32 船家の密談
目が覚めた。
知らない天井だ。
異世界転生物でよくあるシュチュエーションだ。
ってまたこれか。何度目?
「あ、目が覚めました」
と、涼やかな少女の声。
「坊ちゃん分かりますか?」
と、しわがれた中年おやじの声。
「ああ、大丈夫だ。ちゃんと意識はある」
と言い、体を起こす。
小さな部屋だ。
殺風景で飾り気の無い板壁の室内を見回す。
ベッドの横にモンマルが立っている。
ミーファが部屋の隅の椅子に掛けている。
何だってあんなに端っこに座っているのだろうか?
ひょっとして俺が怖いのかな?
「ここはまだ船家だな?」
とモンマルに問う。
「はい、坊ちゃんがまだ動かせる状態ではなかったので」
部屋の中には、血のついたシーツのようなぼろ布が、そこかしこに散乱している。
俺を止血して応急処置をした跡だろう。
自分の体内に目を向けて状態を確認してみる。
肩の傷はまだふさがっていない。
太い動脈や静脈、重要な神経、筋肉などは修復されていた。
最近、霊エネルギーを吸収していなかったし、脂肪もほぼ無くなっていたので、黒衣の爺さんは修復のリソースが得られなかったはずだが、今回はどこからエネルギーを持って来たのだろうか?
霊感センサーを働かせて、周囲の霊体を探る。
この船家の中に霊らしいものは感じられなかった。
あの五人のごろつきの霊体がどこにも無い。
ということは、黒衣の爺さんが既に取り込んだという事か。
あんな奴ら吸収したくなかったが仕方ないか。
せめて、あいつらの行く先が、地獄のような場所であって欲しいなと願う。
「あんなに血が出ると思わなかったんです。助けようと思って、刺さっているのを抜いただけで…」
と、少女ミーファが言う。
「私は生きている。そう簡単には死ねない体なんだ」
と、それに答えた。
「え、それはあたしと同じ?」
驚くミーファ。
「いや、私は、怪我はするが、治りが早いだけだ。君の場合はそもそも怪我をしない。恐らく君は無意識に身体強化の魔法を使っている。それも考えられないくらい強力な力で。お前はどう思う、モンマル」
「はい、私もおなじ考えです。それにしても槍が刺さらないほどの身体強化なんて、聞いたことがありません。これが本当なら、とんでもない才能です。
ただ、それもそうですが、坊ちゃんのその力は何なんですか?肩に大きな穴が開いていたのが、見る見る塞がってきて、勝手に血が止まるし、普通、あれだけの怪我をした後で、そんなに平気な顔で喋れませんよ。剣の稽古でさんざん打ち据えても、次の日にはぴんぴんしていたのは、その力が原因ですか?鍛え方が足りないのかと思ってこっちもムキになってしごいちゃったじゃないですか」
しごいちゃったじゃないですかじゃないわ!この野郎。それで訓練があれほどスパルタだったのか。
「この能力については誰にも話さないと約束してほしい。実は私もこの力については分からないことが多くてな。しかし、モンマルにも驚かされたぞ。お前はあんなに強かったんだな。奴らの前に移動したときの動きなんか、まるで見えなかった。あれはどうやったんだ?」
「はあ、あれは一瞬だけ『認識疎外』の魔術を発動しているんですよ」
「魔術?魔法ではないのか?私は魔法と魔術の違いが分からないのだが…」
「はい、これです」
と言い、モンマルは首から下げた、ネックレスを服の下から出した。
