42 ガルゼイの孤独
この日の放課後、河原の修練所に行くと、女子ーズたちが鍛錬も始めずに、心配そうに俺の元に集まってきた。
この俺を糾弾しようという計画はしばらく前からミスラン派閥の貴族の間で動き始めていたそうだ。そのことを知ったミスラン派閥の女生徒たちが相談して、ゼルガ派閥の女生徒達と連絡を取り合い、俺を守るために力のあるゼルガ派の貴族を動かしてくれたということだった。
「そんなことになっているとは知らなかったよ。みんな気を遣わせたね…。しかし、この課外活動は解散させられることになった。力及ばず申し訳ない」
と皆に詫びた。
入学当初は気を張って、悪役キャラでやっていたが、この課外活動を始めてからは、いろいろぼろが出てきて、最近は女生徒たちに舐められまくっていた。
悄然とする俺を皆が心配そうに口々に慰めてくれる。
うん、これだけ多くの女子ーズに心配されるのは嬉しいけど、この中で俺に告白してくる人間が一人も居ないんだよな。俺って、便利ないい人枠に分類されているのかな?
まあ、鍛えて痩せたとはいえ、チビだし、目、鼻、口、が線一本で書いてそれがそのまま俺の似顔絵になるくらいのモブ顔だし。モテるとは思ってないけど、もう少しなんかないのかな?
と、わが身のモブ強度に情けなくなる。
「対戦相手が誰になるか分からないけど、勝てるようにやれるだけのことはやるよ」
と心にもないことを取りあえず言っておく。
「多分、対戦相手は士官科3年生の、第一剣術部員から選ばれると思います」
と一人の生徒が言う。
剣術部は第一、第二、第三、とあり、第一は貴族派、第二は王党派、第三は中立派、とそれぞれ住み分けて活動をしている。士官科生は全学年三クラスあり、総勢150人ほどのほぼすべての人員がどれかの剣術部に所属している。
本科からも、実力ありと認められた生徒が剣術部に加入しているので、剣術部員の総数は500人ほどになるという話だ。その鍛錬は過酷で、大抵の本科生はやられ役で、士官科生の噛ませ犬の負け要員でしかなく、心折れてやめる本科生も多いという。
俺はそんなところに行って、虐げられる気は無いので最初から剣術部に入る気は無かった。
ミスラン公爵派は貴族派に属し、ゼルガ公爵派は王党派に属する。
普段、公式な場で『貴族派』とか『王党派』と口に出すのはタブーだ。
表向きは一部の貴族と王家の対立は無く、皆王家に忠誠を誓っていることになっているので、そんな派閥は存在していないという建前だからだ。
なので、先ほどの様な場面でも、貴族派と言わず、ミスラン公爵派と言うし、王党派のこともゼルガ公爵派と言うことで代用して、本来の意味をオブラートに包むようにしている。
「士官科生か…、強いのか?」
とボブルが疑わしそうに言う。
「それは強いわよ。向こうは子供の頃から一流の騎士に指導されて、英才教育を受けているのよ。身体強化を使える人もいるし、中には普段から力試しで、闘技場で剣闘士として趣味で戦っている人も居るくらいよ。」
と本科2年生の先輩が答える。
セミプロと言うやつか。
世の中は広いし強い人間は本当に強い。
選ばれた人間の強さというものは次元が違うものだ。
多分、全力で戦っても俺はあっけなく負けるだろう。
だから、うっかり勝って相手の面子を潰してしまう心配はいらないだろうから、今回は全力で行かせてもらおうと思う。
俺の二刀流が実力者にどれくらい通じるのか興味がある。
それに、あまりにみっともなく惨敗したら、俺が指導していた、本科生の女子たちの努力まで価値の無い物になりそうだ。どうにかして、ある程度は健闘して模擬戦を成立させたい。
とは言っても俺にできるのはまともに戦わないことだけだ。
黒衣の爺さんの『無限のスタミナ』を発動して逃げながら、相手のスタミナが切れるのを待って近接の打ち合いに持ち込めば、少しは試合らしい試合になるのではないかと思う。
その為には、霊エネルギーの備蓄が重要だ。
この日から毎日王都の街を散歩して、『除霊』活動をすることが俺の日課になった。
本科女子ーズの課外活動も無くなったので、放課後は暇だ。そうして、ふらふらと歩いていたら、見覚えのある通りに出た。
ゼスの屋台のある通りだ。
そのまま屋台の方に引き寄せられるように歩いていく。
