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55 ある一日

その後、俺はちょくちょく家を抜け出しては、エルフ先生の研究所で実験に協力した。


一日中出かけると家の家人に怪しまれるので、午前とか午後とか時間を区切って、何日か置きに出かけることにしていた。


ヒューリンさんにしても一度実験をしてから、解析に時間がかかるので、俺がいつもいる必要は無いとのことだった。


ので、意外に自由な時間ができ、過酷な実験の時以外は、思ったより平和で気楽な日々を過ごすことが出来ていた。


魔術具作成の勉強は、ヒューリンさんから入門書を貰って読むことから始めていた。


『ワマでも分かる初級魔術式』と言う名の本だ。


前世的に翻訳すると『馬でも分かる初級魔術式』となる。


正直、なめてるのかなと思わないでもないが、とりあえずこっちはど素人なのでしばらくは言われたとおりにしておくつもりだ。


魔術具作成を他の人間に見られたくなかったので、どこか自分だけの隠れ家が必要になった。


エルフ師匠の研究室や、魔術具屋は許可なく使えないことになっていたのだ。


隠れ家と言って思い当たる場所が一か所ある。


中州の娼館だ。


あそこは今休業届を出しているので、誰も来ない。


ボートを使ってランス川から直接船家に付ければ、出入りを人に見られる心配も無い。


そうして俺は今日も、中洲の元娼館の隠れ家に来ている。


川に面したデッキに腰かけて、釣りをしていた。


緩やかな流れに、赤い玉浮きが揺れる。


エサはデッキの端にはりついていたタニシのような巻貝の身だ。


暫くそうして川面を眺めていると浮きが小刻みに動く。


ピョコっと大きく沈んだ時に合わせて仕掛けを引き上げるが、仕掛けの針が空しく宙を舞う。


どうやらエサ取りの小魚にエサを持っていかれたようだ。


もう一度エサを付けて、水面に仕掛けを投入する。


そして、またぼんやり川面を眺める。


いい時間だ。


俺はやはりこういうのがいい。


このガルゼイになってからというもの、ずっと怒涛の日々だった。


こんなにのんびりできるのは初めてだ。


母マリエルも今のところ何もうるさいことは言ってこない。


内心すぐに『あれしろこれしろ』とうるさく言って来るかと思っていろいろと言い訳を考えていたのが拍子抜けだ。


母上は時々ミーファの居た部屋の中を眺めて寂しそうな顔をしている。


クールな侍女のベスも手持無沙汰な様子で、屋敷の廊下をゆっくり歩いていくのをよく見かけるようになった。


俺もモンマルも気が抜けたようになって、あまり話をしなくなった。


剣の修練も以前ほどは身が入らなくなっていた。


新市街の屋敷はミーファが居なくなって火が消えたようになっていた


彼女の存在は我が家にとって予想以上に大きかったようだ。


彼女が、魔剣闘士としてデビューするという話を広場の壁新聞で知った。


我が家には特に連絡は無かった。


バルドは知っていただろうが、奴もこちらから聞かなければいちいち連絡をしてくる人間ではない。


ヘーデン家は表向きミーファと関係ないという話になっているので、なるべくミーファの周りをうろつかない方がいい。


こちらから連絡する手段も無いので、ミーファとは音信不通の状態が続いていた。


ミーファも新しい生活が始まって、こちらを気にしている余裕は無いだろう。


周りを才能あふれる華やかな人達に囲まれて、楽しく日々を送っているのかもしれない。


よく考えたら、ヘーデン家の人間はミーファの知られたくない過去を知る唯一の存在だ。出世して違う世界に行ったミーファがそんな過去の亡霊のような人々にまた会いたいと思うだろうか?


