33 母マリエルと娘ミーファ
「で、その娘は何者ですか?」
と、額に血管を浮き上がらせた怖い顔で、母マリエルが俺に問う。
俺の後ろには、モンマルとミーファが、小さくなって二人して跪いている。
ここが、正念場だ。
ミーファの身分を、どう説明するかで、全てが決まる。
「はい、母上は約十年ほど前、北の辺境で、わが国の村々が敵の蛮族に襲われて壊滅したことを覚えていらっしゃいますか?」
「それが、この娘と関係あるのですか?」
「はい、辺境の名も無い村の一つに神殿があり、そこに領地を得てマルク・メル・デーゲンという名の神官が赴任しておりました」
「メル・デーゲン…」
と母は記憶を思い出すように目を細める。
「それは、辺境で北の守りを担っていた、デーゲン辺境伯の一門ですね?」
「はい、マルク氏は三男で、若くして家を出ているので騎士爵と下級神官の称号しか持っていませんが、確かにデーゲン辺境伯の血筋です」
と言うと、過去を振り返るように母上が俺の説明を引き継いだ。
「デーゲン辺境伯は、蛮族の夜襲によって、滅ぼされたと聞きます。その時に、近隣の村々も蹂躙された話は有名です。我が家が庇護を受けるゼルガ公爵様の騎士団と、あなたの父が、その蛮族を倒さなければ、領の奥深くまで蛮族の侵入を許していたはずです。あれはゼルガ公爵様の騎士団の強さを、王都に知らしめることのできた戦いでした。あなたの父も、ゼルガ公爵様の力になり、大きな手柄を立てたそうです」
おーっと、ごろつきに聞いていた話と違うな。
どちらが本当の話なのだろうか。
ごろつきの話が本当なら、この件は、ゼルガ公爵のマッチポンプと言うことになる。
だとしたら、バルドがあの元傭兵のごろつき共を懐柔して、場末の娼館に押し込めたのも、目立たず秘密裏に始末しようとしたのも理由がつく。
モンマルとの戦いの前にごろつき共が、何だってあんな話を長々としたのかと不思議だったが、あれは自分たちがバルドの秘密を握っていることの、アピールだったのかもしれない。
とは言え、これで秘密を知るものは始末してしまったことになる。
とすれば、俺はバルドの企みに力を貸してしまったということだ。
腹立つ。
ミーファを助けるために必要なことだったが、バルドの手のひらで踊らされているようで、気分が悪い。
「デーゲン辺境伯は同じ王党派に属していたので残念なことでした。もう少し早くゼルガ公爵様の騎士団が助けに行けていればと、思わずにはいられません」
と唇をかみしめて本当に悔しそうな顔をする。
待てよ。今、北の辺境は確かゼルガ公爵の領地になっていたよな。
つまりそういうことか。
貴族えげつなっ!
「そして、この娘はその時の生き残りです」
と俺はここでミーファの身分を明かした。
母の右眉がピクリと跳ね上がる。
「マルク・メル・デーゲンの子、ルークの娘で、ミーファ・メル・デーゲンと言います。今現在デーゲン辺境伯家の正当な血筋を持つ生き残りは、このミーファだけです」
と言い、母の顔色を窺う。
「それを証明するものは?」
「ありません。しいて言うなら、当時の状況の詳細な説明が出来るくらいです。しかし、彼女の話は、当時の事情と、私が王立図書館で調べた日付などの時期に一致しています。彼女はこの歳までまともな教育を受けずに成長しました。それ程正確な、齟齬の無い作り話が出来るとは思えません。それに、彼女の容貌は、ルーク・メル・デーゲンの妻のミーシャい瓜二つだと、このモンマル、…マルコも証言しています。マルコは当時の彼女の両親の幼馴染でした」
母は目をつむり眉間に指をあてて、少しうつむいた。
「この娘は母と共に子供の頃に蛮族に拉致をされ、その後、奴隷として王都に売られたのです…」
とここまで言うと、母が手を挙げて俺の言葉を制した。
「結構!それ以上は言わなくてよろしい!」
と強い調子で遮られた。
怒っているような顔だ。
どうしよう。これは失敗だったのか?
