十年後のハロウィーン
夕暮れ時、バイクが猛スピードで駆け抜けていく。
運転しているのは、園山一樹。
歳は二十代半ばほどの若い男。
一樹には十歳年下の妹、二葉がいる。
二葉は生まれつき体が弱く、病院に入退院を繰り返している。
ところが今日、二葉が入院している病院から一樹に急な連絡が入った。
「妹さんの容態が急変しました。病院までお越しください。」
一樹と二葉の両親は十年前に事故で亡くなっている。
だから兄の一樹が側にいてやらなければ、妹の二葉は一人っきりになってしまう。
そうして兄の一樹は、妹の二葉が入院している病院まで、急ぎ向かっていた。
少しでも早く病院に辿り着こうと、一樹はバイクを飛ばしていた。
しかし今日は十月末のハロウィーン。
町には魔女や怪物の仮装をした人がたくさん訪れていて、
仮装行列の一部は車道にまで溢れていた。
その影響で車の流れが悪くなり、一樹は渋滞の澱みにはまっていた。
「くそっ、また赤信号か。急いでるってのに!」
交差点の赤信号に行く手を阻まれて、一樹はバイクを止めた。
目の前をハロウィーンの仮装行列がゆっくりと横切っていく。
「妹が危ないっていうのに、ハロウィーンなんて縁起でもない。」
一樹は赤信号が変わるのをジリジリと待っていた。
仮装行列が通り過ぎ、次は車やバイクが交差点を通り抜けていった。
「よし、もういいな。出発だ!」
車が通り切るまで待ちきれなかったのだろうか。
それとも、まだ赤信号なのを見落としてしまったのだろうか。
一樹がバイクを動かして交差点に進入した時、
横からトラックが猛スピードで突っ込んできた。
「あっ!」
と、言う間もなく、一樹は乗っていたバイクごと、
猛スピードのトラックに跳ね飛ばされてしまった。
ひしゃげたバイクと一樹の四肢が絡みつき、
一塊となって、ガードレールに激突した。
「ぐっ!・・・これは助からないかもしれない。二葉、ごめんな。」
そうして一樹の意識は混濁し、闇に飲み込まれていった。
真っ暗で広大な空間を、体がふわふわと漂っている。
痛みや不快感などは無く、身も心も水のように穏やか。
このままここにいるのも良いかも知れない。そう思えてくる。
しかし、何かが一樹の心に引っかかっている。
何か、やらなければいけないことがあったような。
「・・・そうだ、二葉だ!二葉は!?僕はどうなった?」
声なき声が真っ暗な空間に吸い込まれていく。
すると、真っ暗な空間の遥か先から、一筋の光が差して、
光は段々と大きくなって一樹を包み込んでいった。
気が付くと、一樹は賑やかな仮装行列の集団の中にいた。
周囲にはオレンジや黒の装飾に、魔女や怪物に扮した人々がいる。
それどころか、一樹自身も黒いローブを羽織って仮装していた。
はて、自分はここで何をしていたのだったか。
ぼんやりする頭でそんなことを考えて、ハッと記憶を取り戻した。
「・・・二葉は!?僕、病院に行く途中で事故に遭ったんだ!」
急いで体を確認してみる。
黒いローブの下にはいつもの普段着があり、それが傷み血で汚れている。
やはり事故に遭ったことは間違いない。
しかし、体に痛みなどはなく、バイクも見当たらなくなっていた。
時間を確認しようにも、荷物は全て無くなってしまっていた。
慌てて周囲の人たちに事情を確認した。
「あの、すみません!事故に遭ったんですが、何か知りませんか?」
「事故?さあ?知らないけど。」
「今日はハロウィーンだよ。
みんな大人しくお祭りをしているから、事故なんて起こらないよ。」
誰に尋ねてもそんな調子で、事故について知っている人はいなかった。
すると、一樹の目の前に人影が。
「トリック・オア・トリート!」
「お菓子をくれなきゃ、いたずらしちゃうぞ!
