43 決闘準備
決闘の日が3日後に迫っていた。
たかが学生の模擬戦なので、放課後に数人が立ち会ってぱっぱとさっさと決着をつける程度のことだろうと高をくくっていたら、何か大事になっているようだった。
騎士団予備校の定期剣闘大会の演目の一つとして俺の決闘が組み込まれてしまった。
この騎士団予備校では前期と後期の半期ごとに『剣闘大会』が催されることになっている。そこには多くのゲストが招待されて、現役騎士団の騎士や将軍、大隊長や、名の知れた有力貴族なども観戦に来る。
ここで実力を認められた生徒は騎士団に青田買いされたり、王都新市街の目抜き通りにある『王国中央闘技場』で剣闘士としてデビューするチャンスが与えられるという。剣闘士と言うと奴隷が死ぬまで戦わせられている、悲惨な世界を想像するかもしれないが、この世界の剣闘士はそれとは全く違うものだ。
模擬剣を使って安全性に留意した、細かい特別ルールのあるもので、実戦の剣術とはまるで違う競技剣術だ。急所は防具で守られていて、毎回強固な防御魔法が防具に掛けられ、防具以外の場所を故意に攻撃すると、反則負けになる。防具の上に壊れやすい人工の魔石を取り付けてあり、魔石が剣で砕かれると、光を放つようになっている。防具の上に設置された全ての魔石を破壊された方が負けとなる。
強い剣闘士はスターの扱いで、富と名声を得ることができ、平民の剣闘士が爵位を得て貴族に列せられることもある。闘技場では剣闘士だけでなく、魔法闘士、魔剣士、魔拳闘士、など様々なジャンルの競技が日替わりで催され、観るものを飽きさせない工夫がなされている。
闘技場では競技だけでなく、死刑囚の公開処刑も行われる。
これは、実に残酷なもので、素手の、死刑囚を魔獣に噛み殺させたり、真剣を持った剣闘士や攻撃魔法の得意な魔法闘士と戦わせたりする。
残酷な処刑は犯罪の抑止効果を目的としたもので、競技剣闘士たちに処刑を行わせるのは、日ごろ安全な競技しかしていない、闘士達に緊張感を持たせることと、人を実際に殺す戦闘経験を積ませる目的があるとのことだ。
有名なスター剣闘士や、魔剣闘士、などが戦場に慰問に行くこともあり、人も殺したことのない剣士は、前線の人間に侮られてしまう。
前線慰問では剣闘士と前線騎士の模擬戦が行われる。いわゆるエキシビションマッチだ。
この時の勝敗は競技ルールでなく戦場ルールで決められる。具体的にはぶちのめされて降参するか戦闘不能になった方が負けだ。
なので、剣闘士たちの中には前線の慰問に怖気づいて行けない者も居る。
戦場慰問ができる剣闘士はそれだけ、実力者として尊敬され、前線慰問をしたことが、剣闘士の箔付けにもなるのだ。
なので、剣闘士の経歴に、慰問経験3回とか5回とかいう経歴が勲章のような価値を持って語られる。
前線の騎士たちにしても、スター剣闘士に勝てば国中に己の名声を轟かせることができるので、慰問の時期に準備して手薬煉を引いて待っている。
まあ、こんな蘊蓄をなぜ長々語ったかと言うと、俺の決闘が剣闘大会の前半戦と後半戦の間のインターバルの時間に催されることになっていたからだ。
この時間帯は通常、闘技場で『罪人の処刑』が行われる時間なのだ。
前半戦で中だるみした観客をこの『処刑』で引き締めて、気持ちを新たに後半戦に入るという合理的なプログラムらしい。
もちろん、学生の大会で『罪人の処刑』が行われる事は無いのだが、俺の決闘をこの時間に持って来た学校主催者の悪意を感じる。
俺の相手は第一剣術部の副部長で今年3年生になる18歳の天才剣士とのことだ。
なんでも簡単な身体強化が使える『魔剣士』で、初級魔法なら剣で防げるほどの腕前と聞く。
騎士団予備校卒業後は王都の近衛師団に入るエリートコースが約束されている、ミスラン公爵派の男爵家子息だ。
本来なら俺の様な無名の本科生と試合を組まれることなどない。俺との試合はエリートコースを歩む実力者には屈辱だろうが、実家の爵位が男爵家と低いことで貧乏クジを引かされたのだろう。
