12 異世界に夢はない
四日後の早朝、ねーちゃんは夜明け前に出かけて行った。
串焼き屋のおやじと一緒に、森に行く日だ。
ねーちゃんは、いつも出掛ける時に、俺のおでこにキスをしていく。暗い中で俺はおでこに柔らかい感触を感じて、目を覚ました。寝ぼけた俺の目に小屋を出ていくナコねーちゃんの後姿が見えた。そして、そのまますぐ睡魔に飲まれる。
明るくなって目が覚める。枕もとにおいてある黒パンを、煮豆の汁に浸して食べた。昨日の夕方に、また串焼き屋で買ってきた肉も2本ほどまだあるが、昨日、調子に乗って肉ばかり食べすぎたせいで、朝から胃の具合が悪い。この串焼き肉はまた後で食べることにした。
ねーちゃんが出かけている間、近所をうろついて、一体の霊を見つけることが出来た。それを吸収してエネルギー補給してから河原に戻る。
だんだん霊を見る力がアップしてきて、霊の些細な気配も分かるようになってきた。直接見なくても、自分のいるところから、どれくらいの距離に霊がいるかが、感じられるようになり、いちいち探す手間がいらなくなった。おかげでエネルギー補給が大分楽になった。
ねーちゃんが花を売ったお金のおかげで、これからは当分は、まともな食事を朝晩食べられそうだ。
この世界の食事は、庶民だと朝晩二食が普通らしい。貴族やそこそこ金のある人たちは三食食べるそうだ。
俺も、前世の感覚が抜けなくて、昼頃にお腹がすいてしまい、残しておいた串焼きを全部食べてしまった。一本はねーちゃんに残しておこうかと思ったが、我慢ができなかった。子供の自制心はとても弱い。中身おっさんなので自分が情けなくなった。
まあ、お金はあるからねーちゃんの夕食はまた買いに行けばいいと、自分に言い訳した。
陽が高く上り、傾き始め、夕暮れ時にねーちゃんはやっと帰ってきた。
ねーちゃんの元気な姿を見て俺はほっとした。実は丸一日心配で仕方なかったのだ。
死んでしまってこのまま帰ってこないのではないかと、悪い方向にばかり想像してしまっていた。
晴れ晴れとした笑顔で、ねーちゃんはどかどかと大股でこちらにまっすぐ歩いてきた。
「ねーちゃん、寂しかったよ」
とそれに走り寄り、腰に抱き着いて、顔を押し付ける。
一瞬、『お前、中身おっさんだぞ!事案だぞ!』と白い翼を背中に生やした35歳の小さなおじさんが、頭の横に浮遊して警告するが、俺の中のエルがあふれてきて、止まらなかった。自然と涙がこぼれた。
月日がたつほど、『エル』の感情が、俺の中に侵食してくる。いや、もともとは俺がエルに侵食した物だろう。エルと俺の人格が混ざり合って、今俺は自分が誰なのかも分からなくなりつつある。でも、それも悪くない。俺はかつての俺が嫌いだ。ナコねーちゃんとともに生きる今の俺のほうが、気に入っている。
いっそ、元の俺の人格など、無くなってしまって、すべてエルになってしまえばいい。
かつての俺など、どこかに行ってしまえ。
それで何の不都合もない。
「エルは甘えん坊だね。ほら、お土産があるよ」
と肩のずだ袋を河原に下ろす。
中を覗くと、ウサギくらいの大きさの、皮をむいた首の無い動物の肉が、丸1匹の姿で入っていた。
「これなんの肉?」
と尋ねる。
「ワマウサギよ」
やっぱりうさぎなのか。しかし、『ワマウサギ』のワマは何だろう。あの『ワマ』のことか?
