ハンターの魔術師 その1
宿の食堂。テーブル席でシャルルたちと向かい合って座っていたアルフレッドとローザは朝食を終えて立ち上がる。
「じゃ、俺たちはギルドに行くよ」
「ああ」
「ステラちゃんまたね」
「ろーざ、ある、またねー」
二人が軽く手を振ると、ステラは両手を大きく振り返す。
そして二人が食堂を出ても手を振り続けていたステラにシャルルは言った。
「ほら、早く食べてしまえ」
「はーい」
シャルルに促されステラは食事を再開する。
それからしばらく――シャルルが食後のコーヒーを飲み終わった頃、ようやく彼女の食事も終わった。
シャルルは空いたコーヒーカップの真上に右手の人差し指を持って行くと言う。
「じゃあ、またやるから良く見てろ」
「うん」
シャルルの右手の人差し指の少し先、空中からちょろちょろと水が流れ出し、コーヒーカップに貯まって行く。
そしてシャルルは貯まった水を飲み干すと、コーヒーカップをステラの前に置いた。
「よし、やってみろ」
「うんっ」
元気良く頷いたステラはコーヒーカップの上に右手の人差し指を持って行くと、呪文のように言葉を発する。
「みず、みず、でろ~でろ~、おみずでろ~」
そして目を瞑ってみたり眉間にしわを寄せたり、息を止めたりしてみるが――水はまったく出てこない。
首をかしげながらステラは言う。
「でないよー?」
「んー、出るはずなんだがなぁ。やはり何か間違っているのか?」
シャルルは腕を組み考える。
ほとんどの生活魔術は魔法レベル0。今試しているウォーターも魔法レベル0なのは知っている。
ゲームではレベル1でも魔法使い系のクラスなら、魔法レベル0の魔法は使えていた。したがってレベル1のステラでも、魔法レベル0の魔術なら使えると思うのだが……なぜか使えない。
もしかしたらレベル1ではだめで、少しレベルを上げないと使えないのかもしれないが、だとしたらレベルはどうやって上げれば良いのだろうか? この世界でレベル上げをした事が無いシャルルにはそれがまったくわからない。
これはもう誰かに聞くしかないだろう。
「よし、ステラ。今日はギルドに行くぞ」
「ぎるど?」
「そうだ。私の職場――みたいなところだ。そこで聞けばステラも魔術を使えるようになるかもしれん」
それを聞くとステラは嬉しそうに声を上げる。
「おおー!」
「じゃあ、一度部屋に戻って準備してから行くぞ」
「うん」
シャルルは女将が用意してくれた台を乗せて高さを調節したイスからステラを下ろし、重ねた食器をカウンターに置くと食堂を後にした。
宿を出て少し歩き大通りに出たシャルルたちは、ギルドに向って真っ直ぐ歩く。そしてステラの手を引きながらシャルルは思う。
この道を歩くのもなんか久しぶりだなぁ。
ステラと出会ってから一週間、彼は一度もギルドに行かなかった。
理由は三つある。
一つ目は出会ったばかりのステラの事を良く知る必要があると思いそっちを優先していたから。
二つ目はステラを連れてハンターの仕事をするのは難しいがステラを一人にしておけないと思ったから。
三つ目はシャルルがステラを遺跡から連れ出した事がばれていた場合、ギルドに手が回っている可能性があると思ったから。
だからギルドには近づかず、出かける時も所在を知られづらくするためにドラゴン装備は身に着けないでいた。
その間、一応アルフレッドたちにギルドで何か変わった事はないか聞いたりもしたが、特に何かあったという情報は無かったので、たぶんステラの事はばれていないのだろう。
シャルルはこの一週間でステラの事をいくつか知る事ができた。
まずわかったのは、ほとんど記憶が無いという事。
遺跡でも聞いたが結局自分の名前を思い出す事は無く、どういうところでどういう生活をしていたのかも覚えていなかった。