と、俺は焦った。
「あなたの母はどうしたのですか?」
と母マリエルがミーファに直接問う。
いきなり話を振られて戸惑うミーファ。
「は、はい、母は何年も前に死にました。刺されて殺されたんです」
「それで、あなたは今まで独りで生きてきたのですね?」
「はい、私は中州の船家で娼…」
「止めなさい!あなたがどう暮らしてきたかは聞きません!あなたは今まで敵から逃げて、田舎に隠れていたのです。それがこれからの真実であると心得なさい!」
と言い母上がミーファの前に歩みを進める。
それを、上目使いで見上げるミーファ。
「貴族の娘が、なぜ王の前以外の前で床に跪くのです。立ちなさい。今後、二度とそのような姿勢は許しません」
と母が宣言する。
おそるおそる立ち上がるミーファ。
背の低い母を少し上から見下ろす感じになる。
その顔をまじまじと見つめる母マリエル。
「美しい娘です。もし私があなたの半分も美しかったら、もっと違う人生があったと思います。あなたも、蛮族に襲撃されさえしなかったら、その美しさは辺境でも評判になっていたことでしょう。そして、周りはあなたを放って置かなかったでしょう。きっと本家や高位貴族の養子になって王都社交界の華となれたはずです。運命と言うのは残酷なものですね」
と母の目に涙が浮かび、両の目からぽろぽろと零れ落ちる。
「辛かったでしょう。これからは私があなたを庇護します。そして、あなたはいつの日かきっとデーゲン辺境伯家を再興するのですよ」
と言いミーファをぎゅっと抱きしめた。
「あ、えっ!?」
とミーファは突然のことにただうろたえる。
「名はミーファと言うのですね。これからは私を母と思いなさい。ベス、話しは聞いていましたね!」
と、部屋の隅に控えているクールな侍女ベスに母は声をかける。
「はい、奥様」
と答えるベス。
ベスは目尻の涙を拭っている。
この人こんなキャラだっけ?なんか最近はクールな出来る侍女のイメージがぐだぐだに崩壊している。
『涙もろい、いい人おばさん』にジョブチェンジしてキャラ変してる?
「この娘のことは頼みましたよ。我が家の子と同様に世話をしなさい。他の仕事のいくつかは免除しますから、あなたがこの子の家庭教師もするのですよ。今来ている無能教師には任せられませんから」
と泣きながら言う母。
母がミーファを受け入れてくれるらしいので、ひとまずは良かった。
ほっとした。
ところで、この人、あの教師が無能と言う認識はあったのだな。
そして、それをずっと俺の教師にしていたと…。
俺にはそれでいいと思っていたと…。
複雑な気分で心の中のガルゼイが泣いている。
まあ、いいか…。
どうせ俺だし…。
と自分の心に無理やり納得させた。
翌日から、ミーファの教育が始まった。
まずは貴族としてのマナーが教育される。
うちは今のところ平民で貴族では無いが、将来昇爵した時の為に俺への貴族教育は続けられてきた。母もベスも伯爵家から来たので貴族の振る舞いは子供の頃から身に付いている。
まともな教育を受けずに成長したミーファは常識に疎く、言葉遣いなども時々はごろつきのような言葉を使うことがあり、そのたびに母やベスに厳しくたしなめられていた。
娼館で今まで理不尽に虐げられてきたミーファは他人の言葉に従順で、ベスがどんなに厳しい言葉を投げても、嬉しそうにニコニコしていた。
ミーファがあまりに平然としているので、不思議に思ったベスが『辛くは無いのですか?』とミーファに問うと、
「はい、ベスさんも、母様も、とても優しくて嬉しいです。前の場所では何を言ってもすぐに殴られたので、辛かったですけど、ここでは誰も殴らないので、びっくりです!」
と言い、ベスの涙腺を崩壊させていた。
母上も戸の陰から顔の縦半分で様子を見に来ては、ハンカチを握りしめ、『ぐふ~…』と声を殺して泣いていた。
そんな母上の姿に気付くとミーファは『母様!』と声を上げ、嬉しそうに母マリエルに駆け寄って自分より小さな母上に抱き着く。
「こら、そんなに走ってはしたない。それから子供の様に抱き着いて、あなたは本当に常識がありませんね。困ったものです!」
と言葉では厳しく言いつつ、母マリエルの顔は嬉しそうだ。