・・・君、どうかしたのかい?」
見ると、一樹の前には、かぼちゃ頭を被った二人がいた。
声の様子から、その二人は一樹より一回りは年上の男女だろうか。
おどけた様子で、しかし一樹の様子を気にしてくれたようだ。
丁度良いと一樹はその二人の男女に事情を説明した。
妹が重い病で病院に入院していること。
急な呼び出しで病院に向かう途中、交通事故に遭ったこと。
そのはずが、気が付くとこうしてハロウィーンの仮装行列に参加していたこと。
今からでも妹がいる病院へ向かいたいこと。
おおよその事情を説明すると、二人の男女はうんうんと頷いて返した。
「なるほど、君は妹さんのいる病院へ行きたいんだね。
その病院なら、この町にある大きな病院で間違いない。」
「でも今日はハロウィーンだから、町は大混雑よ。
実は、私たちの仮装行列の行き先もその病院なの。
だから、無理に一人で行こうとするよりも、
この仮装行列に付いて行った方が早く着くでしょうね。」
「そうと決まれば、君もハロウィーンのお祭りを楽しむと良い。
ほら、一緒に言って、トリック・オア・トリート!」
「ト、トリック・オア・トリート・・・。」
そうして一樹は、ハロウィーンの仮装行列に混じって、
妹の二葉が入院している病院に向かうことになった。
「トリック・オア・トリート!」
魔女や怪物に扮した仮装行列が、町の人たちにお菓子をねだる。
子供も大人も一緒になってお祭りを盛り上げている。
その一行の中に、一樹もいた。
本来ならば妹の二葉がいる病院へ急ぎたいところだったが、
ハロウィーンのお祭りで混雑する町では、
仮装行列に付いて行くのが一番早いと言われ、
しかも実際に事故に遭った後とあっては、従うより無かった。
だがとてもお祭りの賑やかしに参加する気にはなれず、
むっつりと黙りこくって町中を練り歩いていた。
そうして気が付いたことだったが、
この町は、一樹が良く知っているはずの町なのに、
それが今はどこか違って見えた。
行きつけの店の様子が変わっていたり、そもそも無くなっていたり、
あるいは道路からして記憶とは形が変わっている。
知っているはずなのに知らない町に来たようで気味が悪い。
町を飾るコウモリやかぼちゃの仮面、立ち枯れした木々、
そんなハロウィーンの飾り付けが、町をより一層不気味に見せていた。
「ここは本当に僕がいた町なんだろうか?
まるで良く似た別の世界にでも迷い込んでしまったみたいだ。」
これでは先を急ごうにも、一人で歩けば迷子になってしまいかねない。
仕方がなく、一樹はハロウィーンの仮装行列に付いて行った。
それからハロウィーンの仮装行列は、町をたっぷりと練り歩いた。
商店街の商店を訪れてお菓子を貰い、道行くスーツ姿の人にいたずらをし、
大きな繁華街の奥へ奥へと進んで行く。
するとその行く先に、大きな白い建物が姿を現した。
「・・・あれだ!あれは二葉が入院してる病院に間違いない!」
一樹はようやく、目的地の病院にたどり着くことができた。
病院のロビーでお菓子をねだる仮装行列を差し置いて、
一樹は病院の受付へ駆け込んだ。
「二葉は!?妹の園山二葉はどうなりましたか!
この病院に入院しているはずなんです。」
食い入るような一樹に対して、受付の事務員は首を傾げた。
「園山二葉様、ですか?
そのような患者さんは入院していないようですが・・・。」
「そんなまさか!