「このウサギは顔がワマと似てるの。ちっちゃな体で大きな口と鋭い牙で、威嚇して噛んでくるんだ。それで、こっちがびっくりしているすきに素早くジャンプして逃げるんだって。足が速いから一度走り出したらなかなか捕まえられないらしいよ」
「これはもらったの?」
「いや、あたしが仕留めた」
と胸を張る。
「え、どうやって?」
「魔法よ。ワマウサギがいきなり噛みに来たから、びっくりしてとっさに火の魔法を思いっきりぶっ放したの。そしたら毛皮ごと丸焦げになって、ゼスの野郎もったいないって怒ってたよ。それからその辺の枯れ木がバンバン燃えだして、あいつ慌てて消してた。あいつの慌てっぷりが面白くて笑ってたら、火の魔法使用禁止になった。だから、仕留められたのはこの1匹だけなんだぁ」
「え、『ゼス』って?」
「ああ、串焼き屋のおっさんの名前。まあ名前なんかどうでもいいけど。ただ『おっさん』じゃ、よそのおっさんと区別がつかないし、名前で呼んだほうがいいんだって。あたしも『ナコ』って呼ばれてうげーって感じ。でもあっちも『クソガキ』呼びじゃ不便らしいしね。
っていうか嫁さんにあたしの名前も知らないで、森に連れてくことを怒られたみたい。あいつ、結婚してたんだね。まあ、あの年じゃ結婚していて当たり前か。でもちゃんと結婚出来て自分の家もあるみたいだから、しっかり稼いでるんだね。あたしもあいつに弟子入りして、串焼き屋になろうかな。自分で焼いて肉食い放題だしね」
子供だけで店をやるのは、難しいだろうが、手伝いからスタートというのはいいかもしれない。給料が安くてもまかないで肉が食べられれば、おつりがくる。
「ゼスの野郎、あたしが火の魔法を使えるのを知って、びっくりしてたよ。魔法は見せるつもりなかったのに、このワマウサギのせいで、あっという間にばれちゃったよ。失敗したなー」
「大丈夫なの?」
「ん-、へいきっしょ。あたしの魔法すごいから。狩りに役立つはずよ。あいつも儲かるから余計な事いいふらさないでしょ。今日は少し失敗したけど、ちゃんと落ち着いてやればバッチリよ」
ねーちゃんは自信満々だ。このポジティブさはすごいと思う。こんな浮浪者のホームレス生活をしていたら、心が折れて卑屈になりそうなものだが、ナコねーちゃんは『卑屈』から最も遠い場所で生きているように見える。
ねーちゃんと一緒にいると、前世がネガティブ陰キャの俺でも自然と心が上を向く。多少空腹でも、いつも楽しい気分でいられる。
前世の俺は35歳まで、ただ何事もなさずただ惰性でうだうだ生きていた。そして何が何だか分からないうちに死んだ。かつての俺なんかこの10代前半と思しき若い女の子の足元にも及ばない。すごい人間というものは、子供のころから人と違うのだなと今更ながら気付かされる。
「ねーちゃん、そんなすごい魔法使えたんだ。僕は、ちょっと火が出せるくらいかと思ってた」
「あたしも、知らなかったよ。あんなでかい火が出せるなんて、今日初めて知った。ちっちゃい頃は魔法演習所で、的に当てたりしたこともあるけど、限界までやったことなんて今までなかったし、普通はそんな大きな火は危ないから出さないよ」
「それで、ねーちゃん……。ねーちゃんに質問してもいいかな?」
「何、改まって。いいよ、なんでも訊いて」
異世界小説愛好家としては、この世界の魔法についてぜひ確認しなければならないことがある。
「ねーちゃんは魔法を使うとき呪文の詠唱とかはしないの?」
「呪文?詠唱?なにそれ?」
「ほら、例えば、『炎の精霊よ、わが身に炎のマナを宿し、その力を顕現せよ、ファイアーボール!』とかなんとか……」
「はあ?なんで、そんな恥ずかしいこと言わなきゃなんないの?それにファ、ファイボーって何?なんの掛け声?変なの……。魔法はただ、ドバっと出すだけよ。ほら、おならするときにぐっと力んで、ぶっと出るでしょ。あれと一緒よ」
「えー……そんなのロマンが無さすぎだよ……」
「……エルはそういうお年頃なのね……。でも、現実はこんなもんよ。で、『ろまん』って何語?」
「魔法を使うために、体内の魔力回路を意識して、循環させる鍛錬とかはするの?」
「魔力の流れなんか分かるわけないじゃない」
「ねーちゃん、幻滅だ。本当に幻滅だよ。異世界転生物の世界観がぶち壊しだよ」