俺が彼女の立場なら、煙たく思って、関りを避けるようになるのではないかと思う。


そういえば前世で、かつての気さくな同僚が、出世して役職を得たとたん、人が変わったように偉そうになって、元の同僚を説教してこき使い始めたことがあった。


あまりの豹変ぶりに他の同僚たちと唖然としたのを覚えている。


俺は出世とは無縁だったが、仮に俺が出世したとして、彼と同様に豹変しないと言い切る自信は無い。


立場によって見える風景は変わるのだ。


ミーファも今違う風景を見ているのだろう。


今まで狭い視野で見ていたものが、『正解』ではなかったのだと気が付き始めているかもしれない。


だとしても、ヘーデン家の人間に彼女を責める資格は無い。


彼女の人生に不幸の種をまいたのは他ならぬわが父バルドだからだ。


彼女の立場からしたら、むしろヘーデン家に恨みを抱き、滅ぼそうと考える事の方が自然だろう。


そう思わないでいてくれるというだけで、我が家はミーファに対してすでに返しきれない借りを負っている状態なのだ。


今後彼女がどんな決断をしたとしても、俺はそれを尊重して、その全てを受け入れるつもりだ。


しばし釣りで息抜きをしてから元娼館の二階の部屋で魔術式の本を読む。


明り取りに窓を大きく開ける。


窓には鉄格子がはまっていて、窓ガラスなどは無い。木製の内開き扉を開けると、外の風が室内に入ってくる。


寝台にごろ寝をしながら本を読もうとするが、寝台の布団が薄くてすぐに腰が痛くなる。他の部屋から何枚か布団を集めて、重ねて敷くとかなりましになった。


本を読みながらうとうとする。


すると急に体が動かなくなった。


金縛りだ。


目を開くと、天井に俺の体と向かい合うように女性が浮かんでいた。


粗末な寝間着の様な姿で、乱れた長髪の間から、悲しそうな眼差しで俺を見下ろしていた。


銀色の美しい髪だ。


とても美しい人だった。


ミーファに瓜二つだ。


いや、ミーファの10年後はこのように成長するのだろうと思える容姿だ。


女性はただ無言で俺を見下ろしている。


(ああ、この人は…)


俺の胸が痛んだ。


(ごめんなさい。ごめんなさい。許してくださいとは言えないけど…。ミーファは幸せな人生への一歩を踏み出しています。あなたの不幸はもう癒せないけど。この場所から解放してあげることはできます。どうか、俺にあなたを開放する手助けをさせてください)


と心の中で彼女に話しかけた。


彼女はただ無言で宙に浮いているだけだ。


何を考えているのか、考えていないのかも分からない。


今黒衣の老人の手を伸ばせば、この彼女…ミーファの母のミーシャさんであろうと考えられる女性を彼岸の世界へ解放してあげることは出来る。


しかし、俺は彼女の解放に黒衣の老人の力を使いたくなかった。


黒衣の老人の力は俺の意思で体の中に抑え込んでいた。


(どうか、俺の側に来てください。お願いします)


と心の中で必死に話しかける。


俺の言葉が伝わっていないのではないだろうかと不安に思っていると、不意に彼女の顔が至近距離の目の前にあった。


本当に奇麗な人だ。


本当ならこんなところで非業の死を遂げていい人では無かったはずだ。


申し訳なさに、気持ちが乱れた。


すると、ゆっくりと彼女の目に光が戻る。


何か夢から目覚めたように、はっと驚いた顔で俺を見下ろす。


そして、柔らかに目を細めて俺に微笑みかけて、静かに降りてくる。俺の頬と彼女の頬が重なった。


パリパリと光が瞬いて彼女の背後に光の渦が広がるのが見えた。


俺から身を離し光の渦に消えゆく彼女の口もとが『ありがとう』と動いたような気がした。


俺の金縛りは解けていた。


全てが終わり、寝台から身を起こす。


しばし俺は呆然としていた。


(このことをモンマルに教えてあげないと…)


モンマルも自分が彼女と彼女の家族を助けられなかった事に大きな罪悪感を持っているようだ。これを話すこことで少しは、モンマルの心の助けになるかもしれない。


あるいは、過去を思い出して余計に悲しくなるだろうか。


どちらだとしても彼はこれを知らなければならない。


おれも話さなければならない。


それが俺の責任と義務なのだろう。


今日はこれ以上勉強異する気にならなくて、陽が暮れる前に小舟で対岸の船着き場に移動した。船を業者に預けて、今日は『マ荷車』でなく、流しの人力車を拾って、新市街の家に帰った。


