人が多い。
今日は夜に、ゼルガ公爵派の月に一度の会合があるという話だ。
そのお披露目に、私も呼ばれている。
「着ていく服はどうしたらいいの?」
とマリさんに尋ねると、
「服は向こうにあるので、騎士服で構いません」
という短い答えが返ってきた。
夕方になって、部屋を出る時に、メルフィさんに声をかけた。
メルフィさんはまだ寝るには早いのに、こちらに背を向けて寝台に横になっている。
「それではメルフィさん、行ってきます。何か美味しいものがあったら、隠してお土産に持ってきますね」
というと、
「ああ…」
と、横になって背を向けた姿勢のままメルフィさんは短く答えた。
何故か、近衛騎士団の裏門に『箱マ荷車』が停められていて、それに乗るように促される。
中には私以外にあと二人、第十近衛騎士団の団員の女性が既に乗り込んでいた。
二人ともあまり話をしたことのない人で、少し気まずい。
どちらも奇麗な顔をした上品な人で、あまり真面目に鍛錬をしているのを見たことが無い。
どちらかというと、訓練所の隅でおしゃべりばかりしている姿が、記憶に残っている。
「失礼します」
と挨拶をして、私は空いている席に座る。
四人用の小さな箱車なので、私の横にマリさんが座って満員になった。
すぐに車は走り出す。
皆、何も話さない。向かいの二人は、それぞれ反対の窓の外を、つまらなそうに眺めている。
これから、行く会合を楽しみにしている様子が無い。
むしろ、嫌そうな憂鬱な顔をしている。
「あのー…」
と、向かいの女性に声をかける。
名前が思い出せない。
「なに?」
と、向かいの女性は面倒臭そうに目線をこちらに向ける。
「私はこの会合が初めてなんです。どんな会合なんですか?先輩は以前に行ったことが?」
と尋ねる。
「ああ、私は3回目だね。どんな会合かは…」
と言って、マリさんに目を向ける。
「そこの小さな侍女に訊いた方が早いよ。そいつは、こういうことの熟練者だからね」
と少し笑って言う。
その顔にどことなく馬鹿にした感じがあって、私は嫌な気分になった。
なんか、これ以上は聞いちゃいけないような感じだ。
マリさんを横目で見ると、やはり、無表情で前を見ている。
それきり会話は無くなって、無言のまま、車の揺れに身をまかせていた。
思ったより長い時間車は走り続けていた。
ゼルガ派は大きい派閥なので、すぐ近くで会合があるのだろうと考えていたけど、窓の外の風景はどんどん寂しくなる。
そして、箱車が停車する。
大きな三階建てのお屋敷があり、庭に、立派な装飾の箱車が何十台も停められている。
このお屋敷の周りは緑豊かな森になっていて、どこかのお金持ちの別荘のような感じだ。
四人で車を降りて、裏口のような入り口から中に通される。
細い通路を進み、部屋に通される。
「ここで着替えます」
とマリさんが言う。
一緒に来た二人は隣の小部屋に躊躇なく入っていた。
慣れている感じだ。
部屋に入ると簡単な椅子と机に、長椅子が置いてある。
マリさんは衣装棚の扉を開けて中の服を二着出した。
薄い生地で向こう側が透けて見える、布の面積の少ない服だった。
(ああ、そういうことか…)
とその服を見て、自分がどういう状況にあるのか理解した。
「奇麗な服ですね」
と言って、マリさんに笑いかけた。
気まずそうに服を持って来たマリさんは、私の言葉に驚いたような顔をする。
「マリさんも人が悪いですね。そういう事なら言ってくれればいいのに。大丈夫ですよ。実は私、それほど育ちが良くないんです。こういうことは結構慣れているんですよ」
と彼女に笑いかけた。
しかし、言いながら何故か少し胸が痛んだ。
ガルゼイ様の顔が頭に浮かんだ。
「すみません…」
とマリさんが謝る。
「なぜ、謝るのですか?マリさんのせいではないでしょう?」
とまた笑顔で話しかけるが、
「すいません…」
とまた彼女は謝った。
「だいじょうですよ!さあ、お仕事お仕事!張り切っていきましょう!」
というと、マリさんは下を向いて、唇をかみしめた。
そして、ゆっくりと顔を上げて、
「ええ、そうですね。切り替えていきましょう。私も慣れていますから」
と、寂しそうに笑った。
