100 不可思議な人々からの逃走
目が覚める。
上から英子が見下ろしている。
「ほらしっかり、眼を覚まして!このまま寝たら死ぬわよ!」
両頬を何度も往復びんたされている。
「おい、やめろ。ちゃんと起きたぞ。怪我人に雑だぞ」
だが体に力が入らない。
俺は英子に上半身を抱えられていた。
目線を巡らす。
俺の腹の傷は塞がっていた。
腕も両腕がしっかりくっついている。
だが、辺りが血の海だ。
隊長とヨーデイの血だけでなく、俺の血も大量に撒かれていた。
「あの怪我をよく治したな。俺の内臓をどうやってくっつけた?」
「くっつけるも何も、下に落ちてるのを全部拾って、中に押し込んで、治癒魔法をかけただけよ。上手く治って良かったわ」
「おい、それ大丈夫なのか?中で適当にくっついて無いだろうな?」
「生き返ったから、大丈夫だったって事でしょ?」
「生き返った?」
「ええ、心臓が止まって、顔が白くなっていた。もう手遅れかと思ったわ」
「そうか。さすがに今回はヤバかったな。強敵だった」
こちらに走って来る何人かの足音がする。
「大丈夫か!?」
服がぼろぼろで血まみれのアスルが両手に剣を持って、駆け寄って来る。
アスルが持っているのは俺がやった剣じゃない。相手の騎士達の持っていた剣だ。奪ったのか。
アスルの後ろからセシル、マーサ、無精ひげのエドルが続いて走ってきた。
「敵は?」
「全部倒した」
「十人くらい居ただろ?」
「ああ、エイコさんの治癒魔法と、セシルの光の盾で守られて何とかな。俺はこれでも、そこそこ強いんだ。それでも結構切られたな」
「ぼろぼろじゃないか。せっかく新しく買った服が二日と持たなかったな」
「次の町でまた買うさ。お前も大丈夫なのか?」
「わからん。体に力が入らないんだ」
「ガイさん、こんなに切られて、血だらけじゃないですか」
セシルが泣きそうな顔で俺を見る。
「うん、ちょっと死んでたみたいだ。で、他の連中はどうした?」
「ああ、みんな無事だ。女と子供達は箱車で待たせている。ヨグも箱車だ」
「死んでたってどういうことですか?」
セシルがさらに泣きそうになる。
「今生きてるから、問題ない」
「あなた、あの『元気になる薬』はまだあるの?」
エイコが俺の顔を覗き込む。
「あれは一週間に一本と言われている」
「そんなこと言っている場合じゃ無いでしょ!持っているなら出しなさい!」
俺は右手を上げて、ヒューリン棚に手を入れる。
中をまさぐって、適当にそれらしい瓶を掴んで手を抜いた。
キラキラとラメの混じった黄土色の気色悪い色をした、健康に悪そうな色の薬の瓶が俺の手にあった。
(あれ?今、棚の中で誰かにこの薬を手渡されたような感触があったが、気のせいかな?)
