37 入学準備
その後、表向きには平穏日々が続いた。
じめじめして蒸し暑かったり寒かったりする不安定な冬期が過ぎ、季節はまた乾季となる。
エルが亡くなってからあと二月ほどで一年になる。
俺は十四歳、ミーファは十六歳になった。
ミーファも俺も誕生日が近く、祝いは一緒にやった。
祝いと言っても特にプレゼントがあるわけでない。メダス伯爵家で例のてるてる坊主バイキングをやるだけだった。貴族は欲しい物は欲しいときに買う。わざわざ誕生日に物を送る習慣は無いようだ。
ミーファと歳が近いマーク叔父上が、彼女にちょっかいをかけることを警戒していたが、この日、マーク叔父上は用事で会に参加できなかった。
なんでも今マーク叔父は高等魔導院の寮に入っていて、試験が近くて遊んでいでられないということだった。あの程度の魔法でやっていけるのかと心配になったが、俺とのあの決闘の後からマーク叔父の魔法の実力が急に上がって、強力な火の魔法を連発で打てるようになったという。俺との決闘時の魔力暴走が原因で何かの魔力回路に変化があったのではないかと言う話だ。
ふと、思い出すのはあの時、黒衣の爺さんがマーク叔父に何かやっていたなと言うことだ。黒衣の爺さんはガルゼイを守っているが、手近な血縁一族を助けたりもするのかもしれない。
今、マーク叔父は、魔法の鍛錬が楽しくて仕方ないと言っているそうだ。
エリート集団の一角に名を連ねて、将来を嘱望され、このまま順調にいけば魔法師団への入団も間違い無いという。魔法師団には敵対派閥の『炎帝』が居るが、こちらの陣営に属する魔導師の数も多い。魔導師団も一枚岩でははく、その内部では常に権力闘争が繰り広げられている。
ただ、今の高等魔導院には火の魔法の天才と言われるナコねーちゃんも同期に居るため、『炎帝の娘』と比較されて目立てないらしく、それが何より腹だたしいそうだ。
最近、モンマルは、街の宿屋を引き払い、護衛の宿直室に引っ越してきた。
そのせいで剣の鍛錬に早朝訓練が加わり、俺的には更にしんどくなっていた。
俺はロングソードの才能が無いようで、模擬戦ではどれほど努力しても並程度の実力しか出せなかった。それに対して、ミーファはめきめきと力を伸ばし、『身体強化魔法を』使わなくても、俺との対戦では連戦連勝だった。
ただ、対二刀流ではまだ俺に分があり、接戦で俺が勝ち越している。
「ガルゼイ様、剣を二本使うなんて、やっぱりズルいですよ」
とミーファが悔しがっている。
普通、女性の体力では意識的に『身体強化』を発動しないと、力の強い男との模擬戦ではまともに戦えないらしい。
しかし、いつも娼館で殴られ続けてきたミーファは無意識に常時『身体強化』を発動していて、普通にしていてもとにかく力が強い。この無意識下の『身体強化』状態では、木剣で打たれれば痛みも感じるし怪我もする。しかし、一度意識して『身体強化魔法』を発動すると、槍も刺さらない鉄壁の防御を得る。
だからか、最近は『身体強化』を使用禁止にさせられていた。
打たれる痛みを知らないと防御がおろそかになってしまうのだ。
それに付け込んで俺は、
「ほれ、小手だ。も一度小手だ」
と相手の剣を片方のショート木剣で受け流しては、懐に潜り込んで、反対の木剣で小手ばかりをちょこちょこ狙う姑息なヒットアンドアウェイ戦法で、ミーファを攻めたてた。
