51 ミーファの独白1
「さあ、ここがあなたの部屋よ」
とこれから私が住むことになる部屋に通された。
飾り気は無いけど、奇麗で高そうな調度品の揃っている広くて清潔な部屋だ。
窓も大きくて歪みの少ない1枚の板ガラスがはめられている。
ガラスを通して部屋に陽の光が差し込んでいる。
「あたしと同室よ。これからよろしくね」
とくすんだ赤茶色の髪の肩まである年上の女性は言った。
「あたしの名はメルフィ。メルフィ・ランス。あ、苗字はあるけど貴族じゃないよ。ただの平民騎士だよ。ランス川が好きだから、近衛騎士団に入る時に『ランス』って苗字にしたんだ。近衛騎士団に入ると、平民でも苗字を名乗ることが許されるんだ。
歳は20。この近衛騎士団に来てから3年になるわ。この近衛騎士団に来てから3年になるわ。女性が17歳の若さで近衛騎士団に入ったのは歴代1位の記録だったんだけど、16歳のあんたに抜かれちゃったね。3年先輩の分、大抵の事は分かるから、ここのことはなんでも訊いてね」
と明るく笑う。
強そうな人だ。背が私より頭一つ高い。私も同年代の中では背が高い方だけど、このメルフィさんは大柄な男性と同じくらい上背がある。
首が太く肩幅も広くて、鍛錬着の下で肩の筋肉が盛り上がっている。
袖口から覗く二の腕も丸太のように太い。
顎が平たくて目も鼻も口も全ての顔の部分が大きい。
鼻の上を通って横一本の大きな傷跡が顔を横切っている。
「それにしてもあんた、お人形さんみたいにかわいい子だね。見た目だけなら箱入りの上品なお嬢様にしか見えないんだけど、あんた、本当にあの『白銀の光巫女』なんだよね」
と興味深々の様子で私の顔を上からのぞき込む。
最近、私の話が壁新聞に載っているみたいでとても恥ずかしい。
私が言っていない事も色々書かれていて、半部以上嘘の話だ。
「その白銀の何とかは知りませんが、悪い魔法使いをやっつけたのは私です」
と答えておいた。
「悪い魔法使いねえ…、あたしも多少は身体強化を使えるけど、魔法を防げるような代物じゃないからね。あたしの場合は『腕力や体力の強化』にしかマナを使えないんだ。あたしがあの天才と名高い『炎帝の娘』と戦って、五体満足で勝てる自信はないねえ…。あたしも自分がそこそこ強いとうぬぼれていたけど、上には上があるもんだね…」
と切ない顔でため息をつく。
私は何と言っていいのか分からなくて、とりあえず愛想笑いをしておいた。
「今日はこの近衛師騎士の食堂であんたが入ることになる第十近衛騎士団歓迎会だ。ほら、一緒に行くよ」
「はい、よろしくお願いします」
と彼女の後について歩く。
「第十近衛騎士団は女性だけの団だ。人数も、第一から第九までは一団で100人だけど第十騎士団だけは定員が50人だ。で、今は35人しか居ない。女だけの団だから、中々人数が増えないんだよ。ただでさえ強い女が少ないのに、ちょっと人数が増えたと思ったら、嫁入りして、引退しちまうんだ。あたしみたいに見た目の厳つい女はなかなか売れないけど、こぎれいな女はすぐに男を作って、居なくなっちまう」
と言って横目であたしを見つめる。
「あんたも早そうだね…」
とため息をつく。
「この第十近衛騎士団は女性だけの団とは言っても騎士団長だけは男なんだ。それで、若い男が騎士団長だといろいろ問題が起きるんで、今の団長は、孫のいる爺様がやってる。爺様とはいっても歴戦の強者で、近衛騎士団に入る前は戦場を渡り歩いて、主だった大きな戦にはほとんど参戦している実力者だよ」
「へえ、そうなんですか」
取りあえず返事をしておいたけど、誰がどうとかどうでもいい。
次のお休みがいつなのかが知りたい。
母様や、ガルゼイ様、モンマル叔父様、ベスさんに早く会いたい。
こんな、知らない人たちの中に居るのは嫌だ。
広い食堂に、大勢の強そうな女性ばかりが集まっていた。
みんな、稽古用のゆったりした騎士服を着崩していて、気楽な感じで思い思いの席に腰かけている。
私が食堂に入ると、歓声が上がった。
「あんたが、白銀の光巫女かい!」
「ひゃー、美人だねえ!」
「ほんとに強いの?」