見覚えのある場所に見覚えのある顔があった。
優しい巨漢の中年男ゼスが串を並べて焼いている。
いい匂いがここまで漂ってきて腹が鳴る。
しかし、この顔で買いに行くわけにはいかない。
俺はエルの仇なのだ。
「お兄さんお恵みを」
と6、7歳くらいの赤毛の子供が前に来て手を出す。
「ああ、それなら、あそこの肉焼き串の屋台で串焼きを5本ほど買ってきてくれないか?買ってきてくれたら、そのお釣りをお前にあげよう」
と王国銀貨1枚を子供に渡した。
子供はそれを手にまっすぐゼスの屋台に行く。
子供が串を5本買うとゼスは子共を呼び止めて、何か話をしている。
そして屋台の裏を顎でしゃくって示していた。
(ああ、ナコねーちゃんとエルに言っていたのと同じ話をしている。屋台の裏で食べさせようとしているんだ)
と思い当たる。
子供は後ろを振り返って俺の存在を確認しようとしていたので、俺はそのまま横道に入り、身を隠した。
子供はしばらくきょろきょろしていたが、俺の姿がどこにも無いと気付くと、ゼスに促されるままに屋台の裏に入って行った。
「食べ損ねたなあ…」
と思いながら裏道を歩く。
あの、水路の河原に行く勇気は無かった。
今あそこに行ったら悲しみで心が押しつぶされてしまいそうだ。
エルの体は亡くなったが、俺の中にはあの時のエルがしっかり残っている。
その思いが「ナコねーちゃんに会いたい」と泣いている。
駄目だ。心が沈む。
「こんな時は…『あの家』のお姉さまに頭なでなでしてもらおう」
と新市街の外れの家に向かった。
新市街外れの『あの家』でドアを決まった合図で叩くが、この日は誰も出てこなかった。
約束の日では無いので、どこかに外出しているようだった。
空しい想いを抱えたまま何となくランス湖まで歩いて足を延ばす。
湖畔の低い丘の上から我が家の別邸を眺める。別邸の周りやランス湖の港では大勢の人が行き交っていた。
俺はどこへ行っても嫌われ者だ。
いつも人から悪意ばかり向けられている。
最近の予備校では少しは頼られているが、しょせんは便利に使われているだけだろう。
役に立つから関わっているだけで、本気で俺と友達になりたい人間など誰も居ないはずだ。
空しい。
ただ、空しい。
ミーファは俺に優しくしてくれるが、しょせんは、娼館から連れ出したことに恩義を感じているだけで、内心では俺みたいな人間から離れたいと思っているに違いない。
空しい。
本当に、空しい。
生きていることが、ひたすら、空しい。
なぜ、俺はこの世界に来たのだろう。
あのまま、消えてしまえば良かったのに。
運命は俺に何をさせたいのだろう。
何をさせたいのでもなく、翻弄して遊んでいるだけかもしれない。
空しい。
本当に空しいよ。
消えたい…。
そうして膝に顔をうずめてじっとただ座っていた。
どのくらい時間が経ったろうか、陽が傾いて、ランス湖の反対側の山脈に沈んでいく。山影が長く伸び湖畔の別邸が黒い影に飲まれていく。
「ああ、陽が暮れる。帰るか」
と俺は立ち上がり家路についた。
歩いているうちに完全に街が暗闇に覆われる。
この世界では暗い場所は本当に真っ暗で、『一寸先は闇』と言う言葉がそのまま実例として目の前に展開する。
明かりを持たない俺は、歩きやすいように少しでも商店の明かりのある道を選んだ。
目の前に二人の人影が立ちふさがる。今そこの酒場から出てきた酔っ払いだ。
俺は、その人影に道を譲るように脇にそれる。
すると人影はまた俺の前に立ち塞がる。
「おい、ガキ、金持ってるだろ。あるだけ寄こしやがれ」
と、酒臭い息でかがんで話しかける。
「失せろ、下郎。今俺は機嫌が悪い」
と言って、下から睨みつける。
「お、威勢がいいな。ぎゃははは、このガキ機嫌がわるいとよ!俺は金持ちのガキに会えて、いい気分だぜー!」
と高笑いをするみぞおちのあたりに、渾身の中段突きを全体重で叩き込んだ。
そして、さっと後ろに飛びのく。
酒臭い男の口から噴水のように汚物が吹き出る。
口を開けぽかんとしているもう一人の腿の外側に、斜め上から思い切り蹴り落とすように踵蹴りを見舞ってやった。
その男は『がっ!』とうめいて前の汚物の中に倒れ込んで立てなくなる。
そのまま立ち去ろうとすると、今さっき男たちが出てきた酒場から5人の男たちがぞろぞろと出て来る。
