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9 スラムのおばちゃんにエクソシストする。

このところ体調がいい。


ので、今日は朝からナコねーちゃんに連れられて、スラムのゴミ捨て場に行くことにした。


朝のうちは変な連中も寝ていて、比較的安全らしい。やはり、ろくでなしどもは早起きが苦手なのだろう。


ランス川を下流方向に下がった王都側の川辺に湿地があり、そのぬかるみの間に平坦な陸地が島のようにいくつも浮かんでいる。この湿気の多い土地の比較的ましな場所に、貧しい者や流人が集まり、スラムを形成しているという。


王都側と言っても、街とスラムがくっついているわけではない。スラムと王都の間には高い崖があり、ゴミはその崖の上から、スラムに向けて投げ落とされる。


ゴミ捨て場というと、かつて報道されたフィリピンのスモーキーマウンテンのような生活ごみの積みあがったものを想像していたが、実際に見るとまるで違った。


ゴミのほとんどは土砂や砕けたレンガ、石材、木片などだ。この世界の建築工事で出た廃材だ。スラムの家々はこのガレキを利用して造られている。家を作る資材の買えない流民にはちょうど良い。


スラムの中には島と島をつなぐ道もある。これも廃材ガレキを利用して湿地を埋め立てたものだ。だんだん湿地の部分が少なくなって、島と島の間も平坦にならされつつある。


スラムの人々が努力して住環境を整えるのはいいが、しょせんは不法占拠なので、あまり住みやすくすると国に横取りされて、スラム住人が追い出されてしまうのではないかな、と余計な心配をした。


スラムの中にはいくつかのマフィア組織があって、時々は抗争もあるという。マフィアの存在が目障りになれば、王都側からの実力行使もあるだろう。


スラムを離れて水路の河原に住む、ナコねーちゃんの判断は意外に慧眼だったのかもしれない。


埋め立てられた道を通って、ゴミ山の際まで行く。ゴミ山は崖の斜面にへばりつくようにそそり立っている。


時々、崖上からゴミ山のてっぺんにガレキが落ちてくる。


ガレキのてっぺんでゴミあさりをしていて、石が直撃して死んだ人もいるという。


俺とねーちゃんはゴミ山を中ほどまで登った、緩い斜面でゴミあさりをした。


よく見るとガレキの合間に生活ごみも混ざっていて、割れた陶器片や破れた麻袋のようなものが見える。


「駄目ね、ろくなもんがない。エルはここで待ってて。上のほうも見てくる」


とねーちゃんは身軽にがれきの山を登って行った。


少ししてねーちゃんが戻ってくる。手に50cmくらいの太いロープの切れ端を持っている。


「いいの見つけた。この縄しっかりしてる」


と嬉しそうだ。


「これは売れないけど、小屋の補強に使える。ほぐして細い紐にしてつなげればしっかりした長い紐ができる。こんないい紐はこの辺で見たことないよ」


と肩にぶら下げたずだ袋にしまう。


「今日は大したものがないね。腹減ったから貝でも取りに行く?」


と手を引かれてスラムを後にする。


一件のガレキの家の横を通ると、その家の前に、痩せたおばさんが居て、丸太の椅子に腰かけていた。生地の断片をつなぎ合わせたパッチワーク風の服を着ている。色柄がバラバラなので前衛ファッションに見える。がれきの布の断片をつないで服にした物だろう。


おばさんは眉間にしわを寄せて疲れた顔をしている。痩せて栄養状態が悪そうなので、初老に見えるが、肌の張りからして、見た目より意外に若いのかもしれない。


俺は立ち止まって、おばさんを注視する。


「ん?どうしたの?」


ねーちゃんも立ち止まる。


俺はおばさんから目を離せなかった。おばさんの全身に霊が取りついている。


いつも見る霊たちはうすぼんやりした、霧のような白っぽい色をしているが、おばさんに取りついた霊は禍々しく黒ずんでいた。そして、霊は一体でなく、3体いた。右足に小さな男の子の霊がしがみついている。腰には10歳くらいの女の子の霊、首にはおばさんより背の高い成人男性の霊だ。