と言うか俺にはこの戦法しか無いのだ。
がっつり鍔迫り合いになると、体力差で弾き飛ばされるので、ちょっと攻撃して相手の反撃が来る前に逃げるしか無い。剣が短いので相手の体に届くような攻撃をすると、接近しすぎで逃げ遅れる。すると渾身の一撃を叩きつけられて防戦一方になり、結局、力負けで押し切られてしまう。
なので、
「ほれ、小手。また、小手」
と情け容赦なく、いやらしく、今日もひたすら小手を攻めたてる。
ミーファは腕の痛みで、涙を浮かべているが、それでも剣を落とさない。
この子は痛みへの耐性が半端なく強い。
そしてだんだん小手への対応もし始めた。
足を使ってきたのだ。
俺が懐に入ろうとすると、長い足を飛ばしてくる。
最初はまともにみぞおちに食らってしまい、息ができなくなった。
次に俺は、懐に飛び込むと見せかけて、飛んできた脚の脛を叩いてやった。
今度はミーファが痛みに悶絶しつつも、剣は落とさずにそのまま足を引きずって戦い続ける。
さらにミーファは手も使ってきた。
足をフェイントにして俺の剣を空振りさせておいて、片手をげんこつに握り、俺の顔面を強打する。
こうなってくると剣の模擬戦をしているのか格闘術をやっているのか分からなくなってくる。
モンマルはそんな俺たちの戦いを止めもせず眺めている。
「戦場ではなんでも有りです。落ちている剣も石も、泥も木の枝もなんだって使います。自分が有利な地形に立ち、相手を不利な状態に追い込むのです」
と言い、どんな下品な攻撃も咎めない。
騎士道精神もクソも無いが、歴戦を生きのこった実例の言葉は説得力があった。
「坊ちゃんは動きが単純すぎます。この二刀流は変幻自在の動きで敵をかく乱して動きを予測させないようにしないと、強い相手には通用しませんよ」
と駄目だしされた。
「そんなこと言っても変な動きをするとそれだけ隙ができて、やられてしまうじゃないか。一度モンマルが実例を見せてくれよ」
と言い返した。
「ん-、私の動きは私の物なので、坊ちゃんが自分の動きを見つけなければいけないのですが、まあ、いいでしょう。少し見ていて下さい」
といい、ショート木剣二本を持ちミーファの前に立つ。
両方の剣をカマキリが相手を威嚇するように、高々と斜め上に掲げるモンマル。
それだけでミーファは前に出られなくなってしまった。
一見、胴ががら空きで隙だらけだが、あの二本の剣がこれからどう動くのか予測がつかなくて不気味だ。
モンマルがそのままゆっくりと前に出ると、何もしていないのに、ミーファが押し込まれて下がっていく。
焦ったミーファがリーチを生かした突きで仕掛ける。
モンマルは右の剣で軽く相手の切っ先を流し、そのまま左の剣を半身に突き出して、ミーファの喉元に寸止めであてる。
ゆっくり動いていたのに、簡単に勝ってしまった。
「ね。私は何もしていないのに相手が勝手に自滅して隙を晒してくれます。相手に動きを予測させないことで、これだけ有利に戦えるのです」
「よし、分かった。やってみる!」
とモンマルと同じ構えでミーファの前に立つと、隙だらけの胴の真ん中に思い切り突きを食らってふっ飛ばされた。
「ごはあー!」
(同じにやったのに、なんでだ?)