なんだか、この新市街の家の中がミーファを中心に回り始めていた。
ミーファは明るい性格で誰にでも優しいので、すぐに屋敷の人間皆に好かれた。
かつて娼婦をしていたことは伏せられ、田舎で育った遠縁の娘が行儀見習いで王都のヘーデン家に預けられているという話になっている。
母上は懇意にしていたドレス職人を久しぶりに呼んで、ミーファの服を仕立てさせたりして、毎日忙しそうにしている。
俺は母上の愚痴茶会に呼ばれることもなくなった。
そのことはとても助かったのだが、母の興味が完全にミーファに移り、ガルゼイ君は居るか居ないか分からないくらい気にされなくなり、その事がちょっとだけ寂しい。
俺は、屋敷の中でなるべくミーファに関わらないようにしていた。
ミーファは美人でかわいいので、うかつに接近すると好きになってしまいそうだ。
それはまずい。
俺はこの体を一時的な仮の住まいと考えているので、あまりここでの生活や人間関係に深入りしたくない。いつか死ぬ体なので、なるべくこの家や人に愛着は持ちたくない。
母上には悪いが俺はこのヘーデン家の先行きに未来があるように思えない。
バルドはゼルガ公爵の汚れ仕事を担当しているのだろうが、ゼルガ公爵が非情な決断のできる人間なら、いつバルドを切り捨てる選択をしたとしても不思議ではない。
何か不都合が起きれば『あいつがそんな悪事をしているとは知らなかった』とでも言ってすぐに逃げるだろう。
勿論バルドもそのくらいのことは分かってやっているのだろうが、危ない橋を渡っていることには変わりない。
それにナコねーちゃんの存在がある。
最近、魔導師団の将軍『炎帝』が火の魔法を使う天才を養女にしたという噂を聞いた。
ナコねーちゃんの事だ。
ナコねーちゃんはエルを殺したこの俺、ガルゼイを決して許さないだろう。
いつかは必ず殺し合いになる。俺が長生きするほど、そのとばっちりがこのヘーデン家に及ぶ確率が上がる。バルドのことはどうでもいいが他の人間を巻き込むわけにはいかない。
母上や、モンマル、ベス、そしてミーファにも、いくらか情が移ってしまっている。
彼等にはなんとか無事でいて欲しいという気持ちが芽生えている。
これは良くない傾向だ。
(ガルゼイはもうとっくに死んでいるんだ。本当はここに居ない人間で、俺はこの人たちとは赤の他人なんだ…)
と、何度も自分に言い聞かせる。
(死人が生きている人間の生活に無責任に立ち入ってはいけない。これからは、うまく消えていくことだけを考えないと…)
ミーファの行儀見習いがある程度進んで一段落したある日、俺はなぜか彼女と二人で、モンマルから剣の稽古を受けることになった。
貴族の子女がなぜ剣を学ぶかと不思議に思ったが、これはモンマルと母が話し合った結果らしい。まず、ミーファは元伯爵家の血筋とは言え、祖父の代から貴族籍は外れている。つまり、ただの平民だ。ただの平民が貴族になるには、何かよほどの功績が無くては無理だろう。普通はここで貴族になることはあきらめるしかない。
ところがミーファには『身体強化魔法』のたぐいまれなる才能がある。この才能が世に知られたら、騎士団がすぐに身柄を押さえに来るだろう。つまり、出世だ。
しかし、ここで問題がある。ミーファは元娼婦だ。社会常識も無く、後ろ盾となる身寄りも居ない。この状態で、いきなり騎士団に入るのは、不確定要素が多すぎて危険だ。
なので、しばらくの間、彼女の才能は隠すことにした。
そして、モンマルに剣の稽古をつけてもらい、ある程度剣の実力が身に付いたところで、騎士学校に入学させる。その騎士学校に居る間に、『身体強化』の魔法の才能を『偶然』発現させ、騎士としてのエリートコースに乗る。
学校卒業で祖父と同じ騎士爵を得て、その後、騎士団に所属。エリートコースに乗れれば、騎士団でもいきなり士官の役職を与えられるので、戦場で使いつぶされることも無い。ベテランの副官に指導されながら、安全に部隊を指揮して、手柄を上げる活躍し、デーゲン辺境伯家を再興させるという筋書きだ。
もっとも、これほどとんとん拍子にうまくいくわけはなく必ずイレギュラーは出るだろう。