私は騎士服を脱いで、裸の上に、豪華な刺繍のふんだんにあしらわれた小さな胸当てと、腰布を巻いた。その上からさっきマリさんが出してくれた、薄布の寝間着の様な服を身に纏う。
髪は、はやりの髪型で頭の上に高く結い上げて、いくつもの留め金でぐるぐるまきにして固定する。鏡で見るとなんかへんてこな頭になっていて、こんなのが流行りなんて、変だと思う。首がむき出しですーすーする。
マリさんも肩までの髪を頭の周りに留め金で固定して、うなじを出している。
首に宝石のついた、立派な首飾りを巻いて、腕にもキラキラ輝く腕輪を巻く。
準備が完成して、部屋を出ると、隣の部屋の二人も、扉を開けて出るところだった。
二人とも私やマリさんと同じ感じような薄い服に着替えていて、装飾品で奇麗に着飾っていた。
「ふーん、泣きわめいて、逃げようとするかと思っていたら、意外と度胸があるんだね」
と、箱車で話しかけた先輩が、さっきとは打って変わって、親し気に話しかけてくる。
「ええ、私もこういうのは、慣れてますから」
とそれに笑顔で返す。
「安心したよ。あんたが逃げようとしたら、あたしたちがそれを説得する役目だったからね。まあ、月に一度だけのお役目だから、今日を乗り切れば、また、ひと月は自由にできるよ。給料も、他の連中の三倍付くから、好きな物を買い放題だしね」
と言って彼女は、にやりと笑う。
「えっ、三倍ですか?たった一日でそんなに貰っていいんですか?みんなに悪いですね!」
とわざと明るい声を出して、はしゃいでみせる。
「さあ、皆さん、ゼルガ公爵様がお待ちです。ここからは皆さん笑顔でお願いします」
と、マリさんが今まで見たことの無いような満面の笑顔で言う。
作り笑顔が、すごく上手い。
まるで女優さんみたいだ。
私は彼女ほど上手く笑えていないと思う。
それでも口を笑いの形に固定して、目をぐっと細めて、笑っている顔を作る。
「いい笑顔です」
と、マリさんが褒めてくれる。
小部屋の横のらせん階段を上に登って、二階に上がって、長い廊下を少し歩く。豪華な金の装飾のある二枚扉をマリさんが明けると中の立派な長椅子に、ゼルガ公爵が掛けていた。
頭上の照明の魔石が輝いていて昼間のように明るい。
こんなに、贅沢に魔石を使っている部屋を見たのは初めてだ。
やはり、上位貴族はお金持ちなんだなと思った。
「おお、これは美しい!」
と言って、ゼルガ公爵様が立ち上がり、そばに歩いてくる。
公爵様は普通の舞踏会いにいくような、姿で着飾っている。
紫の服に金の刺繍がしてある、豪華な服を着ている。
私達は、腰をかがめて淑女の礼をして、公爵様を迎える。
「ああ、楽にしなさい。もう近衛騎士団での生活は慣れたかな?」
と最初に会った時のように変わらず、親し気に私に話しかけてくる。
「はい、おかげさまで。先輩たちが皆さん優しくしてくれるので、なんの不自由もありません」
と、顔を上げて笑顔で答えた。
「そうか、それは良かった。私がつけた侍女は、君の役に立っているだろうか?もし不満があるなら他の者にいつでも代えるから、遠慮せずに言いたまえ」
と、側にマリさんがいるのに、そんな事を公爵様が言う。
「いえ、私はマリさ…、マリがいいのです。彼女以外の侍女は要りません」
とはっきり答えた。
「そうか、それならいい。この侍女は能力が高いが、好き嫌いが激しくてな。時々とんでもない問題を起こして、困ることがあるのだ。しかし、君とは相性がいいようで安心したよ」
と、とても親切で社交的な話し方をしてくれる。
今この部屋の中で唯一へんてこなのは、私達女性の着ている服だけだ。
スケスケの服でいつものように話をしているのが、違和感しかない。
「さあ、では行こうか、お客様が皆さんお待ちかねだ」
と言い、公爵様は左の肘を曲げて私に向ける。
それに私は軽く手を乗せた。
すぐ隣の部屋に大きな両開きに扉が有り、その両横にやはりスケスケの服を着た、給仕の女中のような見た目の、奇麗な顔の女性が立っている。
私達が扉の前に立つと、その二人が内開きの扉を中に開く。
なかはさっきの部屋より少し薄暗くなっていて、ところどころに赤い色の明かりが灯されていた。なんだか娼館のような怪しい雰囲気が漂っている。