俺が苦しみでえずいていると、
「だから、同じことをやっても駄目なんですってば。意表を突くと言ってるじゃないですか」
とモンマルが呆れている。
そうして鍛錬の日々が続き、騎士団予備校の入学の日が近づいてきた。
ミーファは娼館に居たので、奴隷登録や、娼婦の登録がされていないかと、事業状況の登録証を取り寄せて調べたが、そこにミーファの名前は無かった。
もう死んで居ない娼婦たちの名前が登録されたままになって、税金の未納が何年も続いていたので、未納税金を払い、娼婦全員の記録を抹消し、事業の『休業届』も出しておいた。
ミーファの名前がなぜなかったのかは謎だが、娼婦の登録が、ごろつき共の王都にきたばかりの時に集中しているので、当時子供だったミーファは登録されず、そのまま成長したということだろうと思われた。
とにかく、彼女に関する変な記録が残らなくて良かった。
ただ、ミーファはラグナ王都の市民権も持っていないので、メダス伯爵に身元引受人を頼み、役所への推薦状を書いてもらった。そして、ミーファはめでたく王都市民権を得ることができた。さすがは腐っても名門貴族だ。文官として都市の流通部門の按察官の役職に就くメダス伯爵は、役所への強いコネがあるので市民権の登録は数日で済んだ。人によっては審査で1年以上待たされ、役人から賄賂まで要求されるという話だ。
それだけ外部の人間の市民権獲得は狭き門なのだ。
王都に生まれた人間は他の都市の人間より大きな特権を持っている。
衣食住や税制で様々な優遇があり、災害時には王都から臨時の支援金が出る。
王都に住んでで働いていても、市民権の無い人間は記録上『存在しない人間』なので、何があっても助けてはもらえない。
肉焼き串屋のゼスも、王都の市民権を持っていたから、開拓した土地を無料でもらえて家を建てられたし、屋台の露店組合への登録もすぐにできた。これが市民権を持たない人間なら話は簡単では無い。
ミーファも市民権獲得が長引けば、騎士団予備校への入学は難しかった。
通常、平民は騎士団予備校に入学資格を得るために、学科と実技試験を受ける必要があり、毎年10倍以上の倍率で不合格者が出ている。何年も浪人して試験を受ける人間が多いので、入学者の年齢は同じにはならない。俺とミーファは年齢差が二歳あるが、そのくらいは普通の事のようだ。
俺とミーファは二人とも学科も実技も試験を免除されている。貴族の推薦状による『推薦入学枠』を得られたためだ。
通常、貴族の子弟は、一年制の『士官科』に入学する。これは無試験で、貴族家の人間なら誰でも入学できる事になっている。
それに対して、平民は二年制の『本科』に入学する。
俺とミーファが入学するのもこの『本科』の方だ。
平民が中心の『本科』の推薦入学は、貴族家に属する家臣の子弟を騎士にする為の優遇策だ。
ただ、この制度の利用では、入学枠が全生徒の一割までと上限が設定されていて、入学金プラス高額な『寄付』も求められる。
そして、入学した生徒が入学後に学内で問題を起こした場合は、その保護者責任で、推薦者の貴族が全ての責任を取らなければならない。なので、よほど信用している相手でなければおいそれと推薦状は出せないのだ。
中には金に困って、平民の金持ち相手に、推薦状ビジネスで金を稼ごうとする貧乏貴族も居るが、そういう貴族はじきに学校から目を付けられて、推薦状の発行を認められなくなる。
俺とミーファの場合は何の苦労も無く、屋敷で訓練している間に、母マリエルの手配であれよあれよと言う間に、いつの間にか騎士団予備校本科への入学が決まっていた。
一つ不安要素を言えば、試験を潜り抜けてきた猛者たちの中で、俺が授業についていけるかどうかだ。推薦枠入学者は試験を受けた他の生徒から馬鹿にされて嫉妬の対象になりやすいという話も聞く。ミーファには『身体強化魔法』があるしロングソードの技術もモンマルのお墨付きの実力者だ。
それに対して俺はロングソードではへなちょこだし、二刀流では小手狙いの姑息戦法しかない。俺に関しては明るい未来も何も見えてこない。入学後の事を考えると憂鬱になり学校に行きたくなくなった。
(登校拒否しようかな…)
と果てしなく弱気になった。
入学が迫り、母から模擬戦用の刃引き剣が俺とミーファにプレゼントされた。
ミーファの剣は名門鍛冶屋の商標の付いた高級魔鋼製だ。
剣の全長がなぜかミーファの身長より長い、とんでもないモンスターソードだ。まるで剣豪佐々木小次郎の『物干し竿』で、この長さは何とミーファ直々のリクエストだ。なぜこんな長さにしたかと言うと、俺のようにちょこちょこ攻めて来る相手を捌くのが大変だから、遠い間合いで近寄らせずに一気に勝負を付けたいということらしい。
えっ、打倒、俺の為の剣なの?
