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40 清い交際

この演習の後から、やっと本格的な剣の訓練が始まった。


三か月の過酷な基礎訓練を経て、生徒たちは皆屈強な肉体を手に入れていた。


無駄に見える訓練にもちゃんと理由があったのだな、と納得させられた。


今なら街の酒場で揉めても、素人相手ならげんこつで無双できそうだ。


俺も、小柄な体形は変わらないが、腕の太さはモンマルにと変わらないくらいになっている。


大胸筋や腹筋もバキバキに張っている。


嬉しくなってうちの鏡の前で、


「ふんぐー!きれてる!きれてるよー!」


と一人で自分に掛け声をかけながら上半身裸でマッチョポーズをして遊んだりした。


「肩にちっちゃい重機載せてるのかーい!」


と言って鏡を見つめると、その鏡の奥で、口をぽかんと開けた若いメイドがこちらを見つめていた。


不味い、見られた!


「奥様ー!奥様―!」


と身をひるがえしてそのメイドが走り去る。


「ま、待て、話し合おう!いくら欲しいんだ!」


とそれを追いかける俺。


その日、上半身裸の俺が、「いくら欲しいんだ!」と言いながら若いメイドを追いかけている姿が多くの使用人に目撃された。


そして母マリエルに呼び出されて説教になった。


「何のために毎週、高いお金を払って、あの家に行かせているのです!?少しは自分の欲望をこらえなさい‼」


「いや、違うんです。私はただ、バルクアップした己の体を讃えていただけで…」


「意味不明の言い訳をしない!」


「うぐぐぐぐ…」


結局、誤解は解けず、この次の日から俺の身の回りの世話は庭師の爺さんが担当することとなった。俺は自分の事は自分でできるので、部屋にきた爺さんには茶を入れてやり、窓辺のテーブルで置物になってもらう。


「今日もいい天気ですな」


と庭を眺めてのんびりと爺さんが言う。


通学の車の中でミーファが珍しく不満そうな顔をしている。


この娘がこういう感情を表すのは珍しい。


「ガルゼイさまが女性に乱暴なことをするような人とは思っていませんでした」


と失望の眼差しでこちらを見る。


「違うんだぢょー…」


と泣きたくなった。


「男性が興奮すると止まらないのは知っています。だから、そんなときは私がお手伝いすると言っているじゃないですか。お金も要りません。次からは女中でなく私に言ってくださいね」


とミーファからも説教されてしまう。


どうあっても誤解は解けそうにないので、


「はい、分かりました」


だけ言ってうつむいた。


この娘は、ごろつきと生活していたせいで、男はみな獣の様な性欲を持っていると勘違いをしている。男の中には繊細で淡白な人間も居ると知らない。


俺も、その一人だ。


確かに俺はミーファに性的な欲望を感じているが、ただ、事務的に行為をできるわけでは無いのだ。『さあ、しましょう』と平気な顔であっけらかんと言われても『我が息子(マイサン)』は縮こまってしまうだけだ。


若い体の為、男の欲望を持て余してはいるが、それがそのまま女性に向かうかと言うと、それはまた別の話だ。これはもちろん、男が好きと言う意味ではない。


今、毎週お世話になっている新市街外れの家では、未だに何事もなせずに居る。


最近は相手の女性が歳の離れた姉の様な立場になり、日ごろの愚痴を聞いてくれている。


なんだか心理カウンセラーに通う患者の状態になっている。


この20代前半のお姉さまは、毎回アイマスク姿で、素顔はまだ見たことが無い。


勿論名前も知らない。


悩みを聞いてもらい、頭をなでなでしてもらって、癒された後で、この家に来ている本来の目的に取り掛かる。


「今日も見るだけでいいの?」


と彼女が聞く。


「はい、お願いします」


と俺は答える。


その美しい生まれたままのお姿を眼前に拝みつつ、俺は朝晩の日課と同じことを自分の右手で行ってこの日の2時間がタイムアップとなる。


だから、俺はこの家に通い始めて1年になるが、清い体のままだ。


前世でも35歳で死ぬまで、清い体だったので、今のところ二世代に渡って、清い記録を更新中だ。


幻獣のユニコーンは清い乙女しかその背に乗せないと言うが、清い少年を背に載せてくれる幻獣はどこかに居ないものだろうか?