会場の所々に丈夫そうで大きな長机が置いてあった。その上で色取り取りの、羽衣のような薄布の衣装をまとった女性が、体をくねらせて踊っている。
踊り子さん達は肌の色が薄っすらと浅黒く、目鼻立ちのぱっちりとした南方風の人達ばかりだった。踊りが上手く、皆背が高くて、胸や腰の豊かな体形をしている。
飲み物を運ぶ給仕は、皆薄布の服を着た美しい女性だ。部屋の中には、他にも薄着の女性がたくさんいて、お酒を飲んだり、男性に腰を抱かれて、しなだれかかっていたりしている。部屋には年配の男性も沢山いて、皆、腰布一枚の裸のような姿で歩き回って、女性に抱きついている。
柔長椅子の上で両手に女性を抱いて、いやらしい顔で幸せそうに笑っている人もいる。みんなお腹が出っ張っていて、太っちょで格好悪い人ばかりだ。
おじいちゃんのような人も居て、骨と皮だけの体で、女性からご飯を食べさせてもらっていた。口の端からぼろぼろこぼしたのを拭いてもらっている。あんなお歳でこんな場所で何をしているのかなと不思議に思う。
「やー、公爵!それが例の『白銀の光巫女』ですかな?これはまた美しい。鍛えた体が実に素晴らしいですな」
と酒に酔って顔を赤くした太り気味のおじさんが、よたよたと歩いてきた。
「これは、神官長。楽しんでられますかな?いつも有益な情報をありがとうございます」
と、公爵様がそれに答える。
「むふうー、この胸は何んとも…」
と言って、神官長と呼ばれたおじさんは、私の胸に手を伸ばす。
すると、マリさんがすーと、私の前に出て、その手を遮る。
「神官長様。『白銀の光巫女』様は、公爵様のご寵愛を受けております。どうかお手を触れられませんように」
と言って、にこやかに彼女が微笑む。
「むっ!お前は!あの時の!」
と、神官長様というおじさんが後ずさる。
「お前!あの時は、よくもわしの玉を蹴り上げてくれたな!あの日の事は忘れていないぞ!」
と怒った赤ら顔で、マリさんを指さした。
「はて、神官長様は悪い夢をご覧になっていたのでは?あの日、神官長様はたいそう泥酔されていたご様子でした。わたくしがそんな神をも恐れぬ振る舞いをする訳はないではありませんか」
と、マリさんが小首を傾げ、自分の頬に手を当てる。
「確かにあの日わしは酔っていたが、玉を蹴られた時だけは正気に戻っていた。お前はニヤニヤ笑って、わしを見下ろしていたではないか!」
「それを、どなたかご覧になっていたでしょうか?申し訳ありませんが、酔った上の話で責の無い事を、責められるのは心外でございます」
と言い、マリさんは淑女の礼でおじさんに頭を下げた。
「個室で二人きりだったのだ!見ていた者など居る訳はないだろう!」
とおじさんがいきり立つ。
「まあまあ、神官長。そんな事より、今を楽しみましょう。会場にお好みの相手は見つかりましたかな?」
と公爵様が口をはさむ。
「いや、選んでいるうちに、目ぼしいのは皆取られてしまった」
と残念そうな顔をしている。
「それなら、この後ろの二人はどうですかな。確か神官長は鍛えた女がお好みでしたな」
と後ろの二人の先輩を見て公爵様は言う。
同時に二人の先輩が前に出て、左右から神官長の腕にしなだれかかって、耳元にふーと息を吹きかけた。
「こんな貧相な小娘は相手にしないで、私たちと楽しみましょうよ」
と先輩たちが色っぽい声で神官長おじさんを誘惑している。
屈強な二人に挟まれて、そのまま抵抗も出来ずに神官長はどこかに連行されていった。
「ふん、ミスラン派の裏切り者が偉そうに。少しいい顔をしたらつけあがりおって」
と、笑顔を消して、公爵様がその背に毒づく。
「ああ、すまなかったね。ほとんどの人間は貴族らしく、上品に遊ぶのだが、中にはあのようにわきまえない者もいる。何かあったらすぐにその侍女を頼るといい」
と私を安心させるように優しい笑顔を向ける。
「君はここで少し待っていたまえ。私はこれから社交がある。聞かせられない込み入った話があるので、一緒には連れていけないが、すぐに戻る。欲しいものが有れば、侍女に言いなさい」
と言って、公爵様が私を置いて、その場を離れて行った。
私は、手持無沙汰になり、会場の壁際の柔長椅子に掛けて辺りを眺めていた。
