鉱山都市マギナベルク その2
歩き続けること数十分。彼の耳に犬の遠吠えのようなものが聞こえてくる。
近いなと思いつつも特に気にせず歩き続けると、いつの間にか複数の気配が彼を取り囲んでいる事に気づいた。
『狩り』という事なのだろう。もちろんその獲物は――
だんだん近づいて来るその気配を数える。1、2、3……その数合計7。
これから始まるのはここにきて初めての戦闘。だが心は妙に落ち着いていた。
自信。姿は見えないが、気配から感じるその力は自分のそれに比べ遥かに劣るという感覚。そしてそれは次の瞬間、確信に変わる。
立ち止まり腰に提げた剣に手をかけたその刹那、それらは一斉に彼に飛び掛り、そして血と内蔵を撒き散らしながら地面に落ちた。
「ま、こんなもんか」
彼は剣を振るい血を飛ばすと鞘に収め、地面に転がる青い毛の大きな狼たちの死骸を見ながら考える。
彼にはさっきまで一つの心配事があった。それは回復アイテムを含むスタックできるアイテムの存在が無くなっていた事。
これはつまりダメージを受けると簡単には回復できないという事を意味する。
ゲームでは雑魚との戦闘でもまったくのノーダメージというのが難しく、複数相手だとほぼ不可能だったが、ここではそれが可能な事がわかった。
そしてもう一つわかった事がある。
ゲームの敵は倒すと消滅し、アイテムや金を落とすのだが――
「妙にリアルだな」
立ち込める血の臭いとグロテスクな死骸を目の当たりにして彼は考える。
もしかしてここはゲームの中ではなく、異世界なのではないかと。
南門から東に続く街道沿いの森。獲物を探しその森のやや深くまで入り込んでいたアルフレッドとローザの耳に狼の遠吠えが聞こえてくる。
「アル、これって……」
「ああ、ワイルドウルフだな」
ワイルドウルフは青い毛の大狼。基本的に単独行動だが、まれに遠吠えで仲間を呼び集団で狩りをする。
単体なら彼らでも狩る事が可能だが、集団となるとプロハンターが複数人いるパーティでも対処が難しく、遠吠えが聞こえたらなるべく遠くに逃げるのが鉄則だ。
二人は顔を見合わせ軽く頷くと、遠吠えが聞こえた方向とは逆方向に歩き出す。そして歩くこと数分、彼らの前にそいつが現れた。
「どうする、アル。やっぱり逃げた方が良いかな?」
ローザの問いにアルフレッドは考える。
恐らくこのワイルドウルフはさっきの遠吠えに呼び寄せられ移動中なのだろう。
遠吠えからはまだ十分な距離を取れたとまではいえず、こいつにここで遠吠えをされたら短時間で集まってくる可能性がある。
だが、今まで戦闘中に遠吠えをするのを見た事はないし、そういう事があるという話も聞いた事がない。常識的に考えても戦闘中にそんな隙だらけな行動は取れないはずだ。
二対一なら倒すのもそう難しくはないし、逃げてる最中に遠吠えで集まられる危険を考えればさっさと倒した方が逆に安全かもしれない。
それに今日一日かけてやっとみつけた獲物だ。ここで逃す手はないだろう。
「やろう。すばやく倒せば問題ないはずだ」
だが、この判断が彼らを窮地に立たせる事となる。
遠吠えに呼び寄せられ移動しているワイルドウルフは一匹ではない。
そしてほかの個体がたまたまここを通りかかる可能性も十分に考えられるのだ。
彼らの前に二匹目が現れたのは、戦闘を開始してすぐの事だった。
狼を倒し更に歩き続けていた彼は、人の声が聞こえたような気がして立ち止まる。
もし人がいるのなら道を尋ねる事ができるかもしれない。
そう思い声が聞こえたと思われる方に進んでみると、そこには彼がさっき屠ったのと同じ狼が二匹、そしてそれと対峙する男女の二人組みがいた。
一人は赤髪短髪の少年でもう一人は赤系金髪ショートの少女。二人とも簡素と言うか質素ではあるが、戦士風の装備を身に着けている。
ほかに荷物が見当たらないところをみると旅人というわけではなく、そう遠くない場所から来ている可能性が高いだろう。
彼らに聞けば森を抜けられそうだな。
彼はそう思ったが、さすがに戦闘中に道を尋ねるのは非常識だ。邪魔にならないよう物陰で様子をみながら戦闘が終わるのを待つ事にした。
戦っている少年たちを見ながらふと思う。アナライズは人間にも使えるのだろうか?
