59 ヒューリン氏は料理上手
ヒューリンさんが配下と言うので、どんな屈強な達人が周りに侍るのかと思っていたら、『ほれ、これじゃ』と、何か小さい物を手に乗せられた。
それは小さな白いネズミだった。
顔を上げて鼻をくんくんしている。
どっからどう見てもただのネズミだ。
「これは何かの冗談ですか?これが、護衛?」
「これは、わしが苦労して、作った人工生命体じゃ。生き物のように動いているが、これに、生命は無い。わしが教えた簡単な指示に、従うだけのオートマタもどきじゃ。
長年の研究でやっとここまで来た。これの核には、小さいがオートマタと同じ神銀を使っている。この仕組みを発展させていけばオートマタの自立思考が可能になるであろう。
このネズミの体は、魔境の森の深部に生息する、不定形動物の体を利用しておる。この不定形動物は体の形を自在に変えて周りの物に擬態する。そして、そばに来た動物などの顔に飛びついて窒息させてからその死んだ動物を吸収するのじゃ。
面白いのは、この生き物には『脳』も『神経』も無いということじゃ。それなのにこの生き物は『思考』しているかのように振る舞う。ただの単細胞生物で、細胞間の連絡神経も無いのに各細胞が連絡し合っているように、動きを同調させて複雑な動きをするのじゃ。なぜ、それが可能なのかは分からん。
わしはこの不定形動物が、その身に『ジン』を宿して、その力を利用することで、別の次元からこの単細胞の集合した体を遠隔操作しているのではないかと睨んでいる。
つまり、この生命体は多次元をまたいで、生命活動をしている可能性があるのじゃ」
話しがどんどんややこしくなってくる。
俺はこの『ハツカネズミ』もどきがどう俺の護衛の役に立つのかを知りたかったのだが、ヒューリンさんの学者魂に火がついてしまい、関係ない自分の研究の話ばかりを、話し始めてしまう。
軌道修正しないと。
「で、このネズミがどうやって、私を護衛するのかを知りたいのですが」
「まあ、待て。今いいところなのじゃ」
「もう、眠いので帰ります」
「せっかちじゃの。仕方ない。話の核心を飛ばして、結論から話してやろうかの。この生き物は柔らかい体の中で、金属より硬く砂の様に小さな『殻』を無数に生成する。そして、身の危険を感じると、小さな殻を体の表面に集めて、敵の攻撃を防御する。一度この不定形動物が防御形態になると、剣も魔法も通らんのじゃ。今この人工生命体は、まだ何も指示を受けていないので、普通のネズミのように振る舞っているが、このネズミにお主を宿主として登録すると、その瞬間から、このネズミはお主を自分の本体と見なし、お主の危機に際して、防御形態をとるようになる」
「ではさっさと登録とやらをして下さい」
と、学者エルフの長話に嫌気がさして、ぞんざいな言い方をした。
「分かった、ほい」
とヒューリンさんが俺の二の腕を指先で軽くなぞると、ぱっくりと俺の腕が裂けて、血が流れだしてきた。
「いて、なにすんだ!この馬鹿エルフ!」
「登録じゃ。ネズミにお主の血を吸わせよ」
「もっと、別の登録方法は無いんですか?」
「これが一番確実じゃ」
俺はしぶしぶ、ネズミに俺の血を舐めさせた。
白いネズミは、夢中で俺の血を吸って、満足してから俺の肩に駆け上って来て、周りの匂いを嗅ぐ素振りを見せた。
「これ、ホントに大丈夫なんですか?」
「試してやる」
と言って、ヒューリンさんが手を俺に向けた。
その指先から稲光が走るが、一瞬で目の前に白い盾が展開して、その稲光を弾いた。
そして、白い盾はすぐに小さく縮んで、もとのハツカネズミになる。
「凄いですね」
「じゃろう」
「では、帰ります」
「もっと何か感想は無いのか?わしの研究の集大成の一つをお主に貸してやるのじゃぞ?」
「頼んでませんから」
「このひねくれ者め。あ、それから、この人工生命体の力も無限ではない。一回、攻撃を防ぐたびに、己の細胞を消費するのじゃ。よって、あまり立て続けに攻撃を受けぬように気を付けよ」
「了解です」
と言い捨てて俺は『通路』を通って、さっさと自分の部屋に戻った。
それから、しばらくは平和な日々が続いた。
俺は中州の船家に籠って、本を読んだり、魔術具を作る実験をしたりしていた。
俺が作りたいのはモンマルが持っていたような、認識疎外の魔術具と、『瞬歩』のように一瞬で前に移動できる魔術具だ。この二つを組み合わせることが出来たら、相手が攻撃されたと気付く前に、こちらの攻撃を当てることが出来るようになる。
リーチの短い俺の課題は相手への接近方法だ。
