44 悪役ガルゼイ再び
その後、決闘試合までの二日間、俺とミーファは一言も口を利かなかった。
『マ荷車』の中でも、お互いに相手がそこに存在していないかのように、知らん顔をしていた。
終わった…。
でも、これでいい。これで、ミーファは俺から離れて自由になれる。
俺が学校を退学になれば、一緒に居る時間も減る。
それで、ミーファを後期の定期剣闘大会に参加させよう。
そこで実力を示して、お偉いさんの目に留まれば、未来が開ける。
身柄が騎士団の預かりになれば、騎士団の寄宿舎にも入れる。
それでヘーデン家からは完全におさらばできるだろう。
いいじゃないか。結果オーライだ。
これがお前の望んでいた展開じゃないか…。
と自分を納得させる。
それなのに、胸の奥に大きな穴が開いた気がしているのはなぜだろう。
一歩、歩くたびに、足元がふわふわして、体に力が入らないのはなぜだろうか?
選手控室で、ぼんやりして準備運動もせずにだらけている俺を見て、他の選手たちが、苦笑をして首を傾げたりしている。
(どうでもいい…。)
いつの間にか前半戦が終わり、後半戦前のインターバルの時間になった。
インターバルの長い休憩時間が終わり、後半戦一発目の俺の試合の時間になる。
係員が俺の名を呼んだ。
(あー、めんどくせえ…。)
俺は闘技場への通路を進む。
通路を抜けると広い競技場の空間に出た。
観客の声援は無く、俺の存在に気が付かないように、皆が大きな声で雑談をしている。
学校の闘技場にしてはずいぶん広い。
全校生徒5,000人程の他に、父兄来賓などを合わせ、その倍以上の観客が来ていが、席にはまだ余裕があるようだ。
2万人は収容出来る大きな規模の会場だ。
学校で使用しないときは、大きな闘技会の予選会場にも使われたり、他の祭りの様なイベントに貸し出されることもあるという。
自分の装備を確認する。俺の両腰にファルカタの模擬剣。それと別に俺用に軽量化したロングソードの模擬剣を手に提げている。耳まで覆う顔の前面の開いた、ハーフフェイスタイプの黒兜。兜の脳天のあたりに赤い魔石がはまっている。
両方の腕には手首までの黒い小手。小手の上部にも赤い魔石。
軽量の黒い胸当ての心臓部にも魔石。
両膝と両肘、脛にも黒い防具があるが、これには魔石がついていない。
俺の黒髪と合わせて防具も黒で統一されているようだ。
魔石のある攻撃するべき部署は全て上半身に集中している。
反対側の通路から一人の男が出てきた。
背が高く青い髪をした細マッチョの男だ。右手に細いレイピアの様な長剣を下げている。
剣先は丸めてあるが、先が細いので防具の無い場所に突きを貰えば、たやすく刺さりそうだ。
彼は身体強化がいくらか使えるそうなので、あの模擬剣は真剣と変わらないと思っておいた方がいい。
防具は俺と同様の物を装備している。色は白で魔石は髪色に合わせて青い。
白青と黒赤の戦いだ。
男の様子を見るに突きメインの速度特化型スピードファイターのようだ。
競技剣術ではありがちなスタイルだ。
命の取り合いをしないので、早く正確に魔石を破壊できる技術に特化している。
あれとまともにやったら、いつ攻撃されたのかも分からないうちに俺は負けるだろう。
男はうんざりした不満顔だ。
「えー、ご来場の皆さま、ここでお知らせがあります。本日は特別な余興として、番外戦があります」
と進行の役員生徒が高らかに声をあげる。音の反響が会場全体にまわるように設計されている会場の内壁に彼の声が響き渡る。
来客のざわめきが少し静かになる。
「ここに立つ黒ずくめの生徒はガルゼイ・メダス・ヘーデンといいます。この生徒についてはあまり説明が要らないと思います。恐らく彼の名を知る人は多いのではないでしょうか?彼はこの王都ではある意味、有名人ですからね」
と言うと客席に笑いが起きる。
「これから、彼の退学をかけた、決闘試合を開催いたします。彼が勝てば、退学は免除されます。負ければ彼はこの学校を去ります。なぜこうなったかについては詳しくは説明しません。彼に関しては私があれこれ言わなくても、すぐに王都に噂がいきわたるはずです」
と少しおどけたように進行役は言う。
また、笑いが起きる。
「ヘーデン君に対するは前回大会3位の実力者、士官科3年生のミクル・ジン・マルーク男爵子息です。急遽決まったにも関わらず快く協力してくれることになったこの誠実な勇者に拍手を!」
マルーク先輩?が手を上げると、ぱらぱらとあまり積極的でない拍手の音がした。
