5 俺、アンデッドなの?
その後、道端にいたイケメン金持ち風の男へ、憑依を試してみたが、何度やってもすり抜けて失敗する。あの時のマジックテープでひっつくような感覚は再現できなかった。
憑依条件を考えてみる。あの時溺れた男は、意識がなかったからと、寝ている人間に試してみたがやはりだめだった。
俺が憑依した男は、かなりのろくでなしだったようで、記憶は酒と女とギャンブルが大半を占めていた。もう少しましな人間に憑依したい。
死んだ人間なら憑依できるかと思い、墓場に行ったが、土葬の棺に入るのは気持ち悪いので、やめておいた。
街をうろうろしていると、大きな屋敷の庭で葬儀が行われていた。花で飾られた棺に、土気色の顔をした痩せた老人が横たわっていた。試しに老人の顔を触ってみる、と手に「ザリッ」という感触があった。
(やった!)と思う間もなく、全身に「ザリッ、ザリッ」とひっかかる感覚があり、体がだるくなる。
目を開ける。
手を棺のへりに載せ、ゆっくりと体を起こす。
のどがおかしい、声がうまく出ない。
俺の口から「うごあー…」というしゃがれ声が出る。
葬儀会場が騒然として、あちこちで女性が悲鳴を上げる。
皆を落ち着かせるために、何とか説明しようとこえをあげる。
「ゴゴ、げうあー、がががが!」
と恐ろし気な声しか、口から出てこない。ダメだこの爺さん、もう身体機能が壊れている。
「死に戻りだ!死鬼化したぞ!」
「神官様!どうか浄化を!」
「いや、私は葬儀専門の神官で、浄化の能力はないから…」
「誰か高位の神官を呼んでこい!」
「すぐ来てくれるもんか!」
「じゃやあ、どうするんだ!」
と男たちの怒号が飛び交う。
とりあえずここから逃げないと。
ゆっくり棺から足を踏み出し、祭壇を降りる。いやになるほど動きが遅い。
「うごげあー!おずぎでだー!(大丈夫、落ち着いて)」
周囲に声をかけながら歩き出すと、会場がパニックになり、人々が逃げ惑う。
もう収拾がつかない。こんなつもりじゃなかった。悪いことをしてしまった。
「俺に任せろ!」
と一人の屈強な男が声を上げた。
ラグビーの最前列でスクラムを組んでいそうな頑強マッチョ男は、俺を睨みつけ、『どりゃー!』と雄たけびを上げつつ、こちらに突進してきた。
「ぎいー、じよーだーで!(おい、ちょっとまて!)」
と声をかけるがラガーマン的な男は止まらない。
牡牛の様な巨体が見る見る迫り、男のタックルをまともに食らう。
「おっごあっ!」
口から内臓が出たかと思った。
今まで聞いたことのないような、体中の骨という骨のへし折れる音がきこえた。
そして…
俺はまた宙に浮いていた。
(今回も早かったな…)
生き返ったとたん殺されるのは2度目だ。
幸い、どちらでも痛みを感じる間もなく殺されたので、苦しまずに済んだ。
爺さんの亡骸は、気の毒な事に、ロープでぐるぐる巻きにされている。
「また復活するかもしれないから、ちゃんとした神官に浄化してもらおう」
と誰かが話しているのが聞こえた。
ちょっと待てよ。また爺さんに憑依して、浄化されれば、俺はあの世に行けるのではないだろうか。
試しにもう一度爺さんに手でさわってみる。
(あれ、おかしいな)
手に引っかかる感触が無くなってしまっている。何度触っても再度の憑依はできなかった。
(死体への憑依は1回限定なのか…)
謎は残った。
2度の憑依の後、なんだか気力が充実しているのを感じる。
体の輪郭がはっきりしてきて、手の指の1本1本がはっきり分かれて見える。
頭の周りには、髪の毛のようなものも生えている。
憑依でパワーアップしたのかもしれない。
あと、自分以外の幽霊がおぼろげに見えるようになった。
最初の頃の俺と同じ状態の、ぼやけた雰囲気の霊体が、時々浮かんでいる。
そばに行って話しかけたが、俺のことが分からないようで無視された。
爺さんの記憶で役立つ知識が得られないかと期待したが、何も得られなかった。
老人だったせいか分からないが記憶そのものが残っていなかった。
やはり、老衰で死んだような爺さんは駄目だ。
若いぴちぴちでないと。
でも金持ちで若いぴちぴちのイケメンがたまたま死ぬことなどめったに無いだろう。
ここは妥協して、ぶさいくで貧乏な、ぐずぐずの、こ汚いおっさんでも良しとしよう。
これだけ大きな都市なのだから、どこかで誰かは死んでいるはずだが、貧乏人は目立たずひっそりと死んでいくのか、死んだ時と場所が分かりづらい。
湖の港の方で何やら騒ぎが起きていた。船の荷下ろしのロープが切れて下敷きになっている労務者がいたらしい。憑依できないかと見に行った。
上から少し覗いてみてすぐに(ああ、これは駄目だ)と思った。
体のいろいろな部位から、出ちゃいけないものが大量にはみ出ている。
あの状態に憑依したらまた騒ぎになるだけだ。なにより、怪我の激痛でこちらが耐えられない。そして、前世の俺の亡骸もあんな感じだったのかなと考えてしまった。即死で良かった。
そういえば、水路の河原の掘っ立て小屋にいた子供たちはどうしたかなと、気になった。
(遠くから様子だけ見ておくか)
河原に行き、掘っ立て小屋の屋根から中を覗く。
赤毛のショートカットの女の子がさめざめと泣いていた。寝たきりだった男の子の体を何度もさすっている。
男の子が呼吸をしている様子はない。まだ頬に赤みがさしている。亡くなってからそう時間が経っている感じではない。それにしても、まずいタイミングで見に来てしまった。
(どうしようか…)
と考えた。
憑依はできるかもしれない。
でも、この状態で憑依して、この後どうすればいいのか。
また、すぐに死んだら、この赤毛の子はさらに悲しむことになる。
迷っていると、男の子の上に白い『もや』が現れ、体から離れていく。
『もや』は小さな子供の姿になり、赤毛の少女の体を抱きしめるように後ろから包み込んだ。
少しの間そうしてから、その『もや』…男の子の魂は、ゆっくりと、掘っ立て小屋の屋根のあたりまで浮かび上がってきた。
魂の浮かんだすぐ側の空間に、小さな光の渦が現れる。渦はうねりながら徐々に大きくなり、男の子の魂と重なりまた徐々に小さくなる。
ふと、光の渦の中で男の子がこちらを見てほほ笑んだような気がした。
その瞬間俺の心の中に一つの温かい『想い』が滑り込んできた。
まばゆい渦はそのまま小さくなって男の子の魂と共に消えていった。
(今の感じは…なんなんだ…。)
直感は心に告げていた。
(あれは…後を託されたのか…?)
俺の思い込みかもしれない。でもそう思わされてしまった時点でもう負けなのかもしれない。
(厄介ごとはご免なのに…めんどくせえ、本当にめんどくせえよ…)
でも仕方ない。
(これから先、いよいよ駄目で、気持ちが折れたら、その時は泣きながら逃げよう…)
心を決めて、俺は男の子の亡骸に手を伸ばした。