ミーファが俺への対抗策で、『魔剣モノホシザオ』を特注したことから分かるように、自力のある人に遠距離攻撃を貰ったら、俺に対抗手段は無い。相手のリーチがあれほど長いと、姑息な小手狙いすら通用しない。
モンマルが認識疎外の魔術具を大事に持っているのもそういう事なのだろう。
やはり、正統剣術は長い歴史で攻撃も防御も完成されているのだ。俺やモンマルの様な邪道剣術は、剣筋を読まれる前に、意表をついて相手の予測の外から攻撃しなければ勝ち筋は無い。
だから、あまり何度もおなじ人間と剣を合わせてはならないし、敵対する人間との模擬戦など以ての外だ。俺やモンマルが剣筋を見せるときは、確実に相手を殺せる時でなければならない。そう考えるとこの二刀流は本当に剣闘士向きの剣術では無い。出世や華やかさとは無縁の、戦場で鍛えられた無粋な殺人剣なのだ。
だから、俺はミーファが剣闘士としてやっていくのに最初の内は苦労をするのではないかと思っている。
ナコねーちゃんとの闘いを見ても分かるが、彼女の剣は『一撃必殺』だ。相手の隙を見つけたら、そこに渾身の一撃を全力で叩き込む。結果、勝負はいつも短時間で決する。
決闘の場ならそれでいいが、闘技場では話が違う。闘技場の剣闘試合がいつも一瞬で勝敗がついてしまったら、客は『金返せ』になるだろう。客は実力の伯仲した者達の白熱した試合が見たいのだ。
まあ、ミーファの戦闘センスならすぐに求められる動きを習得してしまうだろうから、あまり心配はしていないが。
「よしできた。いいね。これかなりいい感じかも」
と出来立てのほやほやの魔術具を俺は試してみることにした。
二つの魔術具をアンクレットのように足首に装着する。
「瞬歩!」
と、言う必要のない言葉を発して、魔術具を稼働した。
すると、脚の力が下方向に跳ねて、体がそのまま頭上方向に飛び上がって行った。
「どっわ!」
と見上げる天井が近づいてくる。
顔の前で肩のネズミが傘のよう広がって柔らかく俺の体が軒の天井に当たる。
そして、尻から下の板の間に落下する。
ネズミは俺の尻は守ってくれなかった。
ので、今俺は呼吸が止まるくらいの尻の痛みで、彫像のようにフリーズしている。
「いてえ、いっててててて…」
少ししてやっと声が出た。
足元から発せられるエネルギーをただ放出する魔術式を組むのは簡単だが、それに正確な指向性持たせるのが難しい。全方向にはじける力を一方向に押さえるようにすると、通常の3倍以上のエネルギーが必要になり、結果、魔石の燃費が悪くなり、コストがかかりすぎる。
現状では、普通に魔術具を発動させ、あとは、自分の体をうまく使って、方向を修正するしかやり方が思いつかない。
(でも、どうしても体が前に水平にいかないで、上に跳ねちゃうんだよな)
魔法使いの前で上に跳ねたらいい的だし、認識疎外は一瞬だけしか効かないので、体が宙に浮いている間に、切れて見つかってしまう。
(これは、認識疎外の魔道具の発動を長くして、滞空中に姿を消せるようにするか。しかし、それだと、魔石のコストが…)
と悩む。
この王国では魔石が馬鹿みたいに高い。
それは、この王国で魔石があまりとれないからだ。
よく、ファンタジー小説などでは魔獣の体内から魔石が獲れたりするが、俺の居るこの異世界では、魔獣の体内に魔石はないという。
魔石は鉄鉱石などと同様に鉱山で産出される。
その魔石の最大の輸出国は広大な領地を持つ、東の『ファルシール帝国』だ。
ここ『ナルサス王国』は魔石の年間使用量の8割を、東の帝国からの輸入に依存した状態だ。
王国内で年間の使用量の1割を算出して、残りの一割はその他の近隣諸国から、輸入された分だ。
国外からの魔石の輸入には、贅沢品として25%の物品税がかかるので、それに合わせて国内での価格もかなり割高になる。
王国の魔術がなかなか発展しないのは、そんなことも原因の一つなのだろう。
なら、関税を安くして、魔術を振興すればいいと思うかもしれないが、この王国の税収のほとんどが、輸入品からの関税によって成り立っているので、そう簡単に安くは出来ない事情がある。
一般国民からの徴税はどうなっているかと言うと、基本、王国市民には戦時の男性への徴兵義務があるだけで、税金は課されない。それどころか、無職で食うに困っている貧困層(王国の市民権を持つ人間だけが対象だが)には、毎週小麦の配給があるし、災害時には補助金も出る。
河原で暮らしていた頃の、ナコねーちゃんと俺にも王国市民権があったはずで、本来は配給が受けられる立場だが、配給を受ける権利はその家の男性家長にのみあり、男性家長が家族の人数分を一括して配給を受けるようになっている。なので、家を離れた女性や子供はその恩恵から除外されてしまう。
