34 『はじめて』のお使い
最近、困っていることがある。
ミーファだ。
屋敷の中でなるべくミーファに遭遇しないように気を付けていたが、そんなに広い屋敷でも無いので部屋から出ると必ず日に何度かは遭遇してしまう。
剣の鍛錬でも会うし、毎日少なくない時間をミーファと過ごしている。
新市街の屋敷に来たばかりのミーファは、栄養状態が悪く、ひょろりと背が高いばかりで痩せていいたが、
「まあ、まるで骨と皮ではありませんか⁉もっと食べて健康を取り戻さないといけません‼」
と言う母マリエルの言葉で、毎食、普通の何倍もの量の『食料』がミーファの前に用意された。それは『どこの相撲部屋だよ』と思う量だったが、ミーファは涼しい顔で全て残さず食べきっていた。
それを横で見ていて『どこのフードファイターだよ!』と更にミーファの食欲と強靭な胃袋に突っ込みを入れる。
そうするうちに、、ミーファの体は年相応に丸みを帯びた女性の体形になり、15歳の若々しい魅力が隠しようもなく輝き始めた。食べ過ぎて太るのではと言う懸念もあったが、そんなことはなく、剣の鍛錬で『身体強化魔法』を使ったあとは逆に痩せてしまうくらいだった。
どうやら彼女の『身体強化』はとんでもなく燃費の悪い魔法のようで、継続的に大量のカロリーを胃袋に投入する必要があるようだった。
そしてガルゼイの体は思春期とあって、ある変化を迎えていた。
毎朝目が覚めると、体の一部が必ず『元気』になっているのだ。最初、年若い見習いのメイドが俺を起こしに来て、下腹部の下着を突き上げる、そのチョモランマを目撃してから、朝に俺を起こしに来る担当が、庭師の爺さんに変わった。
元娼婦だったミーファは男慣れしていて、俺を見つけると『ガルゼイさま‼』と俺の腕に抱き着いてくる。
母マリエルから『はしたない‼』と何度か注意されてからは、それを辞めてくれたが、俺への距離感が近く、どんどん距離を詰めて来る。高身長のミーファがそばに来ると俺の目線がちょうど胸のあたりに来て、目のやり場に困るし、いい匂いもして、頭がくらくらした。
そして、俺はその激情を鎮めるために、夜中と早朝に自分の元気な一部を自分で慰める作業を毎日しなければならなくなった。
前世で35歳の俺が毎日残業残業と働いていた時は、とにかく仕事で疲れ切っていて、『性欲?それなんですか?おいしいの?』という仙人のような状態だった。『これなら出家して坊さんになってもやっていけるぞ』と思えるほどの無欲振りだったが、今の十代前半の体は元気すぎて始末に困る。
そうして毎日もんもんとしていると、ある日、母マリエルに声をかけられた。
「これから、ベスと一緒にお使いに行ってもらいます。少し先の角に車を呼んであるので、それに乗って行きなさい」
と言われる。
なんでわざわざ離れた場所に『マ荷車』を呼ぶのか分からないし、屋敷の車を使わないのがおかしいが、反論しても仕方ないので言われるままに出かけた。家を出る前にベスに庶民の着る一般的なフード付きマントを渡されて、フードで顔を隠される。
不可解な思いで言われるままに指定された『箱車』に乗り、石畳をゆっくり進む車の振動に身を預ける。
『お使い』と言われた割に、ベスは窓の外を眺めて何も語らず知らん顔だ。
三十分くらいも走っただろうか。新市街の端の閑静な住宅地の一角で車は停車した。
その前に、古いが立派な作りで二階建ての小ぢんまりとした屋敷があった。門や庭は無く、道から直接ドアで家に入るタイプの家だ。
『箱車』が道の端に寄り、俺とベスは下車する。
ベスが立派な古木の古いドアのノッカーを『トン、タタン、トン』と不思議なリズムで二回叩く。
するとドアが細く開き、中から上品な顔立ちで栗色の髪を高く結い上げた30代くらいの貴族風のドレスの女性が顔を出す。
その女性とベスは何事か小声で話をしている。
『遠耳』を発動したくなるがここではこらえた。
なんだか二人の話を聞いてはいけないような気がした。
その後ベスは懐から巾着を出し、彼女にいくらかの金を払っていた
横目で盗み見ると、金色の輝きが見えた。
王国金貨を払っている。
なんの買物なのだろうか。
密かに『辻箱車』で来るくらいだから、他人に知られては困るものを買うのだろう。
俺にその買い物をするやり方を教えるために、ここに同行させたのだろうか?