「こっちに来なよ!」
とみんなバラバラに声をかけて来る。
それになんて返事をしたらいいのか分からなくて、私はその場に立ちすくんでしまった。
「こら!お前ら、もう少し大人しくしやがれ!お嬢様がドン引きしてるだろが!」
とメルフィさんが周りで騒いでいる女性たちを怒鳴りつけた。
「あんたが、一番柄が悪りーだろ、姉さん!」
「ちげえねえ!」
と笑い声が上がる。
ちょっとびっくりしたけどみんな気のいい人みたいで、少し緊張がほぐれた。
私は皆に促されて、中央の席に座る。
「なんか、挨拶しな」
とメルフィさんに言われた。
「こんにちは、ミーファ・メル・デーゲンです。私がなんでここに居るのかよく分かっていませんけど、よろしくお願いします。一番下っ端のごく潰しのクソ尼なんで、ギチギチこき使ってください」
と言うとみんなどっと笑った。
「クソ尼ときやがった」
「こいつとは仲良くできそうだね」
とみんな私の言葉に機嫌が良くなって楽しそうにしている。
私は皆の雰囲気に乗せられて、つい娼館時代の汚い言葉を使ってしまったことに気が付いた。
恥ずかしい。あんなに母様やベスさんに言われていたのに、また下品な言葉を使ってしまった。
「あーじゃあ、今日は酒もあるけど、一人三杯までだからな。白銀の光巫女に、ヨー!」
とメルフィさんが木の水飲みを高く掲げた。
「ヨー‼」
と皆がそれに答えてそれぞれ、水飲みを掲げる。
「ミーファも16だから酒は飲めるよね」
と、私の水飲みに、泡酒を注いでくれる。
正直お酒を飲んだことは無かったけど、断ったらいけない気がして。一気に飲み干した。
お腹が熱いような変な感じがする。
あまりおいしくないけど、特別まずいわけではない。
なんでみんな、こんなものを喜んで飲むのかよく分からない。
皆がわたしに話しかけてきて、段々と打ち解けてきた。
でも、中には傍に来ないで遠くの席で知らん顔をして座っている人たちもいた。
私みたいに何だか分からない人間が来て、受け入れられないのは当たり前だと思う。
むしろ歓迎してくれる人の多いのが不思議だ。
そうして、お酒を飲みながら、食事をしていると、食堂の入り口のあたりが騒がしくなった。
そちらに目を向けると、10人くらいの男性の一団が入ってきた。
すると、だらけてお酒を飲んでいた近衛騎士団の先輩の姉さん達がいきなり立ち上がって、直立不動になる。
驚いて私も真似をしてその場で立ち上がった。
男性の一団の先頭に身なりのいい背の高い年配の男性がいた。
高位の貴族みたいだ。
その人は私の前に来て立ち止まった。
後ろに続く人たちも、同時に立ち止まる。
この先頭の人がこの中で一番偉い人みたい。
先頭の人は私を見て、にこやかに微笑んでいる。
白髪の年配の人だけど、威厳のある落ち着いた顔をしている。
男の人は私の前で周りを見回して口を開いた。
「ああ、楽にしてくれ。今日は公式な場ではないからな」
と砕けた調子で周りの姉さんたちに声をかける。
「はっ!」
と姉さんたちが一斉に返事をして、『気を付け』の姿勢から、『休め』の姿勢に体勢を変える。
私は楽にしてと言われて、うっかり椅子に座りそうになったけど、周りを見て慌てて合わせた。
「うむ、君が今王都で噂の『白銀の光巫女』か。お会いできて光栄だ」
と男性は言う。
「いえ、噂ばかりで私は大したことないので、その呼び名は恥ずかしいです」
と、率直に思っていることを言った。
「ああ、紹介が遅れたな。私はゼルガ公爵のオーグ・リース・ゼルガだ。よろしくな」
と優しい声で言う。
この人がガルゼイ様の家を庇護している人なんだ。
そう思うと、ガルゼイ様や母様の為にも、失礼なことは出来ないと思って緊張した。言葉使いに気を付けないと。間違っても娼館時代の言葉を使わないようにしよう。
「ふむ、謙虚だな。いい事だ。君はあのデーゲン辺境伯家の生き残りと言う話だな」
とゼルガ公爵が言う。
この時私はやっとこの人が私の実家の村や父様や死んだ母様をひどい目に会わせる命令を出した人なんだと言う事に気が付いた。
そう思うと怖くなった。
私をどうするつもりだろうか?