両親の事はおぼろげながら覚えているようだが、覚えているのはお父さんは大きかったとか、お母さんは良く頭をなでてくれた程度で名前も覚えていない。
他にも色々聞いてみたが、遺跡で聞いた以上の事は出て来ず結局何の収穫も無かった。
もっとも、覚えていないのではなく小さい子だからうまく説明ができないという可能性もある。
だが、そうだとしても結局シャルルに伝わらないのなら大した違いは無い。
他に知る事ができたのは、小さい子にしては意外と頭が良いという事。
意味を理解できていない言葉も多々あるが、おおよそ漢字を含め文字が読め、漢字以外は大体書く事もできる。
計算も簡単な加減乗除はできるので、ある程度の教育を受けている可能性は高いだろう。
逆に精神的には見た目相応かそれ以上に幼く甘えん坊で、とにかくシャルルから離れるのを嫌がる。
起きているときはもちろんの事、寝るときも一人になるのを嫌がって一緒に寝ると言って聞かない。
寝静まった後にこっそり隣のベッドに移ってもいつの間にか同じベッドに寝ているし、一人で寝かせておいたら夜中に大声で泣き出した事もあった。
そしてシャルルが一番気になったのが魔術が使えないという事。
ステラはレベル1とはいえ魔法使い系最高クラスのマジックマスター。魔法的潜在能力はダークナイトであるシャルルより上だ。
アルフレッドが言うにはフォースは使う事で鍛えられ強くなって行くらしいので、たぶん魔術も使う事によって鍛えられ強くなって行くのだろう。
だとしたら、何かしらの魔術が使えない事には鍛える事ができないのだが……ステラは魔法レベル0のウォーターすら使う事ができない。
幼すぎるのか、それとも最初は鍛える専用の魔術があるのか……そういう部分はこっちでゼロから魔術を鍛えたわけではないシャルルにはわからない。
これはそういう経験がある人に聞くより他にないだろう。
ハンターには魔術師もいるので、ギルドに行けばそういう事を聞く事もできるはず。そのために今、ギルドに向っている。
しかし今日は誰からも話しかけられないな……とシャルルは昨日までとの違いを感じていた。
商業地区には老人や子供が少ない。
理由はこの都市に人が住むようになってまだ数年であり、復興中であるという事にある。
家族で移住してくる者が多い農業地区や工業地区と違い、人の出入りや往来が激しい商業地区は安心して子育てができる環境とは言いがたい。
そのため子供連れの家族が移住してくる事は少なく、若者や、子供が独り立ちした働き盛りの中年が多い。
そういう理由から子供は珍しいので連れて歩いていると中年女性を中心に話しかけられる事が多く、ステラを連れているシャルルも昨日までは良く話しかけられた。
だが今日は遠巻きにこちらを見る視線は感じるものの、話しかけてくる人はいない。
そして感じる視線もステラより自分に注がれているとシャルルは感じていた。
「あの人が、紅蓮の……」
誰かの声がかすかに聞こえ、それもそうか……とシャルルは思う。
今日はギルドに行くので昨日までとは違いドラゴン装備を身に着けている。
つまり一目でドラゴンを倒しマギナベルクを守った英雄、紅蓮の竜騎士だとわかる格好だ。
英雄と商業地区には少ないとはいえただの子供。どちらが注目されるかと言えば答えは言うまでもない。
昨日までは私よりステラに注目が集まっていたのだが、やはり私はこの装備とセットで認識されているのだな……と改めてシャルルは思う。
ステラはときどき向けられる視線に笑顔で手を振ると、振り返してはくれるが昨日までとは違い話しかけて来ないのを不思議そうにしていた。
シャルルは大通りをステラの歩幅に合わせながらゆっくりと進む。
ステラはときどき店の前で立ち止まったり、猫を見つけてしゃがみこんだり、食べ物の匂いにつられてふらふらそっちに行きそうになったりする。
だが手を繋いでいたので迷子になる事も無く、二人は無事ハンターギルドに到着した。