おばさんの顔色が悪い。霊たちが彼女に悪い影響を与えていることは間違いがないようだった。


不機嫌そうな顔をしたおばさんは俺の視線に気づくと、弱弱しく微笑んで手招きした。


俺はねーちゃんの手を引いておばさんに歩み寄る。


ねーちゃんは戸惑ったように、それでも俺についてくる。


「ああ、お前さんたち、何かいいものは見つかったかい。ああ、別に横取りしようとかそんなんじゃないからね。ちょっと待ってな」


とおばさんは丸木の椅子から腰を上げて自分の小屋に入って行った。


すぐに戻ってき手に小さな包みを持って来た。


「どうせ、腹ペコなんだろ。ほら、これでも食べな。あたしはもういらないから。あんたらで分けて食べるといいよ」


と包みを差し出す。


俺は包みを受け取る。中には硬くずっしりと重い黒パンが一つ入っていた。子供二人が一食を食べるには十分な大きさと量だ。


「おばさんは食べないの?」


と聞くと彼女はまなじりを下げて小さく笑った。


「食べられないんだよ。胸がむかついて食べても戻しちまう。あたしはもう長くないんだ。最後の食べ物を誰かにあげたくてここで通行人を眺めてたんだよ。あたしが死ねばその辺の連中が勝手に漁って、持ってくのは分かってるからね。どうせなら小さな子供にあげたいと思って待っていたんだ」


「おばさんに家族はいないの?」


「ああ、居ない。だからあたしが死んで悲しむ人間もいない。昔は旦那も子供もいたけどね。みんな殺されちまった。生きていてもいいこともないし、あたしも早く家族のところに行きたいよ。天国があるかないか知らないけど、ここよりはましな場所に行けるといいねぇ…」


と彼女は遠い目をして空を見上げた。


改めて彼女に取りついた霊を見る。どの霊も必死の形相でおばさんにしがみついている。


多分、殺されたという彼女の家族達だ。


死に方がひどかったせいで、悪霊化して迷っているようだ。


悪霊化した彼女の家族は、訳も分からず悪意無く彼女にすがりついているのだろう。


おばさんの不調の原因の一端がこの霊たちにあるように思えた。


おばさんが丸木の椅子に腰を下ろす。


「ほら、早く行きな。誰かに見つかると横取りされるよ」


と言って素っ気なく視線を外す。


「おばさん」


と声をかける。


もうこちらに興味をなくしたように、おばさんは無視して答えない。


俺は背伸びしておばさんの首に手を伸ばす。


「エル、何を…」


と後ろのねーちゃんが戸惑った声を出す。


「すぐ済むからちょっと待っててね」


とそれに振り向いて笑顔でうなずいてから、おばさんに向き直る。


おばさんがこちらを見る。


俺の手がおばさんの首に回された男の腕に触れる。


今まで感じたことのないような大きな力が手のひらから流れ込んでくる。


一瞬、めまいを感じる。


パリパリパリと大きな輝きとともに黒い霊体が霧散した。次に腰の女の子に、そして膝の男の子に同じようにする。そのたびに大きな光がはじける。


3体の霊を吸収して俺はふらついて後ろに2歩下がって倒れそうになる。後ろからねーちゃんが俺の体を支えてくれた。


「ああっ!?」


とおばさんが声を上げる。


霧散したように見えた3体の彼女の家族が白く輝く霊体になって、彼女の前に立っていた。


「ああっ、あんたたち!マルコ、リサ、ダンもっ!会いに来てくれたのかい!迎えに来てくれたんだね!」


と立ち上がる。


3体の霊は皆首を横に振ってから、彼女の体に手を触れる。


「温かい…、あんたたちの体温を感じる…まるで生きてるみたいだ…」


霊体の家族たちの周りで光の渦が現れ、徐々に大きくなる。3人の光の霊は笑顔で光の渦と重なり、徐々に小さくなり消えていった。


恍惚とした表情で呆然とするおばさん。


俺はおばさんに手に黒パンの包みを返す。


「これは、おばさんが食べて元気になって下さい」


と言い、ねーちゃんの手を引いてきびすを返す。


「えっ、何を?あっ、体の痛みが消えてる。どうしたことだい。何がどうなってるんだい!」


とうろたえるおばさんの声を背中に聞きながら足早にその場を離れる。


おばさんが正気に戻って色々聞かれると面倒だ。


ナコねーちゃんが複雑な表情でこちらを見る。


「今のは何?あの白い光は何?あんたがあれをやったの?」


うえー、これはまいった。霊が見えたのはおばさん本人だけみたいだけど、光はねーちゃんにも可視化されていたのか。なんて説明しよう。


「んー、まあそのー、えー、あれは、後で説明するよ」


と、頭の中で言い訳を考える。異世界転霊の話はいくら何でも言えない。霊が見えるというのもインチキ霊媒師みたいでいやだし、どうしたものか。病気で死にかけてから、天啓を受けて人の呪いが払えるようになったとか、そんな感じかな。霊はアウトで呪いはセーフではないだろうか。と、根拠なく思った。


とりあえず、ねーちゃんには口止めしておけば、これ以上話が広まることも無いだろうし。うまくごまかせるだろう。うん、そうだ、そうだ、そうしよう。これで一件落着だね。


……と……、そう思っていた時期が私にもありました。


これが、あんな大事になるとは、この時は一かけらも考えもしませんでした。

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