「あんたねー、そんなら、あんたは自分の体の血がどこの血管を流れているか感じられるの?そんなの分からなくても、血は流れてるでしょ。力入れて物を持ち上げる時に、どの筋肉が動いてるとかいちいち考えてる?魔法だってそんなもんよ」
「それは、ねーちゃんが天才だからじゃ……」
「前、知り合いに魔法使いがいたけど、みんなただ魔法を使ううだけよ。ああ、でも筋肉と一緒で、魔法も使えば使うほど強力になるって言ってたわね。あと、使わないでいると衰えて弱くなるって」
「そんな……、この世界では『魔法=筋肉』ってこと?それは、発想が脳筋だよ!脳筋って言うんだよ!」
「この世界もどの世界もないわよ。ほんっとエルは変なことにこだわるわね」
「じゃあ、じゃあさ……」
嫌な予感がして、さらに質問する。
「盾使いと剣士を前衛にして、魔法使いと、癒しの神官と、偵察役の盗賊なんかが後衛になって何人かでパーティー…じゃなくて、チーム…じゃなくて、何て言うんだ、えー、徒党?…を組んで、森の魔獣を討伐したりすることはある?」
「盾使い?盾だけ持つの?それに盗賊ってなに?盗賊は捕まえて殺さなきゃダメでしょ。騎士団でもあるまいし、前衛後衛なんて決まってないわよ。前衛なんかいなくても魔法使いが前に出て、一発魔法をぶっ放せば、それで勝てるでしょ?剣士なんか、前に出られたら、魔法を誤爆するかも知れないから邪魔よ。」
「ええぇ~、そんなー……」
「剣士なんか、魔法使いの敵じゃないわよ。向こうが10人いてもこっちが2,3発魔法ぶちかませば圧勝でしょ。あ、魔法耐性のある、魔法の利かない身体強化のできる、魔剣士は別よ。でも、そんなすごい剣士は、1万人に一人くらいしかいないし、国の軍で指揮官級になっているから、戦争以外で戦うことなんかまずないし、普通は魔法使いが一番強いのよ」
自分の異世界知識がガラガラと音を立てて崩れる音が聞こえた。
しかし、考えてみればねーちゃんの言うとおりだ。
呪文の詠唱がいらないなら、前衛を置いて時間稼ぎする必要もない。例えば、拳銃を持った人間と刀を持った人間が戦うことを想像したら分かりやすいだろう。刀を振り上げている隙に、拳銃の引き金を引くだけで勝負はつく。
魔力が切れるまで大勢で攻めたてれば、剣士も勝てるだろうが、最初に攻める数人はやられる前提になる。そんな特攻精神あふれる死兵と戦うなんて特殊な状況は、まず普通はないだろう。
俺はさらに不安になり、質問を続ける。
「じゃ、じゃぁさ、この街に『冒険者組合』なんかはあったりする?」
「冒険者?探検家のこと?時々、貴族や豪商が人を集めて僻地や遠海に調査に送るあれ?でも、あれは、蛮族や海賊に襲われて全滅することが多いから、食い詰め者の自殺志願者か、一獲千金を狙うばくち打ちがなるものよ。それに、ここ暫く探検隊が募集されたなんて話は聞かないよ」
俺の不安はさらに的中しそうな流れだ。
「いや、『冒険者組合』というのは、国に所属しないで、多国間に支部を置いて、そこに登録した個人に魔獣狩りや、薬草採取とかの仕事の依頼を民間や国から受けて、個人にあっせんする組織なんだ。それで、たくさん難しい依頼をこなすと、冒険者のランク…等級が上がっていって、最上位の冒険者は皆から尊敬されて、国も無視できなくて、王様に謁見できたりするとか、そんな感じなんだけど……。そんな組織って何かある?」
「ふーん、それで、その組織の後ろ盾は何?」
「後ろ盾?」
「うん、そんな武力組織があったら必ずどこかに所属してるでしょ。なんかあった時にその組織のケツ持ちは、誰がするの?国より強い後ろ盾なんか無いし、国に所属する組織が、どうやって他国で活動するの?」
「むぐぐぐうぐぅぅぅ……夢が、異世界で冒険者になるという、夢がぁ……」
正直、ねーちゃんと俺でパーティーを組んで『冒険者』として活動して成り上がるという、定番の展開がワンチャンあるかもと、多少の期待はしていたと思う。
しかし、その思いはすがすがしいほどきっぱりとねーちゃんの言葉によって否定された。
俺が顔をゆがめて身もだえしていると、ねーちゃんがおろおろと慌てだした。