これは、彼に人気が無いというより、この試合の趣旨が分からなくて皆が興味を持てずにいるのだろう。
その拍手を受けて彼はため息をつく。
この先輩は会場に入って来てから、まだ一度も俺の方を見ていない。
観客の鈍い反応に、進行役もこれ以上盛り上げるのは無理だと判断して早々に試合を開始する。
「他の競技試合同様に剣以外での攻撃は禁止です。防具の無い場所を故意に攻撃することも反則になります。防具の全ての魔石が先に破壊された方の負けとなります。今回は特別の視覚効果を楽しんでいただくため、青の魔石からは青い液体が、赤い魔石からは赤い液体が、血に見立てて流れ出るようになっています。では、はじめー!」
とやる気のない声が会場にこだまする。
試合が始まっても会場の観客は私語を止めずにいる
ここでマルーク先輩が初めて俺を見た。
感情の無い目だ。彼は無造作に俺のそばに歩いて、小声の届く距離に立つ。
お互いに余裕で剣が届く距離だがどちらも構えもしない。
「あー、できればすぐに決着をつけてあげたいところだが、実は事情があってね。少し時間をかけて試合をしなければならない。君に恨みは無いが、これも身から出た錆だ。どうか俺を恨んでくれるなよ。俺は言われてやっているだけだからな」
と周りに聞こえないように言う。
あのデブの貴族が言っていたように俺に恥をかかせて痛ぶるつもりのようだ。
目に映る全ての存在に無性に苛ついた。
どいつもこいつも阿保で馬鹿で糞野郎だ。全てを分かったような偉そうな面しやがって。何にも分かってないくせに。顔だけ自信満々で意味不明な説教ばっかりかましやがる。
ふざけんな。
ふざけんじゃねえよ。
内心の苛つきを隠し、張り付けた作り笑顔でマルーク先輩にと話す。
「いえいえ、お気遣いなく。先輩はあれでしょう?いわば、ミスラン公爵派の『汚れ役』と言うことでしょ?下っ端は大変ですねぇ。立場は違いますが先輩には同情してしまいますね」
とため息をついて呆れたように、大げさな身振りで両手を広げて言ってみる。
「おい、あまり俺を怒らせない方がいいぞ。これからお前の運命を決めるのが俺だと分かっているのか?」
「分かりませんねぇ。それにあなたはただの操り人形だ。あなたが私の運命を決める?馬鹿を言っちゃいけませんよ。あなたの様な木っ端に何が決められるんですか?学生のうちからこんなことをやらされるなんて、あなたの将来はもう決まったようなものですね。
これから、あなたはミスラン公爵派の一切の汚れ仕事をやるようになるのですよ。都合の悪い人間や反対派を暴力で痛めつけ、拷問をし、暗殺を命じられるかもしれません。それにあなたは何も逆らえず、言われたとおりに自分の意思を持たずに、ただ命令を実行するのでしょうね。
悲しい人生ですねぇ。意志を持たない暗殺者になるしかないなんて」
「きっ、貴様!」
「おや、怒りましたか?しかし、私の言うことに何か間違っていることがありましたか?あったら教えてくださいよ。謹んで訂正して謝罪を致しますが。どうなんでしょうかねー?」
と言いニヤニヤと笑ってやった。
「このっ!」
と剣を構えようとするマルーク先輩の懐に入り込んで、下から顎に頭突きをくらわしてやった。身長差できれいに頭突きが決まりマルーク先輩はその場に尻もちをつく。
その転んだ手の細剣を上から踏んづけて、顎の下に俺の長剣の切っ先を突きつける。
「おやおや、こんなところに座って、ご気分でも悪いのですか?」
と見下ろす。
「待て、何をしている!打撃による攻撃は認められない!反則だ!」
と審判役の教師が俺とマルーク先輩の間に割って入る。
「あーははははは!」
と俺は大声で笑ってやる。
会場の観客が静まり返る。
皆が俺に注目をしている。
「天才と言うから、どんなすごい人が出て来るのかと思ったら、この程度ですか?これは拍子抜けですねえ。ミスラン公爵様の派閥はどうやら相当の人材不足のようだ。私は父に見捨てられ廃嫡されていて、もはやゼルガ公爵派閥とは何の関係も無い、厄介者の人間ですが、そんな無力な人間一人懲らしめることも出来ないほど弱い人間しか居ないとは、本当に予想外でしたねぇ。これは、子供を相手にするより楽かもなあ」
と憎々し気に会場全体をぐるりと見まわしてニヤニヤ笑って見せた。
『ミスラン公爵派に喧嘩を売るが、ゼルガ公爵派はこのことに関係ないよ』と言うことだけは取りあえず宣言をしておいた。でないとこれをきっかけに派閥同士の全面対決にでも発展したら、後が困るからだ。最悪でも、俺一人が暗殺されて終わるように話を持っていきたい。