俺との決闘試合を処刑の時間に持って来たことで、対等な試合でなく『ただの処刑の見世物』という言い訳も立ち、彼のプライドも守られる。
彼は今大会の優勝候補の一人で前回大会の3位だ。今大会の本戦にもエントリーしているので、本来、インターバル中は休憩して後半戦への英気を養う時間なのだが、俺の相手程度なら疲労を残さずに後半戦を戦えるという判断なのだろう。
舐められたものだ。
経歴的に俺が勝てる要素は皆無だが、正統派剣術に対して、いくつか試してみたいこともある。『嫌われ者の最後っ屁』でせいぜいかき回してやろうと思う。
今さら特訓をしたところで仕方ないので、俺は決闘までの数日間をのんびりと過ごしていた。
時々、ミスラン派のスパイの様な生徒が俺の様子を見に来ていたが、俺のだらけ切った様子に、苦笑しながら去って行く。
(はっはー、油断しろ、油断しろ。俺を雑魚と侮ってくれよ)
もし俺に勝機があるとしたら、それは敵の油断に付け込むことしかない。
それが、俺がモンマルから教わった戦場剣法の極意だ。
戦場では油断して負けても『再戦』するチャンスなど無い。
勝った方が生き、負けた方は屍だ。
どんな手を使っても、目の前の一戦を勝ったものだけが勝者だ。
命を懸けた一戦に、卑怯も、みっともない、もないのだ。
今日も授業のパカポコ模擬戦が終わり、汗をぬぐう俺の横にボブルが腰を下ろす。
「なあ、こんなにのんびりしてて、大丈夫なのか?」
「ああ、いまさら焦っても仕方ない」
「お前は結構度胸があるな。俺がお前なら怖くて、じっとしていられないぞ」
「俺も怖いよ。怖いから何も考えないようにしているんだ。いつも怖い思いばかりしていると、現実逃避して感情を殺すのが上手くなる。今いる自分を自分じゃないと思って、もう一人の自分を空の上に浮かべる。それで、『あー、こいつも大変だねー』と他人事に思うようにする。ボブルもどこかで誰かが不幸な目に会っているのを聞いても、それが知らない人間なら大して気にもしないだろ?」
「いや、自分は自分だろ。そんなに都合よく切り離せないだろ」
「日々の鍛錬だ」
「そんな鍛錬いらねーよ」
このボブルと言う男は、最近ではいつも俺と行動を共にするようになり、なんだか友達の様なポジションになっている。
「あのな、前から気になっていたことがあるんだけど、聞いてもいいか?」
とボブルに問う。
「何だ?」
「お前、入学初日にすごい目で俺の事睨んでたよな。もしかして、俺、何かお前にしたのか?」
「ああ、あれか…」
とボブルは気まずそうに、頭をかく。
「実は、俺の姉貴は新市街のヘーデン家本宅で女中をしていたことがあるんだ」
ああ、そっちか…。
「それで、そこのボンボン息子の部屋で何か物が無くなったらしくて、たまたま近くに居た俺のねーちゃんが犯人ということにされて、屋敷を追い出された」
「姉さんはなんて名前だ?」
「エリだ」
名を聞いても聞き覚えがない。当然だ。当時のガルゼイはメイドの名前など気にしたことが無い。
「うちのねーちゃんは、それから臨時雇いで、農場で収穫の仕事についたんだが、力仕事の苦手な姉貴はじきに体を壊して床についた」
「それは何んとも…」
申し訳なくて身が縮む。
「その当時俺は騎士団予備校の試験に合格して、入学するはずだったんだが、姉貴を治癒神官に診てもらう為に金が要るようになって、結局その年は入学できなかった。それからしばらくして姉貴の具合が良くなって、また俺は学費を貯め始めた。
それで、姉貴が首になってから2年も後になって、ヘーデン家から詫び状と金と新しい仕事の紹介状が送られてきた。今更どういうつもりだと腹が立ったけど、使えるものは使った方がいいだろ。姉貴は勉強ができるから、その紹介状で、ヘーデン商会系列の商人の子供の家庭教師の仕事をやることができるようになった。で、俺はもらった金で騎士団予備校の学費を払えたってわけだ」
冷や汗が滝のように流れる。
「すまん!」
と俺はその場に土下座していた。