農村の農作物には作地面積当たり収穫の10%の税金がその年の相場に応じて掛けられているが、大地主の多い貴族に慮って、これにも、それほど高い税金は掛けられていない。
そして、ナルサス王国の他の支配地『属国』に目を転じれば、王国の庇護する『属国の国民』に対しては、『守ってあげる』見返りとして、国民の人口当たり、いくらかの、税金を負担させているが、そうしたほとんどの税収は、その国に派遣する騎士団の編成や武器の調達費、駐屯地の維持に消えていき、余剰金などはほぼ生まれない状態だ。
こうした、王国市民に手厚い税制(あくまで市民権所持者だけが対象で、そこに他国からの移民や、流民、解放奴隷、などが含まれないのがミソ)は、王国の中の歴代の『共和主義者』の貴族たちが市民の人気取りに積み上げてきたものだ。
王政を支持する『保守派』はこうした政策に内心で反対しているが、表立って異を唱えると、市民からの支持を失うので、はっきりと物を言えずにいるという。
王国一般市民の俺としては、こうした市民権所持者優遇政策はありがたいが、保守派が懸念するように、市民の優遇の行き過ぎから『衆愚政治』の罠に落ち込んで、国が機能しなくなり、衰退する危険も当然あるのだろう。恩恵から除外された人々との間に、特権意識と差別意識と、そこからくる断絶が生まれるかもしれない。
自分は政治も経済も素人なので何が正しいのかはよく分からない。ただ、今ある環境で生きていくだけしか、とりあえずの選択肢はないのだろうと、それ以上深く考えることを放棄した。
近年、魔石が不作らしく(東の帝国が採掘を減らして、価格を釣り上げている)、王国での魔石の値段が高騰している。
それで、俺も魔術具の開発に行き詰ってしまった。
それをヒューリンさんに愚痴ると、『なんじゃ、そんなこと。それなら久しぶりに魔石でも掘りに行くか?わしもそろそろ、魔石の在庫が心もとなくなってきたのでな。丁度いい』と、さんさんと朝の柔らかな陽の当たる別荘の庭で、優雅に紅茶を飲みながら、ヒューリンさんは事も無げに言った。
そう、このエルフさん結構な金持ちらしく、王都の郊外の牧歌的な農村の小高い丘の上に、広い庭園のある立派な別荘を持っているのだ。
この別荘には近隣の農家の人間がいつも新鮮な野菜や卵や狩猟での収穫などを売りに来るので、いつも新鮮で滋味溢れる地場の名産品が食べられると、食いしん坊エルフが自慢する。
俺の憩いの場所は中州の船家しかないというのに…。
贅沢エルフめ…。
今すぐ爆発しろ!
「魔石、掘れるんですか?」
「ああ、いくらでも掘れるぞ」
「どこで?」
「それは秘密じゃ。場所がバレたら、阿保共がよだれを垂らして押し寄せて来るでな」
「近いんですか?」
「遠いぞ。と言っても森を歩いて5日ほどの距離じゃ」
(一日、50キロ歩くとして、250キロ。森を行くなら一日30キロとしても150キロ先か)
「今回は、空から行くぞ。歩くのは面倒なのでな」
「空?空とは?」
「空を知らんか?ほれ、見上げて見よ。目に映るのが全て空じゃ。一つ賢くなったの」
「わざと言ってます?」
「いや、お主は転生者じゃからな。知らんかと思った」
「いや、異世界にも空はありますって。それから私は転生者じゃなくて『異世界転霊者』です」
「どちらでも良かろう」
「学者なんですから、もっと言葉を大切にした方がいいのでは?」
「言葉は大切にするが、お主を大切にする気はないのう」
「それで、空から行くとはどういうことですか」
「言葉通りじゃ」
「飛べるんですか?」
「飛べるが、自分で飛ぶのは疲れるので、飛ぶ動物に乗って行こうと思う」
「その動物とは?」
「お主はその動物をよく知っているじゃろう?」
「まさか、ドラゴ…」
「ワマじゃ」
「え?…この流れでそれは無いんじゃないですか?」
「うちのワマは賢いのじゃ。しっかり教えたら、ちゃんと飛べるようになった」
「ワマってそういう生き物なんでしたっけ?」
「うっるさいのう。お主はいつもいつもそうやって質問ばかりじゃ」
「非常識エルフと一緒に居たら、嫌でも質問が増えますよ」
「よし、これから行くぞ」
と席を立つせっかちエルフ。
そして、『ぴゅー!』と口笛を吹くと、目の前の空間がぐにゃりと歪み、そこから、真っ白いワマが二頭現れた。
そのワマは背に大きな白い鳥の様な翼を生やしていた。
「さあ乗れ」
と言いエルフさんの体が、ふわりと浮かんで、純白のワマの背に乗る。
「これって、ひょっとして私のネズミと同じものでは?」
「うるさい!いいから行くぞ!」
とヒューリンさんのワマが空に飛び立つ。背中の翼は横にまっすぐ広げただけで、羽ばたきもしない。
(飾り?)