それは真鍮のような円形の小さな金属プレートで、中央に1センチほどの魔石が埋め込まれていた。
「この魔石の周りに細かい模様があるのが見えますか。これが魔術の術式です。魔術士が術式を道具に刻んだ道具を使えば、魔法を使えない人間でも魔法使いと同じことができるようになります。この『認識疎外』の魔法は一瞬発動するだけなのでこの大きさで済みますが、大きな攻撃魔法を使うにはこれでは術式が描ききれないので、一冊の魔導書が必要になります。魔導書には術式を描くための魔鋼が塗り付けられています。普通の本よりかなり重くなるので持ち運びに不便だし、魔石も高価なものを毎回付け替えなくてはならないので、あまり実用的ではありません」
「魔法のスクロールのようなものはあるのだろうか?」
「すくろーる?ですか?」
「えー、一枚の紙のような物に術式を刻んで、一回だけ使いきりで、魔法が使えるようになる物の事だけど、そういう魔術具はあるのかな?」
「ああ、それなら『術石』があります。これは、魔石に直接魔術を刻むものです。簡略化した術式のため魔法発動時の負担が大きく、一回の魔法使用で魔石は砕けます。ただ、これも強力な魔法は使えないし、高価なので金持ちが護身用に一つ身に付けているくらいですね。大体は身代わり魔法を発動するもので、一回だけ致命傷を防ぎます」
ふむふむ、ファンタジー世界と全く同じでは無いが似たような物はあるようだ。
「私の魔術具は『認識疎外』の魔法を五回くらいは使えます。予備の魔石をいくつか持っているので大勢との連戦でなければ、魔石を付け替えなくても大丈夫ですよ。まあ、こうしたズルをしているので『死の二刀』なんて大げさな二つ名がついていますが、私自身の実力は大したことはないんですよ」
とモンマルが謙遜する。
「いやいや、冗談じゃないぞ。認識疎外は一瞬で、後の動きはすごかったじゃないか」
「あー、あれも実はあいつらが元傭兵だったので、槍を持って横に並んでくれて助かったんですよ。戦場ではよくあの形で囲まれたので、ああいうのは慣れているんです。あれと同じ形で何百回も戦っているので、目をつぶっていても同じ動きができます。むしろ、あいつらがバラバラの武器でめちゃくちゃに突っ込んできた方が、動きが予測できなくて危なかったですね」
へー、そういうものか。
にしても、あの技術はぜひ伝授してもらおう。
別に、自分の身を助けるために覚えたいわけではない。
あれが出来たら、なんかカッコいい。
ズバッと敵を倒して、眠そうな顔をしてたのがとてもいい。
あれこそが異世界ヒーローの在り方と言ってもいいだろう。
せっかく異世界に来たのだ。一度あれをやってみたい。
「その、認識疎外の魔術具はどこで買えるのだ?」
「あー、これは敵に強い奴がいて、そいつを倒して手に入れたものです。倒したといってもトドメを刺せずに逃げられましたが。あの時は本気で死ぬかと思いました。今の王国でこれほどの魔術具を作れる魔術師は、聞いたことがありません。多分、帝国で作られたものでしょう」
「も、も、モンマルそれを私に売って…」
「駄目ですよ!売りません!絶対にダーメです!」
と、モンマルは慌てて首飾りの魔道具を服の下に隠してしまった。
それはそうか、そうだよな。
簡単に手に入るものなら、みんながそれを使っているはずだ。
残念!