「私の至らぬ行動で、とんでもない迷惑をかけた。詫びて詫びられることではないが、とにかく謝らせてくれ!」
と平謝りした。
「おい、やめろよ。みんなが見てる。やめろ!」
と俺の体を引き起こす。
「しかし、私は…」
「ああ、最初は『こいつが姉貴の仇で、おれの入学を遅らせた張本人か』と思って腹が立ったよ。どんな嫌な奴かと思って、それからいつも見ていたんだが、なんか思っていたのと違うんだよな。馬鹿面で、抜けてて、ヘタレで、偉そうにしてたかと思うと、急に弱気になるし、姉貴に訊いていた話と全く繋がって行かないんだ。おまえ、双子の兄弟とか居るか?」
「いや、その悪評は間違いなく私本人のものだ。私は実に酷い人間で、本当に人間のクズなんだ。そのことは他ならぬ私本人が保証する」
「だから、本当の悪人が自分でそんなことを言わないだろ。多分お前にもなんか事情があるんじゃ無いのか?貴族の生活はいろいろあるって言うしな。ああ、お前は正式には貴族じゃないらしいけど、準男爵家なんて半分貴族みたいなもんだろ?お前の母ちゃんも伯爵家だっけ?で、俺はとりあえずの恨みは横に置いて、今の自分の目を信じることにしたんだよ」
とボブルが笑顔で言う。
こいつ、何て優しい男なんだ。ずっとただの脳筋の馬鹿だと思っていてごめん。
「駄目だ、俺に優しい言葉をかけては駄目だ…」
思わず涙が込み上げる。
この野郎!脳筋のくせに俺を泣かせるとはふてえ野郎だ!
畜生!不意打ちだ!
不意打ちの優しさ直撃弾を食らっちまった。
俺は人から非難されて見下されることには耐性があるが、優しくされる事には慣れていないのだ。
額の汗をぬぐう振りをして、俺は袖で涙を拭く。
バレてない。バレてないよな。
と、目のいいミーファが離れた場所で立ち止まって、10メルス先からじっとこちらを見つめている。
「ヘーデン君泣いているの!?ボブル君に虐められたの!?駄目よ、ボブル君!」
と大声で言う。
この馬鹿ちんがー!
周りの生徒がこちらに注目する。
「違うわい!泣いてないわい!」
と言うが、涙が次々こぼれてきた。
何という屈辱。
ミーファが怒ってボブルに説教を始める。
ボブルは慌ててそれに言い訳をする。
残り3人の女子もミーファに加勢してボブルを囲む。
この様子を見ていた生徒たちの口から、俺がボブルに虐められて泣いて、女子に助けられたとの噂が学内に広まった。
この噂はスパイの士官科生によって対戦相手にももたらされ、『ガルゼイ戦楽勝』との相手陣営の予想にもつながる。結果として決闘前の状況が俺の望む通りの展開になった。
その後、ボブルいじめっ子疑惑が晴れて、彼はミーファ達女子から解放される。
おれは恥ずかしくて死にそうだ。瀕死の重傷だ。
黒衣の爺さんも心の重症は癒せない。
この心の重症を癒すには…
そうだ!
あそこだ!
と俺は放課後に新市街外れの家を訪れた。
今日は家人が在宅で、二階の部屋に通される。
「仮面のお姉さんエモーん。みんな僕を虐めるんだぁ~。なんとかしてよぅ~」
と、その豊かな胸に顔を埋める。
「あら、甘えん坊ね。また嫌なことがあったの?」
と彼女は優しく包み込むように頭をなでて、俺の話を聞いてくれる。
しょせん未来の無いお金のだけの関係と分かっていても、この一時に甘えたいのだ。
男にはそんな時があるのだ。
35歳の童貞中年おやじが、20代前半女子に甘えて、子供言葉ですがりついている図を思うと背筋が寒くなるが、今は14歳の少年と言うことになっているので、ギリギリセーフなのだ。
あの世に行ったときに、過去映像を女神様に晒されて「きもっ!」と言われる事を想像すると、気持ちが萎えるが、今、この場での俺は、心の少年なのだ。
そうして、2時間がタイムアップして、癒された俺は我が屋敷に帰る。
遅い夕食を居間の大テーブルで、一人で食べる。
すると、入り口の戸が開き、ミーファがこちらを覗く。
「女の人の匂いがします」
と言って、不機嫌な顔をする。
えっ、ばれないように帰ってすぐに服を着替えたのに、分かるのか?