刃が丸めてあるため、一応は模造剣に分類されるが、刃を付ければそのまま戦場で使える逸品だ。
材質が魔鋼製なのは、ミーファが魔剣士として剣に強力な身体強化をかけられるようになった時の為の備えだ。魔鋼製の剣は、身体強化の使えない人間でも剣の柄に専用の魔石をはめて魔力をチャージすることで強度を増すことができるので、貴族の中には愛用者も多い。
ただ、この魔石がバカ高いので平民でこの剣を持つ者はまず居ないし、居てもよほどの金持ちのボンボンだ。我が家でもさすがに使い捨ての魔石を毎回用意していたら破産してしまうので、ミーファの剣の柄にはダミーの魔石がはめられている。
『身体強化魔法』が使えることを隠している間は、今できる範囲で、自力で剣を強化しつつ、このダミー魔石を使っている振りをすることにしていた。
俺の模造剣は普通の黒鋼の剣だ。俺にはロングソードと、小ぶりのファルカタ二振りが同じ材質で用意された。ロングソードは取り回しの良さを考えて、普通より少し短く薄く軽く作られている。
ファルカタの方は短剣を少し長くしたくらいの変則ショートソードになっている。
ちなみにこのファルカタを鍛冶屋に特注で注文して、出来上がりを取りに行くと、同じ物が何振りか鍛冶屋の壁に飾ってあり、それには『ファルカタ』と名前が書かれていた。
「これ、どーいうこと?」
問うと、鍛冶屋が言うには、
「初めて作る剣なので試しにたくさん作った。作ったものを捨てるのはもったいないからこれも売る。名前は分からないので、お前の言っていたのを採用した」
ということらしい。
この世界に著作権は無いのだ。
俺は身体強化が出来ないので、高額な魔鋼製にする理由も無い。雑に扱っても惜しくないように、なるべく丈夫で安い、単純で無骨な作りの物を注文してもらった。
値段で言えば、俺の三振りの剣を合わせたより、ミーファの剣一振りでその10倍は高い。
それでも、知り合い価格で大分値引きしてくれたそうで、実際の価格差は十五倍くらいになるらしい。
とんでもない金額で、俺ならこんな剣を貰っても、もったいなくてとても使えない。しかしミーファはそれを惜しげもなく使う。
貰ったとたんに剣に今できる限りの微弱な身体強化をかけて、中庭に立てた木人に叩きつける。
刃を丸めてあるので木人を断ち切るまではいかないが、凄い音でアイアンウッドの木人に剣を打ち付けた。剣の跡が深い溝になって刻まれる。それで何度も何度も剣を叩きつけて、刃渡り1メルス(1.5メートル)、柄までの全長1.4メルス(2.1メートル)の分厚い剣の刃を眺める。
「凄い、この剣、あれだけ強くやっても、小さな傷一つもついていません。本当に凄いです」
と喜んでいた。
『身体強化魔法』を本当に使いこなせれば、この刃引きの剣でも同じ木人が簡単に両断できる。つまり、たぐいまれなる才能のミーファが真に覚醒したら、この剣でも真剣以上の凶器になるということだ。それなら、この刃引きしたままで使った方が剣の耐久性があっていいのかも知れない。
仮に魔力枯渇で身体強化が使えなくても、ミーファの怪力なら、この刃の無い剣でも人体をたやすく砕けるだろう。こうなったら、刃があるとかないとかもう関係ないのではないかと思う。
騎士団予備校でミーファと模擬戦をやる相手が気の毒になってきた。
「ガルゼイ様!ガルゼイ様の新しい剣で私と模擬戦をしましょう」
と嬉しそうにミーファが言うが、ぼろぼろになった木人を横目で見て、謹んでお断りをした。
もう、ミーファが俺の手の届かない場所に行ってしまったことを、自覚した最初がこの時だったのだなと後に俺は思い出すことになる。
「ところでミーファその剣に名前は付けたのか?」
と問う。
「いえ、剣に名前を付けるのですか?」
「これから長いこと相棒になるのだから、名前を付けた方が、愛着が湧くだろう」
「それならガルゼイ様が名付けて下さい。私はいいのが思いつきません」
「ん-、そうだな、斬馬刀…、いや、悪しき魔物を打ち払う剣で、『斬魔剣モノホシザオ』だ。
「なんだか強そうな名前ですね。『斬魔剣モノホシザオ』いいですね」
とミーファは無邪気な顔で嬉しそうに笑った。