試合前は、そこそこ善戦したらいいところで適当に負けて、ミスラン派の馬鹿どもを満足させてやればいいかと思っていたが、この闘技場に立って会場のギャラリーの無関心を目にしたら、『こいつらの度肝を抜いてやりたい』という妙な反骨心がむくむくと心に込み上げてきた。
(ああ、そうかい、そうかい、誰も俺なんか見もしねぇ。それなら、俺は俺のやりたいようにやってやるよ。これ以上糞野郎どもにコケにされてたまるか!)
と開き直ったやけっぱちの気分になった。
会場の観客席の中ほどの一角に母上とモンマルの姿があった。ミーファの姿は無い。モンマルは普段着慣れない騎士服もどきに身を包んでいる。母の護衛としてこの場に居るのだろう。なかなか似合っている。
『馬子にも衣装』状態だ。
二人とも不安に顔が曇っている。
普通、試合参加者の家族は前列の席が用意されるはずだが、俺の家族にはその配慮がなされていないようだ。しかし、それはそれで好都合だ。これなら、俺に何かあっても、モンマルがとっさに俺の助けに入ったりすることは出来ない。
ミスラン派も元傭兵『死の二刀』情報は得ているはずだ。
よく見ると、母上とモンマルの周りの席に不自然に屈強な男たちが座っている。
あの男たちがどう動くか分からないうちは、モンマルも母上のそばを離れられないだろう。
(すまん、母上。モンマル。俺はここで死ぬかもしれない。その時は、俺の事は居なかったものと忘れてくれ)
会場の観客が俺の煽りにヒートアップして怒号が飛び交う。
ミスラン公爵派は一般には『政府に物言う民衆の味方』という認識が庶民の間にイメージとして定着しているので、あまり巷でミスラン派の悪口を言う庶民は居ない。
そのミスラン家の子供を殺した俺は、時代劇の悪役と同じくらい分かり易い『悪』と庶民に認識されている。
その上今俺が『子供を相手にするより楽かもなあ』と言ったことは嫌でも『悲劇の子、エルネスタ殺害事件』を皆に連想させたはずだ。
このところ大人しくしていたので噂も静まりつつあったが、ここへ来てこの煽りである。
分かり易い悪人の登場に、皆気兼ねなく罵声を飛ばす。
(おー、おー、みんな日頃のストレスが溜まってらっしゃりますねー。はい、悪人ですよー、皆さんの大好きな悪人がやって来ましたよー。もー、どうとでもなれ。俺なんか死んだ方がいいんだ。死んでやる。ここで死んでやる。すぐ死んでやる)
と、やけっぱちハイになる。
いったん仕切り直しで俺と、マルーク先輩の間に4メルス(6メートル)ほどの距離が取られる。
あのまま接近状態で試合開始になったら、俺が有利になってしまうので、審判の指示で思い切り離されてしまった。
この審判もどうせミスラン派だろう。
「それでは、改めて試合開始!」と審判が宣言する。
俺はソングソードを両手で正眼に構える。
マルーク先輩は、細剣を片手でフェンシングのように持ち、右足を踏み込んで体を斜に構える。
うん、そうするよね。
マルーク先輩がじわじわと近づいてくる。
さて、ではこちらもやりますか。
マルーク先輩が一跳びで剣の届く位置まで来ると、俺はその場にぺたりと座り込んだ。
「なっ?」
と先輩の足が止まる。
俺は自分のロングソードの切っ先を先輩に向けて前の地面に置いて、M字開脚状の体育座りの姿勢をとる。
はた目には俺がやる気なく無防備に座っているように見えるだろう。
しかし、この俺の構えを見てマルーク先輩の足が前に出なくなる。
会場のギャラリーが騒めき始める。
「何だあれは?」
「なんで休んでいるんだ?」
「今、審判始めるように言ったよな」
「マルークはなんで責めないで待っているんだ?」
と、状況の分からない観衆が口々に言う。
この状態で俺に攻撃できるわけはない。
彼の攻撃は上半身特化で、下半身を攻撃するような技は持っていないと見た。そして、俺が地べたに座ることで、俺の体は彼の射程距離から大きく外れた。
もし彼がこの俺に攻撃を当てようと思ったら、普段より大きく踏み込んで、低い位置に剣を振り下ろす必要がある。
それは近接戦闘の距離で、俺の間合いだ。
そして、もう一つ彼が接近出来ない理由がある。
地べたに無造作に置かれた俺のロングソードだ。
俺に剣が届く位置まで進むと、自然に俺のロングソードの切っ先を踏み越えることになる。
防具以外の場所を攻撃することは反則なので、ルール上俺は彼の上半身の防具しか攻撃出来ないことになっている。
しかし、彼はそれを信じるか?
