130 魔獣狩り
「うわー!」
叫び先頭を走るハルマ。
ドグラが、ハルマを横目で見る。
その横顔が笑った様な気がした。
走って来るハルマに何の反応もしない。
する必要も感じていないようだ。
短剣をその横顔に突き出すハルマ。
その瞬間、ドグラが顔をハルマの方に高速で振った。
ハルマの全身が発光した。体の周りをセシル光の盾が球状に取り囲んでいる。
その光の盾ごとハルマの体が上空にふっ飛ばされる。
高々と宙を飛ぶハルマ。
いくら光の盾があっても、あの高さから落下したらただでは済まない。
俺は『跳躍』で跳び上がりハルマの入った盾を抱える。
「セシル!盾を消せ!」
「あっ!はいっ!」
光の盾が消え、俺はハルマの体を抱えて河原に着地した。
ハルマは空中で何度も回転したせいで目を回している。
「ハランさん!頼みます!」
そのハルマを雑にハランさんに向けて放り投げる。
「うわわ!」
叫ぶハルマを、厚い胸板でしっかりと抱きとめるハランさん。
魔鋼の短剣は俺の足元に落ちている。それをハランさんの居る茂みの方に蹴り飛ばす。
転がって来た短剣をハランさんが拾っているのが見えた。
「よくもやったわね!喰らいなさい!」
英子の杖から電撃が飛ぶ。
電撃を受けたドグラは、その場で硬直してしてから、ゆっくりと膝を着いた。
体から、かすかに煙が立ち登っている。
「ふん、どうよ。私の電撃は」
無造作にドグラに近づく英子。
「駄目だ!エイコさん!」
アスルが英子の体を抱え上げて、後ろに飛びのく。
それと入れ替わるように、ドグラが跳び上がって、今まで英子の居た場所に突っ込んできた。
「ひゃっ!」
杖を落とした英子をお姫様抱っこに抱えて、アスルが走る。
その背に、ドグラが迫る。
「兄さん!」
アスルの背後に光の盾が現れる。今度は平たい厚い盾を地面から立ち上げていた。
その盾目掛けて、ドグラが頭の平角を打ちつける。
光の盾が粉々に砕け散る。
「えっ?なんで?」
戸惑って立ち尽くすセシル。
それでも、ドグラの突進力が大分弱まっていた。
「よくやったセシル!」
英子を抱えたアスルとすれ違い、ドグラに向かう俺。
うおーん!
黒衣の老人が俺の背後に立ち上がり、その黒い腕と足が、俺と一体化する。
俺の両手から尖った爪が伸びる。
「喰らえ!」
右手のファルカタを水平に構え、ドグラの首をかき切るように、低い軌道で振り抜く。
正面から剣を叩きつけたら、あの固い平角で体ごと上空にふっ飛ばされてしまうはずだ。
(サージさんとの模擬戦の経験がここで生きたな)
しかし、このドグラはとっさに首を横に振って、体の軌道を斜めに反らせた。
俺のファルカタが空を斬る。
(うえっ⁉この巨体で、これを避けるか!?)
背筋が寒くなる。
これは一筋縄でいかない予感がしてきた。
俺は振り向いて、ドグラに向き直る。
ドグラも俺に正対して、鼻の頭を河原の砂利に突っ込む。
(何を?)
ドグラが俺に向けて鼻を弾きあげる。
無数の小石が俺の全身に飛んでくる。
「うわっ!」
顔を背け、その小石をかわす。
(まずい!奴から目線を外した!)
腹に衝撃を受けた。
動物の鼻息の音が聞こえ、独特の獣臭がした。
体が吹っ飛ぶ。しかし、とっさにファルカタを体の前でクロスして防御していた。
体が回転している。
背中に衝撃を受けて、全身が水没する。
川に落ちたようだ。
膝までの深さの川で立ち上がる。
「奴は!?」
顔を上げた俺の目の前に迫って来る黒い巨体があった。
ドグラが凄い脚力で跳び上がって、川の中ほどに立っている俺の方に落下してくる。
「マジかー⁉」
(逃げられない!)
身をかわすには、手遅れだった。
その恐ろしい光景に、その場で立ちすくんだ。
(あれに潰されたら、中身全部出る自信あるぞ!)
セシルの光の盾が目の前に現れて、同時に砕けていた。
そして、目の前が真っ暗になる。
どのくらい時間が過ぎたのだろう?
