水源の獣 その1
閉じられた木の窓の隙間からかすかに朝日が差し込む薄暗い部屋。そこにある二つのベッドの一つで眠っていたシャルルはあごに軽い衝撃を受け目を覚ます。
そして半身を起こすと、隣には寝たときとは逆向きになっているステラが、ベッドの端には落ちそうになっているシルフィがいた。
昨日は寝相がよかったのになぁ……。
シャルルは軽くため息をつくとシルフィに手を伸ばす。ステラに投げ出されたのであろう彼女がベッドから落ちてはかわいそうだと思って。
だがシルフィはシャルルの手が触れると同時に目を覚まし、ふわりと浮くと眠そうに目をこすりながら言った。
「おふぁようごじゃいましゅ、ごしゅじんしゃま……」
「ああ、おはよう」
シャルルは軽く微笑むと挨拶を返す。
さて、あとはこいつだけか。隣で寝ているステラを見てそう考えたシャルルはニヤリと笑う。
どうやら今日はけりの目覚ましをくれたようだ。なら、こちらもいつもの起こし方をしてやらねば。
そしてシャルルが彼のすぐ横にある小さな足を持ち上げくすぐると、かわいらしい笑い声が部屋に響いた。
顔を洗って歯を磨き、そして朝食を取る。そんな朝の一連の作業を終えたシャルルは囲炉裏の前で茶を飲んでいた。
向かいに座るクレールはござのようなものを編み、頭にシルフィを乗せたステラはそれを眺めている。
それを見てシャルルは、昨日もまったく同じ事をしていたような気がするな……と思う。
そして昨日同様、穏やかな時間に水を差すように音を立てて扉が開く。
これもまた昨日と同じでマルティンが帰って来たのだが、昨日とは違いそこにはもう一人、若い男がいた。
「シャルル殿、案内人を連れてきましたぞ」
「どうも。池に案内するよう言い付かりましたトーマスです」
「シャルルだ。よろしく頼む」
頭を下げるトーマスに、シャルルも立ち上がると軽く頭を下げる。
「それでは早速行きましょう」
そう言うとトーマスは先に村長の家を出た。
「ステラ、シルフィ行くぞ」
「はーい」
「わっかりました」
呼びかけに答え、ステラはシルフィを頭に乗せたまま立ち上がる。そしてシャルルは二人を伴い家を出ようとするのだが、そこにクレールが待ったをかけた。
「ちょ、ちょっと、シャルルさん! その子たちを連れて行くんですか!? なんでしたら、お戻りになるまで私が見てますけど……」
クレールがそう言うのも無理はない。獣退治に子供を連れて行くのは危険だし、本来なら彼女に預けるべきだろう。
だが、シャルルは言った。
「大丈夫だ。問題ない」
確かにシャルルにもステラに獣を殺すところを見せたくないとか、危ないかもしれないという思いはある。だが、マギナベルクの一件もあり、ステラを目の届かない場所に長時間置いておきたくないという思いの方が強いのだ。
それにマギナベルクの友人たちと違い村長夫婦は弱いし、何より知り合ったばかりという事もあり特別な信頼も無い。なのでそこが危険なところであろうとも、自分の手の届くところに置いた方が安心だ。
「すてら、おるすばんやっ! しゃるーといっしょにいく!」
「わたしも。ごしゅじんさまにどこまでもついていきます」
本人たちにそう言われては、もはやクレールに言える事は無い。
「そうですか……くれぐれもお気をつけて」
「ああ」
「はーい」
「いってきまーす」
クレールは心配そうな顔をしていたが、シャルルたちは彼女に笑顔で手を振り家を出た。
早速池に向かおうと家を出たシャルルの前に、水瓶を持った人たちが集まってくる。今日も給水があると思って待っていた村人たちだ。
マルティンはトーマスを呼びに行ったときと連れて帰って来たとき、家の前にいた村人たちに今日の給水が無い事を伝えている。もちろんシャルルが池に出た獣の退治を試みるという事も伝えてだ。
なのでそれを聞いた村人たちのほとんどは仕方ないと帰って行ったのだが――それを知らずにあとから来た人や、出掛けに頼めば自分の分くらい給水してくれるだろうと思った人がそこにはいた。
「給水お願いします」
「私もお願いします」
「今日は池に行くからできないと村長に言ったはずだが」
シャルルがそう言うとマルティンも村人たちに言う。
「シャルル殿は池の獣を退治に行くんじゃ。じゃから今日は給水できんとさっきも言ったじゃろ」
それを聞いて村人たちは肩を落とす。だが、それでも何人かは食い下がった。
「少しだけでも良いから頼むよ」
「私も少しで良いんでお願いします」
「私もちょっとで良いんで」
彼らはシャルルの行く手を阻み『少しだけでも』に類する表現で頼んでくる。
確かに今頼んでいる人の分だけなら問答をするよりとっとと給水した方が早い。だが、それをやってしまったら結局希望者全員にやる羽目になる。
そうしなければ素直に従った村人が不満を持ち、新たな問題が発生する可能性が高いからだ。
とはいえ彼らは普通に断ってもたぶんごね続ける。だからといって無視して行くと、それはそれで新たな不満が発生してしまう。それを防ぐには、やはり彼らをある程度納得させる必要がある。
そこでシャルルは一計を案じる事にした。
「わかった。じゃあ、水瓶一杯につき金貨1枚支払ってもらう」
「え?」
「か、金を取るのか!?」
それを聞いた村人たちは驚きの声を上げる。中には明らかに不快感を示す者もいたがシャルルは平然と言う。
「それはそうだろ。昨日は私の好意という事で無償で給水をしたが――今、あんたらは私の行動を制限してまで給水を要求している。ならば対価を払うのが筋というもの。それとも私の代わりに獣退治の方をやるか? それなら無償で給水をやってもかまわないが」
シャルルの言葉に村人たちは口をつぐむ。それを見るとシャルルはステラを抱え上げて言った。
「村長、私が戻ってくるまでなるべく池に人を近づけないでくれ。もし獣との戦いに巻き込まれても守れないからな」
「そ、そうじゃな。周知しておこう」
「よろしく頼む。じゃあ、案内を」
「あ、はい。それでは」
シャルルに促され、トーマスはマルティンに軽く頭を下げると歩き出す。
「ばいばーい」
「いってきまーす」
「ああ、気いつけての」
ステラとシルフィが手を振るとマルティンも手を振る。
そしてシャルルたちがその場を離れると、水瓶を持っていた村人たちはすごすごと帰って行った。