166 枯れ川の渓谷での戦い1
俺とセシルは森人の後方に追いついた。
走るように進んでいた速度を緩める。
敵は、罠を警戒してこちらを探しながら追って来るから、それほど早く追っては来られないだろう。
ネルガル達三人だけなら、楽勝でこちらに追いつけるだろうが、アスルとセシルのパワーファイター兄妹が待ち構えて居るのが分かっているので、仲間と離れて三人だけで突出はしないはずだ。
「次はどうします?」
ミルさんの横に追いつき、今後の行動を訊ねる。
「丘に陣取るのはもう駄目だね。さっきはすぐ後ろに敵が迫ってたから、手近なあの場所で迎え撃ったけど、今度は谷間の隘路におびき寄せるよ。狭い隘路なら人数差があっても戦えるからね」
「渓谷みたいなものがあるんですか?」
「枯れ川だよ。大雨の時だけ川になって普段は乾燥した谷になってる場所があるんだ。枯れ川と言っても長い時間をかけて谷が出来ているから、結構深い谷だよ。だから、敵に谷の上から回り込まれる危険も無い。足場が悪いから、大人数で戦うには不利な地勢だね」
「そこは近いんですか?」
「少しだけ遠いね。ここからだと大体一時間くらいだね」
「そこに着く前に追いつかれませんか?」
「森人の脚を舐めるんじゃないよ。敵がいくら鍛えた兵でも、森の中で平地の兵に捕まる事は無いよ」
「このまま敵をまいて逃げる事も出来るんですね」
「ああ、やろうと思えばね。でも、それをしたら敵があっちに戻って街を攻撃するだろ?」
「そうですね。あいつらは何としてもこの森から出せません」
「そういうことさ。森から出られるのは、この戦いで生き残った方だけだよ」
早足で駆けるように先に進む森人達。
それに俺達も続く。
次第に木々が少なくなり、岩の転がるガレ場が広がり始める。
そのガレ場を進むと左右に傾斜がついてきて、渓谷が始まる。
そのまま渓谷を進むと、左右に岩壁が高くそそり立ち、人の進めない急斜面となる。
「この渓谷はどのくらい続くんですか?」
「先に進むと谷が低くなって終わるよ。その先に岩山の平たい高台がある。大雨が降った時にその高台に溜まった全部の雨水が、この枯れ川に流れ込むようになっているんだ」
「岩の平地ですか?森の中に拠点を作るにはいい場所ですね。そこに要塞みたいなものがあるのですか?」
「うーん、それが出来たら良かったんだけど、あの高台はソエリ族の聖地で、昔から立ち入りが禁止されている場所なんだ。あそこにはどんな小さな小屋も作っちゃいけない事になってる。掟で禁止されてるからね」
「それは、もったいないですね。でも、掟で決まっているなら仕方ないですね。そこに立ち入ると何か不幸が起こるような伝説なんかがあるのでしょうか?」
「ああ、有るよ。あの高台には強い精霊が住んでいて、立ち入る人間を殺してしまうと言われてる。過去には掟を破ってあの高台に入った人間も何人か居たみたいだけど、誰も戻らないってさ」
「その人達は本当に精霊に殺されたのでしょうか?」
「まさかね。昔はあの高台の入り口にはソエリ族の見張り常にいたらしいよ。あの高台に歩いて入れる道はこの枯れ川しか無いんだ。それで高台に侵入した人間が出てきたところを大勢で待ち構えて、殺していたんじゃないかとあたしは思っているけどね。それも昔の話さ。実際にあそこに何があるのか、今も誰も知らないんだよ。誰も入れないんだからね」
ミルさんの話を聞いていて、オールストラリアの『ウルル』というアボリジニの聖地の事を思い出した。
オーストラリアの中央部の何も無い平坦な砂漠地帯に、そこだけポッカリと浮かび上がるように巨大な一枚岩の小高い山がある。
『ウルル』は世界で二番目に大きい一枚岩の塊りで、かつては『エアーズロック』と言う名で知られた観光地だった。
本来この一枚岩の山にはアボリジニの司祭しか登ってはいけない掟になっていたが、ここを奪った西洋人によって、観光客による登山が許可されてしまう。
今現在、この『ウルル』はアボリジニの手に返還され、登山も禁止されたという話だ。
この森の中で周りの環境から独立して浮かび上がるその岩山の高台も、特別な場所として崇められ、次第にソエリ族の中で『聖地化』されたのかもしれない。
(でも、この世界は魔法や魔術が有って、超常の力が当たり前に存在する世界だからな。精霊が本当に居てもおかしくは無いんだよな。そう言えば『ジン』も精霊の一種だって話もあったよな)
歩き続けると徐々に谷が深くなってきた。
最初は広々としていた枯れ川の河原もだんだん狭くなってくる。