この頭のおかしい『子供殺しのガルゼイ』がそんなルールを律儀にちゃんと守るだろうか?
『うっかり』間違って、彼の足を模擬剣で切りつける可能性を考えないだろうか?
それで、俺は反則負けになるかもしれないが、彼は足を負傷して、後半戦の試合には出られなくなる。ミスラン派重鎮からガルゼイを痛めつけるように言われた任務も果たせない。
彼がそう考えたとしたら、不用意に前に出て来られるわけは無いのだ。
「あっれー、先輩?どうしたんですか?私は先輩が攻めやすいように、わざわざ防御もしないでこうして待っているのに、なんで攻めて来ないんですかぁ~?」
と、ニヤニヤ笑って客席に聞こえるような声で煽る。
「まじめにやれー!」
と言うヤジが客席から飛ぶ。
マルーク先輩の顔に焦りの色が浮かぶ。
「待てっ!待てだ!」
と審判がまた試合を止める。
「ヘーデンは立って戦うように!」
と注意される。
「えー、座って戦ってはいけない決まりが有りましたっけねぇ?」
と間延びした声で俺は審判に抗議する。
「剣術の試合は立ってするものだ。指示に従わないなら反則負けにするぞ!」
と審判が興奮してまくしたてる。
俺はおかしそうに『くくくく』と笑いをかみ殺す身振りをする。
「出来るんですか?私を反則負けに?」
と馬鹿にした顔で審判を見上げる。
それでは俺に恥をかかせて制裁したことにはならない。
「この…」
と審判が何も言えなくなる。
しかし、このまま相手が攻めてこない限りこちらからの攻め手も無い。
(とりあえずはこんなもんか)
「あー、観客の皆さま!マルーク先輩は無防備に座っている人間が怖くて攻撃出来ないようなので、彼のやり方に合わせてあげることにしましょう!」
と言い、立ち上がる。
マルーク先輩の顔が屈辱で真っ赤になる。
エリート先輩は今まで対戦相手からこれほどコケにされることなど経験がないのだろう。
目を三角に釣り上げて、すごい形相だ。
これでかなり精神を削れたはずだ。
だが、それで俺の技が通じるほど甘くは無いだろう。
ここからは身を削る耐久戦になる。
俺が一瞬で負けなければだが。
まあ、先方は俺をいたぶる使命があるから、すぐ勝ててもあっさり勝つわけにいかないよね。
そこが俺のねらい目だ。
負けて退学するのも、殺されるのもいいが、俺を舐めた連中にそれなりの対価を払わせてやる。
また距離を取り、試合が再開する。
マルーク先輩が地を滑るような神速で、俺に迫る。
「ひえー!」
と俺は背を向けて闘技場の中を走って逃げる。
マルーク先輩があっけにとられて、ぽかんと口を開ける。
「こらっ!何をしている!やめ!やめだ!」
と審判。
「いやー、マルーク先輩の顔があまりに怖いので、つい逃げてしまいました」
とおどけて言うと、客席の一部から笑いが起きる。
多分、ゼルガ派の人間だ。
この競技場にも少しは俺の味方も居るようだ。