「ああ、エルはまだいろいろ知らないから、想像で考えちゃったんだね。夢を壊すようなこと言ってごめんね。あっ、でも似たような組織なら、あるよ。傭兵団なら国に関係なくお金で動くから、国をまたいだ組織と言えるかもね。でも、あれも基本、属国や属州の武闘派の部族が戦争のときにお金で動くものだから、個人が自由に参加するものではないし、敵対国の仕事は受けないから、完全に自由な組織ではないわね……」
「それじゃ、最後に一つだけ確認させてよ。貴族や優秀な平民が一緒に勉強できる『学園』はある?」
「ないよ」
「ぐはっ!」
俺は心で血を吐いた。
「学園というか、王都にはたくさん私塾があるから、勉強したい目的に応じていく私塾を選ぶ感じね。平民や奴隷でも、優秀なら使用者の許可と庇護で、私塾で勉強できるわよ。上位貴族の子弟はみんな、家庭教師に個人授業を受けるから、学校なんか行かないよ。学校に行くのはお金のない人よ」
「そ、そんなぁ……」
「ああ、でも、帝国には大規模な貴族の学校があるって聞いたことがある」
「帝国って?」
「東の大帝国、『ファルサス帝国』よ。この国も元々あそこから分かれた国だし、一時は戦争して仲が悪かったみたいだけど、ここ100年ほどは仲良くしてるね。うちの国からもあそこに留学する貴族がたくさんいるみたい。子供だけじゃなくて、中年のおっさんも勉強に行くくらい凄いところなんだって」
うむ、ということは、最低限学園青春展開は維持されたか。良かった良かった。希望の火はまだ消えていなかった。
「あと、国の学校と言ったら、『騎士団予備校』があるね。騎士爵を取る為の学校で、誰でも入れる学校じゃないけど。騎士養成の本科と士官養成の士官科があって、本科は2年、士官科は3年だったかな?士官科に入れるのは貴族だけだけど、優秀な平民は本科から士官科に転科できる制度もあるらしいよ」
「魔法学校はある?」
「あるよ」
「やったー!よかったー!」
と俺はその場でジャンプした。
「魔法というか『魔導院』ね。『幼年魔導院』と『高等魔導院』とあって、そこで国の戦力になる人材を英才教育するの。入学は国の選考があって、合格したら学費も住まいも無料でお給料まで出るよ。ここには入れたら、一生安泰って言われてる。」
「魔導?魔法と違うの?」
「うん、みんな魔法魔法って言ってるけど、いろいろあるんだって。『魔法』と『魔術』と『魔導』は目的や言葉の使い方で意味が変わってくるんだってさ。あたしもよく分かんないけど、偉い人のことは『魔導師』っていうし、幼年魔導院を出た人は『魔法士』、高等魔導院を出た人は『魔法師』って呼ばれるらしい。で、もろもろひっくるめて、みんな『魔法使い』って呼んでる。やってることは一緒なのに立場で呼び方が変わるなんて変だよね。偉い人がえばりたくて呼び方変えるのかもね」
「それなら、魔剣士はどこで勉強するの?」
「ん、知らない。両方行くのかも。でも1万人に一人だから、何でもありでしょ。特別扱いだから学校は行かないかも」
「それにしても……ねーちゃんっていろいろ詳しいね。なんでそんなにいろいろ知ってるの?」
「あたしはこれでも、そこそこの教育を受けてたのよ。私塾に行けるくらいはね。魔法の才能があるって分かって『幼年魔導院』にも行けるはずだったの。でも、あいつらのせいで全部だめになった。あいつらはだけは絶対に許さない……」
ねーちゃんの眉間に深いしわが刻まれる。歯を食いしばって憎々し気に宙を睨む。
その様子にそれ以上質問ができなくなった。
ねーちゃんは一度大きく息を吸い込み、吐き出して、自分で自分の両ほほを平
手でぱちぱち叩き、笑顔で俺に向き直る。
「あ、そうそう、ゼスからまだいいものもらったんだ。ほら、これ」
と、嬉しそうに手のひらに収まるくらいの小さな小袋を目の前に差し出す。
中には不揃いの白い細かい粒が入っていた。
「これ塩だよ。胡椒もくれって言ったけど、そっちはケチでくれなかった。これで、肉焼いて晩飯にしよ。もうお腹すいたよね。ゼスに教わって、食べられる香草を森でむしってきたから、一緒に食べよう。おなかの調子が良くなるんだってさ」
言われて急に腹がすいてきた。
ワマウサギは、子供二人で食べるには、、かなりの量がある。良く焼いて塩をすれば二日くらいは持ちそうだ。食生活が好転して、ここ数日ねーちゃんに笑顔が増えてきた。
これからだんだん運が開けて、ずっといいことが続いていくような気がした。
この時までは……