「貸して」
薬を英子が俺から取り上げて、蓋を外して俺の口に少しずつ注ぎ込む。
胃が熱くなってくる。
胃から熱が全身に広がって来る。
体の隅々に力の行きわたる感覚がある。
本当に即効性のある薬だ。
しかし、頭が破裂しそうに痛む。少し我慢をしていたら、その痛みはじきに収まってきた。
辺りに、隊長とヨーデイの霊は見当たらない。
俺が気絶している間に、黒衣の老人が吸収したのだろう。
そのおかげで、ギリギリ命が繋がったのかもしれない。
エイコの治癒魔法がいくら凄くても、自力で生きられない人間を復活させることは出来ないだろう。
英子に肩を借りて、ふらつきながら立ち上がる。
その時、廊下の向うから声がした。
「お父様!もう部屋を出ても大丈夫なのですか⁉」
女が二人こちらに歩いてくる。
一人は、赤ドレスのセージュと言う名の、代官の娘。
もう一人はその母親らしき年配の女性だ。
この母親らしき女性も、派手な黄色の原色ドレスを着ている。
「お父様‼」
「あなた‼」
セージュとその母らしき女がヨーデイの亡骸に駆け寄る。
「ああ!なんてこと!」
二人はヨーデイの亡骸にしがみつく。ドレスが血で汚れるに任せて、動かないヨーデイを揺さぶる。
ひとしきり泣いてから、セージュがこちらに向き直る。
「あなた達がこんなことをしたの!?この人で無し‼悪魔‼」
立ち上がり、罵って来る。
俺達はそれに何も言わず無言でいた。
「こんな、酷いことをして、あなた達に、良心と言うものは無いの!?所詮、邪教徒は邪教徒ね‼」
セージュの罵詈雑言がいつまでもやまないので仕方なく俺が口を開いた。
「よく言う。ここの離れにはさらわれた人たちが捕まっていたんだぞ。俺は俺の仲間を助けに来ただけだ。それに先に仕掛けてきたのは、この代官だ。大人しく俺たちを行かせれば、こいつも死ななくて済んだんだ」
「お父様は罪深い邪教徒に救いの道を示してあげただけじゃない!お父様ほど信仰に厚い、慈悲深い人間は居ないわ‼その救いの道を拒否する愚か者には、強引なやり方でやるしかないじゃない。それが本人の為なんだから‼」
「それ、本気で言っているのか?凄いな」
呆れて、反論する気にもならない。
何を言っても話がかみ合う事はないのだろう。
「マーサ!あなたもよくもこんな恩をあだで返す真似が出来たわね‼」
「恩?私がいつあなた達から恩を受けたんですか?虐げられた記憶はあっても、優しくされた記憶などかけらもありません」
とマーサが唇を震わせながら憤然と言い返す。
「これだから、愚かな邪教徒とは話が出来ないのよ。私が、楽しんであなたを叩いていたと思っているの?あなたとは年も近いし仲良くしたいと思っていた。でも、あなたはいつまでたっても邪教の考え方から改心しないじゃない。だから心を鬼にして、厳しくしていたのよ。いつか、分かってくれると思って、目をかけた私がばかだったわ!」
「セージュ、おやめなさい。あなたの優しさは、邪教徒たちには通じないのです。だから言ったではないですか。マーサを改心させるのは無理だと」
セージュの母が立ち上がり、セージュの肩を抱いて寄り添う。
セージュは泣き崩れて母の胸に顔を埋める。
「あなたのお父様は正しい事をして異教の地で殉教したのです。今は天国から私たちを見ているでしょう。私たちも悲しんでいてはいけません。胸を張って、あの方を讃えましょう」
セージュ母が娘を抱きしめて、目線を屋敷の天井に向ける。
灰髪アスルが戸惑って小声で俺に声をかける。
「なあ、これいつまで聞いてるんだ?バカバカしくて付き合ってられないぞ」
「うん、そうだな」
俺は首を落とした、隊長の体を服をまさぐる。
あった。認識疎外の魔術具が体の側に落ちていた。
帝国製の高級品だ。あとで術式を解析して参考にしよう。
自分のファルカタ二刀を拾い、腰に佩く。
「行こうか」
俺は真っすぐ歩けないので、英子に肩を借りていた。
英子の反対側からセシルが肩を貸してくれる。
その場を離れようとして俺達に、後ろからセージュ母が声をかける。
「待ちなさい。ここで今、私たちも殺しなさい」
俺は振り向いて、セージュ母と目を合わせる。
真剣な表情で真っすぐ射貫くように俺の目を見ている。