敵の名前とレベルを見るスキルであるアナライズ。ゲームではプレイヤーや町の住人などの戦えない相手には使えなかった。
だが、ここではそういう制限はないような気がする。
それはつまり誰でも敵になりうるという事でもあるのだが。
とりあえず試しに少年を対象にアナライズを使ってみる。
するとゲームとは少し違い、クラスと現在レベル、そして最大レベルがわかった。
使える事がわかったので、続けて少女と狼たちを対象にして使う。
すると、やはり同じように少女と二匹の狼のクラスと現在レベル、そして最大レベルがわかったが――彼は軽い精神的疲労を感じ目頭を押さえる。
ゲームではアナライズを使っても何も消費しないので無限に使う事ができた。
今も確かに戦士スキルや魔法とは違い、なにかしらのポイントや体力的なものを消費した感覚はない。
だが、例えるなら細かい文字をたくさん読んだりとか、複雑な計算をしたときのような……そんな精神的疲労を感じた。
これは多用できない、というかしたくない……。
そんな事を思いつつ、とりあえず今調べた事を整理する。
少年は『ウォーリア 18/34』少女は『ウォーリア 19/32』で、狼はそれぞれ『ワイルドウルフ 21/23』と『ワイルドウルフ 17/21』。
名称がクラスで分子が現在レベル、分母が最大レベルだ。
この情報に彼は少し首をかしげる。
この二人はウォーリアなのに最大レベルが34と32で現在レベルが18と19。
だが彼の知るウォーリアは戦士系クラス2で、最大レベル40、最低レベル21だ。最大レベルも現在レベルも彼の知るそれにはあてはまらない。
そしてワイルドウルフ。この二匹は同じモンスターなのにレベルが違い、そしてなぜか最大レベルというものがある。
ゲームでは同じモンスターはレベルも同じだし、固定で成長したりはしない。だが最大レベルがあるという事はここのモンスターは成長するのだろう。
ゲームと違う部分が多いなぁ……などと思いつつ、彼は再び戦闘の様子に目を向ける。
すると――
「なんか……押されてるし」
二人のレベルと狼たちのレベルは大体同じくらいだ。
ゲームでは同じくらいのレベルなら、クエストのボスなどの『例外』を除きプレイヤーが有利というバランス設定になっている。
だが彼がさっき余裕で屠ったのと同じ狼たちが、その『例外』にあたるとは思えない。
ここでは同じくらいのレベルだとモンスター有利というバランス設定なのだろうか?
そんな事を考えているうちに戦況は悪化。二人はまだ大きな怪我こそしていないようではあるが、その顔には疲労が色濃く見えている。
もはや敗北は時間の問題だろう。
「しょうがない。やるか」
こんな状況だ。乱入しても「邪魔するな!」とか「横やめろ!」みたいな事は言われないだろう。
特に助ける義理はないが、ここで死なれては道を尋ねる事ができず彼も困るのだ。
剣を抜き臨戦態勢で彼はその戦闘に足を踏み入れた。
そして一言。
「苦戦し――(ているようだね)」
だが敵は所詮、獣。彼の言葉を待つ事なく一匹が彼に飛び掛り、そして二つになって血と内蔵を撒き散らしながら地に落ちる。
それを見ていた彼を除くそこにいるすべての者が一瞬動きを止め、唯一動きを止めなかった彼は残りの一匹との距離を一気に詰めると一薙ぎでその首を落とした。
「少し苦戦しているように見えたのだが――余計な事だったかな?」
二人はあまりの出来事にしばらく固まっていたが、程なくして口を開く。
「あ、いや……助かったよ」
「あ、ありがとうございます」
その言葉を聞いて彼は内心胸をなでおろす。
どうやら話が通じる相手のようだ。言語的にも常識的にも。
そして彼らは言葉を続ける。
「俺はアルフレッド。で、こっちはローザ。二人ともマギナベルク所属のレベル2ハンターだ」