「お、なんだ、お前らどうした?」
と、俺がのした男たちに声をかけている。
仲間のようだった。
「このガキにやられた!」
と脚を蹴られて立てなくなった男が叫ぶ。
「ふーん」
とリーダー格と見られる男がニヤニヤ笑いながら俺を見下ろす。
「お前ら囲んでやっちまえ」
と男が言い、残りの男たちが同時に両手を広げて俺に向かってきた。
10分か、30分か、あるいは1時間後か、俺は裏路地の地べたで意識を取り戻した。
服はぼろぼろで、左の脇腹に酷い痛みがある。
確認すると腹をめった刺しにしたような刺し傷が何個所もあった。
傷はもう表面しか残っていない。
既に黒衣の爺さんが治した後のようだった。
(あいつら、本気で俺を殺そうとしやがった)
夜の酒場にはたちの悪い人間が居るとは聞いていたが、今まで夜中に徒歩で出歩くことが無かったので実感が乏しかった。
こんな子供を平気で刺し殺す連中が王都にはうろうろしているのだなと、夜の街の治安の悪さを改めて認識した。
(顔は覚えた。あいつらは俺を殺したつもりだろうが、相手が俺だったのが不運だったな。奴らには、必ず復讐してやる)
地べたから立ち上がる。
広場の水場で腹の血を洗い流す。
皮の財布は懐にはない。
仕方なく、ぼろぼろの身なりで新市街の屋敷まで歩いて帰る。
屋敷の門をたたいて人を呼ぶ。
詰所から夜勤の門番が出て来るが、
「失せろ!この乞食野郎!」
と追い払われた。
俺の身なりがドロドロで汚いし、夜勤の門番が俺の顔を知らないので、ただの浮浪者と思われたようだった。
いちいち説明するのも億劫で、おれは門の横の地べたに寝転んで、そのままそこに寝ることにした。
そして、誰かに体を揺さぶられて目が覚める。
周りが明るくなっている。
早番の門番が俺に声をかける。
「坊ちゃんですよね?こんなところでなにを?」
と戸惑っている。
「これは野営訓練だ。この訓練は秘密で行っているので誰にも言うなよ」
と口止めをして、屋敷の裏からこっそりと中に侵入して、2階の自分の部屋に滑り込む。
昨日の湯の冷めたバスタブで体を洗い、すぐに水を捨てる。
少ししてやってきた庭師の爺さんに今日もお茶をいれてやり、窓辺の置物にしてから、
登校の身支度をした。
車の中であくびをしていると、ミーファがジト目でこちらを見ている。
「昨日の夜は居ませんでしたね」
「ああ、野営訓練をしていた」
と白々しい言い訳をする。
「例の『あの家』で野営をしていたのですか?」
「いや、違う。本当の野営だ」
とあせる。
「嘘ばっかりですね。私はそんなに魅力が有りませんか?せっかくお役に立ちたいと思っているのに、ぜんぜんお声掛け頂けないのはなぜですか?」
「ああ、ミーファ、お前は私の気持ちをまるで分かっていない。お前はまるで、『おなかがすいたなら私のおかずを少しあげます』とでもいうような気軽さで、男女の営みを話すが、それは違うんだ」
「え、違うんですか?何がですか?」
「それだ、それだよ。お前は私の事を本当になんとも思っていないのだな。その無邪気な善意に、いつも突き放されているような絶望を私は感じてしまうんだ」
「ガルゼイさまの言うことはいつも難しくてよく分かりません」
と困ったような顔をする。
「分からないだろうな、今は。お前にとって男と言う存在は、親切ないい人か、ひどいことをする悪い人の二択しか無いのだろう。今までの辛い生活で、お前の心がお前を守るために物事を単純化して深く考えないように仕向けているのかもしれない。
だが、いつかお前がどこかの誰かに特別な感情を持ち、『この人とずっと一緒に居たい』と思ったときに、私の気持ちが初めて分かるようになるだろう。その時まで私の言葉はお前の心には決して届かないのだろうな」
「やっぱり、難しいです。もっと簡単に説明してくれませんか?私はガルゼイ様やお母様、モンマル伯父さまとずっと一緒に居たいと思っていますよ?」
「うん、すまない。これは馬鹿で、自意識過剰な偏屈おやじの独り言だ。大した意味は無いから気にしないで欲しい」
「あ、ガルゼイ様、難しいことを言って、また胡麻化すつもりですね」
と、嚙み合わない会話は騎士団予備校に到着するまで続くのだった。