最初は、会場に入った途端男たちに捕まって、すぐに寝台に連れていかれるのかと思って覚悟をしていたけど、そういうわけではないようだった。その後も私に寄ってくる男性は居なかった。
みんな遠くから私を見て、ため息などをついている。
「あれが例の…」
「公爵が羨ましい事だ…」
とか、小声のこそこそ話が、かすかに聞こえてくる。
お客さんの感じが中州とは全然違う。
中洲のお客さんは、人間だか獣だか分からないような様子の、下品でがっついた人ばかりだった。
それに比べてここのおじさんたちは、ずいぶん大人しい。
今日の私のお相手はどうやら、公爵様お一人になりそうだ。
それに少しほっとしていた。
それでも、胸の痛みがまたぶり返す。
そして、ガルゼイ様の優しい照れた笑顔が思い浮かぶ。
以前なら、こんなことなんとも思わなかったのに、なぜこんなに嫌な気持ちがするのだろう。
ガルゼイ様や、マリエル母様、モンマル叔父様や、ベスさんたちに会って、私の中が何かが大きく変わった気がする。
わたしは以前より心が弱くなってしまったみたいだ。
(こんなことはなんでもない。前は、いつもやっていたことだから…。大丈夫…。私は大丈夫…)
と自分に、言い聞かせる。
マリさんが私の横顔をじっと見つめているのに気が付いた。
「えっ?なに?」
とそちらを向いた。
マリさんは私の顔から眼を逸らして立ち上がる。
「お飲み物と軽食を、いくらかお持ちします。少々お待ちいただけますか?何か問題が有りましたら、その右手の腕輪の、一番大きな赤い魔石を強く押し込んでください。それで、私に信号が届きます」
と言ってその場を離れて行った。
マリさんの姿が人ごみに紛れる。その背が反対側の壁の軽食の並んだ机の方に消えて行った。
するとすぐに、きれいな金髪のかわいらしいお顔の女性が私の側に来た。
「お隣に掛けても?」
と控えめな感じで訊かれる。
「ええ、どうぞ」
と答える。
彼女が隣に掛けると、香水のいい香りがした。
私はこの香りを知っている。
「あなたは、ひょっとしてガルゼイ様の?」
と、その女性に話しかけた。
「ええ、新市街の外れの家の者です。ガルゼイ君は、毎月わたしの家に来ていました。何も言わないのによく分かりましたね」
と女性が驚いた顔をする。そばで見ると華奢な体なのに胸がとても豊かだ。
「ええ、その香水で分かりました。始めまして。いつもガルゼイ様が大変お世話になっています」
と、とりあえず挨拶をする。
「いいえ、そんな、何もしないでお話だけで、金貨をいただいて、むしろこちらが助けていただいたようなものです」
と彼女が言う。
「えっ、それではガルゼイ様とは?」
「ええ、何もありません。まあ、わたしの肌はご覧になっていましたけど、それ以上は何も」
と彼女は念を押すように言った。
「そうですか…」
と言いながら、私はなぜかほっとして嬉しい気持ちになった。
「いつもガルゼイ君からあなたの話は聞いていました。ガルゼイ君の『想い人』のあなたの話を」
と私の目の奥を覗き込むように彼女が見つめてくる。
「そんな。私みたいな汚れた下賤の身の上の女を、ガルゼイ様が好きになる訳は有りません」
「いいえ、ガルゼイ君の想い人はあなたよ。そのあなたが、こんなところで何をしているの?」
と少し責めるように彼女は言う。
「すでにこの世界の住人の私が言えた筋合いの事でないのは、分かって言います。でも、それでも言わせてほしいの。これを知ったらガルゼイ君が悲しむわ。ごめんなさい。もしあなたが選べない立場なら、私は酷いことを言っているわね。でも、もしも引き返せるものなら、引き返して欲しいの。お願いよ」
と彼女は懇願するように私に身を寄せる。
「私…、わたしは…」
と返事に困った。
胸の痛みが強くなる。
「あまり長く話していると不審に思われるから行くわね。余計な事だったら、ごめんなさいね」
と言い残して席を立つと、慌てたように彼女はその場から離れて去って行った。
すぐに入れ替わりでマリさんが戻ってきた。
手に軽食の乗った小皿と、赤い飲み物の入った細いガラスの水入れを持っている。
「あの女は?」
と金髪の女性の去った方を目で追っている。
「知り合いなの。私の事を見つけて声をかけてくれたの」
と言い私は下を向いた。