その途中で踊り場の様に少し広くなった場所が有った。
「よし、ここで迎え撃つよ」
とミルさん。
他の森人達が踊り場の入り口あたりに。周囲の岩を積み始める。
簡易的な石垣を作っているようだ。
「この場所はこの人数で集まるのにはちょうどいい広さですね」
「ああ、ここも事前に、森人達が広げて均している場所だ。手前に腰までの高さの防壁を作って、敵の矢を防げるようにしておく。敵が来たら上から石弾を打ち下ろしてやるよ。ここの狭さなら敵は広がって突撃が出来ない。横にびっちり詰めても十人くらいしか歩けない場所だ。剣を振り回そうと思ったら、せいぜい三、四人がいい所だね」
「そうすると、敵の攻撃の選択肢は少ないですね。横一列に盾を連ねて突撃するか、強者三人が切り込み隊長になってこちらの前線を切り崩しにかかるかのどちらかになるはずです」
「前者なら、対抗策は考えてある。後者で来るならその時はあんたたちの出番だ」
「任せて下さい。と言ってもこっちの頼みの綱は、アスルとセシルですが。敵が盾兵を前面に出して来たら、まずは遠距離から英子の雷撃を食らわせてやりましょう。それで、敵がその雷撃をかわして、接近戦の乱戦になったら英子は後方に下げて、仲間の治癒に専念してもらった方がいいですね。敵の強者は三人いるので、そのうち一人は俺が相手にしないといけないと思います」
「あんたは、指揮官なんだから、あたしが出てもいいんだよ」
「いえ、俺は指揮官と言うよりは、参謀ですよ。まあ、自分で参謀なんていうのも恥ずかしい話ですけど、ミルさんには力を温存しておいてほしいです」
「危なくなったら、加勢するよ」
「ええ、頼みます」
簡易の石垣が完成した頃に、敵の先陣が姿を現した。
まずは整列して盾を構えて、様子見をしている。
「さあ、どう出るかね」
腰に手をあてて、下の敵軍を見下ろすミルさん。
こちらの森人は横に三人一列で十列に整列していた。
手には各自投石器を持っている。
「まずは粘弾で様子見だよ」
とミルさん。
さっきの様子だと、他にもまだ何か切り札があるようだ。
敵の最前列に一人の男が出てきた。
ネルガルの左に立っていた男だ。
中肉中背の平均的な体形をしている。
半兜の下からこげ茶色の短髪が覗いている。
「さーてと、やりますか」
と言って両肩をぐるぐる回してからその場にしゃがむ。
そして地面に両手を突いて、集中し始める。
すると、男の三メルスくらい先に、平たい岩の壁が立ち上がり始めた。
ものの五秒くらいで、その壁が人の背丈ほどの高さになる。
「土魔法使いだ!あれじゃ、石弾が当てられない!」
「参ったね。道が狭いから、敵も狭い範囲で魔法が使える。向こうにしたら、魔力をあまり使わないで味方を守れるって事だね」
ミルさんが眉間にしわを寄せて考え込む仕草をする。
「よし、今度はあいつが前に出たら、魔法を使われる前に、粘弾を食らわせてやりな!」
石の壁の上を飛び越えて、さっきの男が壁の前に出る。
今度は、ネルガルの右側に立っていたもう一人の男も一緒だ。
その男は背が高く大柄で、がっしりとした体形をしている。
半兜の下の首筋が太い。
首の後ろから背中に向かって、深緑の結った長髪が、太く垂れ下がっている。
「撃て!」
前列三人の森人達が投石器で粘弾の壺を飛ばす。
深緑髪の巨漢男がその粘弾二つを両手でキャッチする。
残り一つはこげ茶髪の男が受け止める。
二人の男はすぐさまそれをこちらに投げ返して来る。
二人の男は投石器も使っていないのに、投石器と同等以上の勢いで壺を投じる。
その反撃を予測していなかった前列の森人達が三つの粘弾をそれぞれが体に当てられて、逆にその場で身動きが取れなくなってしまう。
「おい!」
ミルさんが後ろの森人に声をかける。
すると一人の男が後方から飛ぶ様に走って来て、腰の水筒から何かの黄色い液体を粘弾で動けない三人の森人に振りかける。
その黄色い液体を被った森人達が、体について固まった粘液を両手で引きはがす。
黄色い液体はあの粘液を溶かす為の物のようだ。
「自分たちで間違って粘弾の壺を割っちまう事もあるからね」
俺が問う前に、ミルさんが説明してくれる。
その間に敵はまた一枚岩の壁を立ち上げ終わっていた。
そしてまた二人の男が前に出て来る。
二人とも楽しそうにニヤニヤと笑っている。
「どうします?」
「んー、仕方ないね。ちょっと早いけど切り札を使うよ」
敵の二人は更に前方に石の壁を立ちあげている。
「カエン弾準備!」
(カエン弾?……火炎弾か?)