『マ荷車』は速度が速いので、少し金銭の余裕があるものはこれを使うが、一般庶民は、人力車を使うことが多い。大八車のような、リヤカーの様な物の荷台に座席を取り付けたもので、乗り心地はあまり良くない。


一応、車輪に板バネのクッションを使っているのでそこそこの衝撃は緩和されるが、車輪が小さく、道の凹凸を拾いやすい。また、道の角などで方向転換する時に、慣れていない車引きだと急に曲がって、乗客の体が反対に持っていかれそうになる。


俺が乗り込んだ人力車の車引きは、中年のおっさんで足取りに勢いが無いが、その分落ち着いて車上の揺れに身をゆだねられた。急ぐわけではないので、たまにはこういうのもいいだろう。おっさんは料金交渉で大分吹っ掛けてきたが、値切るのが面倒くさかったので、そのまま言い値で了解した。


するとおっさんは、急に張り切りだして、休みなく必死に走り続けていた。


その薄い半袖服が、筋肉質の引き締まった背中に汗で張り付いているのを見ると、『こんな安値でこれほどの労働をするのか』と気の毒になった。


俺は今回値切らなかったが、本当はさらにその半値くらいが相場なのだろう。


この彼に同情するのは逆に失礼なことだと分かっていても、感傷的な気分になってしまうことをどうしても止められなかった。


(何様だ…いい気なもんだな)


と自分の偽善者っぷりに気分が悪くなった。


偽善者ついでにあることを思いついた。


屋敷について、俺は車引きにある提案をした。


「この人力車を買いたい。いくらなら売る?」


と言うと男はかぶりを振った。


「兄さん。これは注文から何か月も待って、借金して手に入れた車だ。これが無いと商売が出来ねえ。だからこれを売るわけにはいかないんですよ。もし売るなら買値の倍はもらわねえと、割に合わないんでさあ。この車はもう2年も使ってるから、かなり古びてるでしょう。兄さんがこういう車を欲しいなら、業者に頼んで新品を買うのがいいですよ。割り増し料金を払えば、業者も一月くらいで作ってくれるでしょう」


と乗り気でない様子だ。


「いや、こういう年季の入った使用感のある車が欲しいんだ。見たところこの車は、作りがしっかりしていてまだまだ使えそうだろ。だから、言い値でいいから売って欲しいんだ」

と食い下がる。


「ええ、言い値でいいならそりゃ売りますが、本当にいいんですか?」


と車引きは解せない様子だ。


「いいんだいいんだ。どうか売ってくれ」


と俺は逆に気持ちが湧きたつ思いだった。


その日、俺は人力車を『マ荷車』の車庫の管理人に預けて、周りの人間には言わないように口止めをしておいた。他の屋敷の人間は、車庫になど立ち入ることが無いから、この人力車の存在が知られることはないだろう。