貴族になるにしてもいきなり『辺境伯』はありえない。金のかかる『準男爵位』はミーファには維持できないので、まずは領地なしの『男爵』になれるかどうかだ。由緒あるデーゲン辺境伯家なら、使わずに死蔵している『男爵位』か『子爵位』の一つくらい持っていただろう。それを復活させるという話なら、新規に貴族の爵位を与えるというよりも叙爵のハードルも下がる。
うちのバルドのように出自不明の『下賤』の平民を貴族にすることに対する貴族院の拒否反応は強いが、元の血筋がはっきりしているなら、貴族院の議員に説明もしやすいし、皆の納得も得られやすいはずだ。彼女の悲劇的な生い立ちも同情を得られやすいだろうし、何よりミーファは美しい。『美人』は普通より大切にされて同情されやすい。
どうこう言って、この異世界は『ルッキズム』中心の価値観で、不細工は金持ちか、家柄がいいか、よほどの実力があるかでないと、塵芥扱いだ。
『ポリコレ』や『男女平等』など、ここには影も形も無いのですよ。
以前は門のそばの広場でモンマルに稽古をつけてもらって居たが、ミーファが加わってからは、いつも茶会を催していた内庭で稽古をするようになった。若い娘のミーファ鍛錬する姿をあまり人目に触れさせないようにとの配慮だ。
鍛錬方法も変わった。
ロングソードを用いた通常の正規の剣の訓練するようになった。
俺もロングソードを持たされ、今まで違う一般的な剣の鍛錬をさせられる。
俺も筋力がアップしていて、なんとかロングソードを振れるようになっていた。とは言っても、振れるだけのへたくそ剣士にランクダウンしてしまうが。モンマルは子供の頃から、神官のデーゲン氏に騎士団式の剣の訓練を受けているので、正規の剣も教えられるのだ。
騎士学校に入るのなら、変則二刀流では不都合だ。
ただ、騎士学校に入るミーファが正規の剣を学ぶのは分かるが、なぜ俺までと思う。
強くなるだけならモンマルの『二刀流』でいいのに、と思って母上に訊くと、
「何を言っているのです!私は言いましたよ!確かに言ったのにもう忘れたのですか!」
とまた、聞いた覚えのないことで母マリエルに責められた。
「あなたはこれから戦場で大功を上げて、貴族になるのですから、まず、騎士学校で騎士爵くらいは取っておかなければなりません。騎士団に入ることは無いでしょうが、あなたの父の兵団を指揮する方法を騎士学校で学ぶのです。もっと自覚を持ちなさい!」
とのお言葉をいただいた。
あと、ミーファが騎士学校に独りで行くことに不安を覚えているので、俺にミーファを助けさせたいという話だ。母の本音はこっちが9割でないかと思う。
父の兵団を指揮するのにわざわざ騎士団に行く必要は感じないし、あの父バルドが俺に自分の兵団を任せることなど有り得ないので、騎士学校に行くだけ金と時間の無駄だ。それに、悪評の見本市である俺がそばに居ない方がミーファも楽しく学校生活が送れるはずなのだが、その辺のバランス感覚がこの母上には無いのが困る。自分の想いだけで決めつけてかかるし、言い出したら他人の話を聞かない。俺にできるのは、
「はい、そううですね。分かりました」
と返事をする一択だ。
(あの厳しいシゴキが無くなるのはいい事かな)
と考えていると、
「そんなわけないじゃないですか」
と、モンマルに宣言されてしまった。
「坊ちゃんがあれほどの怪我をすぐ治せると分かった以上、これまでより遠慮なく鍛えることができます。ミーファとの鍛錬の後に坊ちゃんは追加の二刀流鍛錬を用意してあります。坊ちゃんも私の技を覚えたがっていたでしょう?」
と、目をぎらつかせ、口元に残忍な快楽殺人鬼じみた笑みを浮かべる。
いや、あなた、今までも遠慮しないで、全力で俺の事しごいていましたよね?
更にこれ以上追加する必要あります?
俺、十三歳の子供ですよ?
も少し手加減してくれてもいいんですよ?
『無理に重い長剣振ると体を壊す』と、心配してくれたあなたは今どこに行ってしまったのでしょうか?
反論したいことは多々あったが、意外にサディストだったモンマルと、俺に手柄を上げさせたがっている母マリエルに二重の包囲をされては、子供の俺に言論の自由は無かった。