誰かが俺の体を揺さぶる。
俺は目を開けた。
セシルが俺の顔を上から覗き込んでいる。
両目から大粒の涙が俺の顔に落ちる。
「ああ、起きた!起きました!えーん!ガイさん、ごめんなさーい!」
セシルが俺に覆いかぶさって泣き続ける。
柔い体の感触。
いい匂いがする。
セシルの綺麗な金の髪が、俺の頬に触れる。
「どうなった?魔獣は?」
身を起こす。セシルが横に体を移動する。
「魔獣は俺が仕留めた。ガイ君を潰して、動きが止まった奴の耳の後ろの急所に、細剣を突き立ててやった」
少し離れた水際に、あの巨体が横たわっているのが見えた。
「潰した?俺やっぱり潰れてたの?」
「かなりのスプラッターだったわ。ハルマとアスルにハランさんが、さっき食べたのを、全部戻してた。で、男たちが吐くだけで役に立たなかったから、私とセシルちゃんで、『中身』を川から集めて、また中に戻したの。一応全部回収したはずよ。魚に食べられてたら、危ない所だったわね。感謝しなさいよ」
俺は自分の体を見た。
服の胸から腹にかけて、弾けたように裂けている。
俺の体の下から、引きずった跡の血の道が、川まで続いていた。
「また死にかけたんだな……。よく助かったな……」
「当然よ。聖女が二人いて、死なせるわけないでしょ?」
「それもそうか……」
貧血のせいか、頭がぼんやりする。
「俺の剣は?」
「ちゃんと拾ったぞ、ガイ君心配するな。しかし、あの剣は何だ?掴んだ瞬間、体の力が抜けて全身がだるなった。まるで呪いの魔剣だな」
アスルが口元に干し肉の欠片をへばりつけたまま言う。
「ああ、あの剣は俺しか使えないんだ。それより、アスル、顔洗って来いよ」
「ああ、そうだな」
ふらつきながら、川に向かうアスル。
「ガイ、すまん!俺のせいだ!」
ハルマが目を真っ赤にして泣きべそをかいている。
「みんなが無事で良かった。俺一人死んでもどうって事は無い。気にするな」
「そんな事を言うな」
目を拭うハルマ。
その頭をくしゃくしゃと撫でる。
「お詫びに何でも一つ言うことを聞くぞ」
泣きはらした目で俺を見上げるハルマ。
「そうだな、ああ、一つあるぞ。やって欲しい事と言うか、やらないで欲しい事がある」
「何だ?」
「あの浣腸棒を、今後俺に使わないでくれ」
「それは……」
ハルマが眉間にしわを寄せて、宙を睨む。
そして、断腸の思いで唇を噛み、
「分かった、約束しよう……」
とだけ短く言い、ゆっくりと重々しく頷いた。
(えー?そんな、失意の底に落とされる程の事なの?どんだけ俺に浣腸棒を使いたかったんだよ?こいつ……)
ここで約束させておいて良かった。
将来の俺の肛門の危機を、なんとか回避できたようだ。危ないところだった。
死にかけてみるもんだ。
「ハランさん」
「何でしょうか…」
ハランさんも憔悴した様子だ。
眼の下に隈が出来ている。
「うちの阿保どもがすみませんでした」
「いえ、いいんですよ。でも、正直、あなたが死んだと思いました。
本当に怖かったです……。
初心者を連れた近場の案内で、死人を出したなんて事になったら、私のこの街での、荷物運びの仕事は終わりでした。
良かった。本当に良かった。
生きていてくれてほんとーに、ほんとーに、心の底から良かったです。ありがとう!よく生き返ってくれましたね」
ハランさんの目に涙が浮かんでいる。
「重ね重ね、申し訳ございませんでした…」
危なく人一人の、この街での人生を狂わせてしまうところだった。
「ハランさん。魔獣も仕留めたし、もう帰りましょうか?」
「ええ、それがいいですね。でも、一つ問題があって、あの魔獣です。あれは一人で持つには大きすぎます。かといって、死に戻ったガイさんに手伝ってもらう訳にはいかないし、アスルさんはいつでも剣を振れるようにしておいて欲しいので、魔獣が運べないんです」
「捨てていきますか?」
「それしかありませんね……残念ですが……」
「えっ!魔獣を運ぶんですか?それなら私がお手伝いします」
セシルが声を上げる。
「ああ、セシルさん。それは無理です。あなたの様な方が運べる重さではありませんよ」
とハランさんが首を振る。
「大丈夫です。こっちに来て下さい、ハランさん」
セシルが横たわるドグラ横に立つ。
「見ていて下さいね」
と言いその場にしゃがみ込む。
「あはは、そりゃ無茶だ」
ハランさんが苦笑する。
セシルの全身に、光るクリオネの様な物がたくさん集まってまとわりつく。
「よいしょー!」
ドグラの体が揺らぎ、徐々にセシルの前で浮かび上がって来る。
「ほらー!」
小さなセシルの頭上にドグラの巨体が抱えあげられている。
「ええー⁉」
ハランさんが大口を開けて、顎が外れそうになっている