もういい。病室は知ってるから、直接行きます。」
「あ、ちょっと!」
事務員の制止も聞かず、一樹は病院の奥へ向かった。
二葉が入院している病室は、病院の大きな建物の上層にある。
エレベーターで行けばすぐに着くはずだったのだが。
しかし、病院のエレベーターは、
先程まで一緒だったハロウィーンの仮装行列でごった返していた。
なにせハロウィーンの仮装行列は、病院の事務員から患者から、
全ての階の全ての人たちに声をかけていくものだから、
病院のロビーもエレベーターまでも混雑して入り込む余地がない。
仕方がなく、一樹は建物の外にある非常階段に向かった。
「二葉、待ってろよ。もうすぐお兄ちゃんが行くからな。」
両親が亡くなっている今、病気の妹の側にいてやれるのは、
兄である自分しかいない。
そう考えると、長い階段も一樹には苦ではなかった。
長い長い螺旋形の非常階段を登った先。
ようやく一樹は、妹の二葉が入院している病室がある階にたどり着いた。
病院を訪れたハロウィーンの仮装行列は、まだ下層にいるようで、
ハロウィーンの喧騒もここまではまだ及んでいないようだった。
病院らしい厳かで静謐な空気が漂っている。
ここに来るまでに時間がかかって、外はもう日が暮れてしまっていた。
真っ暗な夜は良からぬ考えを引き寄せる。
あるいは、二葉はもう・・・。
そんな不吉な考えを、一樹は頭を振って払い除けた。
足取りが重いのは、非常階段を駆け上がったせいだけではないだろう。
一歩一歩ゆっくりと、病室に向かって歩んでいった。
「二葉!大丈夫か!?」
一樹が妹の二葉が入院している病室を訪れると、
しかし病室のベッドには誰もいなく、もぬけの殻になっていた。
主のいない真っ白なベッドが、魂が抜けたもぬけの殻のように見える。
ベッドの側には看護婦が一人、静かに佇んでいるだけ。
やはり、二葉はもう・・・。
それでも一縷の望みをかけて、一樹はそこにいる看護婦に縋りついた。
「二葉は!?二葉はどうなりましたか?」
その看護婦は二十代半ばほどだろうか。
若さに似合わぬ冷静さで、纏わりつく一樹に言った。
「あなたが、園山一樹さんですね。
お気の毒ですが、二葉はもう・・・。」
皆まで聞かずとも、一樹には看護婦が言わんとすることが分かった。
一樹は看護婦から手を離し、ズルズルと床にへたり込んでしまった。
たった一人の家族である妹の二葉を、重病である妹の二葉を、
一人っきりで死なせてしまった。
これでもう自分は正真正銘一人っきりになってしまった。
一樹の目から一粒の雫が流れ落ちる。
すると、それを無表情に見下ろしていた看護婦が、
突然、ケタケタと笑い始めたのだった。
たった一人の家族である妹の二葉を失い、
茫然自失して座り込む一樹を見下ろして、
看護婦は大声で笑い始めた。
「あっはっはっは!二葉を探しにここに来たの?
じゃあ、あなたは本物の園山一樹なんだ!」
余程愉快だったのか、看護婦は涙まで浮かべていた。
突然のことに一樹は事態が飲み込めない。
すると今度は、背後から大声でパーンと背中を叩かれた。
「トリック・オア・トリート!驚いたかい?」
いつの間に登ってきたのか、一樹の背後には、
あのハロウィーンの仮装行列で一緒だった、かぼちゃ頭の二人の男女がいた。
事態の急変に頭が追いつかない。
一樹が頭にクエスチョンマークをいくつも浮かべているのを察して、
二人の男女が事情を説明してくれた。
「あなたはハロウィーンが何の日なのか知っている?
ハロウィーンは、死者がこの世に蘇る日なの。」
「一樹、お前はもう生者ではない。
お前は、この病院に来る途中の事故で死んだ。
死んで死者となって、ハロウィーンの日にこの世に蘇ったんだ。」
「僕が、死者・・・?そんな馬鹿な。」
「信じられないのも無理はない。
しかし事実だ。試しに脈を取ってみなさい。」
言われた通りに自分の手首で脈を取る、首筋で脈を取る。
しかしどうやっても、一樹には脈が無かった。
それに体温が異常に低い。生気が感じられない。
それでも納得がいかず、一樹は食い下がった。
「脈なんて、体調次第で弱くなったりするだろう。
僕のことはどうでもいい。
妹は!?妹の二葉はどうなったんだ?」
キョロキョロと辺りを見渡す一樹に応えたのは。
「・・・あたしだよ、あたし!