ベスがこちらを振り返り、手招きをする。
俺は緊張しつつそばに行く。
「それではよろしくお願いいたします」
と言い、ベスは俺をドアの内側に押し込む。
「ええ、では二時間後に」
母と同じくらいの歳の貴族風の女性は、俺を中に引き入れてドアを閉める。
ベスはついてこない。
これから何が起きるのか分からず不安になる。
「こちらへ」
と言われるままに女性の後について二階への階段を上がる。
二階には左右に続く短い廊下があり、その前後に合わせて四部屋のドアがある。
そのうちの一部屋に通される。
部屋の中には大きなベッドが一つと古いソファーに小さな猫脚のテーブルに椅子が二脚。
部屋の奥はカーテンで仕切りがしてある。
「こちらでお待ちください」
と言い残し、女性は俺を残してドアを閉じて去って行った。
俺は意味が分からずに仕方なくソファーに腰を掛ける。
暫く待つと、足音がしてドアが開く。先ほどの女性より若い20代前半ほどの上品な美人らしい貴族風の女性が入ってきた。
『美人らしい』という表現にしたのは、彼女の正確な容姿が分からないからだ。
彼女は眼の周囲だけを隠すアイマスクをしていた。アイマスクの瞳のあたりに小さな穴が開いていて、向こうからこちらの事を見られるようになっている。
先ほど案内してくれた女性と同じ栗色の髪を結わずに下ろして、右肩から前に垂らしていた。
服は薄手のナイトガウンのような服を着ている。
「こんにちは。今日は私がお相手させていただきますね」
と女性は微笑んで奥のカーテンを開く。
そこには湯を満たしたバスタブがあり、湯気が立ち込めていた。
これは…
自分のいる場所が何なのかこれで、想像がついた。
(ここ、娼館だ)
しかも、上流階級向けの娼館だ。
それも、もぐりの…。
入り口に娼館を示す黄色い旗は立っていなかった。
何となく怪しい雰囲気は感じていたがまさか娼館とは思わなかった。
母とベスが俺を娼館に送り出すなどとは、誰が想像するだろう。
最近の『独り遊び』がバレていて、それで変な気を回されたのだろうか?
それにしてもいきなり娼館とは…
おれ、まだ十三歳だよ。
いいの?
コンプライアンス的に完全にアウトだよね?
いくら異世界でもこれは駄目でしょう?
栗色の髪の女性がこちらに形のいい尻を向けて湯加減を見ている。
つい、その尻を凝視してしまう。
彼女はこちらを振り返り、バスローブのような服の前をはだける。
下には何も着ていらっしゃらなかった。
この異世界に来てはじめてお目にかかる、ネイキッドの女体だ。
思わず鼻血が出そうになる。
エサを前に『待て』をされた犬のように、呼吸が荒くなり『はあはあ』する。
「坊ちゃん服を脱いでこちらに…」
と言われ俺はソファーからふらふらと立ち上がった。
そして……
2時間後……
一階のドアを開け、俺は屋敷の外に出た。
外には来た時と同じように『箱車』が道のわきに停まっていた。そのドアを御者が開く。
俺は俯きつつ荷台に乗り込み、車は走り始める。
向かいのベスと目が合わせられない。
暫くそうしていると、ベスが窓の外に顔を向けながら独り言のように口を開く。
「週に1回、これからはガルゼイ様お一人でこちらにいらしてください…」
とつぶやく。
それに俺はなんの返事もできなかった。
屋敷に帰り、道の角から歩いて屋敷の門をくぐる。
屋敷の二階を見上げると窓から母マリエルが無表情でこちらを見下ろしていた。
どうも、これが貴族流の『性教育』らしい。
鍛錬の時間になり中庭に行くと、モンマルが俺の顔を見てにやりと笑った。
こいつもグルか…
モンマルは俺の腕を引き、中庭の隅に移動する。