「ハランさんも出来ますよ!」
セシルが一度ドグラをその場で下ろす。
「今から、女神様の加護をお分けします」
セシルがハランさんの肩に手を触れる。
「おっ!」
ハランさん体が、ビクンとその場で跳ねる。
ただでさえ筋骨逞しいハランさんの体が、服の下で一周り大きくなったように見えた。
「体に力がみなぎる。なんだこれは?今ならなんだってできそうだ……」
ハランさんがドグラの死体の側に行って、無造作にその体を抱える。
「ふんっ!」
掛け声と同時に、ドグラの体が軽々と上がる。
「ねっ、簡単でしょ」
とドヤるセシル。
「ちょっと待てー!」
俺はふらつきながら右手を上げて、立ち上がり、二人の側に行く。
「何ですかガイさん。まだ、立たない方がいいです」
「いや、セシル。お前のその力はなんだ?」
「え?前からやってますよ」
「いや、君が身体強化をある程度使えるのは分かっていた。あと、『ジン』の助けで力の底上げがあるのも知っている。俺が言っているのは、その他人の力を強化する能力の事だ!それって、『バフ』じゃないか⁉」
「『ばふ』って何ですか?」
「私も、ちょっと待ったー!」
英子も右手を上げて、寄ってくる。
「確かに、今のは『バフ』よ!なんで今まで黙ってたのよ!凄いじゃない!セシルちゃん、あなた本当に凄いわ!」
「どういうことですか?」
意味が分からなくて戸惑うセシル。
「つまり、その力があれば、俺達の力が何倍も強化されるって事なんだ。これは凄い可能性だ。セシル、君は間違いなく光魔法の天才だ。君が百年に一度の逸材であることは間違いが無い!」
「ええー、そんな大げさですよー」
と言いながらセシルの顔がにやけて、デレる。
「よっ!セシルちゃん大天才!」
英子もおだてる。
「エイコさんまで、どうしたんですか~?」
と言いながら、両手で頬を押さえて喜ぶセシル。
「どうした?何があった?」
アスルが顔を洗って戻って来た。
ハルマも駆け寄って来て、セシルを見上げる。
「その『バフ』と言うのを俺にもかけてくれ」
「いいですよ」
ハルマの肩にセシルが手を置くと、ハルマの体がビクンと跳ねる。
「おおー!」
急にハルマがそこら中を、凄い速さで走り回る。
まるで野生動物様な動きだ。
短剣を抜いて、茂みに入り、木の枝を一瞬で数本切り飛ばす。
それから、川に飛び込んで、ナイフに大きな魚を突き刺して、戻って来た。
「凄いぞ、セシル!」
と満面の笑顔だ。
「何だ、何だ!俺にも、俺にも!」
アスルがわくわくした様子で足踏みする。
「兄さんも、はい!」
「おおー!これは覚えがある!あの村の小作達二十人と喧嘩した時と同じだ。あの時も、セシルに魔法をかけられてから、体に力が湧いて来たんだ!」
アスルが細剣を抜いて、目にも止まらない速さで振り始める。
本当に剣身が全く見えないほど速く振り抜いている。
「今、何回振ったか見えたか!?」
と俺に訊いてくる。
「五回くらいか?いや正直、全く見えなかった」
「ふっふふふ。聞いて驚くなよ。十回だ!」
「そりゃ凄い。つまり、実戦なら、今の一瞬で、十人の敵を倒したって事か。どこの達人だよ!?」
さすがに呆れた。
「ねえ、私も!」
英子が足をバタバタさせる。
「はい、エイコさん」
セシルが肩に手を置き、英子の体が少し跳ねる。
「どっせい!」
英子が近くの木に拳を打ちつける。
ドゴッ!
鈍い音がして、人の腰ほどの太さの木が揺れる。
「おおー、見た!?この威力!」
「セシル、凄いぞ!」
みんなで拳を突き上げて、セシルを讃えて声を上げる。
「セシル!セシル!セシル!セシル!」
ハランさんまでが、みんなと声を合わせて拳を突き上げている。
「あははー!私ってそんなに凄いですか~?ほんと~ですか~?困りましたね~」
セシルがその場でクルクル回転し、両手を頭上に上げて踊り始めた。
「セシル!セシル!セシル!セシル!」
「セシル!セシル!セシル!セシル!」
「セシル!セシル!セシル!セシル!」
「セシル!セシル!セシル!セシル!」
「セシル!セシル!セシル!セシル!」
「あはは~!やっぱりそうですか~?」
クルクル回転しながら踊るセシルと、それを囲んで拳を突き上げる仲間たち。
俺達の騒ぎに、隣の狩場の狩人達が、何事かと覗きに来た。
茂みの陰から数人の男たちがこちらに注目している。
皆、顔を強張らせて、眉間にしわを寄せている。
「おい、あれは何をしているんだ?魔法の儀式か?何かの宗教団体か?かなりヤバそうな奴らだ。関わっちゃいかん。みんな、ここの狩場は諦めてよそに行こう……」
と言ってひっそりと去って行く。
その声が俺の『遠耳』にだけはしっかりと聞こえていた。