粘弾を受けた森人達が後方に下がり、次の森人達が前に出る。
その二列目の森人が腰から小さな壺を取り出す。先の粘弾の壺より一回り小さい。
その口の辺りからベージュ色の太い紐が突きだしている。
二列目の森人は手にした壺を持ってしゃがみ、自分の頭上に掲げる。
三列目の森人達が手にした火の魔術具で、その壺の紐に火をつける。
それを一列目の森人が手にして、投石器の紐でビュンビュン回す。
かなりの速度で回転させているのに、紐の火が消える様子は無い。
「両脇の岩壁を狙いな!」
ミルさんの言葉で一斉に三発の火炎弾が発射される。
小さく煙の尾を引いて二人の男の両脇の壁に向かって火炎弾が飛んで行く。
その軌道が、自分の掴める範囲から遠いと気付いた二人の男たちが、とっさに跳び上がって、自分の後方に立ち上がった壁の向うに姿を隠す。
左右の断崖に当たった火炎弾の壺が割れ、中から黒い液体が飛び散る。
黒い液体は瞬く間に着火して、そのあたり一円が火の海になる。
「ふん、逃げたか。次はあの壁の向うにくらわしてやりな」
既に次弾を準備し終えた二列目の森人の手から火炎弾を受け取って、一列目がまたそれを投じる。
今度は、敵が立ちあげた石の壁の向こう側で左右の断崖に火炎弾が当たって砕ける。
石壁向うで火炎と黒煙が上がり、大勢の人間の悲鳴が聞こえてきた。
「あの弾は何ですか?」
「この森の奥地に、黒い毒の水が湧く沼があるんだ。そこの毒水を使った物だよ。壺の中身はその毒水だけじゃ無くて、いろいろと他にも混ぜているけど、その配合はソエリ族の族長しか知らない秘密だ。あれは水を掛けても、布をかぶせても消えないんだ。こういう燃える物の無い場所でしか使えない、とんでもなくやばい武器だよ」
「ギリシアの火か……」
「ん?何だって?」
「あ、いや、こっちの話です。よく似た兵器を思い出したもので」
『ギリシアの火』は古代の東ローマ帝国などで多用された焼夷兵器だ。
第一次十字軍が聖地エルサレムの城壁を攻城用の移動塔で攻めた時に、籠城するイスラム側がこの手榴弾タイプの『ギリシアの火』を迎撃に使った。ギリシアの火は一度火が付くと何をしても消えず、鎧を着た騎士達を火だるまにしたと言う。
当時まだ文明の遅れていたヨーロッパの騎士達は、鋼鉄の鎧でも防げないこの兵器にかなり驚かされた事だろう。
その製法は国家機密とされていて、現代にその製法は伝わっていない。
前世の近代兵器として似た物に『焼夷弾』がある。これは日米戦争の時に、東京などの都市を焼け野原にするのに用いられ、ベトナム戦争時もゲリラの潜むジャングルを燃やすに使われた。
「次はずっと後方を狙え!前後からの火で敵を挟み込むんだ!」
先頭の森人達が次々と火炎弾を投じる。
敵の後方に火が上がり、また悲鳴が聞こえる。
「俺にやらせてくれ!」
ハランさんが目を血走らせ、他の森人を押しのけて前に出る。
「……ああ、やりな」
ミルさんが頷き、最前列でハランさんが投石器を振り回す。
「喰らえ!」
その火炎弾が敵の中ほどあたりの崖に着弾して、また悲鳴が上がる。
「はーはっ!ざまあ見ろ!」
ハランさんが狂ったように投石器を振り回し、次々火炎弾を投じる。
(このままでは終わらないはずだが……)
そう考えていると、敵の作った岩壁が突然爆発した様に崩れた。
その向こうに、何か大きな岩の塊の様な物が有った。
それは人の姿をしていた。
人の背丈の二倍もの高さのある、巨大な岩石で出来た巨人がゆっくりと立ち上がる。
そして、地響きを上げてこちらに向かって走ってくる。
その後ろに三人の人影が続いていた。
そのさらに後方からは火炎弾の被害を逃れた敵の軽装歩兵が続く。
数にして五十人くらいだろうか。
かなり減らせたがそれでもこちらよりまだ数が多い。
岩の巨人、前世的に言えばストーンゴーレムがみるみる迫ってくる。