と自分の袖をくんくんしてみた。
分かるような臭いはしない。
「嘘です。また、あそこに行ったんですね」
と確認してくる。
ブラフか。やられた。
「男にはそういう時があるんだ」
「だから、そういう時に私がお世話すると、何度も言っているじゃないですか」
「お前は、私の剣の師匠のモンマルの娘のようなものだ。師匠の娘に不埒な真似は出来ない」
「モンマル叔父様は『まだやってないのか?』と時々聞いてきます」
マジか?あいつ、保護者の自覚は無いのか?
「先日は、女中を追いかけた件で、母上に酷く叱られた。母上はミーファを自分の娘同様に思っている。そのミーファに手を出したら、私は母上から殺される」
「母様は、私ならそうなってもいいと言っていました」
えっ?なにそれ?
「血筋もしっかりしているし、人柄は分かっているので、構わないとおっしゃっていました」
母上、何を考えているんだ?
でもそれって母上の意図的には、つまり、あれか?
その…、あれだろ?
…夫婦になる的な意味で言っているよな。
しかし、ミーファは単純に『欲望の処理のお手伝い』的な感じで話をしているよな。
母上は元貴族なので遠回しな言い方しかしないから、ミーファには正確な意図が伝わって無いぞ、これは。
「母様の許可は出ているので、いつでもやれます。一発でも二発でも十発でもどんと来いです」
と笑顔で自分の胸をどんと叩く。
娼館育ちがこういうところに出てしまうんだよな。
性に対する恥じらいが無い。
あくまで一つの職業としてとらえているんだ。
俺に対しては、『タダで奢ってあげます』的な感じで話をしている。
参ったな。これは話が通じないぞ。
「ミーファ、以前も言ったが、私はお前とそういうことをするつもりは無い。お前には優れた才能がある。それは、こんな潰れかけの家の中で浪費していい才能ではない。お前は私に恩義を感じてそう言ってくれるのだろうが、それは逆だ。私たちはお前に罪滅ぼしをしいているだけなのだ。
ミーファとミーファの家族を不幸にしたのはわが父だ。我が家はお前の家族の仇の家だ。そんな家に私はお前をいつまでも閉じ込めておくつもりは無い。分かってくれ」
と噛んで含めるようにゆっくりと言い聞かせる。
すると、ミーファの顔色が変わった。
いつになく真剣な顔で歯を食いしばり、何か決意したかのように口を開く。
「分かりません!ガルゼイ様は、前に私の態度で突き放された気になって、絶望するって言ってたじゃないですか。わたしはそんなひどい態度を取ったことは有りません。なんでガルゼイ様がそんなことを言うのかぜんぜん分かりません。私はいつもみんなの役に立ちたくて、どうしたらお力になれるか考えています。それなのに、ガルゼイ様は私が何をやっても認めてはくれないじゃないですか!私はそんなに役立たずなんですか⁉」
と興奮した様子でミーファがまくしたてる。
「ち、違うぞ!そうじゃない。役立たずは私だ。私が駄目な人間なんだ。ミーファはすごい人間だ」
「また、そうやって他人の様な言い方をするんですね。ガルゼイ様は私がいつ話しかけても用事がある振りをして、すぐにどこかに行ってしまいますよね。口ではいい事を言っても、いつも私を避けているじゃないですか。そんなに私が嫌いなのですか?」
と言うミーファの瞳に大粒の涙が浮かんで来る。
「突き放されて絶望しているのは私です!ガルゼイ様なんか大っ嫌いです‼」
と叫んで、ミーファが踵を返して走り去る。
(ああ、ミーファ。ミーファが行ってしまう。でも、彼女を追いかける資格は俺には無いんだ。まただ、…またこれだ。俺が人に関わるといつもこんなだ…)
と世界が崩れ落ちるような喪失感に襲われる。
(まただ。また、やっちまった。俺は相手の気持ちを考える振りをして、結局は自分の事しか考えていなかったんだ。ミーファはミーファなりに一生懸命だったんだ。そのことに考えが及ばなかった。いつも俺はこんなだ。俺は人の気持ちが分からないダメ人間だ。引き籠りの陰キャ野郎が借り物の力を得て、人らしくなったつもりだったのか?笑える…)
俺は両手で自分の顔を覆って、テーブルにおでこを押し当てたまましばらく動けずにいた。