詮索は置いておくとして、俺も目の前のワマにまたがる。
俺を背に乗せたワマは特に指示もしないのに、ヒューリンさんのワマを追って空に舞い上がる。
みるみる、別荘と村が小さくなる。
眼下で農作業をする村民数人が、作業の手を休めて、こちらを見上げて手を振っている。
あまり驚いている様子が無い。
それは、エルフさんがいつもこうしてよく飛んでいるということだ。
農村部を離れ、森の上空を飛び始める。
この森は、先でモースの森とつながりそこから広がる広大な原生林に続く。
そこは魔の森を呼ばれるエリアで、その全貌はまだ解明されておらず、前人未到の地になっている。
そこを、俺たちの乗ったワマは、ひたすら飛翔して進む。
いつまで飛んでいるのだろうか。
もう何時間も飛び続けだ。
腹が減ったし、小便もしたい。
「ちょっと休憩してください!」
と大声で呼びかける。
「我慢せい!」
とにべもない。
「もらします!」
「今降りたら、死ぬぞ!」
と言われて下を覗き込むと、森の上部の木々がぞわぞわと蠢いているのが見えた。
よく見ると木の蔓のような物が、こちらに向かって、何か液体のような物を噴出している。
「あれは、動くものを全て標的にして、食らう食動物植物じゃ。今こちらを見ておる。この領域を抜ければ休憩する場所があるでな。もうちいと我慢せい!」
と怒られる。
しっこより命だ。
俺は飛ぶワマの上で身悶えして、そのあと1時間は耐えていた。
「ここじゃ、着いたぞ!」
と言われて下を見ると、森の一角が円形に途切れていて、その中央に小さな山小屋風の平屋の民家があった。
その庭にワマが降り立った。
「やばいやばい!」
とワマをゆっくり降りる。
少しの衝撃で決壊しそうだった。
「便所はあっちにある」
と言われてみると、小さな公衆便所のような小屋が母屋のから離れた庭の一角にあった。
小走りにそこに飛び込んで、用を足す。
何時もの癖で横のレバーを引くとトイレの水が流れた。
溜め式かと思ったら水洗だった。
この水は何処から来て、何処に行くのか?
下水があるようには見えない。
まあ、深くは考えないようにしよう。
「では、飯にしようか。今日はお主が客だ。わしの手料理を振る舞ってやるかの」
と目の前のエルフさんが信じられないことを言い出した。
「手料理と言うのは?」
「手料理を知らんのか?」
「知っていますが、なぜ?」
「変な奴じゃのう。ほれ、その別荘に入って休んでおれ。わしはこの庭の畑と果樹園で少し収穫してから戻るゆえ」
言われて俺は別荘と言われた小屋に入る。
中は、さっき掃除したかのように奇麗だった。
俺は窓辺のソファに座って待つ。
そのうち眠くなり、そのまま横になって寝てしまった。
「ほれ、起きろ。飯じゃ!」
と声をかけられて、目が覚める。
いい匂いがする。
目の前の小ぶりのテーブルにいくつもの皿が並んでいる。
色とりどりの完熟野菜のサラダ。卵とチーズや野菜をはさんだ柔らかそうな白パンのサンドイッチ。小魚を開いて小麦色に焼き色がつくくらいに香ばしく揚げたフライのような物に、タルタルソース状の物が乗る。フルーツを閉じたゼリーのようなデザート風のものある。
「これは一体…」
目の前の食卓の華やかさに俺は絶句した。
「ほれ、はよ食え。午後から魔石を掘りに行くぞ」
俺は食卓に掛けて、目の前の食事を食べ始めた。
「これは…!」
「どうじゃ、この家の庭にはこの辺の食べられる植物を植えてあるのじゃ。森の恵みも悪くないじゃろう。パンやチーズは持参した物じゃがな」
「ヒューリンさん旨いよ!」
俺は感動した。
「ヒューリンさんの事だから、何か毒でも入れているんじゃないかと思っていてけど、これは本当に旨いよ!ヒューリンさんってこんなに料理が上手かったんですね」
と率直な意見を口にする。