「仕方ない。まあ、とりあえず今はこれからどうするかを考えよう。あいつらの死体はどうした」
「坊ちゃんの手当てが済んでから、陶器製の重い壺に括り付けてこの下に沈めときました。この岸は『シュビ』や『クラック』が多いし肉食魚の『ダーバ』や『イリ』も居るので死体は1日で無くなります」
『シュビ』は前世のエビのような生き物で、『クラック』はカニもどきだ。『シュビ』と『クラック』はナコねーちゃんと河原で食べてうまかったのを思い出す。『ダーバ』はナマズ。『イリ』はウナギだ。見た目はどれも微妙に違うが生態はほぼ同じだ。
「戦闘の痕跡は全て洗っておきました。街中じゃ、こう簡単に処理できなかったですよ。船家は殺し合いに向いていますね」
部屋の隅のミーファに目を向ける。
青い顔で震えている。
彼女にしてみれば突然知らない男が来て、殺し合いを始めた程度の認識かもしれない。
俺とモンマルが、今度は自分に酷いことをするのではないかと、疑っていても不思議じゃない。
まずは彼女の警戒心を解くことが最優先だ。
ガルゼイのキャラでは彼女が委縮してしまう。
性格の複合ハイブリッド化を解除して、気弱陰キャおやじバージョンに戻した。
「えー、私たちは、君を助けたいんだよ。ほら、ここに居るモンマル…ああ、モンマルはあだ名で本名は『マルコ』と言うんだけど、君の父さんと母さんの家族のようなもので君にとっては伯父さんのような立場の人なんだ。だから、決して君に酷いことはしないよ。これから君は、普通の暮らしに戻れるんだよ。ほら、モンマル、この子と話はしたのか?ちゃんと自分の事を話さないと、分からないぞ」
以前モンマルから聞いた昔話を思い出しながら、少女に説明した。
モンマルはバツが悪そうにもじもじする。
「私は伯父さんなんて立場の人間ではありませんよ。この子とこの子の両親が大変な時に何もしてやれなかった。ただの、人殺しの役立たずです…」
と、うつむく。
困ったものだ。
「今この娘の身内と呼べるのは、お前だけなんだぞ。しっかりしろ」
「しかし…」
煮え切らない態度のモンマル。あれだけ強いのに、なんでこいつはこんなにへ垂れているのだろうか。
「あの…」
少女ミーファがモンマルに声をかける。
「私のお父さんとお母さんのことを知っているんですか?」
「ああ…子供の頃からな」
と遠い目をするモンマル。
「私が四歳の頃に私の村は襲われて、その時に父は死んでしまったと聞きました。母はいつも父の事を話してくれました。立派な人だったそうです。私は父の事をあまり覚えていないんです」
「お前の父『ルーク』は立派な男だった。子供の私は親の無いただの浮浪児で、村の中の雑用をしてその日の食を得ていた。お前の祖父の『デーゲン様』…ああ、お前も姓は『デーゲン』だったな。神官のマルク・メル・デーゲン様は俺によく仕事をくれた。仕事の後はいつもデーゲン家の食卓に俺の椅子を用意してくれて、一緒に食事を食べさせてくれた。今思えば必要のない仕事を無理に作って、俺が食えるようにしてくれたのだと分かる。
『ルーク』はなぜか俺によく話しかけてきてな。俺より3歳年下で、男の兄弟が居なかったので、俺を兄のように慕ってくれた。一人で自活してきた俺はいろいろな雑用のやり方を知っていたが、それをあいつは『凄い凄い』と褒めてくれたよ。それで俺も得意になってあいつにいろいろと教えてやったものだ」
「マルコおじさんの事は、母からよく聞きました。強くて優しい人だと。25歳で傭兵になって戦場に行ってしまったけど毎年お金を送ってくれたって。それで、村のみんなはとても助かったと話していました」
そう聞くとマルコの顔が歪んだ。
「違う…、俺は逃げたんだ。あの村から。お前の家族から…。それでお前たちが一番大変な時に何もできなかった。周りの人間は俺を『剣の達人』などとおだてるが、俺はくだらない人間だ。自分のつまらない誇りを優先して、一番守るべきものを何も守れなかった…、」
「…本当に、母の言っていた『マルコおじさん』なんですね…」
とほっとした様子のミーファ。
モンマルの泣き言を聞いて、ミーファの警戒心が緩んできたようだ。少し砕けた感じに態度が変わった。
「これから、ミーファの住まいや生活をどうするか…」
と俺がつぶやく。
二人は『これから』と聞いて、難しい顔をした。