仮に何かで見られたとしても『何かあるな』と思う程度でスルーされることだろう。


夕食前にモンマルの個室を訪ねた。


今日一番の憂鬱な仕事が残っていた。


俺は、モンマルと対面して、今日の船家での事を、順を追って反し始めた。


あの一連の事を話すには、まず俺の秘密の能力の事から話さなければならない。


黒衣の老人の事は省いて、霊を浄化できることだけを話して聞かせた。


「にわかに信じられない話ですが、あの回復力を見せられたら信じないわけにはいかないですね」


と最初のうちモンマルはのんきな顔をしていた。


しかし、俺が今日、ミーファそっくりの女性の霊にあの船宿で会ったことを話すと、モンマルの表情がこわばって固まった。


俺の話を黙って最後まで聞いていたモンマルは、静かに涙を流し、俺に何度も礼を言った。


そして、自分の部屋にこもったきり、その日は夕食を食べに出てくることも無かった。


ミーファが家を去って元気の無いモンマルにこの話は、きつかったのかもしれない。もう少し後で、タイミングを見て話した方が良かったかもしれないと、後悔した。


翌日の早朝に、俺は車引きが身に付けるような、粗末な作業着に袖を通して、人力車を引いて街に繰り出した。


車庫係の管理人は『また、物好きな事を…』と呆れていたが口止めの賄賂を渡すとニコニコ顔で門までお見送りをしてくれた。


「この秘密は墓まで持っていきます」


と賄賂パワーで意気込んでくれたが、正直それほどの秘密ではない。


バレたらバレたで構わないと考えていた。


今更ガルゼイの奇行が一つ増えたところでどうという事は無い。


ただ、率先してバラすつもりは無いので、ガルゼイのトレードマークで非常に目立つ黒髪を隠す細工をしておいた。まじない坂小路の魔術具専門店で髪色を偽装する魔術具を見つけて買っておいたのだ。高価な魔術具だがその分効き目は確かで、黒髪の色がくすんだ赤毛になっていた。いろいろと色は選べたが、何となくこの色にした。金髪も銀髪も目立つし、他の色も俺には似合わない。ナコねーちゃんの様な燃えるような赤毛も無理だが、少しくすんだ赤っぽい色ならいいかと思ってこれに決めた。


人力車を引いて、新市街の街を走る。


騎士団予備校で半年間走り込みを欠かさなかったおかげで、足取りが軽い。


霊エネルギーで『無限のスタミナ』を発動する必要もない。


そして、道々出会う浮遊霊を吸収しつつ、王都のいろいろな場所を眺めて周る。


汗ばんだ額に風が心地いい。


汗と共に体の中の悪いものが抜けていくような気がした。


生活の為に働いている人力車夫には申し訳ないが、この車引きと言う仕事は趣味でやるぶんにはなかなか悪くないものだと思った。


こういう、走る為の理由付けも無く、王都の街中を走ることは出来ない。


鍛錬の為に走る人たちは皆、安全な競技場に行く。競技場内には入浴施設が併設されていて、マッサージ師も常駐している。『趣味で体を鍛える』と言うのは金持ちの道楽なのだ。貧しい一般庶民が、金にもならない事に体を酷使するようなことはしない。


だから、街中を走る人と言うのは、何かから逃げている人間か、何かを追いかけている人間か、急ぎの配達人かの、どれかしか居ない。何もなしに一人で走っていたら、街中の注目の的になってしまう。


なので、俺は人力車夫に身をやつして走ることにした。


魔術具で髪色を変えたおかげで、俺が『黒の魔人』ガルゼイだと気付く人間は居ない。


仮に顔を見て『似ているな』と思ったところで、まさか俺が人力車夫のまねごとをしているなどと言う発想には至らないだろう。


よって、俺はいつも周囲から向けられる好奇と蔑みの視線を離れて、解放された自由な心持で街を走ることが出来ていた。


30分ほど走って少し休憩して、道の端に車を停めた。


荷台の横に設えてある小箱から布に包まれた素焼きの壺を取り出す。


これも元の人力車夫がサービスに付けてくれたものだ。


釉薬を塗らずに焼いた素焼きの壺は、割れやすいが、内部の水を吸いその表面から少しずつ水分が蒸発するようになっている。


その時の気化で熱が放散されるので、中の水はいつもひんやりとして飲み口がいい。


これも、労働者の生活の知恵だ。


乾いた喉に、ただの水が実に旨い。


小さな壺なのですぐに飲み終わってしまうが、この王都は辻々の広場に水場が設えてあるので、どこでも簡単に水が汲める。そうした公共の水場は誰でも無料で使うことが許されている。


極端な話、王都の目抜き通りだけを流しているなら、水筒壺すら持つ必要は無いくらいだ。


ただ、それだと、儲かる遠距離の客を拾った時の飲み水に困るので、人力車夫は皆自分用の水筒壺を常に備えているのだ。


腰の手ぬぐいを外して額の汗をぬぐう。


自分が引いてきた人力車の座席に腰かけて、通りを眺めた。


にぎやかな通りだ。


改めて道行く人を眺めると本当にいろいろな人種がいる。


このガルゼイの様な黒髪は見ないが、この異世界人の髪色はほんとにバリエーションが豊富だ。ただ、母マリエルや、ミーファのように純粋にきれいな、金髪や銀髪はめったに見ない。