何かの言い伝えで、30歳まで童貞だと魔法使いになれるとか言う伝説があったような気がする。


俺は魔法が使えないので、それもいいかとも思う。


まあ、この体が30歳まで生きることは無いだろうから、それは叶わない事ではあるが。


今日も騎士団予備校の自分のぼっち席に座る。


しかし、実戦演習以降、俺の周りのクラスメートの態度が少し変わった。


具体的に言うと距離が縮まった。


初日に俺を睨んでいたボブルがなぜかやたら話しかけてくるようになり、3人の女子たちも俺の方をチラチラ見る。


(これは、もて期到来じゃね?)


と期待でそわそわしていると、ミーファが3人の女子を引き連れて俺のところに来た。


「ごほん、えー、ヘーデン君」


とたどたどしくミーファが俺に声をかける。


「何ですか、デーゲンさん」


と俺の方はシュミレーションどうりに対応する」


「この子たちが相談したことがあります、ですってよ、なの。」


これは告白か?と内心色めき立つが、ここで、俺の中にある一つの格言が心に思い浮かぶ。


それは、『期待は必ず裏切られ、不安は必ず的中する』と言いう『By前世の俺』の格言だ。

心を静めて、あえて『すん』とした顔をする。


「あのー」


と、女子の一人が口を開く。


「ヘーデン君の剣を私たちに教えて欲しいの」


「へっ?」


それは想像もしていなかった提案だった。


よく話を聞くと、こういうことだ。


彼女たちは、貴族家の侍女である。


そして、女主人の護衛も兼ねられるように騎士団予備校で学ぶ機会を与えられた。


しかし、学校では集団戦闘を教わるだけで、護衛に役立つ技術は何も教えてもらえない。


このままでは学校を卒業しても護衛として何の役にも立たない。


それでは、学費を出して学校に行かせてくれた主人に申し訳が立たない。


そう、悩んでいた時に先日の実践演習での俺の活躍を見た。


女性と変わらない小さな体で、大きな体格の生徒たちを次々叩き伏せる姿を見て、『私達の目指すべきはこれだ!』とひらめいた。


と言うこと。


なるほど筋は通っている。


やはり、もて期では無かった。


「しかし、男と女の体力差は大きい。君たちでは私の剣を覚えるのは無理だ」


と突き放す。


「それは分かっているけど、このままじゃ駄目なの。簡単な技のいくつかだけでいいから教えて欲しいの」


と代表で口を開いた女子が言う。


3人の女子の顔や名前を気にしたことは無かったが、3人とも美人だ。


侍女に見目麗しい人間をわざわざ選んでいるのだろう。


「しかし、剣を持って向かって来る相手に中途半端に立ち向かうのは危険だ。それなら、どうやって逃げるかを考えた方がいいぞ」


と現実的な話をした。


「私たちは護衛なの。主より先に逃げられないのよ。誰かが剣を持って向かって来るなら、私たちは主の前に立って死ぬしか無いのよ。だから、少しでも生き残れるように、剣を鍛えたいの」


と言う。


なるほど、彼女たちは主人の肉盾か。


それなら鍛えたいという気持ちも分かる。


侍女が腰に剣を刷くことは無いから、彼女たちが使えるのは短剣だろう。


細身の短剣二振りくらいなら、侍女服に隠せる。


腰に巻いている帯の後ろをリボン状に大きく膨らませて、その中に左右から抜けるように二振りの短剣を仕込む。あと、髪飾りに模した手裏剣を頭に仕込むのもいいな。


無抵抗を装って、怯えて頭を抱えるふりをして、とっさに手裏剣を左右の手で相手の顔に向かって投げる、


これはただの牽制だ。


それに敵がひるんでいる隙に、腰の短剣を抜きつつ懐に潜り込んで、まず左手の短剣で側面から相手の脇腹を刺し、敵がそれで前にかがんだら逆手に構えた右手の短剣で首を後方から横なぎにかき切る。