状況が良くないことは皆分かっているのだ。
元娼婦の少女だ。保護をしたとしても、出自がばれれば周りから見下されるだろう。
一度底辺に落ちた女性が、楽に生きられるような社会ではない。
俺は、打開策を必死に考えた。
俺は人徳が無いので頼れる人間が少ない。
ヘーデン家でミーファの身柄を預けられそうな、人間と言えば腹違いの姉の『エルス』が真っ先に思いつく。しかし、別邸の主はあのバルドだ。そして、バルドは彼女の両親を殺した張本人だ。いくら何でもミーファを親の仇の元に預けられない。それに、この美少女ぶりを目にしたバルドがスケベ根性を出さないとも限らない。あいつは自分の娘より年下の少女に手を出すことなどなんとも思わないだろう。
街中の宿屋に住まわせるのも心配だ。生きる術すべや社会常識をまるで知らないこの少女をモンマルが仕事をしている間、一人にしておくのは危険だ。
とすれば、後頼れるのは、一人だけだな…
不安はあるが当たって砕けるしかない。
「母に話してみよう」
と独り言のように、俺は呟いた。
「奥様ですか…」
とモンマルが絶望的な顔をする。
あの厳格で、意固地で、貴族至上主義で、平民を見下している母が元娼婦の少女を助けることなど普通なら在り得ない話だ。
しかし、俺は意外に行けるのではないかと思っている。
とはいえ、わずかな可能性があるという程度で、正直俺も自信は無い。
「モンマル。この船家に小舟は無いのか?」
「はい、あります。裏に手漕ぎの小舟が2艘繋いであります」
「だろうな。あの用心深いごろつき共がここからの脱出手段を用意していないわけはない。急いで小舟でここを離れるぞ。こんな場所にこれ以上この娘を置いておきたくない。このままここに居て何があるか分からないからな」
「体は大丈夫ですか?」
とモンマル。
「問題ない。少し離れた対岸に船をつけて、そこから流しの『箱車』を拾うぞ」
「船着き場に付ければ、小舟を有料で預かってもらえますよ」
とモンマル。
「この3人で対岸に渡るところ、をあまり大勢の人間に見られたくない。少しもったいないが、対岸に着いたら、小舟はそのまま川に流そう」
「流すにはもったいないですよ。立派な小舟です。何とかしましょう」
「それならこのまま下流に行って、船はランス湖の少し手前の小さな船着き場に預けようか。私は顔が知られているから、目立たぬように頭巾付きの外套で顔と身なりを隠そう。この娘、ミーファも目立ちすぎるから、うまく顔を隠さないと。俺たちはモンマルの子供と言うことにした方がいいな。もうすぐ日が暮れる。暗くなる前に出発するぞ」
この船家を家探ししたら、ごろつきが使っていてらしい、フード付きのマントがいくつも出てきた。3人揃いで身に纏って、俺とミーファはフードで顔を隠す。
モンマルもフードを被るが、彼だけは顔は出していた。
船家の戸の前に『休業中』札を出し、中から閂をして、川に面したテラスに出る。
テラスの戸は外から鍵をかけられるようになっている。
鍵は指輪の形をしていた。
銀色の台座に円形の平たい魔石がはまっている。
この魔石には、魔術師が術式を刻んでいて、鍵本体にくっつけると鍵が開く仕組みになっている。
魔石の周囲には6つのメモリがついていて、台座の上で回転するようになっている。6分の1づつ回転すると、魔石の色が変わる。青、赤、黄、白、黒、灰色、と、色ごとに鍵の種類が変わり、合計6個の違う鍵に使える。これも、モンマルの言っていた魔術具なのだろう。
この指輪があれば、鍵の束をじゃらじゃら持たずに済むという優れ物だ。これは、ごろつきの指についていたのをモンマルが拝借したらしい。
俺の指にはサイズが大きすぎるので紐でくくって首から下げた。
カヌーのように先の尖った小舟に乗り込む。
推進力のありそうな船だ。船尾から長い櫓が水中に突き出している。
立ち漕ぎ式の船だ。
俺とミーファが船に乗り込む。細い船体が左右に揺れて、転びそうになる。
ミーファが俺の腕にしがみついてくるのでドキドキした。
「それじゃ、行きますよ」
と、モンマルが船頭になって船の櫓を漕ぐ。
あまり荷物を積めなそうな船だがスピードは速い。
ごろつきの非常逃走用の船だったのだろう。
陽が沈み始めて紅く染まった水面を切り、小さく水しぶきを上げながら、三人を乗せた小舟は川下に進んで行った。