「何だ⁉あれは⁉」
その異様な迫力に森人達がざわめく。
ゴーレムに英子が雷撃を飛ばすが、岩の表面で弾かれる。
「セシル!頼む!」
「……は、はい!」
と返事をするセシルの様子を伺うと、顔が蒼ざめている。
迫り来るゴーレムの迫力にセシルの腰が引けていた。
だが、今あの質量に対抗できる超常の力を持っているのは、セシルだけだ。
ここは何とかセシルに踏ん張ってもらわないといけない。
「行くぞ!」
左右のファルカタを抜いて、先陣を切って俺が石垣から前に飛び出す。
あわてて、それにセシルが続く。
アスルもその後から飛び出して来た。
アスルはスピード特化型のファイターだから、パワーではセシルに及ばないはずだ。
それが分かっているので、アスルもセシルの前に出て来ない。
ゴーレムが振りあげた手を俺目掛けて振り下ろす。
俺はとっさにスライディングして、ゴーレムの股の間からその背後に抜ける。
目の前にネルガルが居た。
ネルガルの火の魔剣が俺の腹に突き刺さり、体が地面に縫い留められる。
自分の肉の焼ける嫌な臭いがする。
「ぐがっ!」
うおーん!
とっさに黒衣の老人が、魔剣の火の魔法部分を防いだので、体の中はそれほど焼かれずに済んだ。
俺の後方で爆発音のような大きな音がした。
セシルがゴーレムの拳骨を真上から叩きつけられている。
「セシル!」
ヒヤッとしたが、彼女はその拳骨を両腕で防いで、しっかりと仁王立ちでこらえてる。
土魔法の使い手はゴーレムの肩に飛び乗っていた。両足がゴーレムの中に沈みこみ、岩の鎧を着るように全身が中に入ってゆく。
もう一人、髪色が深緑で巨漢の男が左手に魔鋼の円盾を持ち、右手のロングハンマーを体の左右でぶんぶん振りまわしてアスルに迫る。
それを、顔を少し後ろに反らし、鼻先でかわして突きで反撃するアスル。
巨漢の体が赤黒くなる。
その体にアスルの突きが刺さり男の背後に剣先が抜ける。
それを引き抜こうとするが、粘着質な粘土にからめとられたように剣が抜けない。
「ぬっ!?」
ハンマーを横に振られ、剣を手放して後方に跳び下がるアスル。
(二人とも頼んだぞ!)
俺は体をひねって、ネルガルの脚目掛けてファルカタを振る。それを跳び上がって後方に避けるネルガル。
そのまま地を転がりながら、ひたすらネルガルの脚を狙い続ける。
「今腹ん中焼いたろ!普通死ぬだろ⁉何で動けるんだ、化け物!」
左右が狭いので、ひたすら後ろに下がって避けるネルガル。
その背に、仲間の軽装歩兵の一軍が追い付いて、それ以上後ろに下がれなくなる。
「ちっ!」
側面の壁を蹴って三角飛びで俺の頭上を飛び越えるネルガル。
「いいのか⁉それならこうだ!」
俺はそのまま傾斜したガレ場を転がりながら、後方の歩兵たちの脚を刈りまくる。
「ぎゃ!」
「ぐわ!」
「ひあっ!」
俺に脚を飛ばされた敵兵が、雪崩を打って次々と倒れる。
「この野郎!」
ネルガルが戻って来て俺の心臓の辺りに魔剣を突きさす。
「がっ!」
息が詰まる。
頭にぐわーんと何かの音が響き、手足がしびれたようになる。
「くたばれ!」
ネルガルの魔剣が俺の心臓から、首の上に向かって大きく切り裂き、肩の上に抜ける。
うおーん!
黒衣の老人が治癒を働かせるのと同時に、英子の治癒魔法の光が俺の体に到達した。
二つの治癒能力で、一瞬で体が癒される。
少し遅れてセシルのバフも飛んできて俺に着弾する。
セシルは、ストーンゴーレムの左右の拳の連撃を左腕一本で防ぎながら、右手を俺に向けて突き出していた。
俺が足を斬り飛ばした軽装歩兵の後ろから他の歩兵たちが剣を抜いて、森人達方に突進してゆく。俺やセシルやアスルには見向きもしない。
最初からそう言う攻撃分担が決まっていたようだ。
枯れ川の渓谷での戦闘は、敵味方入り乱れての乱戦となりつつあった。