お兄ちゃん、まだ気が付かないの?」
病室にいた看護婦、その人だった。
我こそが妹の二葉だと名乗り出たのは、病室にいた看護婦だった。
しかし、そんなことはありえない。
妹の二葉は14歳、しかし目の前の看護婦は20代半ばに見える。
だが冗談を言っている様子はない。事実なのだろう。
今度こそ理解の範囲を超えてしまった。
一樹は降参し、事情を説明してもらった。
十年前のハロウィーンの日。
一樹は妹の二葉が入院している病院に行く途中で事故に遭った。
現場に居合わせた医者がその場で死亡を確認するほど一樹は重篤だった。
幸い、妹の二葉の容態はすぐに回復したのだが、
兄の一樹の訃報を聞いた二葉は悲観に暮れる・・・はずだった。
しかしそこに、さらに十年前に亡くなったはずの両親が現れた。
ハロウィーンは死者が蘇る日、その効果によるものらしい。
二葉は兄を亡くしたのと同時に、亡くなった両親と再会を果たしたのだった。
それ自体は喜ばしいことのはずだったのに、
ハロウィーンに家族が揃って再会できるはずだったのに、
しかし兄の一樹は事故で死んでもういない。
そこで両親と妹の二葉の三人は考えた。
両親が亡くなってからハロウィーンに蘇って現れるまで十年。
そうであれば、兄の一樹もまた、亡くなってから十年経てば、
ハロウィーンの日に蘇ってこの世に現れるのではないだろうか。
そう考えて、両親と妹の二葉は、
十年後の今日のハロウィーンの日を待っていたのだった。
「じゃあ、じゃあ、僕は本当に死人で、お前は二葉!?」
「だから何度もそう言ってるじゃない。
お兄ちゃん、かわいい妹の顔も忘れちゃったの?
あたし、あれから病気を治して、進学して、看護婦になったの。
それで今はこの病院に勤めてるんだよ。
あれから十年も経ってるんだよ?
十年もあれば子供は成長するし、町だって変わるよ。」
不満そうに口を尖らせて一樹に顔を寄せる看護婦。
ふわっと香る匂いは大人の女の香り、
しかし顔には確かに妹の二葉の面影があった。
一樹が死んでから十年、今の二葉は亡くなった一樹と同い年。
すぐに妹だとわからなくても無理からぬことだった。
それに、一樹を謀っていたのは妹だけではない。
「お前が二葉だったってことは、じゃああなたたち二人は・・・!」
一樹が震える指で指した先、
仮装行列から一緒だった男女二人が、かぼちゃ頭を外すと、
中からは懐かしい両親の顔が現れたのだった。
「父さん!母さん!ずいぶん若いけど、本物なの?」
「当然さ。なにせ私たちが死んだのは今から二十年も前なんだからね。
死んだら歳を取らなくなるんだよ。お前と同じようにね。」
「あなたも大きくなったわね、一樹。
元気、ではないでしょうけれど、わたしたちと同じく蘇って良かった。」
妹は成長して兄である自分と同い年になり、
写真でしか覚えていない若かりし頃の両親が今、当時のままで目の前にいる。
そして自分自身も死者となって、当時のままでこの世にいる。
理解できようもないことの連続に、一樹は腰を抜かしてしまった。
その口からは、再会を喜ぶよりも先に、まず文句が飛び出た。
「父さんも母さんも二葉も、どうして先に教えてくれなかったんだよ。
特に父さんと母さんは、ここに来る前から知ってたんだろう?
僕が死者としてこの世に蘇ったって。
そして二葉に連絡しておいたんでしょ?」
すると、両親はぺろっと舌を出してこう答えるのだった。
「最初にお前に言ったろう?トリック・オア・トリートって。
今日はハロウィーンの日だ。
お前はお菓子をくれなかったから、ちょっといたずらしてやったのさ。
さあ、我々死者がこの世にいられる時間は限られている。
久しぶりの家族水入らずを堪能しようじゃないか。」
そうして、二十年ぶりの再会を果たした園山一家四人は、
親子にしては近すぎる年齢となって、
ハロウィーンの一夜を共に過ごしたのだった。
終わり。
ハロウィーンがイベントとして外国から持ち込まれてしばらく。
日本国内でのハロウィーンの取り扱いも幾らか変わってきました。
最初は小さな扱いだったのが、段々と大きくなっていき、そして。
そんなハロウィーンの移り変わりを書きたくて、この話を作りました。
ハロウィーンは死者がこの世にやってくる日。
ところで、死者はもう歳を取らないのだから、
仮装してお菓子をねだる人は、実は自分よりも年上の死者なのかも。
そんな可能性を考えると、
ハロウィーンにはちゃんとお菓子を用意しておいた方が良さそうです。
お読み頂きありがとうございました。