この時大事なのは決して相手の正面に立たないことだ。


力押しになれば女性に勝ち目はない。


と、わずかな間にこれだけのことを考えた。


おれも、モンマルに鍛えられているうちに、いつの間にか脳筋さんになっていたのかと自分に苦笑した。


「分かった。ただし、教えるのは毎日授業が終わってから、1時間だけだ。俺は要点だけを伝えるから、あとは各自自由に研鑽してくれ。それでいいなら教えるがどうだ」


と提案する。


「ええ、いいわ。ありがとう、それじゃあ、今日からね。場所はどうする?」


「なるべく人目に触れないようにしよう。ランス川の奥の河原がいいな。あんなところまで行く人間は居ないだろう」


と、とんとん拍子で決まったその放課後、


ランス川の河原には総勢23人の一年生の全校女子が集結していた。


「どーして、こうなった?」


と呆然とする。


人数の少ない女子間の情報ネットワークは学年全体に及んでいたようで、3人だけに教えるものとばかり思っていた俺は、この大掛かりな状況に腰が引けていた。


その女子の中にミーファも居る。


「いや、お前は必要ないだろ!」


と突っ込む。


その上なぜか女子でも無い、クラスメイトのボブルまで混ざっている。


「いや、お前男だし!」


と更に突っ込んでみる。


「俺は剣が強くなりたいんだ。このままじゃあ、俺はその他大勢から抜け出せない。何かきっかけが欲しいんだ」


と情熱的に訴えかけて来る。


(いや、そもそもお前は俺のことを『ぶっ殺す』んじゃなかったのかよ。最初の憎しみはどこに行ったんだよ)


