ウカトフカ
ここ最近の日本では、人が突如、蝉や蝶など別の生き物に姿を変える現象が相次いで起きている。
当初は社会も混乱したが、そのタイミングをある程度自身で決定できることもあり、徐々に日本人の新たな特性として受け入れられるようになっていった。
肉体を脱ぎ捨てるような変化の様子から、その現象は『羽化』と呼ばれている。
―――
「僕ね、羽化することにしたんだ」
昼中と夕暮れの合間の時間、空いっぱいにあやふやな色が広がる中で、彼はぽつりとそんなことを言い出した。
「……そうなんだ。卒業式も終わったし、羽化する子、多くなってきたね」
「そうなの?僕、キミ以外にクラスの子で仲良い子いなかったから、知らなかった」
照れくさそうに言う彼の綺麗な額を、これが見納めなのかと思うと、少しもったいなく感じる。
確かに、彼はクラスでは少し浮いた人だった。家の事情で、部活や委員会に入っていなかったり、文化祭にも出なかったりしていたことも大きいだろう。
決して嫌われているわけではないけれど、人と距離ができるには十分だった。
そんな彼と、どうやって仲良くなったのかは忘れてしまった。
「でも、そうか。羽化するんだね。寂しくなるな」
「それは、ごめん。でも……決めたんだ」
彼はそう言って、空を見上げた。少し話している間に、空はすっかり夕暮れで赤く染まっている。
強い陽の光を反射して、彼の目がキラキラと輝いて見える。
「これ以上のタイミングは無いって思った……キミに見てもらいながら、羽化したいんだ」
ぴしぴし、とかすかな音が鳴り始める。『羽化』の始まりの合図だ。
本人が『羽化』を決めると、その意志に呼応するように、骨が、皮が、裂け始める。
羽化が終わるまでの数十秒は、脳や神経も作り替わっている影響なのか、痛みはない。
耳も聞こえなくなり、静かに静かに、変化を噛み締めることになる。
ああ、確かにこんな綺麗な夕陽を見ながら、静かな世界の中で羽化をするのは、気持ちが良いだろう。
いよいよ背中全体が開き切るという時に、彼がこちらを向いて微笑む。
「ありがとう。キミのこと、すごく、大好きだよ。形が変わっても……ずっと一緒にいるから」
口が動き終わると同時に、彼の身体が崩れていく。
そして入れ替わるようにに、美しい瞳を持った蜻蛉が、透き通った羽を広げて宙に浮いていた。
もう言葉は交わせない。人間の時とは機能がまるで変ってしまっているから仕方のないことだ。
「ああ……綺麗」
蜻蛉はそっと私の左肩に止まり、しばらくするとまた宙へと浮かぶ。
そうして、少しずつ暗くなっていく空へふわりと――
「そんなこと、させるわけないじゃないか」
蜻蛉になった彼が異常に気付いたのか、その大きな瞳をこちらに向けた。
しかし、いささか遅すぎただろう。
――『羽化』という言葉選びには、疑問を呈する声もある。
人間が変化する生き物には、蝉や蝶など、『羽がある』という共通点があったために『羽化』という言葉が使われている。
しかし中には、蝉や蝶などとは違う、『翼がある』生き物になることもある。
なので、その場合は
『羽化』ではなく『孵化』というべきなのではないかと。
彼の皮と制服が落ちているその横に、同じように自分の皮と制服が落ちていく。
彼だった蜻蛉の大きな瞳に映り込んだ自分の姿は、色鮮やかな翡翠色の羽毛と、朱色のくちばしが特徴的な鳥……翡翠になっていた。
それを認識した後すぐに、くちばしを大きく開く。
ジジジジジジッと、口の中で嘴に羽が当たる振動が骨を通して伝わってくる。
それも束の間、嚥下してしまえば、あっという間に何も感じなくなった。
彼は、自分に何が起きたのかも、分からなかっただろう。
ほくそ笑もうとしたけれど、もう頬も唇もないことを思い出した。
『羽化』をした人間は原則、『準死亡』として扱われ、あらゆる権利を失う一方で、あらゆる義務も課せられなくなる。
彼もそのことは知っていたからこそ、『羽化』という手段でもって、自由を得ようとしたのだろう。
家のことからも、自分の身体からも自由になれるようにと。
よく一緒に過ごしたこの屋上に呼び出された時点で、予感はあった。
それでも、「一緒にいよう」と言ってくれると信じていた。
なのに彼は、「ごめん」と言った。
目の前が真っ赤になったのは、夕陽だけが原因ではないだろう。
だから、彼の後を追うように、私も『孵化』を始めた。
彼を決して逃がさないために。
『孵化』が終わり、彼と一緒になり、そうしてようやく身体が変化に馴染んできたようで、世界に音が戻ってくる。
(……これからは、ずっと一緒で生きていくんだ。なんて幸せで、なんて嬉しいことだ)
私の新たな生を、彼との祝福するような、今日の夜空の美しさは、きっと一生忘れられないだろう。
恋愛もののSSが書きたくなったので、書きました。(Twitter・Pixivに載せた物を少し手直ししています)
人間が別の生き物に変わる、SF(少し不思議)な世界です。
1人は少年ですが、もう1人の性別は決めないで書きましたので、自由に読んでいただければと思います。
少年の最期の言葉は、届きませんでした。