中庭の中央で稽古着のミーファが、そんな俺たちの様子を不思議そうに見ていた。
「で、どうでした?男になったんでしょう?」
と中年おやじが女子高生にセクハラするようないやらしい笑顔で、モンマルが顔を近づけて言う。
殴りたくなった。
しかし、殴っても反撃されるだけなので実行には移さなかった。
「…てない…」
「は?どうでした?女はいいもんでしょう?」
と無神経な質問を投げてくる。
これだから下賤で野蛮な傭兵上りは…
「してない…、できなかった…」
とだけ俺は絞り出すような声で言った。
正確には直接のカップインができなかった。
いざとなると怖気づいてしまい、『マイ・サン』が言うことを聞かなかった。
それで一生懸命自分でスタンバイするが、一戦交えようとしたとたんに『へにょん』としてしまう。
やはり、俺の意識の底にコンプライアンス的な罪悪感があるようで、100%いやらしい気分にはなれない。それで、仕方なく彼女の生まれたままの美しい芸術的な肢体を、ただ鑑賞させていただいた。
自力で行うのは出来るみたいだったので、女神のごとき神々しいそのお姿の前で俺の右手を忙しく上下し、とりあえずの終結を迎える。
つまり、いつも深夜と早朝に自室でやっているのと同じことを、出張して再現しただけ。情けない話だがこれが真実だ。
モンマルは俺の魂の告白を聞いて、うつむきながら『ふっ』と小さく笑い、優しい笑顔で俺の肩にポンと手を当てる。
そして、『元気出せよ』とでもいうように『ニカッ』と笑顔でサムズアップした。
ほんっと腹立つ。
心底殴ってやりたい。
この怒りを稽古にぶつけるしかない、と、モンマルに剣で向かうがそんな気持ちも稽古開始後五分でへし折れていた。
モンマルに散々打ち据えられて、
「あ、ちょと、ごめんなさい、いたたた」
と中庭の隅に追い詰められていた。
二対一の模擬戦なのでモンマルの後ろからミーファが迫る。
その振り下ろしを、後ろに目があるような体術でかわし、返す刀でミーファの胴を横なぎの一閃に振り抜く。
木のロングソードが当たった場所からへし折れて飛んでいく。
胴を切られたミーファが悔しそうな顔でモンマルを振り返る。
かなりの勢いで打たれたのに平気な顔をしている。
「当たったと思ったのに…」
と唇を嚙む。
「惜しかったが、あんなにどたどた大きな足音で走ってきたら、見なくても居場所が丸分かりだ。すり足の歩法を教えただろ」
「だって、すり足は遅いんです。ぜんぜん前に行けません」
と頬を膨らませる。
「鍛錬すれば無駄なく早く動けるようになる。奇襲するなら、相手に攻撃する直前まで自分の存在を悟らせてはならないぞ」
と出来のいい愛弟子への優しい視線を向ける。
「坊ちゃんは……」
と俺を見て言葉を選ぶモンマル。
「えー、もう少し元気よく。ミーファの思い切りの良さを見習いましょう」
とおざなりなアドバイスをする。
見習えって言っても、今の見習ったら、俺、木剣がへし折れる勢いでやられてるじゃん。
したら、100%悶絶して血反吐吐いてるじゃん。
俺が『身体強化』使えないの分かってる?
傷がすぐ直ると言っても、痛さは一緒なんだよ?
モンマルは『痛い』ことに対して全く配慮がないよね。
そういうところ、治した方がいいよ、ほんとに…。
と口に出さずに心の中でだけ呟いた。
なぜなら、言っても無駄だから。
モンマルの機嫌を損ねてさらに厳しくされるより、静かに時が過ぎるのを待つ方がいい。
という負け犬の思考法で自分の感情を抑える。
「はい、そうですね。どうせそうですね」
と少しだけ不満を面に出して、俺はまた木剣を構えた。