しかし、嬉しそうにやる気満々で集まった美女軍団を前に、今更やめたとは言えず、しぶしぶ『第一回護身講座』開講の運びとなった。


「だが、デーゲンさんとボブルは駄目だ!外れてもらう!」


と言うと庶民で苗字無しのただの『ボブル』は情けない顔で『そんなー』と言う。


「ボブルとデーゲンさんは二人で勝手に模擬戦をしてもらう。それで実戦の鍛錬になるだろ」


と言うとボブルが疑わしそうな顔で、


「女と模擬戦をしても仕方ない。俺の鍛錬にはならないだろ」


と不満げだ。


「もし、模擬戦でデーゲンさんに勝てたら、何でも教えてやる」


と言うとやっと納得した。


「デーゲンさん、手加減してやる。あまり痛くしないからな」


と上から目線でボブルが木剣のロングソードを構える。


そう言えばまだミーファの実力は誰にも知られていないのだったな。


木のロングソードを片手でぶら下げ、緊張感の無い顔でミーファは立っている。


そのミーファに俺はアイコンタクトで頷いて見せ、


「それでは、みーさん、存分にやっておしまいなさい。ただし、怪我はさせないように」


と、どこかの縮緬問屋のご隠居様のように鷹揚に言う。


「はい、ご隠居様」


という返事は無かったが、俺の言葉に、木のロングソードを片手でぶら下げたままボブルに向かって、散歩でもするようにすたすたとミーファは歩いていく。


馬鹿にされたと感じたボブルは顔を赤くする。


「なめるな!」


と言い、手加減すると言っていた言葉も忘れたように、正面から強打をミーファに向かって打ち込んだ。


その剣を斜め下から相手の手元に摺り上げるようにミーファの木剣が迎え撃つ。


次の瞬間ボブルの木剣が回転しながら宙を舞っていた。


「そんな!?」


と愕然とするボブルの喉元にミーファの木剣の切っ先が突きつけられた。


「う、うぬぬぬぬー!」


と、納得のいかないボブルがその切っ先を掴んで引っ張る。


すると、ミーファは木剣を手放して、ボブルに殺到し、右の拳でフック気味にボブルの顎を打ち抜いた。意識を断たれたボブルは脱力してその場に崩れ落ちる。


「キャー‼すごーい‼」


と観戦していた女子ーズの間から、歓喜の黄色い歓声が沸き上がる。


「デーゲンさん、あんな体の大きい男をやっつけるなんて」


「ヘーデン君の指導で女のデーゲンさんがこんなに強くなるなら、私たちも…」


と、本意でない誤解が広まりつつあった。


「あー、誤解が無いように言うが、デーゲンさんの師匠は私では無いよ」


というが、


「意外と謙虚なのね」


と間違った思い込みはまるで訂正される様子が無かった。


その後、しばらくは平穏な学校生活が続く。


授業でも剣術の指導と模擬戦が始まったが、これも戦場の集団戦を想定しているため、小楯とショートソードを使った基本の動きをするだけで、変則的な動きをしたり、個人技に走ると途端に教師から注意された。


よって、今日も模擬戦では決まった動きでパカポコ打ち合うだけだった。


だから、この模擬戦では単純に腕力の強いものが勝つようになる。


というか疲れて剣が振れなくなった方がギブアップして終わるという感じだ。


男女が模擬戦をすることは無く、女子は女子同士で模擬戦をする。


ミーファも女子とやる為、本気は出せず、パカポコとぬるい打ち合いをするだけだ。


そんなこんなで半年が過ぎる。


放課後の課外活動はまだ学校にばれてはいないようだが、困ったことにだんだん規模が大きくなってきていた。


具体的に言うと本科の上級生の女子も参加し始めたのだ。


その為、女子ばかり総勢50人以上が放課後に河原に集結していた。


本科は三年制の士官科と違って、二年だけなので、ここに本科全校女子が集結していることになる。


大勢の女生徒たちが河原のあちこちで模擬戦を繰り広げている。


皆、両手に木の短剣を持ち、相手の側面を取るように虚実織り交ぜた動きで敵の裏をかくように動き、時々、小枝を布に包んだ物を手裏剣に見立てて、相手の顔に投げたりしていた。


この布包みの小枝が目に入ると危ないので、各自で、伊達メガネを用意してもらう。


なので、ランス川の河原は、眼鏡の女忍者達が修練する隠里のような有様を呈しつつあった。


河原の端では実際に手裏剣を板に向けて、打ち込む練習もしている。


これだけ人数がいると中には信じられないような才能を発揮する者も居た。


ぐにゃぐにゃと変幻自在な身のこなしで左右の短剣を操り、予測の出来ない不思議な動きをする者や、手裏剣が得意で、走りながら連続で的を正確に穿てる者も居た。


そういう人間が自分の得意を他の人間に自主的に教えたりしていて、だんだん俺の出る幕が無くなってき始めていた。


ミーファとボブルはロングソードの木剣で毎日模擬戦を繰り返し、毎回ボブルは剣を飛ばされて悔しがっている。目下のボブルの目標はミーファに勝てないまでも、体のどこかに一太刀浴びせることに変わってきていた。


同じ人間同士で戦ってもマンネリになるので、時々は俺がボブルの相手をした。二刀流だと相手にならないのでハンデとして俺もロングソードの木剣で戦う。すると結構いい勝負になり、俺もそれなりの鍛錬になったのは嬉しい誤算だった。


河原の修練場はなかなか派手派手しい有様で、最近は自然発生した見物人が来て、道端に座り、何かをくちゃくちゃ食べながら自分のひいきの生徒に声援を送る。家族が見に来て「ねーちゃんがんばれ!」などと応援している。


あと、鍛錬する者の中にどう見ても生徒でない、知らない女性が何人も混ざっていたりする。


これはもう学校にばれるのは時間の問題だ。


バレた時の言い訳を俺は考え初めていた。


まあ、変に話を作るよりも正直に話した方がいいだろう。


それに俺が話を持ちかけたわけでは無いし、俺はあくまで頼まれてやっているだけだから、責任も無いはずだ。


……と甘く考えていたことが私にもありました。

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