「なぜだ?そんなに死にたいのか?」
「死ぬのではありません。天の国に復活するのです。そしてまた家族三人で幸せに暮らします」
「死たきゃ勝手に自分で死ね」
「私達スーラ真正教信徒は自害が許されていません。そして邪教徒に殺された信徒は無条件に天の国に生まれ変われるのです」
「そんなの知るか。お前らの都合をこっちに押し付けるな」
「どこまで邪悪なのですか?いくら悪魔のような邪教徒でも、自分の家族に愛情は有るでしょう。それなら、私達家族の間の愛情も、少しは理解できるのではないですか?敬虔なスーラ真正教信徒の最後の望みもかなえてくれないのですか?」
セージュ母は毅然とした表情を崩さずに言う。
「それなら聞くが、お前達は今まで、捕らえて売り払った人々に家族がいると考えた事はないのか?その売られていく人たちの頼みを、お前達が聞いてやったことは一度でもあったのか?」
「その必要ありません。それが彼らの為なのです」
自信満々で胸を張るセージュ母。どこまでも平行線だ。これ以上言う言葉はない。
彼女の言い分に腹が立つというより、その毅然とした態度に背筋が寒くなった。
「なあ」
またアスルが口を挟む。
「こいつの言う通り、この女どもはここで殺っといたほうがいいんじゃないか?生かしたら、後々因縁になるぞ」
「マーサはどう思う。お前が殺したいなら殺すぞ」
俺はマーサの意向にゆだねる事にした。
セージュが怯えた目でマーサを見つめる。
(この子は死ぬ覚悟が出来てないな)
マーサが首を左右に振る。
「恨みは有りますが、殺したいとまでは思いません」
セージュの表情に安心の色が宿る。
セージュ母は悔しそうに歯を食い縛っている。
「そうか。良かった。俺も非戦闘員の、しかも女を殺すのは勘弁だな。そこに落ちている皮鞄に証拠書類が入ってるみたいだ。それを忘れずに持って行け」
俺の言葉でエドルが鞄の中の書類に目を走らせる。
「これです。間違いありません。これでこのオレク子爵家は救われます!」
鞄を大事そうに胸にかき抱くエドル。
「よし行くか」
二人のスーラ真正教信徒をその場に残して俺たちはその場を後にする。
セージュ母の嗚咽が背後から聞こえて来る。
俺は英子にも声をかけて、髪色変化の魔術具を作動させる。二人とも頭を元のくすんだ赤い髪色に戻しておいた。
庭の箱車に行くと、御者席のハルマがふて腐れていた。
「遅いぞ。俺に雑用をやらせて、自分だけ活躍しやがって」
鳥で戦線を離脱させたことを根に持っている。
「ああ、悪いな。ちょっと死んでた。生き返るのに時間がかかった」
「そういう冗談はいらない。ん?黒髪はやめたのか?あっちの方が強そうで良かったぞ」
「冗談じゃないんだがな…。それと、俺は黒髪が嫌いだ」
とにかく全員で箱車に乗り込み、街の出口に箱マ荷車を走らせる。
街を出て商隊の護衛達と合流するまで安心できない。
かろうじて生き返ったが、俺は衰弱していて、戦う力は残っていない。
見ると、アスルとヨグにエドルも相当無理をしたようで、箱車に乗り込むと同時に、全員中で倒れ込んでいた。
孤児ハルマが箱車を走らせる。
英子も俺の蘇生にかなりの力を使ったようで、ぐったりしている。
完全魔力回復薬はまだ残っているが、魔力回廊自体が過労状態で、魔法の発動が難しくなっているそうだ。
元気なのは孤児ハルマとセシルだけだ。
セシルは光の盾だけに力を使っていたため、魔力回廊の疲弊を防げたという。
それだけ人体を修復する治癒魔法は負担が大きいと英子が説明する。
盗賊戦で疲弊した魔力回廊を、中二日で酷使するのはかなり無理があったようだ。
俺はヒューリン棚からまた『元気が出る薬』を取り出した。それを英子やアスル達に渡しておく。
「いざとなったらこれを飲め。ただし、短期間に何度も飲んで、体に何が起こるか分からない。これだけ良く効く薬だ。酷い副作用が有るかもしれないから、最後の手段だ。俺が二本目を飲んだのは、俺の体質が特別だからだ。一般人が俺の真似をしたら死ぬぞ」
「これを飲まずに済むといいな」
手の薬を見つめてヨグがため息をつく。
「おい、今フラグがたったぞ。余計な事を言うな」
「へ?何が立つって?」
「フラグ…つまり、旗だ」