皆、何かしかの色が混ざったように若干くすんだような髪色をしている。


ナコねーちゃんの様な鮮やかな赤髪の人間もめったに見ない。


そういえば、ナコねーちゃんがかつら用に売った髪は結構いい値が付いたと自慢していたのを思い出す。


いくらくらいで売れたのかは聞かなかった。


そうしてぼんやりしていると、別の人力車夫が傍に来た。


「あ、どうも」


と軽く頭を下げる。


その青年の人力車夫は俺の車の側に自分の車を横づけにして、自分の水筒壺の水を飲んで一息ついた。


「坊主、新顔か?」


と言う。


「あ、はい、今日が初日です」


と答える。


「そうか、それなら知らないのも仕方ないな。親父の後を継いだとかじゃないんだろ?」


「ええ、知り合いが引退するので、車を安く譲ってもらえたので…」


と用意してきた嘘を話す。


「お前、ここで客待ちをしているのか?」


「いえ、ちょっと休憩をしていただけです」


「そうか、そんならまあいい。この王都の繁華街で、通りの辻々の車を停めやすい場所は、全部縄張りが決まっているから、勝手に車を停めていると、その縄張りの人間にどやされるぞ。ちなみに、ここは俺の縄張りだ」


と言い、男は軽く笑った。


「そ、それは、失礼しました。ちょっと軽い気持ちで、休んでいただけで、ここで商売をしようと言うつもりは有りませんでした。すいません」


とすぐに謝っておいた。


「ああ、知らなかったものは仕方ない。これからは気を付けろよ。俺だからよかったが、気の荒い車夫はいきなり殴りつけてくるからな」


「それでは、私はこれで失礼します」


と座席を降りようとすると男はそれを手の合図で押しとどめる。


「まあ、いい。もう少し休んでいけ。初日なら最初から飛ばして疲れただろう。ゆっくりしていけ。縄張りの主が許可してやる」


「すいません。ではお言葉に甘えさせていただきます。お兄さんはもうこの仕事は長いんですか?」


「ああ、俺か、15で始めたからもう6年になるな」


「稼げますか」


「稼げると言えば稼げる。だが、まっとうにやっていたら馬鹿を見る仕事でもあるな。普通に王都のケチな奴らを相手にしていたらまるで稼ぎにならんな。その日暮らしで一日の飯を食って終わりだ。だから、お登りさんや、世間知らずの小金持ちをボッタクるんだ。それで、とんでもない臨時収入になる。そういう旨味が無ければやってられない仕事だ。」


「それは、人を騙すという事ですか?」


「騙すんじゃない。無知に付け込むだけだ」


「同じでは?」


「違うぞ。俺らは決して嘘をつかない。相手との交渉で値段を決める。交渉に相手が同意をしたなら、お互い納得をしたという事だ。これはまっとうな商売だ。大店の商人もやってることは同じだろ。安く買い叩いて、高く買うやつに売る。俺たちと何が違う?」


「そういわれてみればそうですが…」


「お前は育ちが良さそうだな。その歳でこんな仕事をやろうというくらいだから何か事情があるんだろうな。だが、他人の生活より、まずは自分の生活だ。割り切ってやっていかないとこの王都では生き残れないぞ」


とお兄さんはシビアな事を笑顔で言う。


その話を聞いていて、人力車夫を遊び半分で始めた自分が恥ずかしくなった。


今回きりでこの遊びは止めた方がいい。


「もし、自分の縄張りが欲しかったら、王都の人力車組合に話を通すんだ。月々の上納金は支払うことになるし、新入りにいい場所はもらえないから、ある程度稼げるようになるまでは、縄張りを持たないで、『流し』でやった方がいいと俺は思うがな」


「ええ、そうします。私が縄張りを持っても維持できそうにありません」


「まあ、おいおい、慣れていくさ。がんばれよ新人。といっても、この仕事を始めた新人の半分は一月持たずに辞めちまうがな。お前が続けられるようならまたどこかで俺と出くわすこともあるだろう。広いようで意外に狭い街だ」

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