俺が料理を褒めるとヒューリンさんはパッと花が咲いたようにいい笑顔で笑ってから、『しまった』言うように口元を引き締めた。
「失礼な奴じゃな。わしは自分で料理を作って、食堂を経営していたこともあるのじゃ。今は飽きてしもうて、そんな面倒なことは、する気は無いがな。じゃが、自分の食べるものは大体自分で作っておるぞ。わしのように舌が肥えてしまうと、他人の作ったものはまずくて食えなくなるのじゃ。これも長命ゆえの不幸の一つじゃな」
「食材は普通なのに、なんでこんなに旨いんですか?」
「野菜なら、土地を改良して、野菜自体も品種改良を施しておる。チーズもわしが指導したわしの為だけの牛飼いから独占で買い付けておる。あの牛飼いの家もわしが買い付けるようになってから3代目になるかの。時々勝手に味を変えたりするが、それが思いがけず旨かったりするので、ある程度は自由にさせておる。一生をそれに費やす情熱には、わしにも勝てぬ時があるな。その卵も研究を重ねた特別な飼料を食べさせた、特別な鳥から採れるものじゃ。濃厚で旨いじゃろう」
「この、フライに乗っているソースも絶品ですよ」
「ソースだけでは無いぞ。それを揚げた油も、衣も、古今の料理の食べつくしたわしが旨いと思って記録保存しておいたものを再現しておる。中には世間で伝承が絶えて、わししか知らない物もある。人の世は移り変わりが激しいゆえな」
「レシピ本を売ったら、いいのでは?この世界の料理の中には旨いものもありますが、全体にレベルは低くて私も困っていたのです」
「色々面倒な事になるから、そんなことはもうやらん。わしが店を止めたのも理由があるのじゃ。わしはもうわしの為にしか料理を作らんと決めておる。これ以上人間に関わるのはまっぴらじゃ」
そう言ってうんざりした顔をするエルフさんだが、さっき俺が旨いと褒めた時の嬉しそうな顔は、今までで会った中で一番のいい笑顔だった。料理を作って、自分しか食べないというのは、少し寂しい事ではないかと思う。本音ではこのエルフさんも誰かと一緒に食事をしたいのではないだろうか。
「それ、まだたくさんある故、たんと食え」
と料理上手エルフはお代わりを勧めて来る。俺は、今はいつもの皮肉を封印して、素直に『うまいうまい』と褒めながら、目の前の美食を堪能した。
「お主とこうしていると、なぜかスズキハルマの馬鹿を思い出す。あれは底抜けの馬鹿じゃったが、悪意の無い人間でもあった。よく口喧嘩をして、びんたを食らわせたが、不思議と確執などは出来なかったな。大喧嘩して、わしも言い過ぎたと思って、『これで縁が切れたな』と覚悟したことも何度かあったが、あ奴はいつものようにへらへらした笑顔で、何事も無かったかのようにやってきて、「腹減った。なんか作ってー。一生のお願い!」などと言いおる。今思えば、あれは不思議な男じゃったな…」
と感慨深そうにヒューリンさんは鈴木春馬氏との思い出を語る。
よく考えたら、俺が転生者であると知った途端、面倒がりながらも彼女が受け入れてくれたのは、彼との思い出があったからではないだろうかと思い当たった。
何かというと、彼女は鈴木春馬氏の名前を口にする。
実は彼女も鈴木氏の事を、憎からず思っていたのではないかと、勘繰りたい気にもなってしまう。実際にはそんな男女の安っぽい感情とも違うのかもしれない。今の俺に二人の関係性はよく分からない。ただ、彼らがお互いに、お互いの中の何かに惹かれていたことは、確かではないかと思う。
このエルフさんは俺の中に鈴木春馬氏の『残滓』を探しているのかもしれない。
ただ、『陰キャ』の俺が『陽キャ』の彼の代わりになることは有り得ないが。
(俺が、こんなんですんません…)
と彼の代役に成れない自分に申し訳の無い気持ちになった。
この上は彼女の『目的』が達成できるようにせめてもの貢献をして、お互いがウィンウィンの関係になれるように努力しようと思う。