レベル2ハンター? マギナベルク? 彼は聞き慣れない言葉に思考をめぐらすが、アルフレッドたちはそれを待ってはくれない。
ローザは軽く頭を下げ、アルフレッドは右手を差し出してくる。ここは彼も自己紹介をしなければいけないところだろう。
疑問は一時保留して、彼はアルフレッドの手を握り返しながら言った。
「私は――『シャルル』だ」
シャルル。
それはもちろんモニターの前に座ってゲームをしていた中年男性の名前ではない。彼がモニターの中で操っていたキャラクターの名前である。
だが、アルフレッドたちの自己紹介を受け、自分も名乗るべきだと思ったとき、自然と口をついて出てきた名前はモニターの前にいた男の名ではなく『シャルル』という名前だった。
彼はここに来てからずっと感じていた。今の自分はモニターの前にいた男ではなく、MMORPGアナザーワールド2のキャラクターシャルルなのだと。
となれば今の自分の名前はやはり『シャルル』と名乗るのが正しいだろう。
緊張が解けたためか挨拶の後二人はその場にへたり込み、アルフレッドは革袋を取り出して水を少し飲む。
ローザもアルフレッドから革袋を受け取り水を飲み、その様子を見ていたシャルルに革袋を差し出しながら言う。
「あ、飲みますか?」
「いや、結構」
シャルルは片手でそれを制してから、二人が再び立ち上がるのを待って言った。
「実は……道を尋ねたいのだが」
日はかなり傾いていたがまだ夕暮れとは言えないくらいの時間。森を抜けたシャルルたちの前には多数の切り株がある草原が広がり、その先には広い道があった。
道には多くはないがゆっくりと進む馬車や人がいて、そのすべてが彼らから見て右側に見える、なにかを取り囲むように建つ城壁にある門に向っていた。
「閉門までに間に合いそうだな。マギナベルクに着いたらまずはハンターギルドに行ってこれの換金とシャルルのハンター登録を済ませようぜ」
アルフレッドはそう言うと、シャルルにワイルドウルフの耳が入った袋を見せる。
「そうだな」
マギナベルク。それはこれから向うあの城壁に囲まれた大都市だ。
来たばかりでこの世界の事を何も知らないシャルルは詮索や警戒をされないようにあまり詳しくは聞かなかったが、この都市は数年前まで廃墟だった復興中の都市で人口は小都市より少ないらしい。
シャルルには大都市も小都市もどういうものなのかわからないが、大とか小とか言うのだから大都市は小都市より人口が多いのが普通なのだろう。
復興中で人口が少ないという事もあり、本来なら入場に特別な許可が必要な大都市でありながら、マギナベルクは事実上のフリーパス状態らしい。
更に都市周辺にいる人に害をもたらすモンスター、通称害獣と呼ばれる獣が多数いるため、それを退治するためにハンターという職業を大募集中なのだそうだ。
ハンターとはシャルルの知識にあてはめるとファンタジーによく出てくる冒険者とほぼ同じと言って良いような職業で、ハンターギルドに登録し所属になるとギルドに来た依頼を斡旋してもらえるらしい。
登録にはある種の能力を持つ事が必須らしいが、アルフレッドいわく「シャルルの強さならまったく問題ない」との事。
依頼外でも指定された害獣を倒し、証拠となる指定部位をギルドに提出すると報奨金がもらえるらしい。
森でシャルルが倒したワイルドウルフも指定害獣との事なので、アルフレッドたちに会う前に倒した分も含め証拠となる耳は回収してきてある。
「ようやく着いた」
門の前に着くと、アルフレッドは大きく伸びをする。
森を抜けた直後に比べ、日は更に傾き空は茜色に染まりつつあった。
「アル。ギルドに戻るまでが害獣狩りだよ」
ローザの言葉にアルフレッドは笑い、シャルルも少しフッと笑う。
そして城壁を見上げながらシャルルはつぶやく。
「マギナベルク……か」
シャルルの記憶では、アナザーワールド2にそんな名前の都市は無い。