21 母の気持ち2
その後、自分の体の状態がどうなっているのか確認して驚いた。
ふらつく体をメイドたちに起こされてみると、ひどい状態だった。
かつての俺は背の低い小柄なデブ体形で腹がポッコリ出たぷくぷくだった。
それが今や見る影もない。
痩せているのだ。しかもがりがりに。骨と皮と言っても言い過ぎでないくらいだ。
どうりで体がふらつくはずだ。それにしてもなんでこんなことになっている。
実は1か月も寝たきりになっていたのではないかと思い聞いてみると、一日しか経っていなかった。
(どゆこと?)
首吊り中に体内の補助タンクからエネルギーが引き出される感覚を思い出した。
(まさか、あれか?脂肪をエネルギーに変換したのか?だとしたら黒衣のじじい、何でもありだな)
エネルギー効率化の汎用性が高すぎる。
しかし、今回のことで一つ分かったことがある。
黒衣の老人の力が、俺意外の物体までは影響を及ぼせないということだ。
何でもかんでも勝手にいじられたら大変なので、この事実は一つの安心材料になった。
ただ、まだどんな力を隠しているのか分からないので油断はできない。
要経過観察だ。
ランス川の別邸に居たはずがなぜ新市街の屋敷に戻っているか母の侍女に聞いてみた。俺が死にかけているのが発見され、蘇生が施されてから2時間後くらいに、母が護衛の騎士くずれ10人と馬車3台で別邸に乗り込んできて、俺を連れ去ったのだという。
「我がメダスの高貴な血を引く唯一の跡取りを、自死に追い込むような者たちのいる場所に、これ以上置いておくことなどできません。この子は我が家に連れていきます。こんな埃臭い下賤の作業場に居ては治るものも治りません!」
と父を怒鳴りつけて、俺を強引に連れ帰ったそうだ。
もう少し穏やかなやりようがあるだろうに、なぜ真正面から敵を作るような物言いをしてしまうのか。
そして、数日ベッドで休んでから、新市街の邸宅でリハビリの日々が始まった。
ふらつく体で毎日壁伝いに廊下の端から端までを何度も往復した。
ふと気が付くと、母マリエルが不機嫌な顔の縦半分を近くのドアの陰から出してこちらを見つめていたりする。
彼女はあれ以来こちらに話しかけてこないので、とりあえず俺も気付かない振りをしてそのままリハビリを続ける。
日中は寝たり起きたりで睡眠が不規則なので、夜に目がさえて眠れないこともある。
ある夜、暗闇の中で目を開けていると、入り口のドアのきしむ音がした。
そろそろという衣擦れの音とともに母の香水のにおいがする。
薄目をして様子を窺うと、母はベッドのそばに立ち無言でこちらを見つめているようだった。
そのまま数分が経ったような気がする。
母がゆっくりと身を傾け、俺の上に覆いかぶさる体勢になった。
頬に母の髪が触れる。
どうやら俺は布団の上から抱きしめられているようだった。
少しして身を起こし、母は衣擦れの音とともに去って行った。
(ガルゼイ、お前、実は愛されているじゃないか…)
この親子はもっと話し合った方が良かったのだ。
貴族は子の世話を乳母に任せて、親子でもべたべたしないのがマナーと言う話だが、それで何が楽しいのだろう。子の一番かわいい時期を他人に任せて親子の情が育つわけがないだろう。本当に貴族の生き方と言うのは不可解で厄介だ。
ツンデレとツンデレが事故って大渋滞を引き起こしている。
誰か交通整理してやれよ。
本来はバルドの仕事のはずだが、奴にはその意思も能力も感受性も無い。繊細さのかけらもない猛禽類か野獣のような単純戦闘民族でスーパー何とか人でもあるのが奴の本質だ。
だから脳筋野郎は嫌なんだ。
あ、そういえばナコねーちゃんも脳筋だった。
でも、ねーちゃんは別だ。大好きだ。
繊細さはあまりないけど、明るくて愛情深い。
うちのバルドとは段違いだ。
それにしても体調が悪い。
霊エネルギーが全然足りていない。
どこかで霊エネルギー吸収したいので、昼間に屋敷のあちこちを歩いてみた。古い家なのに意外に霊がいない。エネルギーの枯渇で霊センサーが鈍っている。腹がいっぱいの時に、センサーを働かせると微小の反応があった。細い反応をたどって廊下を歩く。最上階の屋根裏の部屋に反応は続いている。ランプを持って屋根裏に上がる。
カビと埃の混ざったような臭いがする。
屋根裏にはいくつもの古い霊魂が漂っていた。
(これこれ、やっと見つけた)
と霊に近づくと、
うおーん
と声がして俺の胸のあたりから、黒くて細い二本の腕が伸びて近くの霊に突き刺さる。一瞬後、その霊は、線香花火のような光を残して消失した。
(あっ!この野郎!横取りしやがった!)
俺の移動より黒い手の伸びる速度のほうが早く、次々に霊エネルギーを取られてしまう。
(ふざけんな!俺が見つけたんだぞ!)
頭にきて、胸から延びる黒い腕の根元をつかむ。
手のひらに『ザリッ』と張り付く感覚がある。
そこから強制的に霊エネルギーを奪い返す。
うおーん
うおーん
と老人の声が大きくなり腕が中に引っ込もうとする。手の平が滑る。
まるでうなぎを掴んでいるみたいだ。
つるつる滑って黒い腕は俺の体の中に逃げて行った。
しかし、それまでの間に俺もかなりの霊エネルギーを奪還できた。
(どうだ、俺もやられっぱなしじゃないぞ!)
と胸の奥の黒衣の老人めがけて、内心でどや顔を決める。
せっかくなので屋根裏を散策してみた。
悪趣味で不細工な正体不明のおっさん顔の彫像や、何に使うのか分からない古い道具類がある。部屋の奥の壁際に布をかけた額がいくつかある。
そのうちの一つの布をめくって俺の手は止まった。
そこには一人の気難しそうな青年の肖像画があった。
オールバッグの金髪に、大きく張り出した鷲鼻。
神経質そうな鋭い目線でこちらを見つめている。
青年の横には小柄な女性が座っている。
母に似ている。モブ顔だ。
しかし、その髪はカラスのような漆黒だ。
身なりで女性と分かるが、顔だけ見たら俺が女性になった姿のようにも見える。
女性はモブ顔で幸せそうに微笑んでいる。
二人は夫婦だろう。
そして、神経質そうな鷲鼻の成年には見覚えがあった。
俺の中の黒衣の老人にそっくりだ。
間違いない。奴だ。
どうやら奴の正体はガルゼイのご先祖様のようだ。
描いた年号が右下に記してある。この年代なら今の祖父の父親くらいだろう。つまりガルゼイのひい爺さんだ。とすると隣の高齢の女性はひい婆さんということになる。
身内に黒髪は居ないので俺の黒髪が一体どこから来たのかと思ったが、このひい婆さんの血筋なのだろう。
黒衣の老人がガルゼイに加護(もしくは呪い?執着?)を与えているのはその辺の関係もあるのかもしれない。
それにしても、迷惑な話だ。善意の押し売りと加護の押し売りは本当にやめて欲しい。