過去の恨みとかはよく分からないけど、わたしの事も殺そうとするのだろうか?
私をじっと見詰めるゼルガ公爵の目の奥が笑っていない気がして、怖くて何も言えなくなった。
「うん、そんなに緊張しなくていいぞ。とは言っても無理かな。しばらくは平民の暮らしをしていたという話だから、なかなか貴族社会には慣れないだろう。君は100万人に一人の才能を持つ人間で、これから人前に出ることも多くなる。メダス伯爵家でいくらかの教育は受けたようだが、これからは私の方で教育係を用意することにする。まあ、そう難しいことも無い。当たり前のことを当たり前にするだけだ」
と気楽な感じで言う。
でも、その当たり前のことが全然わからなくて、ヘーデン家での行儀見習いはすごく難しかった。弱音は言えないから無理に楽しそうにしていたけど、本当は何度言われても覚えられなくて内心では泣きそうな気持でいた。
高位貴族とお話する作法はもっと沢山あるだろうから、私の頭がついていけるか心配だ。
「はい、がんばります」
とだけ返事をしておいた。
ゼルガ公爵の斜め後ろにやはり白髪の上品なおじいさんが立っている。
「デーゲン君、私も初めましてだな。私がこの第十近衛騎士団の団長を務める、マズル・リース・セレウスだ。よろしくな。私の事は『セレウス団長』と呼んでくれ」
と腰の後ろで腕組みをしてにこやかに言う。
セレウス団長というおじいさんは、汚れ一つないきれいな白い騎士服を着ている。騎士服は金糸で縁取りや刺繍がされていてとても高そうだ。
「今日はまず、第十近衛騎士団の皆と親睦を深めて雰囲気に慣れて欲しい。実際の訓練は明日からだ。明日は、第一近衛騎士団や他の団からも猛者たちが顔合わせにやってくることになっているからよろしくな。少し簡単な模擬戦をしてみて、今後の君の鍛錬方針を考えたいと思う。しばらくは人の顔と名前を覚えることで忙しいだろうが、忘れてもあまり気にすることはない。私も主だった人間の名前や顔しか覚えていないからな」
といたずらっぽく笑う。
私の緊張をほぐそうとしてくれているみたいだ。
みんな優しくて不思議な気分だ。中州で暮らしていた時は、いつも怒鳴られて、何をやっても私が悪いように決めつけられた。あの時はそれが当たり前で、疑問にも思わなかったけど、ガルゼイ様の家に暮らし始めてからは、あれがおかしかったんだと気付くことができた。
学校の友達も優しかったし、あれから私の会う人達はいい人ばかりだ。
でも、私に優しい、いい人たちが、お互いに敵対したり、喧嘩したりしている。みんな仲良くしてほしいけど、なぜうまくいかないのだろう。
私には難しくて分からない事ばっかりだ。
もっと、勉強すればいろいろわかるようになるのかな。
ガルゼイ様も沢山お話してくれたけど、一生懸命話してくれるほど何を言っているのか分からなかった。多分、私はあまり頭が良くないのだと思う。
「父上、早く私を紹介してください」
とゼルガ公爵の左後ろの男の人が言った。
この人も流行の奇麗で高そうな服を着ている。
父上と言っているから、ゼルガ公爵の子供なのだろう。
でも見た目は、親子と言うより、お爺さんとお孫さんみたいだ。
凄く年が離れている。
ゼルガ公爵が60歳くらいで、男の人は20歳くらいだ。
髪がきれいな金髪で光り輝いている。きっといい香油を髪に塗っているのだと思う。
つやつやして女の人の髪のようだ。
そういえばマリエル母様の髪もこの人と同じくらいに奇麗だった。
母様は王都の高級店から取り寄せた香油を一日2回髪に塗っていた。
ベスさんが母様の長い髪を解いて、香油を塗るといい香りがして、私も見ているだけで楽しくて気持ちが落ち着いた。
母様は私の髪にも同じ香油を塗ってくれて、『とても奇麗よ』と褒めてくれた。