「なんで旗が立つんだ?誰が何処になんの旗を立てるんだ?」
「とにかく余計な事は言うな」
「はー、何を言っているのか分からないが、分かった」
「この子ちょっとおかしいから、無視していいわよ、死にかけて変になってるの」
英子が扇子を開いて、自分を扇いでいる。
箱車の前の方では三人の美女と四人の子供たちが身を寄せ合って、不安な面持ちで俯いていた。とても助け出された事を喜んでいるようには見えない。
まだ、助かった保証は無い。
彼女らにしてみたら、俺達一行も得体のしれない恐ろしい人間に見えるだろう。
エドルも今まで自分たちを監禁していた連中の仲間だった人間だ。
普段なら何か機嫌を取る様な話をするのだが、今は疲労が酷くて、こっちもそれどころではない。箱車の中で重苦しい沈黙が淀む。
昼間の街中は人通りが多くてあまりスピードが出せない。
それでも三十分ほどで街の出口に到着した。
街の出入りに特別なチェックは無い。何事もなく箱車は出入り口の扉をくぐる。
今のところ追手は居ない。
(このまま済んでくれよ)
祈る様な気持ちで居るが、そううまくいくとは思えない。
何故なら、俺の異世界ライフはいつもハードモードだからだ。
箱車は街から離れて、しばし走る。
西の属領への道は交通が少ないらしい。道が空いているので、箱車は軽快に走る。
俺は目を閉じて、ぺーちゃんを飛ばす。
上空高く上がって、オレク領都の方を眺める。
街の外れからの少し離れた方角に土煙が見える。
大勢の人が移動してる。その速度も速い。多分騎乗している一軍だ。
その土煙は街道を西の属領に向けて進んできていた。
(拙いな)
追手が掛かった事を今言うと、拉致されていた女子共が不安になると思って、俺は黙っていた。
箱車がゆっくりと停止する。
「商隊だ」
御者席の小窓から孤児ハルマが言う。
箱車の後ろが開いて、年配で白髪交じりの護衛の男が乗り込んできた。
「無事か?良く逃げられたな。ああ、ヨグもアスルも全員揃っているな。んん?何だ?随分人数が増えてるな」
「ゆっくり話している暇は無いぞ。こっちに来い」
俺は年配の護衛のおっさんを呼んで、耳元に小声で話す。
「追手が掛かっている。騎乗した騎士で、五十騎は下らない。戦ったら勝てない。俺たちはもう限界だ。急いで逃げるんだ」
「追手だと?相手は騎兵か?それなら、こんな、マ荷車じゃ、逃げきれないぞ。追い付かれるのは時間の問題だ」
「そうだろうな。だが、ここから先は道幅が狭くなるって話だったよな。狭い道を箱車で塞いで、追手を追い越させないようにさせて、なんとか西の属領の境界線まで逃げるんだ。あと、こっちにはセシルがいる。彼女は光の盾を使えるようになった。後ろからの攻撃は彼女の盾で防げる」
「やるしか無いんだろうな。おい、そこの三人の女と子供達、この箱車を降りて、前の車に移れ。ヨグもだ。こっちのはしんがりになるから危険だ。それで前の護衛五人をここに移す。あと、そこの女中と男はどうする?」
「私は、こっちの箱車に残ります。エドルは前に行きなさい」
「いいえ、マーサお嬢様。私も当事者です。私だけ仲間外れは無しですよ」
エドルがマーサにウインクをする。
「もう、仕方ないわね」
と嬉しそうなマーサ。
だが俺は、『この世界にウインクあるんだな』と、そっちが気になっていた。
後ろの箱車の最後尾で五人の護衛たちが弓矢を持って詰める。その後ろにセシル。最前部には、疲弊した俺と英子にアスルが転がり、非戦闘員のマーサとエドルも俺たちの側で壁に背を預けていた。
俺達の箱マ荷車が山中の道を走るが、上り坂にさしかかり、そんなに速度が出せていないようだった。
ぺーちゃんを上空に飛ばす。
(そのまま箱車の上空で待機するんだ)
簡単なコマンドを入れて見る。
時々、目を閉じて上空の目で追手の状況を確認する。
土煙がだんだん大きくなって接近してくる。
「あと五分だな」
俺がポツリとつぶやくと箱車の中に緊迫感が漂った。
護衛の内三人が膝立ちになり、後方の小窓を開けて外を見る。皆、手に弓矢を構えている。
集団が騎乗で疾走する音が、徐々に近付いて来る。
「来たぞ」
箱車の後扉に、矢の突き立つ乾いた音がした。