「ああ、そうだな、そんなに慌てるな『白銀の光巫女』はこれからずっと近衛騎士団にいるのだ。いつでも会える機会はある」
とゼルガ公爵は男の人を振り返って話かけていた。
「紹介しよう。この者は私の第5子のマリスだ。あの闘技会で君の戦いを見ていたようで、すっかり君の贔屓になってしまったようだ。私もこの息子から君の話を聞いて興味を持ったのだ。それが、まさか私の頼子のメダス伯爵家の庇護下にある人間とは思わなかった。
私は実についているな。君の生家のデーゲン辺境伯家は助けられなかったが、君を庇護できたことで過去の宿題が果たせそうだ。幸い旧デーゲン辺境伯領は私の直轄領に組み込まれているので、お家再興に助力できると思う。
ただ、周りの者を納得させるには分りやすい実績が必要だ。つまりはこれからの君の働き次第という事になる。とりあえずは魔剣闘士として闘技場の試合への出場を目指そう。そこから積み上げていけばいい。まあ。慌てることはない。君の実力ならすぐに有名になれる」
と上機嫌で公爵様は話し続けた。
「ちょっと、父上頼みます。私の紹介を…」
とまた後ろ男性が、口をはさむ。
「ああ、すまんすまん。この者は今年19になったばかりだ。君とは年も近い。五男という事で難しいことも言われず自由に育っている。街も自由に散策しているようで、感覚は庶民に近いものを持っているので,君とも話が合うだろう。これから仲良くしてやってくれ」
「はあ…」
とわたしはいいとも悪いとも言えない曖昧な返事をしてしまった。
「うん?この娘はどうやらお前にあまり興味が無いようだ。珍しいことがあるものだ。お前の顔を見てこの気の無い素振りとはな。これは振られたなマリス」
とゼルガ公爵は面白そうに言う。
言われてよく見るとマリスさんは女性の様な奇麗な顔をしていた。
話をすると声が男性なので分かるけど女装でもしたら騙されてしまうと思う。
でも私は今まで男性を顔で区別してみたことが無いから、カッコいいと言われてもよく分からない。男の人はいつも嫌なことをしてきて威張っている人としか会ったことが無かったので、ガルゼイ様や、モンマル伯父様と会うまではみんな一緒だった。
騎士団予備校で周りの女の子が、誰がカッコいいとか言っているを『何を言っているのかな』と思って聞いていた。それで『ミーファは誰がいいの』と訊かれたから、迷わず『ヘーデン君』と答えたら、『やっぱりそうかー、ヘーデン君優しいもんね。実はヘーデン君がいいって女の子がけっこういるんだけど、ミーファそういうなら、他の子が抜け駆けして手を出さないように広めておくね』てなんだか、分からないうちにみんなに何かの話をしてくれたみたいだった。
それで時々、ガルゼイ様が『私はなんでこんなにモブなんだ。こんなに女の子がいて世話をしているのに、誰も好意を寄せてくれない。この私のモブ強度はもはや呪いの域にある』って一人でぶつぶつ呟いていたっけ。
「ええっと、デーゲンさん。あの日あの場所で君の雄姿を見てから君の事が忘れられなくなってしまったんだ。一撃で炎帝の養女を一砕いた姿はとても美しかった。どうかこの僕と友達になってくれないだろうか?」
と、控えめな感じでマリスさんが話しかけて来る。
えばってくる感じも無くて、丁寧でおとなしそうな人だ。
私に嫌なことをしないのなら友達になることは構わないと思う。
「ええ、わたしも貴族の生活をまだ何も分からないので、これからいろいろ教えてくれると嬉しいです」
と社交辞令で挨拶だけをしておいた。
「そうですか!良かった!これからよろしく!」
とマリスさんは嬉しそうにしている。
偉い人の子供だから断れない。
あまりしつこく煩くしてこないといいな、とそんなことだけを私はこの時思っていた。